限定解除
「な……なんだッ!?」
深紅の鎧を纏った少女はその光景に瞠目した。
それはイノリからイクシードを奪い去った直後。
突如として禍々しい魔力の威圧感が全身を舐め回し、その悪寒に耐えかねて振り向いた少女の瞳に飛び込んだ光景――
天を突き破る漆黒の本流。
その光景に否応なく総身が粟立つ。
間違いない――
あれは魔力だ。
それも鎧を纏った少女とは比較にならない程の魔力量。
たかが魔力の放出で天候を変える――その力が容易に実力の差を思い知らしめる。
その魔力の源泉に佇む白銀の少女を見て、彼女は毒づく。
「……冗談がすぎるだろ」
その姿に怖気が全身を襲う。
人の身にあらざる姿に彼女の本能が警鐘を鳴らしたのだ。
今のイノリは先ほどまでの弱かった彼女とは一線を画する。
満身創痍だった傷がたちどころに癒えたばかりではない。
何よりも特徴的なのは彼女の頂きに生えた一対の獣耳。
イノリの髪と同じく白銀に輝くその両耳は人の身には元来備わっていないものだ。
さらに彼女のニットワンピースを持上げるように生えたふさふさの尻尾。
そして唇から覗く鋭い犬歯に、鋭利な爪。
その全てが物語る。
彼女が人ではないことを――
異世界から召喚された召喚者である事を否応無く深紅のギアを纏った少女に叩きつけたのだ。
全身から噴き出た汗はいわば彼女の恐怖心の現れ。
今のイノリを目の前にして、たかが一人の人間の理性が耐えられるはずがない。
彼女の全身が恐怖に凍てつく。いつしか呼吸は荒々しいものへと変っていた。
全身が金縛りにあったかのように強張る。
だが、彼女は全身を這いずり舐める恐怖を――意思の力だけでねじ伏せる!
(くそったれが、怖じ気てんじゃねえッ!)
依然として青ざめた顔を浮かべてはいるが、手も足も動く。
思考もクリアだ。
少女は二丁の拳銃を取り出すと、その銃口を迷いなくイノリへと向けた。
「……随分とおしゃれな姿になったもんだな、馬子にも衣装ってか?」
「……悪いけど、お喋りに付き合っている暇はないの」
少女の挑発をイノリは軽々と受け流す。
イノリの言葉に嘘はない。
そもそもこの領域――《限定解除》に言葉など不要。
残された時間の全てを戦いに捧げる。
それこそ最後の血の一滴まで絞り尽くしてこそ意味のある技なのだ。
だから――イノリに迷いはなかった。
「――ふっ!」
地面が爆発したかのような破砕音を響かせ陥没。
そのエネルギーの全てを総身に纏い、弾丸のように体が爆ぜた。
その速度は《流星》を上回る!
「――なぁ!?」
深紅の少女に引き金を引く余裕は一切なかった。
引き金にかけた指が動くよりも速く、イノリの両の手が煌めく。
目にも止らぬ両手の双爪が深紅のギアをバターのように軽々と引き裂いていく。
その切れ味は《剣》の斬撃を上回り、ギアの魔力障壁を引き裂き、少女の鮮血が舞う。
「あ……がッ」
イノリの攻撃は到底その程度で収まるものではない。
鋭い十の斬撃は銃を握りしめた両の手の腱を斬り裂き、伝うように腕をなますに切り刻む。
握力がなくなった少女の手から拳銃がこぼれ落ちる。
イノリはその隙を見逃さなかった。
懐に深く入り込む。
そして両の手で拳を握りしめると――
「はあぁぁぁぁぁぁあっ!」
裂帛の気合いと共に容赦なく突き出す。
狙いは彼女の腰に装着されたベルト型の装置――イクスドライバー。
その破壊を狙った一撃。
だが――
「さ……せる、かよっ!」
深紅の少女もまた数多の戦場を駆け抜けた歴戦の猛者。
イノリの狙いを瞬時に看破し、腰を深く落とす。
必然、拳の狙いはそれ――
イノリの鉄槌は鎧という守りがなくなった少女の腹部を深々と貫く!
「ご……あ……がふっ」
臓物を貫通し、背骨を砕く破壊力に深紅のギアを纏った少女は蒼白を浮かべ、その口から肉片が混じった吐瀉物と大量の血を吐き出す。
それだけに留まらず、イノリの足元の地面が陥没。
その圧倒的な破壊の力を小さな体に叩きつけられた少女はボロ雑巾のように吹き飛ばされ、十メートルという距離を対空した後、巨木に叩きつけられ、体を激しく痙攣させるのだった。
痛みに激しくのたうち回る少女。
先ほどのイノリがそうであったように、
貫かれた腹部からは絶え間なく血が溢れ出し、砕かれた背骨は少女の体を支えること叶わず、
そして、裂かれた両手はもはや何物をも掴むことが出来ない程ボロボロに引き裂かれていた。
イクスドライバーを破壊出来なくとももはや深紅のギアを纏った少女に戦える術は存在しない。
イノリのような――規格外の切り札を持ち得ぬ限り、少女の命は露と消える定め。
ここにイノリの勝利は確定した――
はずだった。
その光景を目にするまでは。
◆
アステリアの艦橋では今なお、けたたましくアラートが鳴り響く。
だが、それはイクスドライバーを纏った少女の襲撃を受けた時とは別物。
イクスギアの最終セーフティが解除された事による緊急信号だ。
騒然とする艦橋。
オズは操縦桿を握りしめた手に力を込めた。
「……《限定、解除》」
その機能が意味する効果を知らないオズではない。
いや、この場に居る誰もがその力がもたらす破滅を知っている。
満身創痍だった体を癒す為に。
そして赤いギアの少女と戦う為にイノリがとった行動はあの場では最善策だった。
なぜなら、あのまま放っておけばイノリは確実に命を落としていたのだから。
《限定解除》を行うしか助かる術はなかっただろう。
《限定解除》とは言わば、本来の姿、本来の力を取り戻す事だ。
イクスギアに封印されていた魔力を解放、それにより、この世界に召喚される前の――本来の自分を取り戻す。
今のイノリの姿は『銀狼族』としての本来の姿。
白銀の獣耳も尻尾も鋭い爪や牙も元々イノリの体に備わっていたもの。
《人属性》の作用により塗り固められた人としての姿を捨て去った事により、イノリは今、この世界に召喚されて初めて本気で戦えている。
傷ついた人の外郭を捨て去る事で肉体を治癒させたばかりか、解放され――今も際限なく上昇を続ける魔力はもはやイクスドライバーをもってしても対抗する事は出来ない。
だが――それも一時的なものだ。
この世界でイクスギアの最後のセーフティを外し、禁断の力に手を伸ばす――その最後に待ち受ける運命に誰もが固唾を呑み込む。
「……俺が出る」
厳かにクロム言い放つと艦長席から立ち上がる。
「止めなさい! 死ぬわよ!」
艦橋を飛び出そうとしたクロムをリッカの鋭い声が止めた。
ジロリ――と鋭い眼差しでクロムはリッカを睨んだ。
だが、リッカは臆した様子もみせず、対抗するようにクロムを睨んだのだ。
「貴方、忘れてないでしょうね? この前、一騎君を助ける為に貴方がどれほどの無茶をしたのかを。肉体はもうボロボロ。今、戦えば間違いなく《魔人》に堕ちるわよ。そうなれば誰も助けられない」
それは、クロムが二度目の《魔人》化をするからではない。
その圧倒的な力の前に誰も手が出ないからだ。
クロムが《魔人》と堕ちる時、それは特派の終わりを示すだけじゃない。
世界規模の災害ともいえる超常の《魔人》に恐らくこの世界は――三日と保たない。
だからこそ、リッカはクロムの無謀ともいえる蛮行を止めるのだ。
この世界の為に、仲間の為に戦うと決めた彼の覚悟を守る為に。
「……俺達はただ座して、また大切な家族を失う光景を黙って見ているしかないのかッ!?」
それはクロムの慟哭。
キツく瞼を閉じ、皮膚が裂ける程強く拳を握り、何も出来ない己を責める悲嘆に打ちひしがれた男の姿だ。
だが――
「大丈夫よ」
リッカのその言葉は自信に満ちたものだった。
リッカだけが気付けた異常。
イクスギアの開発者であるからこそ。
《魔人》化を研究し続けてきたからこそ感じた不可解。
それは、この土壇場の最後の希望でもあるのだ。
「見てみなさいよ」
リッカはそう言うと、モニターに映し出された画面を指指す。
それはイノリの魔力上昇率を表すグラフ。
今なお、上昇し続け、もはやイノリの《魔人》化は目前。
それがどうした? と一同は困惑した表情をリッカに向ける。
「おかしいとは思わない?」
何が? 誰もその言葉を口にする事が出来ない。
リッカはその答えを提示した。
「《限定解除》は都合よく本来の力を取り戻す力じゃないわ。解除した瞬間、理性を失い、《魔人》へと変貌する。そこに時間的猶予なんて存在しないわ」
本来の魔力を取り戻すということは、魔力を暴走させるということ。
それは本来であればのたうち回る程の激痛を伴う。
まともに意識を持って戦う事など不可能に近いだろう。
「そもそも《限定解除》は《魔人》と堕ちて戦う自滅技よ。今のイノリちゃんみたいに戦える機能じゃないの。なら、どうしてイノリちゃんは自我を保っていられるか――その理由がこれよ」
リッカは上昇するイノリの魔力量を見て確信した。
「イノリちゃんの魔力上昇率が抑えられているの」
「な……ん、だと!?」
「《限定解除》すれば一瞬で最大出力まで跳ね上がる魔力が、何かしらの力で抑えられている。まるで――イノリちゃんの《魔人》化を阻止するように、ね」
だから、まだ間に合う。
イノリのギアに《人属性》を装填さえ出来れば、イノリはまだ人の身としてこの世界に留まれるはずだ。
そしてその鍵を握るのは――
「全ての希望は――《シルバリオン》よ」
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