魔導装甲《イクスギア》

 衝撃が辺り一面をなぎ倒す。

 イノリが放った飛翔雷槌ひしょうらいついの衝撃により、周囲の建造物は軒並み半壊。

 イノリを中心に半径一キロ以内の場所に被害のない場所など存在しなかった。


 その爆心地の中心に佇む影はたった一つ。


 人の形からかけ離れた姿――目にした者全てに恐怖を刻み込む異形の怪物。


 《魔人》だった。


『グルアアアアッ!』


 雄叫びを上げ、《魔人》は周囲に散らばった破片を鬱陶しげに吹き飛ばす。

 その瓦礫の中には全身に傷を負い、動く事すらままならない銀髪少女の姿もあった。


「あう……」


 苦悶の声を上げ、《魔人》の放つ咆吼に為す術もなく吹き飛ばされるイノリ。

 隆起した岩に激突し、肺から大量の空気が漏れ出す。

 意識が軽く飛びかけるが、体全身を蝕む激痛がそれを許さない。

 イノリは血の混じった咳を吐き出しながら、ゆっくりとした歩調で近づく《魔人》を睨みつける。

 

 勝敗は誰の目で見ても明らかだ。


 度重なる衝撃がイクスギアの耐久値を大きく上回り、ギアの一部が破損。

 ギアを再び纏うことが出来なかった。

 しかも、特派が所持する中で最強の攻撃力を誇る《雷神トール》のイクシードが先ほどの衝撃でどこかに弾き飛ばされてしまったのだ。


 よしんばギアを纏う機能が無事だったとしてもこの《魔人》に決定打を与える手段がもはや存在しない。


 完膚なきまでの敗北。


 けど――


(……簡単には死ねないッ)


 例え万策尽きようと、勝つ手段ならまだある。

 イクスギアの本当の切り札を使えば、この《魔人》の能力にだって対抗出来るはずだ。


 覚悟はとうの昔に出来ている。


 イクスギアを纏って戦う事を決めたその日から。


 だから、イノリに迷いはない。


「く……あ……」


 イノリは僅かな魔力を振り絞って《アステリア》とギアとの間にパスを繋ぐ。

 ギアの中に格納されたイクシードの全てを空中艦アステリアへと転送したのだ。


 魔力粒子となったイクシードがパスを通して《アステリア》へと転送されていく。

 その粒子を見送りながら、イノリは歯を食いしばった。



 イノリの心にあるのは後悔と恐怖。

 まだ死にたくない――その恐怖は幼いイノリには到底拭える代物ではなかった。


 そして――


(謝れなかったなぁ……)


 胸の中にある願いが叶わない事に、イノリは激しく後悔していた。


 罵倒されても、殴られても、謝りたい人がいた。


 その内の一人とは再会する事が出来たのに、イノリはその機会を逃していたのだ。


 彼と再会できた喜び。

 でも、彼に対する不安や後悔の方が上回っていた。


 イノリの守りたかった大切な人。

 淡い期待を抱いていなかったと言えば嘘になるが、それでも彼には自分の事を忘れていてほしかった。

 だから言い出す事が出来なかった。

 平和な日常の中にいてほしかったから。

 もう二度と彼に――――なかったから。

 

 だからこそ、イノリは心の中で謝る。


(ゴメンね、一ノ瀬君。君を私達の事情に巻き込んで……君を傷つけてしまって……)


 謝っても到底許される事じゃないことくらいイノリもわかっている。

 一騎を傷つけたのは他ならなぬイノリ自身だ。

 イノリの抱く罪の意識は、一騎に与えた傷はただの言葉一つで消えるものじゃない。

 だから、守る。

 一騎を。一騎のいる平和な世界を。


(最後まで伝える事が出来なくてゴメン。でも……君の日常だけは絶対に守るからッ!)


 イノリはギアに搭載された最後のイクシード《人属性ヒューマン》に手をかける。


 これを外せば、もう後戻りは出来ない。

 堕ちるところまで堕ちるだけだ。

 


「――ッ! 怖くない、怖くない、怖くない、怖くない……」


(私が私じゃなくなっても、私がここにいた過去は残る……だから、今も、明日もいらない……)


 気力を奮い立たせ、イノリはイクスギアの最後に残ったプロテクトを解除しようとした。


 その時だった――



「やめろおおおおおおおおおおおおッ!」


 その場にいてはいけない男の怒声が響き渡り、イノリは後悔と自責の念に押しつぶされながら、振り返り、掠れた声音で呟いた。


「な……なんで、来たの……?」



 ◆



 アレだけは絶対にダメだ!


 一騎は本能のままにそう直感していた。


 《魔人》の咆吼で吹き飛ばされたイノリがギアから光の結晶を取り出そうとしていた。

 それが、致命的な何かであることを、一騎は察していた。

 

 いや、少し違う。


 教えてくれた――という意味合いの方が強いか。


 幻聴のように女性の声が頭の中で響くのだ。


 アレを止めろ――と。


 イノリを助けたいなら、イノリをイノリのままで助けたいなら、最後の一線を越えさせるな――


 だから一騎は叫んだ。


 力一杯。一騎の願いがイノリに届くように。


「やめろおおおおおおおおおおおおッ!」


 イノリが肩をビクンと震わせ、ゆっくりと振り返る。

 そして、涙交じりの顔を一騎に見せ、「な……なんで、来たの?」と言ってきた。


 一騎はそれを無視して、イノリの手を掴む。


「それだけは、ダメだ」


 イノリがギアに格納されたこの光の粒子を取り出せばどうなるのか、一騎には想像も出来ない。

 だが、取り返しのつかない何かが起こる――それだけは確かだ。


 だから、一騎はイノリの手をゆっくりとギアから放し、スライドされたイクシード格納庫を閉じた。


 イノリは我を忘れたように呆然とし、近づく《魔人》すら忘れ、一騎を見上げた。


「……どうして……来たんですか?」


 震え、掠れた声でイノリが一騎を問いただす。


 一騎はゆっくりと立ち上がると、目の前まで迫った《魔人》を鋭い目つきで睨みつけた。


「そんなの決まってる。君を守る為に、だよ」

「な、なんで……戦うのが怖くないんですか?」


 もちろん、怖い。

 一騎はそれが理由で、クロムの提案を一度断っているのだ。


 今だって《魔人》を相手にした途端、体の震えが止らなくなった。

 恐怖で失禁しそうだし、全身から噴き出した汗が今も止らない。

 正直、逃げ出したい気持ちで溢れかえっている。


 それでもここまで来られたのは幼馴染みの一言があったからこそ。


 胸の中で燻る気持ちに素直になれたからこそ、一騎は恐怖を上回る勇気を振り絞れたのだ。


「怖いよ。けど、それ以上に嫌だったのは気持ちに蓋をした事だったんだ。僕は助けたかった。守りたかった。僕の大切な人達を。もう何も奪われたくなかったから」


 過去の震災で両親や友達を大勢失った。

 これ以上、大切な場所を、友達を、奪われるのはもう沢山だ。


 この街や人も、イノリさんや特派のみんなを守れる力が僕にあるなら――


 戦えるのが僕しかいないのなら――


 一騎は体の中で暴れ回る力の本流に手を伸ばす。



「もう、迷わない。僕は戦う」



 一騎の決意に同調するようにギアが激しく明滅し、一騎の全身から黒い光が噴き出した。


「ダメッ! また、暴走するッ!」


 背後でイノリが声を枯らして叫ぶ。

 

 だが、一騎は冷静だった。


 いや、むしろ、この黒い光に包まれ、先ほどまで体を蝕んでいた恐怖が吹き飛んだのだ。


(大丈夫だ……この力があれば、戦える)


 戦い方はわかる。

 幻聴が教えてくれた。


 だから一騎は本能が促すままにイクスギアを掲げる。

 激しく明滅するギアは一騎の黒い光を全て吸収していく。


 次の瞬間――

 黒い光を吸い取ったギアが一段と激しく輝き、白銀の光を解き放つ!

 そして、ギアから溢れ出した白銀の光が繭となって一騎の体を覆ったのだ。


「嘘……ギアが起動……した?」


 光の繭を唖然とした表情で眺めるイノリの前で変身を終えた一騎が力任せに繭を突き破った。



 その姿は機械の鎧を纏うイノリのギアとは大きく異なる姿だ。


 武器と呼べるのは両腕を覆うガントレットくらいなもので、目立った武装はない。

 袖のないジャケット、そしてボトムスは白を基調としたものだ。

 

 イノリのイクスギアと比べれば明らかに装甲が薄い。

 けれど、一騎から放たれる威圧感はイノリを大きく上回っていた。


 そして、何より目を引くのは――その表情。


 優しげな面影がなりを潜め、どこか好戦的な笑みを浮かべている。

 髪も日本人特有の黒からかけ離れた白銀の髪と深紅の瞳へと変わっていた。


 一騎は拳を構え、《魔人》と向かい合う。


 これまでイノリに対し、警戒心をみせなかった《魔人》が初めて後退る。


「見せてやるよ。とこのギアの力を――」


 一騎が魔力を解放する。大気を震撼させるほどの魔力が辺り一面を駆け抜ける。

 負けじと《魔人》も咆吼を放つが、その衝撃は全て、一騎が放出する魔力に掻き消されていった。


 一騎はイノリを庇うように《魔人》と対峙すると――


未知イクスの力で、イノリを守るッ!」


 地面が陥没するほどの力を込めて、《魔人》へと拳を突き出すのだった。

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