3. なにがコミュニケーションざ、ぐだんれえ!

「そこのイタリアン、値段の割に美味しいんだよ。隣の熱帯魚店は要注意。雄と聞いて買ったのに卵産んだりとか。ヤブだね。ヤブ熱帯魚屋」


 瑞季は――女は瑞季と名乗った――目に映る店々について得意気に説明している。


 金物屋の前で俺に運命を感じたという瑞季は、俺が地元の人間じゃないことを知ると、どこへ向かうのかと聞いた。

 それが俺にも分からない、などと答えるわけにもいかず返事に詰まっていると、何を察したか、案内しますよ、といってするすると住宅街を抜け大通りまで俺を引っ張ってきてしまったのだ。いつのまにか口調からは敬語が消えていた。


辿り着くべき目的地があるのにこんなところで油を売ってるわけにはいかない、と俺は困惑したが、どのみち方向が分からないのだから別にいいかと瑞季のあとをついて回る。


通りには、進学スクール目眩、スパイラル訪問介護、スナック愛のかさぶた、フリーダム青果店吉野、プライベートダイニングたいくつ、発光デイサービス、整骨院バックアゲイン、カットサービス怒涛。といった妙なネーミングの店が立ち並ぶ。新と旧、和と洋が目まぐるしく入れ替わる様もまた妙であった。


しばらく坂を上っていると、『フィットネススタジオ小猿』と『山賊クリーニング』の前に奇抜な格好をした四人の集団が現れた。


彼らはやいのやいのと楽しそうに矯声を上げ、よくみるとコンロを囲っているのでバーベキューを楽しんでいると思われた。脇を通るとき彼らのうちのひとりが俺を呼んだ。


「やっぱり来たかあんちゃん、暑いねどうも」


中年と思わしき男は禿げ上がった頭にサンバイザーを乗せ、背中に大きな蝶の羽根を生やしていた。俺はぞっとして目を逸らす。


「来たね」「やっぱり」「ほらほら」


コンロを囲む面々が代わる代わる声をあげた。いずれの人物も、蝶の男に負けず劣らず妙な出で立ちに身を包んでいる。何が「やっぱり」なのかさっぱり分からない。


「よかったら食べていきなさいな」


割烹着姿の女性が掌でコンロを指すと笑いが起きた。小太りの女性はいかにもおばさんといった佇まいであるが、顔の半分ほどもある闇より黒いサングラスをかけていた。俺はぞっとして目を逸らす。


「やけどしないようにね、お兄ちゃん」


 再び場が爆笑に包まれる。声の主は子供。背丈は俺の腹ほどで、男女は分からない。フルフェイスのヘルメットを被っているからである。フルフェイスに胴体手足がかろうじて付随しているようなアンバランスな姿。


ここで俺はようやく彼らが笑う訳を知る。みればバーベキューコンロには肉も野菜も乗っていない。それどころか炭すら燃えていないのであった。彼らはどうやら単なる虚無を肉と見立て、見えもしない野菜をひっくり返しては笑いあっている。俺はただただ首をかしげ困り果てたのち、やはりぞっとして目を逸らす。


「驚きましたか? バーベキューごっこをしていたんです」


四人のなかで唯一まともな服装の痩せた青年が優しげに言った。


「バーベキュー、ごっこ」


俺は呆気に取られた状態で彼の発言を繰り返してみるが、腑に落ちるところはまるでない。


「じゅうじゅう」


「おうよく焼けたね」


「ひゅう、うまそうだ」


彼らは見えぬ肉を焼き、はすはすと熱さに四苦八苦しながら平らげる。正確には平らげる挙動を演じる。そして一連の動きがひと段落すると再び笑い転げるのだ。助けを求めて瑞季をみると、仇討ち前の武士の如き表情で空間すべてを睨んでいる。俺はぞっとして目を逸らす。


「バーベキューごっこ楽しいですよ。ぜひ混ざっていってください」

と青年。


「あの、なんでこんなことしてるんですか?」

俺は怖々と訊いた。


「なんでって、そりゃあ、コミュニケーションですよ、コミュニケーション」

蝶男が割り込むように答える。


「人生は世知辛くつまらない! 世の中、目を背けたくなることばかり! ならば真摯に目を背けよ! という訳ですよ、お兄さん」

 蝶男は羽根をばたつかせ声量を上げた。


「いよっ」



「出た名言」


「バタフライ名言」

 決まりごとのように入る合いの手には一定のリズムがあった。


「現実に背いているということですか?」


「そうそう。憂鬱から逃れるには今を楽しむのが一番  楽しいことといえば?」


「バーベキューと」


「仮装でしょう」


 グラサン割烹着にフルフェイスと蝶男が調子を合わせる。


「癒しはコミュニケーションにのみぞ宿りけり! というわけで我々は、週に何度かこうして、思い思いに仮装してバーベキューごっこを楽しんでるわけですな」


 蝶男の台詞回しはいちいち古くさかった。


「週に二回」


「火曜日と水曜日」


 彼らに汗ひとつないのはなぜだろうか。


「こうして仮装して火を囲んでいると、コミュニケーション能力がぐんぐん向上するんだよ。コミュニケーション能力は現代を生き抜く必須スキルでしょう?」

フルフェイスの子供がステレオタイプな大人口調で言った。


「いよっ」


「さすが町内会長っ」


「最年少会長!」


 一段と大きな歓声。戦慄を感じ一刻も早くこの場から立ち去らねばと直感が告げる。しかし風のような感触の忘却が吹くと同時にこれ以上無い何かが体内に満ちて蝉の音が聞こえなくなり、俺はバーベキューごっこについてもう詮索できないことを悟った。彼らの望むセリフが脳内を占拠する。


「コミュニケーションの楽しさを最大化しようとする皆さんの試みに心打たれました。今を楽しむ、それがコミュニケーションなのですね」


 言い終えると場がどっと湧き、蝶男はバサバサと羽ばたき、子供フルフェイスは跳びはねて喜んだ。彼らの回りには透明な、透明であるからこそ決して破れないドーム型の膜が張られているように思えた。膜のなかは悦楽に満ち、その愉快な彩りは、忘却の風吹くこの街で生きる者たちが、忘却を忘れるために必要なものなのだろうと感じ取れた。膜のなかに潜り込めたらどんなに楽しいことだろう。


「さすが兄ちゃん、こりゃ愉快だ。よしこうなりゃAランクの肉焼いちゃおう」


 蝶男が快活に提案すると、グラサン割烹着が満面の笑みで透明な肉を焼き始めた。待ってましたと歓声があがる。ポロシャツにジーンズの痩せ青年は歩道の方へ駆けると、おもむろに空を見上げ叫んだ。


「おおいコンコルド、おいでー」


 すると空に潜んでいた一羽のカラスがカアとひとこえ鳴くや否や勢いよく滑降し、すささ、とブレーキ音をたてて青年の肩に着地した。

「よっ、コンコルド登場」


 蝶男の野太い声が響く。俺は「わっ」と素っ頓狂な声をあげるしかなかった。


「紹介します。相棒のコンコルドです」


 青年は嬉しそうにカラスの嘴を撫でて言う。


「そうだ、コンコルドに味見してもらいましょうよ」


 グラサン割烹着の提案に一同はいいねいいねと賛成した。じゅうじゅう言いながら焼かれた肉がコンコルドの口もとへ運ばれるも、当然コンコルドは無反応であった。すると途端にグラサン割烹着が不満を露にする。


「なによこのカラス。コミュニケーション能力低いわ」


 コミュニケーションというワードに反応し、他の三人が割烹着に同調しだす。


「けしからん鳥類だなあ、バーベキューごっこもできないとは」


「ほんと、親鳥の顔が見たい」と蝶男。


 青年は相棒をけなされて怒るのかと思いきや「じゃあいっそコンコルドも焼いちゃいます?」と菩薩のような笑みで恐ろしい言葉を口にした。「いいねいいね」 「やっちまおう」


 気づくと、やーきとり、やーきとり、という掛け声が上がっている。


 さらに青年は、せっかくだからゲストに焼いてもらいましょうとかなんとか言って俺に焼きコンコルドの役を押し付けてきたのである。俺はどきりとしたが、よく考えれば火が無いのだから残酷なことにはならないだろう、とコンコルドの首根っこを掴みコンロの上で焼くしぐさをした。


「じゅうじゅう」


 俺が焼肉擬音を発すると一同大喝采。指笛まで鳴る始末であった。俺は俺でまんざらでなく、うっとり気持ちがよくなり、この時間がいつまでも続けばいいのになどと、先ほどと真逆のことを思いはじめていた。


 歓呼喜悦の渦巻く朧ヶ丘メイン通りの一角。だが賑やかな団欒は瑞季が叫んだ次のひと声で粉々に砕け散る。


「おどれぶあ!」


 絶叫。地鳴りにも似た唸り声が空間を割る。コンコルドは野生の防衛本能からかバタバタと暴れ俺の手を振りほどくと、最果てを目指すかの如き飛びっぷりで逃げていった。


 俺を含めた一同の両目が瑞季を見る。


「さっきから聞いてりゃ、好き勝手なことごんざばりやがらって! なにがコミュニケーションざ、ぐだんれえ! なんず! おどれぶあ、なんず!」


 左手のチェーンソーをぐわんぐわんと縦回転で振り回しながら声の限り叫んでいる。絶叫は異質のイントネーション、異質の語感で構成されていた。何を言っているのか俺には分からないが、怒りに満ちていることだけは瞭然である。


「コミュニケーションは色と同じざ! 十人十色ざあ! 赤が青より優れているとは言わんざろがあ! コミュニケーションに能力なんてないだご! ないだごがあ!!」

 その荒れ狂い方は、牙を剥き出しにして、全身の毛を逆立ててというような、獣に使う言でなければ形容できないほどの猛々しさであった。うわあん、と子供フルフェイスが泣き出す。割烹着の女は口をぽかんと開けたまま壊れたように静止している。


「ぐらああ、なんず! なんず! この人はな! この人はなあ!」


 瑞季は血走った目を仮装メンバーに向けたまま、俺を指差して叫ぶ。


「この人は目的を持ってる人ざ! お前らとは違うざらあ! ぐだんれえままごとで惑わすぶらあ! くだばれ、このばざずぐろっそどもがあ!!」


 方言なのか、相変わらず聞き慣れない言葉ではあるが、どうやら俺をこの催しに誘った彼らに対して火山のような怒りをぶつけ「ばざずぐろっそ」呼ばわりで罵っていることは理解できた。チェーンソーは残像を作るほどに激しく回転を続けている。俺はこのままでは血を見ることになるかもしれないという恐怖から瑞季を抱えるようにしてその場を後にした。去り際に蝶男が言った。


「あんちゃん、楽しみたくなったらまたここにこいよ、いつでも待ってるからなあ」瑞季に怯えながらもその声は伸びやかである。


「いつでも」


「うんいつでも」


「いつも」


 俺は頷くでもなく無視するでもない曖昧な会釈を残し、それ以上振り返らずに進んだ。

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