禁忌のイクスギア

「――ごめんなさい……」



 地面に額をこすりつけ、嗚咽交じりに謝罪の言葉を連ねる一騎の背中を――イノリは見ていられなかった。

 自分を痛めつけ、罪の意識に潰れる一騎。

 イノリが一番見たくなかった姿だ。



 十年前、恋い焦がれた背中がどこか遠くに行ってしまった。

 それも、全ては自分のせいだ。


 あの日、一騎を救う為に魔法を使って、そして暴走して《魔人》へと堕ちたイノリの責任。


 一騎だけじゃない。

 イノリの負うべき責任は他にもある。

 ユキノの事だ。



 ユキノは一度、イノリの《魔人》化を肩代わりしている。

 そして、肩代わりした上で、ユキノ自身のイクシードも暴走し、二度目の《魔人》化を発症させていたのだ。


 イクシードそのものになる二度目の《魔人》化から所有者だけを助ける術は存在しない。

 だからこそ、ユキノの運命はイノリを含めた特派の全員が覚悟を決めていた。


 だが、その事実を知らない一騎は?


 今も自分を責め続け、自我を崩壊させてしまった。

 もう戻れないだろう。

 

 あの優しかった少年に。

 彼は一生背負っていくのだ。

 

 ユキノの命を。


 それを押しつけてしまったのも、イノリが助けを求めたから。



 側にいてくれると、守ると約束してくれたあの言葉が脳裏を過ぎり、結果として彼に頼ってしまった。



(……私は彼の側にいるべきじゃない……)


 イノリがその考えに辿りつくのも当然の帰結といえる。


(離れよう。彼から)


 もう二度と会わない。

 一騎を寮に送り届けたら、彼の前から姿を消そう。

 特派の皆も説得すればわかってもらえる。


 こんな彼の姿を見て、まだ、彼を戦いに投じようなどとは、特派の誰も考えていないはず。


 イノリのその考えは――間違ってはいなかった。


 

 ◆



 沈痛な空気が艦橋を支配していた。

 メインモニターに映し出されていたのは、イノリと一騎の二人の姿。

 

 全員が一騎の戦いを最後まで見届け、そして、そのあまりにも凄惨な光景に言葉を失っていたのだ。


 壊れた機械のように途絶える事のない一騎の謝罪の言葉だけが、沈黙の中響き渡る。


 耐えきれなくなったクルーの一人がそっとスピーカーの音量を落とした。


 悲痛な眼差しをクロムへと向ける。

 その中には、涙で瞳を赤くさせたオズの視線もある。


「……司令」

「わかっている。わかっているとも」


 誰よりも責任を感じているのは他ならぬクロムだ。

 一騎に出動を要請したのはクロムだ。


 今の一騎の姿を見て、胸が痛む。その痛みを一番に感じているクロムだからこそ、安易に謝罪の言葉を口にするわけにはいかない。


 部下から叱責されようとも、特派を、家族を守る為に下した決断を、己の判断をクロムは否定しない。


 それが司令官としてこの組織を預かる彼の矜恃だから。


「大丈夫よ」


 黙ってモニターを見続けるクロムの背中を白衣を着た女性が支える。


「ここに心の底から貴方を責める人はいないわ。皆わかっているもの。避けようのない結末だった事も。イノリちゃんか、一騎君がその重圧を背負う事も」

「だが、俺は彼に……癒える事のない傷をつけてしまった」

「……それは貴方一人が背負う責じゃないわ。私も背負ってあげる。だから、自分を傷つけるのは止めなさい」


 リッカの指先はクロムのその豪腕へと優しく触れる。

 あまりに力を込めすぎて、皮膚が裂け、骨が砕け、おびただしい量の血を流す――その拳を優しく解くとリッカはクロムに寄り添う。


「リッカさんだけじゃありませんよ」


 リッカと志を同じくするのは一人じゃなかった。

 震える声で。

 愛しい人を失った直後だと言うのに、声を張り上げたのはアステリアの操縦桿を握りしめていたオズだった。

 オズもまた覚悟を決めていたのだ。

 ユキノを失う覚悟を。

 そして、その重荷を自分よりも年下の彼らに背負わせてしまう覚悟を。


 だからこそ、オズは誰よりも早く――自責の念に押しつぶさそうになっていたクロムよりも状況を把握する事が出来ていたのだ。


「俺も同じです。だからこそ俺達は俺達の出来る事で、全力で二人をサポートするしかない。今、俺達がするのは感傷に浸る事じゃない。傷ついた二人をいち早くこの艦に収容する事だ」

「あぁ……そうだな。頼めるか?」


 覇気がいつもよりも数段落ち込んだ表情を見せながら、それでもクロムは司令としての職務を全うする為に口を開く。


「もちろんです!」オズがそう叫んだ直後――



 それは起こった。



 艦橋に鳴り響くアラームがオズの言葉を呑み込む。

 スピーカーを切ったにも関わらずアラームが鳴ったということは、アステリアに搭載されたAIがアラームを鳴らすべきだと判断した結果だろう。


 そして、メインモニターが切り替わる。

 アステリアのAIが検知した魔力、そしてイクシードからその情報を画面に映し出したのだ。


 その映し出された情報に一同は絶句する。


「なん……だと!?」


 クロムの驚愕に彩られた声が艦橋に響き渡る。

 あの冷静なリッカでさえ、この時ばかりは冷や汗を浮かべ、瞠目した眼差しでAIが表示した情報に目を奪われていた。



 ありえない……

 存在するはずがない。

 

 それを知っているからこそ、艦橋に走った衝撃は計り知れない。



『イクスドライバー《スターチス》』


 イクスギアの雛型でもある始まりの名前がそこには表示されていた。



 ◆



『すぐにそこから逃げろォォォォォオ!!』


 一騎を抱きかかえようとしていたイノリ。

 直後、ギアを通して聞こえたクロムの声に体を竦ませた。

 だが、これまで一度も聞いた事がないクロムの悲鳴に脳ではなく体が反応する。

 

 反射的に地面を蹴り上げ、その場から飛び退いたのだ。


 その瞬間。

 ドパンッ! ドパンッ!!


 二発の銃声が鼓膜に打ちつける。

 イノリが今まで立っていた場所に一発の弾丸が穿たれる。


 そして、もう一発の銃声は――


「ッ! 一騎君!!」


 無防備な一騎へと向かっていたのだ。

 必死になって手を伸ばすが――間に合わない。


 その弾丸は一騎を貫く――その寸前にパァアンッと弾けた。


 まるで、風船が割れるような音を響かせ、弾丸が割れたのだ。

 一騎が何かをしたわけでも、イノリが間に合ったわけでもない。


 独りでに弾丸が割れ――そして割れた弾丸から現れた粘着質のある無数の糸が一騎の四肢を絡め取り、拘束したのだ。


「今助けるから!」


 ユキノによって傷つけられた体を引きずり、一騎に近づく。


 だが――その手が届く事はなかった。

 さらに銃声が鳴り、イノリの足先を弾丸が穿ったからだ。


 足を止め、イノリは弾丸が飛んできた方角へと視線を向け――気付いた。


 ある一点だけ、景色が揺らいでいたのだ。

 陽炎のように揺らめくその場所が――突然割れた。


 まるで、空間が砕けたようにガシャンと音をたて陽炎が崩れていく。


 そして、その歪んだ陽炎に隠れていた黒髪の少女がゆっくりとした動作でイノリへと銃口を向けた。


「嘘……どうして……」


 イノリは銃口を向けられた戸惑いよりも、少女のその装いに言葉を失う。


 赤を基調とした水着のようなインナーギアを覆う、赤い装甲。

 それはイノリの纏うイクスギアよりもより重厚感のある鎧だ。

 腕を覆うガントレット。そして足に装備された金属の厚底ブーツにヘッドアーマー。

 両肩から突出した対になる鎧は肩甲骨の辺りに装備され、魔力の燐光を噴き出している。

 その姿は炎の翼をイノリに連想させた。

 赤く燃えるような翼を生やし、さらには腰に装備された鎧からも赤い燐光を放出させている。


 全身から魔力を放出させるその姿はイノリや一騎が有する魔力を完全に上回っていた。


 だが――


 その奇抜な装いの中で一番イノリの目を奪ったのは彼女の腰にあるバックル型の装置だった。

 派手な装飾なんて皆無。

 だが、鈍重で鈍く濁った白銀のベルトには見覚えがあった。

 特徴的なのはベルトの上部に搭載されたペンダントのような装置。

 イノリはそれを知っている。


 今でこそ、エネルギー体としてそのままギアへと装填する事が可能となっている異能の力――イクシード。


 あのペンダントはそのイクシードを圧縮し、ペンダントに封印したものだ。

 その出力はイクスギアの最大出力を軽く凌駕する力を発揮する。


 なぜなら――あのペンダントに込められたイクシードは、力を暴走させているから。


 イクスギアのように暴走を抑える機能が存在しないのだ。



 その正体は、イクスギアが完成するまで使用されていたイクスギアの原型。


 魔人から暴走したイクシードを引き剥がす力こそあれど、暴走したイクシードを浄化する力を持たない禁断の装備。

 開発者であるリッカの手により廃棄された過去を持つ。


 その力の名は――


「どうして……イクスドライバーが……?」


 イクスドライバー。

 禁断にして究極のギアの名だ。


 そのギアを纏った少女は好戦的な笑みを携え、引き金に指をかけと――


「お前らが知る必要なんざねえよ、化け物ども!」


 躊躇なく引き金を引くのだった――

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