第5話 甲斐の混乱

 今日は大学の体育館で、大学側が主催する一般企業向け展示会が行われていた。学生起業家が発案したものをアピールして、企業の製造や販路に組み込めないかを探るものである。甲斐隆矢は水谷直樹と一緒に工学部のブースを覗いて、ため息をついた。


「どうした隆矢?ため息なんかついて。彼らの作ったAI関係の商品は企業に好評みたいだぞ。彼らの商品が企業と提携してくれれば、経済・経営トライアルゼミとしては、役立てることが増えて、願ったり叶ったりじゃないのか?」


「ゼミ的にはいいだろうな。だけれど人材派遣業としては、AIの活躍によって人材派遣の活路が縮小されるから、あまり喜んではいられないんだ」


「そうか、隆矢の家は派遣会社だったな。最近はメガバンクがAI業務切り替えに向けて、人員削減に動いているのがニュースになったぐらいだから、水面下で動いてる企業は多いだろうな」


「ああ、銀行の融資担当者もそうだが、一般事務のデータ入力や簿記・会計。監査に始まり、電話オペレーターや、ホテルの受付係までがAIに変更可能らしい。だとすると、派遣業は成り立たなくなる。俺は会社を継ぐつもりだが、何か対策を考えないといけないと思っている」


 甲斐は話しながら、何か活路を見いだせるようなものはないかと、辺りの出し物に視線を移していくと、通路の先に焦点があった。

 朱莉と優菜が、パンフレットを持つ来訪者に、並んでいるブースの説明をしながら、案内しているのが見えた。


 実験から一週間の間、ゼミが請け負う仕事のことで話したり、廊下ですれ違った時に声をかけたりしたが、あの告白にも関わらず、朱莉の態度は相変わらずぎこちない。


 甲斐といるときは緊張気味に話すのに、今は来訪者の質問に対して、朱莉が笑顔を浮かべながら、よく通る声ではきはきと答えている姿を見ると、やはり自分は嫌われているのではないかと思えてくる。


 きっとゼミの教授から案内役を頼まれて、朱莉は展示内容をしっかり勉強したのだろう。来訪者の男性の満足そうな様子から、朱莉の対応が気に入ったことが窺える。男性は朱莉に何学年か聞くと、自分はこの大学の卒業生だから、就職の時に頼っておいでと名刺を渡した。


 その横で、盛ったマスカラの目をぱちぱちさせた優菜が、もらえるのが当然というように手を出して名刺を催促している。男性は後輩の顔を潰さないように気遣ったのか、優菜に手渡すために、もう一枚名刺入れから名刺を出そうとしていた。


 お目当てのブースの前まで案内した朱莉は、男性が朱莉の説明に対してお礼を言うのに、笑顔で応えていたが、それを見た甲斐は、自分に向けられるぎこちない笑顔と比べてしまって、複雑な気分になった。


 あなたに嫌われたくないから緊張するんです。というのは、裏を返せば、好意を持っているあなたに自分を認めてほしいという意味ではないのだろうか?


 その言葉を聞いた時に、甲斐はガツーンと横っ面を叩かれたように、ショックを受けたのだ。


 普段大人しい朱莉が、聞かれているのも構わずに、あなたに好かれたいと堂々と告白したのだ。その威力は凄まじく、あの時の朱莉の必至な顔が、甲斐の心に焼き付いてしまった。


 もともとゼミに入ってきたときから、フルメイクの優菜と一緒にいる朱莉は、薄化粧なのにきれいな子だと思っていた。甲斐を見ておどおどする様子も1年生ならではの初々しさがあって、少しからかってみたい気分になったこともある。


 ところが、そんな風に余裕をもって接していた甲斐の懐に、朱莉はいきなり好きだと言って飛び込んできておいて、何も無かったかのように振舞おうとしている。


 ひょっとして騙されたのだろうか、それともそれが彼女の手管なのかと混乱して、彼女から目が離せなくなってしまったのだ。


 それとなく話を振ってみても、仕事に置き換えられたりするので、わざとはぐらかされているとしか思えない。このまま、のらりくらりとかわされ続けているのも癪だから、絶対に掴まえて、もう一度好きだと言わせてやると闘志が湧いてくる。


 そんな熱い視線を感じたのか、朱莉が振り向いて、驚いた表情を浮かべた。

 いつものように逃げるだろうか?そうはさせないと一歩踏み出した時、水谷も朱莉と優菜を見つけ、甲斐の肩に手を置いて囁いてきた。


「朱莉ちゃんって、大人しくてかわいいよね。今度テニスサークルの練習に誘ううつもりなんだ。その時告ろうかなって思ってる」

 

 甲斐は衝撃を受けた。そういえば、朱莉が月間売り上げ表の直しを持ってきたときに、冗談なのか本気なのかは知らないが、つきそいの優菜から水谷と両想いだと迫られて、水谷は困った顔をして朱莉を見たような気がする。


 そのあと、朱莉が機転を利かせて、自分も両想いだと冗談を言った後の水谷の喜ぶ姿を見て、甲斐は面白くなくてつい邪魔をしてしまったのを思い出した。


 あの実験の時もそうだ。確か水谷は人と親しくなるための実験だと優菜から聞いて、4人いるから相手を交換してやってみようと提案した。今から思うと、あれは水谷が朱莉と仲良くなるために立てた作戦だったに違いない。


「お前の気持ちに、全然気が付かなかった。 だけど優菜さんは直樹のことを好きなんじゃないのか?」


「かわいいとは思うけれど、僕は化粧をばっちりしている子って、あまり好きじゃないんだ」


 水谷が朱莉に向って歩き出そうとするのを、甲斐は咄嗟に腕を掴んで止めていた。何だと振り向いた水谷に、考えるより先に言葉が出た。


「悪い、俺もなんだ。俺も前から朱莉さんを見ていた。隠すのは性に合わないから言っておく。どちらを選んでも文句無しで、堂々と彼女にアプローチしたい」


「えっ!?いや、僕こそ気が付かなくて、びっくりだ。だって、朱莉ちゃんはお前のこと、どちらかというと……」


 水谷が言いよどんだのを、甲斐が引き継いだ。

「苦手に感じているように見えるだろ?俺も、そう思うよ。だけど中途半端に気にかかったままでは、直樹と朱莉さんが上手くいったとしても喜べない。振られるなら完全にノックアウトされたい」


「そ、そうか。手ごわいライバルだな。隆矢が本気になったら、あの大人しい朱莉ちゃんなんか悲鳴を上げる暇もなく、ぼりぼり食われそうだ」


「人を獣みたいに言うなよ。それに、俺が思うにあの子は大人しくなんかないと思う。感情を抑えているような気がするんだ」


 水谷がどうしてそんなことを思うんだと聞いた時、噂をされているとも知らずに、朱莉と優菜が近づいてきて、優菜が喜色満面で水谷に話しかけた。


「わぁ~水谷先輩。お会いできて嬉しいです。この後、一緒にランチに行きませんか?」


「あ~、いや、その、どうする隆矢?」


 朱莉と一緒に食べたいけれど、優菜の誘いに乗っては、優菜に気があると誤解されてしまうというのが分かってしまうほど、困り果てた顔の水谷に、甲斐はついつい助け船を出した。


「俺は、見てみたい展示ブースがあるから失礼するよ。そういえば直樹、朱莉さんにテニスのことを話すんじゃなかったのか?」


 言ってから、何をやってるんだろうなと甲斐は自己嫌悪に陥った。堂々とアプローチすると言っておいて、友人に一歩譲ってしまうなんて!


「じゃあ、俺は見回ってくる。テニスの日程と時間が決まったら教えてくれ」


 水谷が嬉しそうに朱莉に話しかけるのを見ていられなくて、甲斐は一声かけるとその場を後にした。

 

 いくつか出展ブースを覗くうちに、人だかりのしているブースを見つけ、足早に近づくと、人垣の間からキリン型のロボットが来訪者と話しているのが見えた。


 デフォルメした台形の胴体から長い首が突き出し、ちょこんと載った顔には、キリンらしい大きな目がついている愛らしいロボットだ。


 かわいいロボットの問いかけに、ある企業から見学しに来た人物が、笑いながら付き合って答えている。

 物としてはよくできているが、どこかの店にも実際に置いてあるようなものなので、珍しさや新しさではインパクトに欠けると甲斐は思った。


 その男性とロボットの会話もどきが終わると、一行は次のブースに移っていき、残ったのは数人になった。

 甲斐はこのロボットが、どこまで人間の感情に応えられるのか試してみたくて、ロボットの製作チームに会話の許可をもらった。


 ロボットが甲斐の顔の表情筋の動きから、インプットされた心情を読み取ろうとする。甲斐はわざと無表情を装った。


『こんにちは。僕はキリンのリンです』


 甘ったれたようなかわいい声で、ロボットが自己紹介をする。

 女の子なら、普通はここで、相好を崩してかわいいと声を上げるところだろうが、甲斐はただ黙ってリンを見つめた。


「……」


『……』


 額についている模様に隠されたセンサーが、甲斐の表情を探っているが、反応例がないようで、しばらくリンは固まっていた。だが、やがて無難な言葉を見つけたようだ。


『あの。今日は来てくださってありがとうございます。展覧会は面白いですか?』


「それほどでも……」


 一生懸命作った機械工学部の連中に申し訳ないと心で詫びながら、甲斐はリンの反応を待った。


 案の定、楽しいですと答えるのを予測していたリンは、答えが外れたために、「それほどでも……」がどういう意味に当たるのか、フル回転して探している。


『楽しくないですか?僕、歌を歌いますね』


 あまりにもずれた対応に、なぜだと驚い甲斐は、初めて無表情だった顔に困惑の表情をを浮かべた。


 ロボットにはその困惑が、何に対しての困惑なのか分からない。

 ただ歌を歌って楽しませる指令が出てしまっていて、困った表情には優しくて楽しめる歌がいいと判断したのだろう。


 よりにもよって幸せなら手を叩こうと歌いながら、短くて合わさらない手を内側にぺちぺちと動かす仕草をする。


 楽しくないと言っているときにこんな歌を歌われても、人は感情を逆なでされてイラつくだけだまなのに、ロボットにはそれが分からない。


 まだまだ、情緒面に関してはAIでは対応できないことがあるのだと甲斐は改めて知った。と、その時、後ろでクスクス笑う声が聞こえた。


「甲斐先輩って、意地悪なんですね」

 

 振り向くと、朱莉が口を押えて必死で笑い声を堪えようとしている。

「いや、これは、えっと……」


 いたずらを見つかって、甲斐は焦ってしどろもどろになってしまった。

 ふと、朱莉が一人なのに気が付いて、水谷と優菜の姿を探すと、二人にしてあげようと思って話し中に抜け出してきたと、朱莉が茶目っ気たっぷりに言う。水谷も先が明るくないなと、大智は同情してしまった。


 そういえば、朱莉は今とてもリラックスして話してくれている。みっともないところを見られたけれど、面白がって緊張を解いてくれたなら、まぁいいかと甲斐は思った。


 朱莉と共に場所を移動しながら、ロボットにした意地悪は、AIがどこまで人間の感情に対応できるかを知って、人材派遣の可能性を探る実験だったと説明する。


「お仕事を継ぐために、人材派遣の方向性を探ってらしたんですか!?ただのいたずらじゃなかったんですね。笑ってしまって、ごめんなさい」


 パンフレットや展示物のチラシが置いてある一角の人のいないスペースで立ち止まり、朱莉が深々と頭を下げる。甲斐は慌てて頭をあげるように言った。


「知らなくて当然だから、謝らないでくれ。そうだ、朱莉さんの意見を聞かせてくれないか?AIに仕事を奪われないためにはどうすればいいのかを……」


 朱莉はパンフレットなどに視線を移し、少しの間考えてから答えた。


「まだ、これから始まることだから、どんな風に変わるかを見てからしか、答えが出せないと思うんです。みんな手探り状態でスタートして、不具合がでれば、その都度改善されていくだろうと思いますし……」


「今は、対策のしようがないということだね?」


 いつもは遠慮がちに見上げる朱莉が、あの実験の時のように、まっすぐに甲斐を見つめた。


「お仕事を継がれるのは、他の会社が、どんな風に雇用形態や就業形態を変えていくかを知ってからでもいいのではないでしょうか?」


「それって、俺に他の会社に就職をして、中を探れということかい?」


「はい。ゼミで見ていて分かるのですが、甲斐先輩は頭が良いばかりでなく、人をまとめる力を持っている方だと思うので、大手企業に一度就職されて、人材派遣業の可能性を探るのが一番いいのかなと思います」


 家業を継ぐことしか頭になかった甲斐にとって、目からうろこが落ちるような提案だった。まだ見えないものに対して危惧しても仕方がない。それよりも潜入して内情を把握しろか……。


「あの、生意気なことを言ってすみません。家業が大変になるかもしれない時に、他の会社に就職したら、ご両親が失望されますよね」


「いや、参考になったよ。ありがとう」


「いえ、差し出がましいことを言ってしまって、本当にごめんなさい。あの、優菜を探してきますね。テニスの時にはよろしくお願いします」


 そう言って頭をぺこりと下げると、朱莉はあたふたと展示ブースの間の通路を曲がって消えてしまった。

 急に我に返って、また委縮した感じだ。自分のどこが彼女を脅かすのだろう?


 だが、先ほど垣間見えた芯のしっかりした女性が、本当の朱莉なのだろうと甲斐は思った。

 物事の全体を見て、必要なことを判断し、自分の意見をはっきりと述べることができる、事業を担う者にとっては、強力なパートナーになりうる女性だ。

 彼女を手に入れたい。と甲斐は思った。


 問題は、どうアプローチすれば、彼女を怖がらせることなく、また、水谷よりも早く彼女をその気にさせるかだ。

 その気にさせるには、どう誘導すればいい?

 甲斐は今度のテニスサークルへと思いを巡らせた。



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