8. ゲンジツが何かの内側にあるものでなく、ゲンジツがすべてなのだとしたら、僕の、僕たちの意識はいったいどこにあるのです?
「いやあ打煮村さん、傑作でしたよ」
曽根見紅郎はきわめて人工的な微笑みを浮かべ言った。
歪んだ表情。円卓の対面でうつむく打煮村秋人に対する呆れ果て、見損ない、面食らい、及びそれらを通り越した末にたどり着いた憐れみと慈しみが作りだした歪曲である。
「そうですか……」
打煮村は、オフィスチェアからはみ出した尻の肉をなんとか座面におさめようと、右手で肉を持ち上げながら答えた。その挙動には、謝罪の意を示さなければならない状況下で、せめて尻肉だけは椅子から溢れさせてはならない、という打煮村の屈折した取り繕い精神があらわれていた。
「傑作傑作。もちろん皮肉ですが」
曽根見が細い目尻をきりりと尖らせて言うと、打煮村はやはりきたかという身構えをみせる。
「あそこまで破綻していると、逆に清々しいというか、何もかもがどうでもよくなって傑作と呼びたくなってしまいます」
「返す言葉もないです」
打煮村は恐縮と降参を精一杯に演出した声色で謝罪の意を述べ、つづけて頭を下げた。しかし全身を覆う贅肉の影響から、打煮村のお辞儀は陳謝に適した角度に及ばず、それどころか、お辞儀を利用してテーブルにおかれた菓子類をより良い角度で見てやろう、という魂胆さえ垣間見えたので、曽根見の神経をいっそう逆撫でた。
「打煮村さんさ、絶対悪いと思ってないでしょ」
空気がぎくりと振動する。
「や、そんなことはないです。ほんと、せっかくの大きなお仕事を台無しにしてしまって悔しいやら、申し訳ないやら」
「腹減ったな、と思ってるでしょ」
「や、そんなことはないです。たしかにお腹が空いたかどうかと聞かれたらイエスと答えるほかありませんが、それとこれとは別次元というか、いま僕という入れ物には空腹とお詫びが同棲している状態というか」
打煮村はとにかくすみませんとつぶやくと、再びうつむいた。
「打煮村さんて正直な人だよね」
表情を軟化させて曽根見が言うと、打煮村はぽかんとした顔を向けた。
「ほんとは今日ね、打煮村さんを呼びつけたら怒鳴りつけてやろうと思ってたんですよ。契約解除とか損害賠償とか、漢字四文字をふんだんに使ってさ。でもなんか、打煮村さんの呑気な態度を見てたらどうでもよくなってきましたよ」
「え?」
「手打ちにしましょう。もちろん、契約はなかったことにしますが、発注責任は僕にありますから、報酬は半分支払います。いかがでしょう?」
曽根見は、情けをかける武士のような表情で提案した。
「え、いいんですか?」
打煮村は、かけられた情けを逃すものかという決意を胸に、すがるような声で確認する。同時に、尻肉を椅子におさめる作業を放棄した。
「いいですとも。じゃあ決まりですね。制作物は不採用、報酬は半分。あとは一応事実確認しておきますか。これが発注内容ね」
曽根見はデスクに置いていたタブレットを何回かタップして、表示された画面を打煮村に見せながら続ける。
「えー、注文内容は。XRゲーム開発におけるエリアマッピング、及び当該エリアに登場するモブキャラクターAIの設計。コンセプトは、日本のどこにでもありそうな、それでいてちょっと不思議な住宅街」
曽根見は、ややぶっきらぼうな口調で、注文書に書かれた内容を読み上げる。
「ちょっと不思議ってところを拡大解釈しすぎちゃいましたね、打煮村さん」
えへへ、とでも言いそうな様子で、打煮村はなんとか神妙な笑みを浮かべた。
「マップ生成まではうまくいっていたんです。しかし制作途中でエンジニアチームが全員辞めてしまって、あとを僕が引き継ぐしかなくなったんです」
「なんでまた、辞めてしまったんですか?」
「それは、なんというか、方向性の違いですね、ざっくり言うと」
むしろこの男は、ざっくり以外の言語を持たない生物なのでは、と曽根見は思った。
「なるほど。それで、結果としてあのようなおぞましい代物が出来上がったわけですね」
曽根見は、親がわが子のちいさな失敗をとがめるときのような、呆れた笑顔で言う。
「ファジィ理論を使って、個性的かつ自由度の高いモブキャラクター設計を試みたのですが、どうもメタAIがうまく動いてくれなくて、キャラクターAIも暴走というか、想定外の言動をとるようになってしまいました」
打煮村は、小さな子どもが親に失態を懺悔するような口調で、今回の経緯を述べはじめた。その口調はとかく人工的であった。
「あれじゃあジャンキーか病人の街ですよ。意味もなくチェーンソーを持つ女に、イカれた格好で架空のバーベキューをする連中でしょ。それからカルト宗教に、それをぶち殺しちゃう保安官。暴走どころの騒ぎじゃない」
「おっしゃる通りです。僕も制御しようと試行錯誤したのですが、気付いたときにはもう手に負えなくなっていました。街全体が意思を持っていて、モブキャラクターたちはそれぞれひとり歩きしだして……」
「コントロール不能になったわけだ」
「そうなんです。そして朧ヶ丘はこちらの世界、僕たちの現実世界をも侵食し始めたんです」
「なに言ってんの。侵食?」
「曽根見さん、僕はもう何日も眠っていません。眠りにつくと、僕は朧ヶ丘にいるんです。朧ヶ丘の教会でセント・ドナカルトの会の教祖の言葉を聞いていて、その言葉には魔力があって、僕はその場から動けません。そして最後には保安官に打たれて死んでしまう」
一瞬、打煮村の巨体が霞んで背景のデスクや壁が透けて見えた気がして曽根見はぎょっとした。しかしそれは見間違いで、打煮村の贅肉は通常通りどすんと場を占拠している。
「そういう夢をみるということか。打煮村さん、それはきっと根詰めて制作にのめり込んでいた弊害だよ。すぐに帰って休んだ方がいい」
曽根見の気づかいをよそに、打煮村はいつもの愚鈍な呆け顔ではなくなにかに怯えきった様子で続ける。「曽根見さん、ゲンジツってのは、どこからどこまでをいうのでしょう? ゲンジツは、何かの内側にあるのでしょうか? もしそうだとしたら、ゲンジツとそうでない外側とは、明瞭な境界線によって隔てられているのでしょうか?」
「もういい、やめるんだ打煮村。病院に行け」
「ゲンジツが何かの内側にあるものでなく、ゲンジツがすべてなのだとしたら、僕の、僕たちの意識はいったいどこにあるのです? 見ることも触れることもできない、感じることしかできないこのワケの分からない確固たる不確かは、ゲンジツの一部でしょうか? それともゲンジツをゲンジツだと認識させるための処理装置なのですか?」
「……医者に聞いてみろ」
曽根見はそう言い残すと、新しい契約書、小切手など書類一式を強引に渡して足早にオフィスダニムラをあとにした。
唐突に狂った打煮村を慮る気持ちはあったが、それよりも自身に迫りつつある不穏から逃れたい思いがまさった。部屋を出るとき背後で打煮村の声がした。
「朧ヶ丘は企むぞ」
雑居ビルを出ると、じめっとして重苦しい灼熱の空気が体にまとわりついてきた。飲み物が欲しくなり、曽根見は自動販売機に小銭を入れる。アイスコーヒーのボタンを押すと、がど、という缶の落ちる音がした。
屈んで取り出し口に手を入れた曽根見は「うわあ!」と風狂に叫んだ。取り出し口に缶はなく、代わりにおびただしい数の蝉がうごめいていたのだ。
蝉は取り出し口が開くのを待っていたかのように一斉に外へ飛び出ると、けたたましい音を上げて上空を旋回した。
曽根見は驚きのあまり鞄を放ってしまい、しかし仰天と恐怖の心地から鞄には目もくれずひるがえって走り出した。
すぐに車道へ近づき、手を上げてタクシーを停め、行き先を告げながら乗り込む。
目的地へ向かう間の車中も曽根見は、何が起きたのだと呟くばかりで何もかもに上の空であった。
だからタクシーを降りる際に運転手が口にした「朧ヶ丘では風のかわりに忘却が吹くんだよ」というセリフにも生返事を返しただけであった。
車を降りて、しばらく入り組んだ住宅街を歩く。
俺はいつか辿りつくだろう。俺の目的地へ。
蝉の唸り声が夏を貫く。
忘れられた忘却 ユーキビート @beat1212
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