6 ある老翁-3-

「きみが何かをやろうとしていることは分かっていた。他の者がやりそうにないことだ」

 デモスは呆れたような口調で言った。

「個人であれだけの航空用燃料を買う奴などおらん。あれは政府か認定企業だけが使う」

 そう言われれば返す言葉はない。

 他に用途があれば言い訳もできただろうが、デモスの醸す雰囲気に呑まれ彼は反論する気すら失せていた。

「おおかたクジラに飛びつくつもりであろうが、無謀なことよ。人間はあの高さまでは飛べん。

どうしても辿り着きたければ方舟に乗るしかないが……赤子のフリでもするかね?」

「ずっと考えていたんです。あのクジラはどうやって飛び続けているのだろうかと」

「あれは泳いでいるのだ。クジラは空を飛ばん」

 デモスの口調には、若者の血気に逸った行動を諌めるような響きがあった。

 何かをするにはエネルギーがいる。

 この老翁はありのまま現状を受け容れ、何かを成す気力はもうないのかもしれない、とカイロウは思った。

「金をもらっている以上、約束は守る。きみが満足するだけの燃料は確保してある。たとえ徴発を受けても死守しよう」

 デモスはそう前置きをしたうえで、

「だがお上に盾突くような真似はすべきではない。政府とクジラは一体だ。見誤ってはならん」

 強い口調でカイロウをたしなめた。

「ええ、そうですね――」

 彼は忠告を受け止めたフリをした。

 元より従うつもりはない。

 娘を奪われた苦痛と屈辱は、同じ想いをした者でなければ理解できない。

「かつて――」

 彼が納得していないと悟ったデモスは再び遠い目をして語り始めた。

「天上の神に挑んだ勇敢な女がいた。彼女は神という存在を受け容れられず、人間こそが地上を支配する唯一の生き物だと証明したかったのだ。

しかし神は彼女の思い上がりに怒り、ついには人間を滅ぼしてしまったという」

「昔話ですか?」

「ただの伝説だ。今の若い者はこういう話は好みに合わないようだが」

「私たちには教訓になりそうにない伝説ですね。神はいないのですから」

「クジラはどうなる?」

「あれは泳いでいるんです。神なら泳いだりしません」

 デモスは天を仰いだ。

 どうやらこの若者の意志は固いらしい。

 彼は落ち着きなく指を動かし、やがて観念したように言った。

「よく考えることだ。先のことではなく、その先の先……見えない向こうにまで思考を巡らせねばならんぞ」

「心得ます」

 カイロウは深々と頭を下げた。

 反対しているのか、それとも背中を押しているのか。

 彼には分からなかった。

 だが少なくとも約束を違えたりはしないだろう。

 このことを役人に密告するような真似もするまい。

 彼にもその程度は理解できていた。

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