クロムの計画

 目の前に広がった光景に一騎は言葉を失った。


(ここって……)


 大きなメインモニターに幾つものコンソール。重厚で無機質な壁は少しばかり息苦しさを感じる。

 

 特派の所有する空中艦アステリア――その艦橋でまず間違いなだろう。


 山の奥深くに墜落したアステリアから学校まではかなりの距離があったはず……

 僅か数秒で辿り着いてみせたイクスギアの能力に一騎は改めて戦慄に近い感情を抱いた。


「……うぷ」


 それと同時に胃の奥からこみ上げてくる不快感に一騎は思わず口元を手で隠した。

 まるで車に酔った時のような感覚だ。足元が覚束ない。

 たたらを踏んで座り込んだ一騎に、すぐ側にいたオズがスッと水の入ったコップを差し出してきた。


「お疲れ様、大丈夫か?」

「あ、は、はい……なんとか……」

「きっと転移酔いだね。初めて転移するとよくあるんだよ。まだ吐かないだけマシさ。俺は吐いたよ」


 確かに、普通の車酔いより症状は数倍ひどい。

 一騎が嘔吐しなかったのはまさに奇跡と言えるだろう。



 一騎の体調を心配するオズを無視して、艦橋では二人の言い合いが続いていた。


「――だから、納得出来ません!」

「と言われてもなぁ……」


 目くじらをたてるイノリに降参するように両手を上げたクロム。

 クロムはやや困り顔でイノリを宥めようと言葉を濁す。


「いや、これも必要な事なんだぞ?」

「どこが? 勝手に編入させて、家からも追い出して……それが司令のする事ですか!? そもそもどうやって編入させたんですか!? 私、編入試験なんて受けた記憶がないんですけど!?」

「それは……特派の持つ特権を使ってだな……」

「こんなところで無駄に権力発揮しないで下さいよ! また、私達の信頼が落ちるじゃないですか!」

「イノリ君、俺達の信頼なんて元からないようなものだぞ? 情報の隠蔽工作にどれだけ俺達の存在が煙たがられているか……この程度の我が儘、今さらだと思わないか?」

「元からない信頼をさらに貶めてどうするんですか!?」

「……とは言っても、その制服、嬉々として喜んで受け取っていたそうじゃないか」

「ッ!? な、なんでその事を……」

「鏡の前で嬉しそうに笑っている姿を見たとリッカ君が」

「リッカさん! 誰にも言わないって約束したじゃないですか!」


 イノリの怒りの矛先は優雅にコーヒーを飲みながら事態を見守るリッカへと向けられる。

 だが、リッカは飄々とした態度で――


「そうだったかしら? すっかり忘れてたわ。ゴメンね、イノリちゃん?」


 小さな舌をぺろりと出して両手を合わせる。

 まったく悪いと思ってない顔だ。


「けど、クロムもちゃんと説明くらいはすべきよね~」


 リッカは腕を組むと、バツが悪そうにしていたクロムに近づき、肘で脇腹をつく。


「いきなりイノリちゃんに学校に行けって言って、荷物も全部放り出しちゃうんだもの」

「リッカさん……」


 うるっとイノリの目尻に涙が浮かぶ。

 やはり頼るべきは唐変木な男よりも大人の女性だと淡い期待をリッカに寄せる。


「私がどれだけ苦労したか、本当にわかってるの?」

「い、いや、それはもちろん」

 

 クロムはリッカに気おされながらも、汗を滲ませ、言い淀む。


「そう? 私が忙しくしてたのは貴方なら当然知ってたはずよね? なのに、いきなり一軒家にアステリアと同規模のマナフィールドを施せ。地下に秘密基地を作れ――って正気を疑ったわよ?」

「……だが、やり遂げてくれたじゃないか」

「それがお仕事ですから」


 リッカは満面の笑みを浮かべた。

 もちろん目は笑っていない。

 イノリの鉄壁の笑顔に類するところはあるが、迫力はイノリ以上だった。

 クロムはドッと汗を噴出させながら、しどろもどろになる。

 さらにリッカの愚痴は続く。


「脳筋のくせに飴と鞭の使い分けがほんと上手ね。疲れた女を甘やかして、上機嫌にさせてから、無理難題。どこでそんな手癖を覚えたのかしら?」

「そ、そんなつもりはない。俺の気持ちはいつだって本気だ」

「あら? そうなの? とてもそうは思えなかったわ」


 その視線は氷点下のごとし。

 一騎は二人のやりとりを見ながら、隣りにいたオズにそっと尋ねる。


「……もしかしてお二人って付き合っているんですか?」

「本人たちは否定しているけどね」


「けど、そう見えるだろ?」とオズは苦笑を浮かべる。


「一つだけアドバイス。あの二人にその話は振っちゃダメだ」

「どうしてですか?」

「……クロムさんからは血反吐を吐くような地獄の猛特訓。リッカさんからはどこから手に入れたのか、俺が何時までおねしょをしていた――とか、どんなエロゲを購入している――とか……隠したい秘密をここのメインモニターで一週間、赤裸々に実況放送されたよ」


 どこか遠い目をして語るオズ。

 その時を思い出したのか、青白くなった肌に伝う一筋の涙を一騎は見て見ぬふりをした。


(うん。絶対に触れないでおこう)


 一騎だってお年頃。隠したい秘密の一つや二つはある。(もう、そのどれもが特派の高度なテクノロジーによって暴かれているわけだが……)


 そんな事は露とも知らず、一騎は取り繕うように咳払いをした後、本題に入る。


「ところで、どうして僕は呼ばれたんですか?」

「あぁ。それはね――」


 その時だ。


「ともかく! もう学校の事はいいです。私も学校に通えた事はそ、その……う、嬉しい……ですから。けど――」


 オズが本題に入りかけたところで、それまで蚊帳の外だったイノリが声を張り上げて、一騎に指を指した。


「この人と一緒に暮らすなんて絶対に出来ませんから!」


「……は?」


 聞き間違えだろうか?

 今、とんでもなく不穏な単語を聞いたような……

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