頭の中の殺人鬼

@biwao_koti

第1話 鍵が開いた

「人は心の中に殺人鬼を一人は飼っている。それは普段眠っているからその存在に気付きはしない」


少し前に読んだ本の一文。今それを思い返している。なぜ思い返してるか、って? なぜなら「ソレ」がたった今起きたからだ。


眼下にはくたびれた中年のサラリーマンが駅のホームで愉快な格好をして血の絨毯で寝ている。首が曲がらない方向に曲がっている。今すぐ病院に運ばれても死亡確認されるだけだ。


誰が殺ったかって? 決まっている、『自分』だ。別にそいつを突き飛ばしたりなんてしていない。ただ単に階段を踏み上がる足の先へ自分の足を置いて後方へ転びやすくしただけだ。後は人の波がそれを手助けしてくれる。


誰がやったなんて自分以外気付かない。傍から見れば、酔った中年が勝手にバランスを崩して階段を転げ落ちたに過ぎない。面白いな、と思ったのはその場にいる誰もが駅員を呼んだりせずスマートフォンで中年を撮影したりその現場をSNSに発信している事だ。


「おい、救急車は? 駅員は? 警察は?! 誰か!!!」


叫ぶ人はいるが誰もその素振りを見せない。当然、その場を去る自分の事なんて気にも留めていない。きっとコレは『事故』として処理されて終わるだろう。


―ガチャリ……


頭の中で何かの扉が閉まる音がした。ソレがこの『事故』を見て満足して帰ったのだろうと思うことにした。


約10分前の事だ。帰りの満員電車の中で息苦しくおとなしくしていた。視線に入ったのは本当に偶然だった。


(あ、痴漢だ)


物静かそうな女子高生のお尻を執拗に撫で回している中年のサラリーマンがいる。女の子はただ恥辱に耐えてブルブル震えている。誰もそれに気付いていないのか、それとも「自分には関係ないから」と傍観を決め込んでいるのか、手元のスマートフォンを見つめている。


「おい」


と声をかける前に電車が駅に到着し、ホームへ人が流れ始めた。このままじゃ逃げられる、と電車を無理やり降りて痴漢を目で追った。いない。幸いそいつの風貌は記憶していたので駅員さんに伝えるだけでも伝えておこうと駅員のいる詰所へ向かった。


(…歯痒いな)


あの場面で声をかけれたら、いや、たらればは止めておこう。


階段を登っている途中、「おい! どけ!」と声を荒らげながら勢いよく下から登ってくる人が。振り返ってみると


「あいつだ」


さっきの痴漢だ。顔を更に真っ赤にして急いで上がってくる。


なんとなくだった。本当になんとなくだった。その痴漢の道筋をちょっと足で塞いでみただけだった。


―ガチャリ……


頭の中で何かの扉が開く音がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

頭の中の殺人鬼 @biwao_koti

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る