最強の境地

「うおおおおおおおッ!」


 裂帛の気合いと共に一騎は地面を強く踏み込んだ。

 地面そのものが激しく激震し、その衝撃はそのまま一騎の体を砲弾のように撃ち出した。

 拳を握りしめ、《魔人》へと変貌したイノリの姉――ユキノへと鋭い一閃を打ち下ろす。


 ガキンッ! と甲高い音と火花が一騎の鼓膜と網膜を刺激する。

 目の前には氷の鎧を身に纏ったユキノが平然と佇んでいた。

 一騎の拳は氷の鎧に大きな亀裂を入れるだけで貫く事が出来なかったのだ。

 ――当然だ。


 ユキノの生みだした氷の鎧はただの氷ではない。

 幾重にも何層にも張り巡らせた氷の層で出来たその鎧はただの一枚岩の鎧よりも圧倒的に防御力が高い。

 一騎が砕いたのはユキノが生みだした七〇万層の氷の鎧のたった数千を砕いたにすぎない。


「ッ!」


 その事実に一騎は苦虫を噛んだ表情を浮かべた。

 穿てない鎧を前に一歩後退る。


 そして、それは致命的な隙だった。


『グオオオオオオ―――――ッ!!』


 ユキノが理性を忘却させた雄叫びを上げる。

 その瞬間――


「ぐあああああああッ!?」


 一騎の体が山なりに吹き飛ばされる。

 無数の氷の弾丸が、超至近距離から一騎の体を貫いたからだ。


 堅牢なイクスギアに守られた状態であっても、その衝撃は致命的。

 たった数撃の直撃で全身が悲鳴を上げる。

 鎧を砕き、肉を裂き、骨を破壊するその威力を前に、ボロ雑巾のように体を逃がすしかなかった。


 そう。逃がすしか――



 氷の弾丸から逃れた一騎は瞬時に跳ね起きるとそのまま疾走したのだ!

 その動きに氷の弾丸によるダメージはほとんどなかった。

 

 その動きを見たユキノ表情が曇る。

 なぜ、あれほどの攻撃を受けて、まだ動けるのか? と――


 その理由は単純だ。

 それを証明するかのごとく、一騎の全身から白銀の輝きが迸る。

 その輝きは魔力。


 圧倒的な密度を秘めた高濃度の魔力の障壁だ。

 本来なら暴走してしまうはずの魔力を《イクスギア》で制御。魔力を操作する事で、ユキノの防御力にも匹敵する魔力障壁を展開していたのだ。


 だが――


「うおおおおおおおおおおおッ!」


 絶叫するその咆吼に余裕は一切ない。

 一騎の額には脂汗が浮かび、その表情は苦悶に歪む。

 全身をバラバラに打ち砕くかの如く魔力の炎が肉体を、魂を焦がす。

 

 イクスギアの力をもってしてもこれほどの魔力の制御は一分と持たない。

 一分先に待つのは《魔人》化という最後。


 未知数ともいえる領域に踏み込めるたった一分の境地だ。


「――イクスの力でアンタを助けだすッ!」


 口を突いて出た台詞は不屈の意思の表れ。

 未知の――あらゆる可能性をその手で掴む一騎の誓い。

 それを体現する為に、今この瞬間、一騎はその領域に――最強の存在に手をかけたのだから!

 

 ガシャン! と両腕のガントレットに内蔵されたスラスターが作動する。


 イクスギアが悲鳴を上げるかの如く、両腕から白銀の魔力が噴出。

 銀の両翼を纏った一騎はその威力を全身に浴び、空高く飛翔する。


 ユキノが地面に張り巡らせた【凍牢】の罠すら届かない遙かな高みへと辿り着く。

 一騎は片足を突き出すと、その足先をユキノへと定めた。


 その直後――


 臨界点へと達した両腕のスラスターが一騎の体を力強く押し出す!


 ドオオオオオオオオオオオオオオオンッ! と大気が激しく爆ぜる。

 それは地球の上げた悲鳴だ。

 許容出来ない程の破壊力を前に大気が崩壊した悲鳴。


 その秘めたる威力は同じ技であるはずの【飛翔雷槌】とは比較にならない程の破壊力を秘め――


 ユキノの誇る七〇万層の鎧すら容易く打ち砕く程だった――



 ◆



 氷の霧が視界を埋め尽くす。

 それだけじゃない。


『グルゥゥゥゥゥ……』


 一騎の一撃に倒れ伏したユキノが黒い魔力粒子を放出していた。

 これで、ユキノのイクシードを封印する事が出来る……


「これで……」


 一騎はユキノに手を差し出すようにイクスギアを近づける。

 その直後、ユキノの体を覆っていた黒い粒子がイクスギアに吸い込まれていく。


「封印完了だ」


《魔人》から解放されたユキノの姿を見て、一騎は安堵の吐息を吐く。

 イクシードを封印したからだろうか、視界を埋め尽くしていた氷の霧が消え去り、視界がはっきりする。


 横たわるユキノは穏やかな表情を浮かべ、寝息をたてていた。

 その姿を見た一騎は今にも崩壊しそうなイクスギアを解除する。


「無理させてごめん」


 ねぎらいの言葉をイクスギアにかける。

 それ程までの負担をイクスギアに背負わせたのだ。

 暴走限界――いやその限界を突破しての魔力行使。

 それはイクスギアの本来の用途からかけ離れた荒技だ。

 ギアが壊れてもおかしくない使い方。


 だが、一騎の中には確信があった。

 いや、正確に言うなら、声が聞こえたのだ。


『大丈夫。イクスギアを信じて』


 という言葉が。

 その言葉があったからこそ、一騎は未知の領域への一歩を、最強へと至る一歩を踏み出す事が出来た。

 

 けど……あの声は?


 無事に戦いを終えた一騎の中に燻った疑問。

 それはあの声の事だ。

 初めてギアを纏った時にも聞こえた声。


 それを幻聴と片付ける事に不安を覚える。それほどまでにはっきりとした女の子の声・・・・・だったのだ。

 どこか聞き覚えのある声。


 だが、その謎を突き止めるのは、ひとまず後回しだろう。


 一騎は疲労の残る体に鞭を打ってイノリへと視線を向ける。



「イノリさん」

「あ……」


 イノリは覚束ない足取りで一騎達に近づく。

 そして――


 ユキノの体をギュッと抱きしめると――


「お、お姉……ちゃん!」


 その瞳から涙が溢れ出し、嗚咽を漏らすのだった。

 離れ離れになっていた姉妹の再会だ。

 無理もない、と一騎は二人から距離をとろうと踵を返した――


 その時だ――


「え……?」


 一騎の口から間の抜けた声が漏れる。

 それは右手に装着されたイクスギアを見てのものだ。


《魔人》の封印という大役を終えたはずのイクスギアが未だに稼働を続けていたのだ。


 黒い粒子を全て吸収したはずなのに、それでもイクスギアはユキノから魔力を吸収し続けている。


 黒から蒼へと粒子の色が変っており、その輝きを奪われたユキノの体が透けて見えた。


 錯覚などではない。

 イノリの腕に抱かれたユキノの体が蒼い粒子となり、一騎のギアに吸い込まれていくのだ。

 すでにユキノの腰から下はなく、その姿を見た一騎は狼狽した。


「な……なんだよ、これ……!」


 どうして止らない!?

 封印はもう終えたはずだろ? なのに何でまだ彼女から力を奪い続けるんだ!?


 ギアが奪う光の粒子がユキノそのものである事を本能が理解していた。

 すぐに止めないと!


「待って! 待って下さい、お願いだからッ」


 ギアを外そうともがく一騎をイノリの声が制止させた。

 涙に震えた声音であったが、それ以上に、この状況をどこかで納得していた雰囲気に一騎は疑問を抱く。


「ど、どうして……?」

「……これが、お姉ちゃんを助けるって事だから」

「違うだろ!? 助けるって事はこの人もイノリさんも笑顔になるってことだ! こんな……イノリさんの涙が見たかったわけじゃないよ!」


 それが嬉しさから流す涙であったならいくらでも見ていられた。

 けど、今、イノリの流す涙は違う。

 別れによる悲しみの涙。

 もう二度と会う事の出来ない別離の涙だ。


 そんな涙を見る為に拳を握りしめたわけじゃない。

 

 皆の笑顔を守る為に戦うと――


 それ以上に、イノリの笑顔を守る為に戦うと決めたはずなのに――


 最初に見るのがイノリの涙だなんて……思いもしなかったッ!!

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