銀狼の爪
一騎だった銀狼の人型は容赦なく黒い異形を睨み、威嚇するように低く喉を鳴らす。
人間性を完全に失い、四つん這いで地面を掻く姿はまさに獣そのもの。
足は鋭利な爪が生えたことにより靴が裂け、使い物にならなくなっている。ズボンも尻尾が生えたときに破れていた。
一騎は鬱陶しげに上着を脱ぐとシャツ一枚の姿となり、『グルルゥ……』と唸る。
そして、唯一残された人間性――言葉で囁く。
『コロ……ス』
その瞬間、地面が爆ぜた。
普段の一騎からは想像すら出来ないほどの速度で、瞬く間に黒い異形との距離をゼロにしたのだ。
『ガアアアアッ!』
一騎はでたらめに爪を振りかぶった。
黒い異形の体が斜めに引き裂かれ、苦悶の悲鳴を上げる。
異形は振り向け様に黒い爪を突き出したが、一騎は驚異的な反射神経を駆使してその全てを紙一重で避けると黒い異形を回し蹴りで吹き飛ばした。
吹き飛んだ異形に追随し、さらに尻尾で打撃。
異形と同じ力――魔力と呼ばれるこの世界には存在しない力を尻尾に纏わせた打撃はまるで一本の剣。黒い異形の片腕を易々と斬り飛ばした!
『グギャアアアアア!!』
腕を斬り飛ばされた痛みに黒い異形はたまらず悲鳴を上げた。
断末魔のような叫びに、一騎は勝ち誇ったような雄叫びを上げる。
『グオオオオオッ!!』
そこから先は一方的な蹂躙だった。
片腕となり、動きが鈍くなった黒い異形を嬲り殺すようにいたぶる。
時には強靱な牙や顎を使って黒い異形を食い破り、爪で引き裂き、剛脚をもって蹴り飛ばす。
黒い異形は最初こそ残された片腕を駆使して一騎の攻撃を防いでいたが、次第にダラリと黒い異形の腕が力なく垂れ下がる。
そして――ついに黒い異形が片膝をついた。
一騎は狼のように黒い異形の周囲を徘徊しながら、舌をなめずり回す。
その姿にはもはや一騎が人間だった頃の名残は一切無かった。
そして、
一呼吸もおかず、疾駆の速さで黒い異形に肉薄すると――
鋭い剣幕を浮かべたまま、一騎は尖った爪を剣のように見たて、黒い異形の中心を刺し貫いたのだ!
『グギャ……ッ!』
くぐもった断末魔が黒い異形から零れる。
一騎は躊躇なく、胸に突き立てた爪を体の奥深くまで捻り込む。
傷口から噴き出した赤黒い血が一騎の全身を染め上げる。
その時だ。
トンッ。と軽やかな音をたて、一騎たちのすぐ側に降り立つ影。
「う、嘘……!?」
可愛らしい少女の驚愕に満ちた声音が一騎の最後の一刺しを押しとどめた。
誰だ――?
残された僅かな理性が一騎を振り向かせる。
その少女には見覚えがあった。
銀髪、碧眼……そうそう忘れない特徴のはず。
ああ。思い出した……
学校で戦っていた女の子じゃないか。
肩で息をしていた少女は青ざめた表情を浮かべ、一騎たちを唖然と見つめている。
よくよく見れば彼女が身に纏った鎧の各所には亀裂などの破損が目立ち、彼女自身にも裂傷などの傷が多数あった。
けれど、痛みも疲労も表情に出さず、彼女は一騎に向かって鋭い視線を向けたのだ。
「……その手を退けて。今すぐに」
『ナニヲ、イッテル……?』
「いいから速くッ」
少女は険のある表情と怒りのこもった言葉を一騎に投げつける。
彼女から放たれる威圧感に一騎は思わずたじろぐ。
獣になった一騎の第六感が警鐘を鳴らしたのだ。
あの女は危険だ――
この黒い化け物よりも、もっと強い化け物だ――
『グルオォォォォォォッ!!』
本能が命じるままに一騎は吠えた。
大気を揺るがすほどの咆吼だ。
少女の髪が激しくなびき、崩れかけた鎧がさらに欠ける。
だが――
一騎の威嚇に怯える事もなく、少女はどこからともなく銀色の槍を取り出した。
身の丈以上ある白銀の槍は目立った装飾も飾り気もない。
先端は三つ叉に別れており、柄をグルンと反転させ、白銀の少女はその切っ先を一騎へと向けた。
真っ直ぐに碧眼の瞳が一騎を射貫く。
そこには一切の容赦も油断もない。
――逃げるしても、戦うにしても、この黒い異形は邪魔だ。
嬲る事を止め、一騎は突き刺した腕をさらに深く突き立てる。
そして、黒い異形の中に埋めた手が何かを掴んだ。
それは、黒い異形にとって命そのものともいえる核。
知識にはなくても、一騎は同族として、その核が急所である事を本能的に理解していた。
だから――
「や、止めてッ!!」
慌てて少女が叫ぶが、それよりも速く、一騎は黒い異形から核を引きちぎり出した。
血のように赤い返り血を浴びながら握りしめた核は青い輝きを放っていた。
「あぁぁああああああッ!!」
水晶のように光輝く核に目を奪われた一瞬、少女が三叉に変形した槍を一騎に向かって投げつけてきたのだ。
一騎が最後に見たのは白銀に輝く槍の先端。そして、涙を流し、一騎を睨む――彼女の泣き顔だった――
◆
黒い異形だった《魔人》が光の粒子となって消え去っていく様をイノリは悲痛な面持ちで見続けた。
程なくして光が消え、傍らには人の姿に戻った一騎が気を失って倒れ伏していた。
周囲を見渡せば、一騎が守ったと思われる小さな子供が一人。その子もまた一騎と同じで意識を失っているようだ。
イノリは倒れた一騎に近づき、膝を折ると一騎の手から青い宝石を奪い取る。
それを腕に装着したブレスレットに吸収させてからイノリは通信回線を開く。
「――司令」
『イノリ君か? 《魔人》はどうなった?』
「能力は無事に回収出来ました。ですが……」
そこから先を言葉にする事に躊躇いを覚える。
イノリのただならぬ様子を察してか、本部が沈黙に包まれた。
『そうか。我らの同胞がまた……』
途中からイノリの声も途切れ途切れになる。
それでも、イノリは涙を押し殺し、もっとも重要な問題を口にする。
「司令、ここで二体の《魔人》が観測されていたんですよね?」
『うむ。今は二体とも反応が消失している。イノリ君が封印したのではないのか?』
「違います。私が駆けつけた時、《魔人》同士で戦っていました」
『《魔人》どうしで? そんな馬鹿な……』
「一体は普通の《魔人》だったんだと思います。ですが、もう一体は……」
イノリはチラリと一騎に視線を向け、ゴクリと生唾を呑み込み、
意を決して告げたのだ。
「――人間、でした」
『なん……だと……!?』
通信越しでも司令が息を飲む音、そして本部が騒然とした音が聞こえてくる。
これから起こるであろう波乱の予感にイノリは拭えない不安を抱くのだった。
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