第2章『魔導戦記イクスギアRe:Build』

業火の記憶

 イノリの姉、ユキノをこの手で殺めてしまったショックは一騎の心を限界まで追い詰めていた。

 一騎はおおよそ人間らしい人間性を崩壊させていたのだ。

 

 止めどなく溢れる涙。

 喘ぐ口元から零れる懺悔の数々。

 理性と知性をなくし、虚ろな瞳は光と消えたユキノの姿を探し求める。


 フラフラとした足取りでイノリの側に膝をつく。

 両手を合わせ、何度も何度も地面に頭をこすりつける土下座に、イノリの歯を食いしばる音が聞こえる。



「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 嗚咽交じりのその言葉に誰も口を挟まない。

 ギアを通して映像を見ていた特派の面々も、すぐ側で見守っていたイノリでさえ、言葉を無くす程の憔悴ぶり。

 たった数分で、何十年も老いたかのように思わせる程で……


 定まらない視線は彼女の幻影を探し求めるように、在りし日の、過去の彼女を一騎の脳内に投影させていたのだった。



 ◆



 それは十年前の記憶だ。

 

 ユキノという一騎の運命を変えた女性との再会を果たしたからだろう。

 不鮮明だった記憶が鮮明となり、本人でさえ忘れていた記憶の奥底から真実を掬いだす。



 それは瓦礫の中で輝く銀色。

 

 夜に輝く天の川のように暗い闇夜の中でも輝く銀色の髪だった。

 地震に巻き込まれ、親と離れ離れになっていた一騎は、その銀色に見惚れていた。

 

 燃えさかる炎。刻一刻と退路を断つその業火の存在すら忘れ、逃げ惑う人たちを余所に一騎はゆっくりとその銀色――一騎と同い年の銀髪の少女に近づく。


「ねぇ、大丈夫?」

 

 もしかしたら怪我をしているかも。

 泣いている少女の横に屈んだ一騎は少女の顔色を伺う。

 

 顔を上げた彼女に、一騎は頬を赤らめ、言葉を失う。

 まだ、十にも満たない子供ですら理解出来てしまう程に美しい容姿。

 ミルクのように白く、きめ細かい肌。くりっとした碧眼の眼はひと目で一騎の心を奪う。


 梳くような銀色の髪。

 その頭部からぴょっこりと覗かせる銀色の獣耳もまた、愛らしさの一つだろう。

 ピクピクと動くその耳は、とても玩具だとは思えない。

 

 現に彼女はその獣耳を動かし、一騎の声を聞いているのだ。

 

「……だれ?」


 透き通るような歌女の声に一騎の鼓動は速まる一方。

 同世代の女の子にこれほどの異性を感じたのは初めてだ。


 ドクン、ドクン……と脈打つ胸を押さえつけながら、一騎は幼い思考をそのままに感情を吐露する。


「僕は一騎。君は?」

「私? 私は……イノリ」

「イノリちゃんか。可愛い名前だね」

「可愛い?」

「うん」


 それは名前の響だけじゃない。

 彼女の声も、容姿も全てを含めてだ。

 獣耳も、そして尻尾も気にならない。

 独特な、見た事もない装束も、それはより彼女の魅力を引き立てるファクターにしかならない。


「どうして、泣いているの?」

「……わからないの。ここどこなの?」

「もしかして、迷子?」

「……うん」


 一騎も先ほどの地震で親と離れ離れ。

 見知った街とはいえ、地震で崩壊したこの場所は未開の地と言って差し支えないだろう。


 いってみれば、一騎も同じ境遇だった。

 親とも離れ離れ。ここがどこだかわからない。


「僕もなんだ」

「……カズキ君も?」

「うん。一緒だね」


 気になる子と同じ。

 それはこんな絶望的な状況下でも、なんだか妙に嬉しくて、彼女と同じ気持ちを共有出来ている事が、一騎の神経を麻痺させる。


 一刻も早く避難すべきだろう。

 けど、イノリともっとお話をしたい。


 幼い一騎は、後者を選ぶ。


「でも、大丈夫だよ。僕が側にいるから」

「……本当に?」

「うん。イノリちゃんが怖くないように、僕が守ってあげるよ」


 一騎は優しくイノリの頭を撫でる。

 獣耳に優しく触れ、その根元をくすぐると、イノリは気持ちよさそうに身を捩った。

 ほんのりと頬を赤くしたイノリは一騎を見上げ、


「ありがとう、カズキ君」


 その一言はまさしく、一騎の心を射貫く一言だった。


 不安だったイノリも一騎という支えを得てか、笑顔を覗かせる。

 そして、二人は業火に見舞われながらも、熱さを忘れ、互いの事を語り合った。


 もっとも、一騎にはイノリの話の大半が理解出来ていなかったが。


 当然だ。


 突然、異世界の話をされても理解出来るはずがない。

 イノリの話は一騎の中では漫画やアニメの話に昇華され、一騎もまた、自分の好きな漫画やアニメ事を話していく。

 イノリは一騎の話に夢中だった。

 一騎の話す内容は異世界出身のイノリからしてもまさに未知の内容。

 この世界のフィクションは異世界でも受けるようだった。


「キスで目覚めるの?」

「うん。僕の知っているお話ではそうだったよ」


 イノリは唇を触りながら、「キス……」と呟いている。

 なんの話だったか……その当時見ていた漫画でそのシーンがあったのだ。

 キスをする事で主人公が正気を取り戻すシーンが。


 一騎はそれを物語りを高める要素の一つとしか捉えていなかった。

 なにせ、その後に続くバトルの方が男の子には刺激が強かったからだ。


 けど――


 キス……してみたいかも。


 イノリを前に、一騎はそんな劣情に狩られる。

 今までになかった感情だ。


 キスなんてただ唇を触れあわせる行為。


 けど、イノリとならしてみたい。


「き、キス……してみる?」


 一騎は「今から公園に遊びに行く?」程度の身軽な気持ちでその言葉を口にしていた。

 イノリも興味があったのか、特に嫌がるわけでもなく、「うん」と頷いていた。



 イノリの肩をそっと抱き寄せ、漫画で得た知識をそのままに、一騎は唇を押し当てる。

 ぷりっとしたイノリの唇の感触に心がざわつく。

 味なんてほとんどしないのに、脳がそれを甘美だと錯覚する程に甘い。


 もっと味わいたかったが、恥ずかしさのあまり数秒で唇を放す。

 二人の間にかかった透明なアーチがプツリと切れ、二人の唾液が地面に染みを作る。



「……」

「……」


 頬を真っ赤に染めて押し黙る二人。

 イノリは唇を触りながら、不思議そうに首を捻ると、


「不思議な力、でなかったね」


 恥ずかしそうにキスの感想を口にするのだった。

 火照ったイノリの顔色を見ながら、一騎はその台詞にプッと吹き出す。


「ほ、本当だね!」


 二人とも単なる照れ隠しだ。

 それをわかっていながら、二人は同時に笑い出す。


 好きな子とキス出来た事がたまらなく嬉しかった。

 イノリもそうであって欲しいと、一騎は願う。



 けれど――


 その幸せは長くは続かなかった。



 ◆



「けほっ、けほっ」


 突然むせた一騎。

 意識が朦朧としてきて、呼吸が苦しくなってくる。


 キスをした余韻――というわけではないだろう。


 これは、酸欠だ。


 イノリと一騎の二人を取り巻く環境は劣悪だ。

 瓦礫に埋もれ、炎に包まれた二人の空間は急速に酸素を奪い、さらにはサウナのように熱気の籠もった空間は水分を奪っていく。


 一酸化炭素中毒に加え、脱水症状。

 ようやく体の異変に気付いた一騎は咳き込みながら蹲る。


「か、カズキ君!?」


 慌てふためいたイノリは再び涙を溢れさせながら、一騎の背中をさする。

 だが、一騎の顔色はますます悪くなる一方。


 ますます不安になったイノリはただ泣くしかない。

 自分と一騎を励ます言葉を連ねる。


 そして、その時になってイノリはようやく周囲の声に耳を傾ける事が出来た。

 一騎と同じく、逃げ遅れた人たちが、同じ症状で苦しんでいるのだ。

 瓦礫に埋もれたこの空間のように、他にも似たような場所がいくつかあるのだろう。

 遠くから聞こえるうめき声でも、《銀狼族》として驚異的な聴力を誇るイノリにはすぐ側にいるように聞こえる。


 そして、口々に聞こえる「熱い」「苦しい」「助けて」の言葉。


 その言葉から、原因はこの炎と瓦礫である事に予想がついた。


「でも、どうしよう……」


 イノリはまだ本格的な魔法を学んでいない。

 村でも基礎的な魔法しか学んでこなかったのだ。

 けれど、この状況を打開するには、魔法に頼るしかない。


「風魔法なら……」


 けれど、不安だ。

 もし、失敗すれば? 

 大好きな一騎が死ぬかも知れない。


 たった数十分前に知り合っただけの少年だが、もはやイノリにとって一騎とは白馬に乗った騎士や王子様に匹敵する存在。

 姉ともはぐれ、ひとりぼっちになったイノリに手を差し伸べてくれた救世主メシア

 だからこそ、怖い。

 魔法が失敗すれば……



 不安に押しつぶされそうになったイノリは、先ほどのキスの感触を思い出す。

 一騎が言っていた。

 キスとは真の力を解放するものだと。

 暴走した主人公を止める魔法のキスだと。


 なら、臆病な私にも勇気をくれるのではないか?


 あの心が躍るようなキスにはそれだけの魔法が宿っているのではないか?


 なら、信じよう。

 一騎とのキスを。

 その中に秘められたイノリですら知らない魔法の力を。


「……私がカズキ君を助けるんだッ!」


 そして、イノリはこの世界で、魔法を行使するのだった――



 ◆



 一騎が目を覚ましたのはその数分後だ。

 突風に肌を撫でられ、大量の空気が肺に送り込まれた事により、意識が覚醒する。

 周囲を見渡せば、瓦礫の山が消し飛び、一騎の命を削っていた業火が吹き飛ばされていた。


 一騎の側には胸を押さえて蹲るイノリが。


 苦しそうに呼吸を乱したその姿に不安が募る。


 体を起し、駆け寄った一騎はイノリの肩に手を伸ばす。


「イノリちゃん、大丈夫ッ!?」


 見た事もない、黒い光に包まれたイノリの姿を見て、一騎は泣き出しそうになった。

 

 苦しむイノリの姿が。

 そして、否応無く、竦み上がる程の恐怖を植え付ける黒い光が。


 怯えとなって警鐘を鳴らすのだ。


 逃げろ。

 今すぐに。

 彼女から――


 本能が急く。

 けれど、一騎はそれ以上に気持ちを優先させた。

 大好きな女の子の側を離れたくない。


 約束したのだ。


『側にいる』と。


 なら、イノリが苦しんでいる今、この瞬間にこそ側にいるべきだろう。

 何の力も持たなくても、きっと出来る事があるはずだから。



 苦しそうな表情を浮かべ、イノリは一騎の手を握る。


 そして――


「に、逃げて……」


 行動とは真逆の言葉を口にし、


 その直後――


 一騎の体から熱い何かが迸る。

 飛沫のように舞ったそれは鮮血。

 そして、全身から血をまき散らし、倒れ伏した一騎の首筋に、鋭利な牙を突き立てるイノリの姿。


 悲鳴など上げる時間さえなかった。


 

 死を連想させる程の強烈な痛みと共に、一騎の意識と記憶はその瞬間に闇へと堕ちるのだった――

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