目を逸らそうとも
朝。目障りなくらいに鳴り響く目覚まし時計を一騎は乱暴に止める。
初めて《魔人》と遭遇した翌日は呆気ないほどにいつも通りだった。
一騎は寝不足で痛む頭を押さえながら洗面所へと直行。
身支度を調え、パンを食べながらリモコンに手を伸ばす。
適当につけた番組は昨日の地震による被害を放送していた。
『――つまり、今回の地震による被害は学校の一部と公園に留まり、比較的被害は少なかったものと思われます。この地震による被害者の報告もなく――……』
なるほどな……
一騎はテレビを眺めながら苦々しい表情を垣間見せた。
テレビの中継に移る被害映像に見覚えがあったからだ。
そのどれもが《魔人》による爪痕だった。
昨日、クロムが言っていた事がいよいよ現実味を帯びてきて、薄ら寒いものを覚える。
「これがいわゆる超法規的措置ってやつなのか?」
情報の隠蔽は特派やそれに関わる政府関連の組織が行い、《魔人》の存在を表に出さないようにしている。
一騎のように《魔人》の存在を知ってしまった一般人には政府の監視の目が行き届く事になっているそうだ。
一騎はテレビから視線を逸らし、窓のカーテンをほんの少し開ける。
一騎の住む場所は学校からほど近い場所にある学生寮だ。
寮の周りには見慣れない黒塗りの車が何台か止っており、偶然にも車窓から一騎の部屋を覗く黒服の男性と目が合った。一騎は慌ててカーテンを閉めた。
「……僕にも監視の目があるんだ。こんなブレスレットまでしてるっていうのに……」
一騎は手首で鈍く光るブレスレットをまるで親の敵のように睨んだ。
《イクスギア》――《魔人》と戦う為に用意された兵器。
ギア適合者の資格を偶然にも得てしまった一騎は半ば押しつけられるような形でこのブレスレットを受け取っていた。
もっとも、ギアの外し方がわからず、そのままにしていた――という方が正しいのだが。
このギアには装着者の居場所を特派に送信するGPSのような機能がついており、さらには装着者の血圧や心拍、体温などのメディカルチェックに加え、音声や画像などの録音、録画機能。さらには特派との連絡など、かなり豊富な機能が備わっており、外の黒服だけでなく、このギアを通して特派の面々にも監視されているようなものだった。
この二つの監視の目は一騎のテンションを下げるのに十分な効果を発揮し、朝からげんなりした気分で学校へと向かうのだった。
◆
「ちょっと、一騎!」
教室に着くなり、
ドンと壁ドンされる一騎。立場が逆ならさぞかしロマンチックな光景になっただろうが、周囲の目は引き気味だ。
なにせ結奈が人前で怒る事など滅多にない。しかも血相を変えて怒鳴るなど、このクラスの誰も見たことがない。
因みに一騎も結奈をここまで怒らせたのは数えるほどしかなかった。
思春期特有の好奇心を抑えきれずに結奈の部屋に忍び込んだ時とか、寮の部屋に隠していたエロ本やエロゲーが見つかった時くらいなものだ。
一騎が結奈の態度に動揺していると、険のある声音が耳に突き突き刺さった。
「昨日、シェルターにいなかったでしょ?」
「え……」
「昨日、どこにいたのよ? ものすっごく心配したのよ?」
「あ、あの……それは……」
「携帯に電話しても出ないし……」
結奈の表情が怒りから泣き顔へと変わる。
結奈を含め、学校から家が近い住人は学校のシェルターへの避難が推奨されている。
想定外の被害が起こっても学校なら非常時の毛布や食事など蓄えがあるので、個人で所持するシェルターより安全なのだ。
一騎もこれまで学校のシェルターに避難しており、その時はいつも友瀬家と避難した後は合流するようにしていた。だから結奈は一騎がシェルターにいなかった事に気付いたのだろう。
「……ゴメン、昨日は別の場所に避難してたんだ。携帯も寮に置き忘れて……でも
もう大丈夫。次からはちゃんと学校に避難するよ」
「本当?」
「うん。本当」
一騎は特派の事を隠しつつ、適当な嘘を吐く。
結奈やお世話になった友瀬家にまで政府の監視が付くのは避けかった。
昨日見たあの戦いや特派の事は誰にも言いたくなかった。
言葉にすれば、あれが現実の事だったと認めたことになってしまう。
あれは悪い夢だった。そう思いたいのだ。
(もう僕には関係ない……)
一秒でも早く彼らの存在を――この世界の本当の現実を忘れ去るために一騎は取り繕ったように笑顔を貼り続けたのだった。
◆
『それで、状況は?』
ギアを通してクロムの野太い声が聞こえる。イノリは学校の屋上からそっと顔を覗かせた。
イノリのいる別館の屋上から一騎のいる教室まではそれなりの距離があり、普通の人間では教室の中まで覗くことは出来ない。
だが、イノリは――
「しらを切るみたいですよ」
教室の中だけではなく、まるで喧騒までも正確に聞き取ったかのような口ぶりで返事をしていた。
『そんな事は我々も知っている。俺は君の素直な感想を聞いてみたいんだが?』
「……」
途端、押し黙るイノリ。
ギアを通してイノリの表情を見ていたのだろう。クロムの含みのある笑い声をギアの優秀な集音器が拾っていた。
バツが悪そうにギアを手で覆いながら、イノリはもう一度教室を眺めた。
窓側の席に座り、真面目に授業を受ける一騎の姿。それを見たイノリの心境は実に複雑な物だった。
自分達を忘れようとする態度に腹が立つ。
目の前の現実から目を逸らす――そんな彼を見たくなかった。
けど、それがあるべき姿なのだ、と鬱屈する自分に言い聞かせていた。
他にも色々とあるが、全て纏めてしまえば――
「馬鹿みたい」
その一言に尽きる。
なぜ、わざわざ彼の監視をする必要があるのか――
そんな愚痴を含んだ回答でもあり、イノリの台詞を聞いたクロムは呆けたような声を発し、その後、大笑いした。
『イノリ君が誰かにそんな感情を抱くのなんて初めてじゃないのか? 成長したなぁー。俺たち以外の人と関わろうとしなかったイノリ君がそんな事を言うなんて』
「知ってるならこの任務から外して下さい。彼を見ているのは、その……苦痛です」
紛れもないイノリの本心だ。
一騎を見ているだけで胸が苦しい。
どうせ一騎はもう《特派》に関わる気などないのだろう。
なら、監視の目が一つ減っても問題ないはず。
これ以上、彼を監視するのは、正直、辛かった。
だが、そんなイノリの期待を裏切るように。
『ダメだ』
クロムが断言する。
『政府の目くらいならともかく、今の彼に俺達の目がないのは不安だ。何が起こるか分からん爆弾を放置するわけにもいくまい』
「そうですけど……ならギアの監視だけで十分じゃ……」
『……何度も言ったはずだ。いざという時、彼を止められるのはイノリ君だけだ』
「……」
『目をそらしたい気持ちもわかる。こうなった原因は俺達にあるからな。人間の《魔人化》など信じたくもない話だ。だが、起こってしまったなら俺達はそれに向き合う責任がある』
「わかってますよ……」
『本当なら、俺たちが見張るべきなんだろうが……』
それこそ無理だろう。とイノリは軽く嘆息した。
イノリを除いた特派のメンバーは空中艦から長時間離れる事が出来ない。
《魔人》と戦うのも、こうして一騎を直接見張れるのもイノリしかいないのだ。
最弱故に、この世界で《イクスギア》の纏い手として最強になったイノリにしか出来ない仕事。
「大丈夫ですよ。司令が心配する必要はありません。これは私にしか出来ないことですから……さっきのはただの冗談なので気にしないで下さい」
『ふむ……』
冷え切ったイノリの物言いにクロムは何か言いたそうに押し黙った。
そして逡巡するように言葉を濁しながらクロムは言った。
『だが、仕方ないにしても、こう遠くから監視するのも面白みがないな』
「はぁ……?」
監視に面白みが必要なのだろうか?
イノリの視力や聴力ならこの程度の距離など問題にもならない。それがわからないクロムではないはずだ。
生返事をするイノリに名案だとばかりに弾んだ口調で――
『うむ。やはり監視するにしてももう少し体制を整える必要がありそうだな。イノリ君、近々、配置変更をするからそのつもりでいたまえ』
「はぁ……」
クロムの異様なまでのやる気にイノリは戸惑いながら曖昧な返事で言葉を濁すのだった。
◆
後に、イノリは後悔する事になる。
この時、なんとしてでもクロムの質の悪い思いつきを止めておけばよかったのに――と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます