Blood road

地獄屋

血が世界を覆った戦争が、血を世界に蒔かせた

『もう終わりにしよう。

 お前のくだらぬ戦争も、人類への反逆も、この時を最後に終わらせる。

 血の一滴も、肉の一片も、涙の跡さえ残しはしない。お前は何も手に入らぬままに死んでいくのだ』


 その血族、、、、の、その者、、、は言い放つ。

 夜は満月。星々は分厚い雲にひた隠され、辺りは紅い霧に覆われ、月の明かりは不気味な紫色に変えられている。辺りは死者と、死者だった、、、、、者たちの死臭と血と硝煙が立ち込めて、もはや、生きる者と、蘇った者の二人だけが中央にいた。

 生きる者。彼の胸元には、銀色のロザリオが怪しく光る。

 蘇った者。彼の口元には、白色の牙が緋色に輝く。


『ああ、やはり、人間よ。やはりお前たちは眼前へと立ってくるのだな』


 と……ドラキュラは薄く笑った。地鳴りよりも低く、氷柱よりも鋭い声色は、なるほど死さえも跳ね返す程の暴力性と自尊心に満ち溢れている。

 血と死体が、さながら城のように積み上げられた上で、彼は心高らかに、相対する男を見つめた。


『その脆弱な肉体で、確かな心臓の鼓動を鳴らして、私の眼前へと声高に足を踏み鳴らして相まみえてくる。何度、その弱さに嘆き、その愚かさに涙し、何度……その強さに魅せられた事だろう。お前たちを憎んで哀れんでまないのに、お前たちを恋して愛して病んでしまうのか。だから私は黄泉から返るのを繰り返すのだろうな。肉体が、血が、移り変わっても、お前たちという血脈が何度も私の前に立ちはだかる事を願ってな』


 生きる者は……彼は、斧を一度、空に振るう。ブォンと青い炎の高鳴りと斧が風を割る音が、さながら、これまでドラキュラを殺さん為に消えていった輩たちの絶叫と言わんばかりに響いた。

 彼は、荘厳に厳格に、言葉を紡いだ。


『何度蘇ろうと、何十と土の下より這い出ようとだ。何百何千と闇より招かれようと、ドラキュラ。お前は孤独だ。哀れで弱い生き物だ。故に、今宵こそ、未来永劫に消えてなければならない。それが私と、私達、、の願いだ。偉大な人間だった、哀れか弱いバケモノよ。私はお前の前に立った。ようやっと、立ちはだかった。バケモノよ、お前の負けだ。闇は人に晒されれば、消えていくのだ』


 ああ、とドラキュラは応えた。


『その通りだ、人間よ。言う通りだ。私の負けだ。たとえ今お前に勝った所で、私が引き起こしたこの戦争、、、、は敗北の御旗を無様に掲げる事だろう。もはや意味の分からぬ時代だ。鉄の鳥が空を飛び、大地に死の花弁かべんを咲かせ、人が人を喜び焼く時代だからな。強大な私も、訳も分からず敗れ、ボロ雑巾のように捕らえられ、惨めにお前らの知欲の晒し者になるのだろう。人間とは、げに恐ろしき、げに悍ましき死に損ないだ。まるで陽炎じゃないか。到底、正気では太刀打ち出来ぬ。狂気と悪魔と手を繋いだ所でまだ足りぬ。全然駄目だ。もはや時代は、闇さえも人間に恐れ慄くようになってしまった』


 だからこそ、


『だからこそ、私はこの戦争を引き起こした。ゲルマン、、、、を動かし、彼の者の扇動に火を着けて煽動、、し、世界を血の海にしてみせた。正気ではとても勝てない。狂気でもまだまだ足りない。悪魔なぞ露にも役に立たない。ならばと、私は人間が好きな戦争を使役、、することにしたのだ。ああ、今宵は貴様らの勝ちだ、人間よ。ヨーロッパのお前たちが土地々々とちとちを支配し、聖教会、、、が私を血眼に探し、悪鬼羅刹の如く混乱を作りながらも私の前に立ちはだかった、お前たちの勝ちだ、人間よ! だが、そこまでだ。戦争には負けたが、最初から勝っているのは私なのだ』


 二人の足元の血溜まりが、あまりにもおぞましい量の血の海が、蠢いた。ドラキュラの意志を受け継ぐよう、四方八方へと走っていく。

 いや、いや。

 其処の血だけではない。

 世界中、、、で起こっていた戦争の血が、ひた疾走っていくのだ。

 しかし、誰も気が付かない。

 正に世界は、二度目の大戦真っ只中なのだから。瞬き一つで人が死ぬ世界なのだ。

 全てが暴力と殺戮で説明がなされてしまう、弱肉強食の原初原則に回帰した、哀れで愛おしい世界なのだ。

 ドラキュラは牙を立てて嗤った。

 勝ち誇ったように。

 負け誇った、、、、、ように。


『この戦争で……ようやく貴様ら人間が恐れ慄いてくれた二度目の世界大戦で! 一体どれほどの血が流れたのだろうな? 一体どれほどの血が、気が付かぬ内に人間の身体へと入っていったのだろうな? 一体、どのどれほどのッ! 血が! そう、私が触れた、、、、、血がッ! 広がり入り込み、そして男は女を抱いたのだろうな? 女は男を抱き寄せたのだろうな? 戦争は貴様らの勝ちだああその通り清々しいほどになッ! 残った死と灰の山で、ワインでもパンでもイチジクでも配ればいい。だが、勝ったのは私だ。何度でも言おう。勝っていたのは、、、、、、、………私だったのだッ!』


 彼の血が。

 彼の遺伝子が。

 彼が契約した悪魔の囁きが。

 まこと確かに、広がっていく。


『……ドラキュラよ。そうまでして、生きたいのか? 蘇りたいのか?』

『人間よ、ああ人間よ。そうだ、その通りの事なのだ。生きたいのだ、蘇りたいのだ。このまま死を受け入れるなど、到底我慢出来やしない。神の子は死を受け入れたな、神に愛された者を火炙りにしたな』


 だが、人間よ。


『私は、認めない。消えることなぞ、肉片一つ、骨の欠片一つ、血の一滴とて、私は認める事はしない。神が認めて判を押そうが、悪魔が得意顔で喝采を贈ろうが、私のこの性根だけはッ!

 譲らぬと叫ぶのだッ!

 ただただ時代に殺されろなどとッ、求めもしない薄汚い白旗を渡してくる神の意志などッ、吐いて捨ててやろうとなッ! 私の勝ちだ、人間よ。残っているのは、ただ、一つ! 私とお前の、この馬鹿馬鹿しい戦争だけだ。今宵限りの、私とお前だけの優劣を付けようじゃないか』

『既に決着はついているのだ、ドラキュラよ』


 と、人間は言った。

 猛々しく、勇敢に、震え1つ無く、不死のバケモノに一歩踏み出した。その一歩こそが、彼を”聖なる退魔師”と崇め奉られる理由である。

 きっと、の下僕たちなら自身の死を恐れただろう。かつて1つだった教会の者らならば、自分の死かバケモノの死かを、心の天秤で推し量りながら歩を進めただろう。

 きっと、の地の者なら闘争に恋い焦がれていただろう。東の島に宿る荒御魂と、そして独自の文明と法を宿した者らならば、バケモノとの争いに名誉を感じたかもしれない。

 だが彼は違った。彼ただ一人は違ったのだ。

 丁寧に、冷静に。

 人間性を確保し、人間という知性を持ち合わせ、ただ粛々とバケモノを殺さんが為に立ち向かうだけ。


『このこれは、戦争ですらない。生者が死者と、どう争うというのだ。ただ俺は、貴様の止まった心臓に潰すだけだ。その哀れな首を切り落とし、心臓を抉り出し、灰となったお前を太陽の下に撒く……ただそれだけの事なのだ』


 ドラキュラは口箸を吊り上げて、笑った。


『人間はやはり、清々しい。バケモノに真正面から立ち向かうなぞ、正気の沙汰を平然とやってのける。本能を軋轢せしめるダイヤモンドの知性が、ソレか。ああだから、私は蘇るのだ。そんな貴様らを……抱きしめるように滅ぼしたいとな』

『バケモノが語るな。死者がのたまうな。語りは継ぐ為にある。語り継ぐ事が出来るのは人間だけだ。命ある者だけだ。失せろ』

『ああ、最高じゃないか。最高の、夜じゃないか。私も、どうか語り継いでくれたまえ』


 ドラキュラは嗤い影をコウモリに変え、人間は蒼炎を振るった。




  2020年.日本──東北の地、仙台。


「はあっ、はぁ………っ! ……怖い…………怖いよ……っ。助けて……兄さん………ッ」


 西に低く浮かぶ、レッドベリルな満月が、その夜の象徴だった。星々の瞬きは力強い。だが、怪しく光る紅い満月が、夜の舞台を独り占めしている。深い夜の時間でも、ポツポツと道路を駆け抜ける自動車の運転手は、チラリチラリと、満月の魅力に視線を動かされる。

 その少女も、マンションの一室から、満月を見上げていた。

 明かりを消した自室。満月は、窓を遮るカーテンの隙間から顔を覗かせていた。少女は眠ろうとしていたのだ。明日は、新作オンラインゲームの解禁日。それに合わせて、今のうちに眠って体力を確保しようとしていた。十三歳という年相応な可愛らしいウキウキを胸に秘め、ビニール製の寝袋、、に潜り込んで瞼を閉じた──その時だったのだ。

 発作の前兆が起きた。

 ドクドクと心臓が、頭の天辺に届くほどに強く脈打つ。

 首と脇が熱くなって、息が荒く熱を帯びていく。


「兄さん……兄さん……っ。怖いよ……」


 身体中が灼熱に飲み込まれてしまったかのように熱さを上げていき、身体中の筋肉が痙攣する。ブワッと全身の毛穴から吹き出る汗は、発作の本震がすぐ近くにやってくるのを知らせてくる。

 痙攣しながらも、少女は寝袋から右手を伸ばす。いつも寝袋の上に置いてある防犯ブザー。声を出せない時に、兄を呼ぶ為の道具。それに伸ばす。

 発作が来る。

 また、痛くて怖い発作が来る。

 兄さん、兄さん。


「兄さん」


 少女の想いが、防犯ブザーのチェーンに指を掛けて実現しようとした、その時だった。

 全身から、血が吹き出したのだ。


「ぃいいいいいいいいいやぁぁぁぁぁぁああああああああああああッ!」


 発作が起き、少女は絶叫する。

 痛い、痛い。

 眼から、耳から、鼻から、歯茎から。プチプチと血管が嫌な音を立てて破裂する。

 激痛に少女は獣のような絶叫を放ち続ける。あまりの痛みにチェーンに掛けた指を離してしまい、両手で顔を覆った。だが、その行為があまりにも無駄である事は少女は無意識に理解している。

 すぐさま、血の噴出は全身に広がった。

 爪の間から血が溢れて、爪が浮く。

 血汗が全身から滲み上がり、薄皮をブヨブヨにした。

 股の間からは、生理現象を馬鹿にするほどの量の血が吹き出す。

 ビニール製の寝袋はたちまち、血の袋に成ってしまった。


「イダイッ! イダイイダイッ! イダイヨォぉぉぉぉおおおおッ! にいさんッ! おにいちゃんッ! ごわいッ! わだじ、じぬッ! じんじゃうッ!」


 どれほど叫んでも、激痛は止まない。血は止めどなく吹き出し、寝袋からはあっさりと血が溢れ出している。全てがビニール張り、、、、、、、、、の暗い室内に、少女の純血が、花弁のように広がった。

 満月が見える。

 真っ赤な満月が。

 まだ。

 まだ来てくれないの!

 どうしてッ!

 遠い遠い月を見上げて、兄を呼ぶ。


すずッ!?」


 永遠にも感じ取れた30秒。ようやく、兄はやってきた。

 ボサボサの黒髪と分厚い丸眼鏡を掛けた兄は、ついさっきまで受験勉強をしていた。高校一年生ながらも難関大学の過去問を解きながら、参考書と一緒に知識を頭に入れていた彼だったが、その手にしたばかりの知識は瞬く間に吹き飛び、愛する妹への心配が頭の中を埋め尽くした。

 既に血は、室内の床一面を覆っていた。ドアを開けた兄は、戸惑う様子は一縷も見せずに部屋に入り込み、寝袋で叫ぶ少女を抱き寄せた。


「鈴、兄ちゃん、ここにいるからな。鈴、鈴。大丈夫だぞ。頑張れ」


 兄はただ、妹を優しく抱きしめて名前を呼ぶことしか出来ない。

 血はずっと吹き出続ける。

 妹は泣き続け、痛みに血と混ざった嘔吐が何度も床と兄の身体を汚す。時には、兄の肩に噛み付いて痛みを我慢し、首を噛み、指を噛み……。

 カーテンの隙間から、満月が見えなくなった頃。

 発作は収まった。妹は、激痛からの解放に安堵したのか、静かな寝息を立てていた。

 深い、深い、夜の時間。

 深夜25時。

 妹の大量な血液に腰掛け、血乱れの妹を抱きながら、兄は──御門土みつちかど あきらは呟いた。


「……どうして俺達、、…………普通の人間じゃねえんだろうな」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る