第2話 マウントポジション

 大学から地下鉄に乗って、途中で私鉄に乗り換え家までは1時間ほどかかる。その間、イヤホン着用で英語の勉強をしたり、同じ大学へ入学した高校時代の友人たちとラ〇ンをしたりするのだが、学科も違い、ゼミも違う彼女たちとは、自然に話す機会が薄れて来て、最近はゼミの子たちと行動することが増えてきた。


 でも、そのゼミも、請け負う仕事の分担が違うと、親しくなった子たちとは別行動になるので、今一番一緒にいるのは、自分としてはあまり得意なタイプではない木下優菜になる。


 テニスサークルに入れば、また交友関係も変わるのかな。そんなことをぼんやり考えているうちに、駅についた。

 駅からは徒歩5分なので、天気が急に崩れてもそれほど気にしなくて済むし、夏の暑さや、冬の寒さも、ほんの少し我慢して急ぎ足になれば、住宅街の中に建つ築10年の家に辿り着く。


 途中で会った小学生時代の下級生たちが、朱莉を見て、はっとすると、昔の名残で丁寧にお辞儀をする。朱莉は軽く会釈をして通りすぎ、聞こえないようにため息をついた。


 この街にいる限り、ほとんど無関係になった下級生たちでも、朱莉を過去から解放してくれない。家が駅から近いから、道で会う人が少なく住んでよかったと思いながら玄関を開けると、男物の靴が3足並んでいるのが見えた。


 一つは兄の晃良のもので、もう2足は友人のものだろう。

 晃良は朱莉より1ねん上の大学2年生だ。普段なら、バイトに行っているか、サークルで帰りが遅くなるのだが、友人を家に招くなんて珍しいと思いつつ、朱莉は笑い声が聞こえるリビングのドアを開けた。

 一瞬静かになった部屋から、歓声が上がる。


「おお~~~~っ。陰の番長のご帰宅だ。みんなお出迎えするぞ」


 朱莉が踵を返すより先に、しばらく見ないうちに朱莉より10㎝以上は背が高くなった昔のいじめっ子、工藤と安藤が朱莉の前に飛んできて、お久しぶりです裏番長と頭を下げる。


「あんたたちね~。大昔のあだ名で呼ばないでよ。だいたいあんたらのせいで私がそんな風に呼ばれることになったんでしょ!?」


「はい、裏番長。あの当時は自分が至らず、お兄様の晃良をいじめて申し訳ありませんでした」


 いい年をして、ふざけた芝居をやってるんじゃないと、朱莉が軽く蹴りを入れると、安藤が大げさに吹っ飛んで床に倒れた。晃良と工藤が大笑いをしたので、ウケたことに満足した安藤が立ち上がった。


「ああ、懐かしいな。この再現!今から思うとほんと俺たちガキだったよな。男の子は強いのがいいってのを勘違いして、弱い者に力を見せつけようとしてたんだもんな。晃良ごめんな」


 安藤の言葉に朱莉も当時のことを思い浮かべた。兄の晃良は身体が弱く、気も小さかったから、男の子からすると、イライラする存在だったのだろう。

 小学校は集団登校をするから、同級生にからかわれても、もじもじしてはっきり物を言わない晃良を、下級生までが馬鹿にするようになっていった。


 ある日、小突きまわされたり、ランドセルを引っ張られて転ばされた兄が小傷を作って帰ってきたことがある。

 小さな傷だったが、兄を傷つけられたのを見て、朱莉はそれまで感じたことのない怒りを感じた。噴出するような怒りをコントロールできず、めそめそする兄をしかりつけた。


「男だったら、やり返しなさいよ」


「そんなこと言ったって、安藤も、工藤も僕より強いから怖いんだよ」


「そんな風に文句も言わないで、なよなよしているから、いじめられるのよ」


「朱莉まで意地悪言わないでくれよ。僕だって何度もやめてって言おうとしたんだよ。でも、何か文句あるのかって脅すように言われると、仕返しが怖くて何も言えなくなるんだ」


「分かった。私が代わりに、いじめはやめるように言ってくる。安藤と工藤って同じ班の子ね?」


 晃良が頷くのを見ると、朱莉は家を飛び出し、空き地で野球をやっていた男の子たちの中に入っていった。頭に血が上っていたせいか、相手が大人数だということも、一歳年上だということも、全く気にならなかった。


 小学六年生になったばかりの男の子は、まだ成長する前で、朱莉の方が身体が大きかったせいか、怖さは感じなかったのだ。


「安藤と工藤!うちのお兄ちゃんをいじめるのやめてよ」


「は?ああ、あの泣き虫晃良の妹か。野球のじゃまするなよ」


「そうだぞ、女は引っ込んでろ!」


 朱莉の中で、カチリと何かのスイッチが入った。

 引っ込んでられなくしたのはあんたたちでしょうと叫びながら、工藤に飛びかかっていった。何かの映画でこんなシーンがあった気がすると思いながら、浮かんだシーンさながら、工藤の頬を引っぱたいた。


 いきなり年下の女から張り手を食らわされた工藤は、ショックで動けなくなり、朱莉は、さらにそのみぞおちにパンチを食らわせ、膝をついた工藤に蹴りを入れて地面に倒した。


 以前見た映画の主人公が乗り移ったように感じて気が大きくなり、脅かすようにファイティングポーズをとった。

 朱莉の剣幕と工藤が沈むのを見た少年たちは、ちりぢりに逃げていき、安藤一人が残って、朱莉に挑んだ。


 だが、怒りの度合いが違うのと、身体の大きさの有利さから、安藤は朱莉にすぐに蹴り倒されて、横にすっとんでしまった。

 すぐに立ち上がった安藤にパンチを繰り出しながら、朱莉は手で頭を守ろうとする安藤を地面に引きずり倒し、馬乗りになって、頬を張ったのだ。


「いじめっられるってどういう気分か言ってみろ!お前らのせいで晃良が嫌な思いしたんだよ。今度うちの兄をいじめたら、こんなんじゃすまないから覚えとけよ!」


 安藤も工藤も、恐怖と驚愕で声も出ず、必死で何度も頷いていた。最後にパカンと平手で頭を叩くと、朱莉はマウントポジションを決めていた安藤の上から降りた。


 しょせんは小学校5年生の女の子の力なので、二人とも大した痛みもなかったはずなのだが、とにかく朱莉の凄まじい怒りの前に、二人は完全に屈してしまったのだ。


 朱莉が二度とするなよと言うと、工藤も安藤も、もうしませんと身体をすくませて謝った。遠くの木の陰や、遊具の陰から様子を窺っている少年たちを一睨みした朱莉は、肩を怒らせながら歩いて、家まで戻ったのだ。


 朱莉の武勇伝はすぐに学校中に広まって、晃良はもう誰にもいじめなくなったばかりか、復讐に来る妹の存在に怯え、みんなから大事に扱われるようになった。


 朱莉はというと、「陰の番長」とか「裏番長」という嬉しくもないあだ名をつけられ、ちらりと見るだけで、相手が気を付けをしてお辞儀をするようになってしまい、自分のしでかしたことの過ちを知った。


 だが、悪いことばかりではなかった。弱い者はもちろん、威張っていた安藤と工藤が、なぜか朱莉に裏番長と懐いてきたので、少年たちのマウントの取り方が力づくではなくなり、校内の緊張感が薄れ和やかになったのだ。

 懐かしくて、恥ずかしい過去は、4人の共通の思い出でもある。


「晃良には本当に悪いことしたよな。ランドセル奪って逃げたり、他にも嫌がらせしてさ、今、思い出すとほんと恥ずかしいよ。それにしても、あの時の朱莉ちゃんは怖かった。身体も僕たちより大きくって、兄をいじめるなって蹴られるわ、びんたんされるわ、本当におっかない思いしたもん」


「フ~ン、それで、今は自分たちが大きく育って、もう私が怖くないって確認しにきたの?昔傷つけられたプライドは大いに慰められた?」


 これだからな~と二人は顔を見合わせて、肩を竦めた。

「いや、工藤も俺もあの時から、朱莉さんに服従したままだよ。だって、本当にすごかったもん。俺なんかぼっこぼこに蹴られて、地面に引きずり倒されて馬乗りになられたんだぜ?消そうと思っても消えないし、兄を思って真剣に怒った朱莉さんを忘れられるわけない。おかげで真っ直ぐ成長したよ」


 あっ、そと朱莉は聞き流す振りをしたが、耳がこそばゆく感じて、耳朶が熱くなった。きっと彼らには照れているのが丸わかりだろう。

 目を合わせた途端、くすりと誰かが笑い、それがだんだん伝染して、4人は笑いを止められなくなった。


 朱莉がもうお腹が痛いから笑うな~と、隣にいた工藤を軽く叩くと、工藤がよろめいて、床に倒れる芝居を打ったので、みんなひ~ひ~言いながら笑った。


 笑いながら朱莉は思った。安藤と工藤は、男になる方法を知らなかっただけで、根がいいやつだったから良かったけれど、本当に怖いのは豹変した自分だ。


 まだ小学校のうちは、ガキだからで済むけれど、この年でやったら大変なことになってしまう。気を付けなければ……。

 朱莉はその不安を吹き飛ばそうと、兄たちに交じって昔話に花を咲かせ、大いに笑いあった。



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