細くとも確かな絆

 一騎は驚愕のあまり続く言葉を失っていた。


 目の前には腰から下が蒼い粒子となってイクスギアに吸収されたイノリの姉の姿――

 そして、唇を噛みしめて、涙を堪えるイノリだ。


 今もなおユキノから魔力を奪い続ける右手のギアを憎々しく睨みながら、一騎は険しい表情を覗かせた。



 ――僕のせいだ……


 《魔人》と化したユキノを倒したのも、彼女からイクシードを奪ったのも一騎の意思だ。

 ならば、この事態も……


「一ノ瀬のせいじゃありません!」


 負に沈んだ思考を遮るようにイノリの張り詰めた声音が耄碌としていた一騎に突き刺さる。


 互いに涙で腫らした視線で見つめ合う。


「……あなたのせいじゃないから」

「でも……僕のせいで……」

「違うの。お姉ちゃんは二度目、だから……ッ!」

「二度目……?」


 頷くイノリ。

 続く言葉に一騎は絶句した。


「二度目って言うのは、《魔人》に堕ちたのが二回目って事なの。一度目は暴走したイクシードだけを封印するだけでよかった。けど二度目は……暴走したイクシードそのものになった《魔人》の全てを封印しないといけないのッ……」

「《魔人》の全て……? それって……」

「うん。お姉ちゃんの全てってこと」

「そんなのってないよ! どうにかして助かる方法は!?」

「……あったら、黙ってみてるわけないよ……」


 その暗く沈んだ表情が、全てを物語る。

 助かる術はないのだと。


 イクシードそのものに変貌したユキノを暴走という苦痛から解き放つ為には、存在の全てを封印するしか無いのだ。


 たとえ、物言わないエネルギー体になったとしても、暴走という地獄の苦しみから助け出せる。


 涙に腫れた彼女の瞳にはなによりもその覚悟が宿っていたのだ。



「……い、イノ……リ……?」


 張り詰めた緊張の空気をか細い声が弛緩させる。

 みれば、イノリの腕に抱えられたユキノが瞼を僅かに開け、薄らと目を開けていたのだ。

 ユキノは垂れ下がった腕を微かに動かす。

 イノリはユキノの手を優しく握ると、不安を悟らせまいと、安心させるような口調で、穏やかに言ったのだ。


「おはよう、お姉ちゃん」

「……あぁ……その声は、間違い……ない。イノリ……だ」

「うん。そうだよ? ビックリした?」

「うん……とても、驚いた……かな? もっと小さいイメージだった、よ。大きくなったね……」

「うん。十年だよ。お姉ちゃんと離れ離れになって十年。流石に成長するよ」


 二人の会話はとても自然だった。

 言葉だけをみれば、とても死に際の会話とは思えない。


 だが、現実は残酷だ。

 ユキノの体はすでに胸元までなく、腕も片方が消えていた。

 残された時間は僅か。

 それを惜しむように、イノリは姉妹の最後の時間を噛みしめる。


「そうか……そんなに……迷惑をかけたね……」

「迷惑なんて……お姉ちゃんは私を助けてくれたんだよ? 迷惑なんて、そんな……それよりも……ごめんなさい! 私が、私のせいで……お姉ちゃんが!」

「……イノリが、謝る……必要、なんて、どこにもないよ……いや、彼、には謝るべきだろうけど……」

「うん。それは、これから、ちゃんとお話するよ」


 ユキノの視線がゆっくりと一騎に向けられる。

 その瞳は一騎の奥底に眠る何かを見つめる照魔鏡のような瞳で――


「君が……助けて、くれたんだね……?」

「……僕は」


 違う。

 これを助けたといえるのだろうか? いや、否だ!


 一騎が望んだ結末は、最強の頂きにまで手をかけて欲した未来はこんな未来じゃない!


 キツく瞼を閉じ、否定するように一騎は頭を振る。

 だが、それでも――


「ありがとう――」


 その言葉に一騎は身が引き裂かれるような痛みを覚えた。


「ち、違うんです……僕は……」


 必死になって否定する。それはもはや自己弁護。自分の犯した罪に目を背ける行為だ。

 だが、ユキノはそれを許さない。


「君が助けて、くれたんだね?」


 一騎の胸に深く、深く突き刺さる言葉。

 否定しようにも続く言葉が出ない。

 今にも消え去る彼女に、一騎が身を守る為に固めた薄っぺらい自己弁護の壁などまったく意味を成さないのだ。


 受け入れろ。現実を。

 否定するな。目の前の真実を。

 目を逸らすな。彼女から、この運命から。



「―――――――――はい……」


 今にも消え入りそうな声で、

 嗚咽交じりの震える声で一騎は確かにその言葉を口にした。


「そう……よかった……君に助けて、もらえて」


 安堵したようにユキノは深く息を吐き出す。

 そして、優しい眼差しを再び一騎に向けると。


「私も、君を、あの時、助けられて……よかったよ」


 その瞬間。

 一騎の脳裏にあの言葉が蘇る。


 十年前。必死になって一騎に『生きろッ』と叫び続けた女性の声。


 そんな……まさか!?


 驚愕に見開く瞳をユキノに向ける。

 彼女の言葉。その一つ一つを鮮明に思い返す。


 その直後。


 一騎の瞳から止めどなく涙が溢れた。



「僕は……僕はぁああああああああああああああああああああ!」


 僕は、本当になんて事を――!?


 イノリの実の姉をその手にかけたばかりか――




 この十年、一騎自身が目標とした、こうありたいと願った人の、その命さえも絶ってしまった事実に、完全に心が砕かれる。


 竦み上がった魂をみてか、ユキノは最後に残った気力で一騎に言葉を送る。


「恐れない……で、君の中に眠る、その力を……それは、イノリの贈り物だから」


 絶叫する一騎にユキノの最後の言葉は――届かない。

 

 それを見たユキノは、ゆっくりと視線を動かす。


 最後に見たのは、最愛の妹の顔だ。


「イノリ……彼を、守ってあげて……彼が大切なら……。あの子に芽生えた力も、何より、私は、あなたの気持ちを一番理解しているわ……だから……」

「うん! わかってるよ! 彼は、私が助けるから、今度こそちゃんと助けるから! だから、お姉ちゃんも心配しないで? ね?」


 その言葉を耳にしたユキノの表情がとても穏やかなものへと変る。


 イノリと一騎――この二人にはまだまだ不安が残る。

 十年前、身を挺して一騎を守った時もそうだ。

 些細なきっかけで亀裂が入るような細く脆い絆。


 だけど――


「なら、安心……かな?」


 たとえ、細くても二人を繋ぐのは絆。


 それはユキノやイノリが何よりも大切にする証だ。


 なら、大丈夫。


 二人なら、この先に待ち受けるどんな悲劇にだって、真実にだって打ち勝てるだろう。


 だから、安心して眠ろう。

 二人にこの先を任せて、この力を託して、最愛と、最愛となった二人の腕の中で静かに――


「……お休み、イノリ……」

「……お休み、お姉ちゃん」


 涙で枯れた最後の言葉。

 

 ユキノはゆっくりと瞼を閉じる。

 その数秒後。

 

 欠片も残すことなく、ユキノの全てが一騎のイクスギアに吸収され――


 ユキノという一人の少女はイクシード《氷雪》としてその身を変えるのだった――

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