白銀の少女

「え……?」


 呆けた表情を浮かべ、一騎はスピーカーから流れる警報に耳を傾けた。


 災害前と今で大きく異なる点。それは日本が傀儡国家となっただけではない。

 日常生活に大きな影を落とす事になったそれは――大災害警報だ。


 本州大震災の影響で、日本の地盤が歪み、相次いで震度七にも匹敵する地震が頻発するようになった。

 新政府はこの地震に対処する為に、各地に堅牢なシェルターを建設。警報を鳴らすと同時に、シェルターへの避難を呼びかけるようになった。


 大災害を経験してか、住人のほとんどが素直に警報に従っている。


 誰も興味本位で残ろうとはしない。

 当然だ。

 警報を無視して現地に残った住人は、例外なく災害に巻き込まれ、死んでいる。

 誰だって死にたくない。

 一騎だって同じだ。

 すぐさま踵を返し、学校のシェルターへと足先を向けるのだった。



 ◆



 寮を飛び出し、体力のない一騎が大通り出るころにはすでに人気がなくなっていた。

 ここから一騎のひ弱な体力で学校のシェルターまで走ったとしても、十分近くは要するだろう。

 政府が警報発令からシェルターへの避難推奨時間は二十分。

 正直、ギリギリだ。


 幼い子供でも走れば二十分以内に辿り着ける間隔でシェルターは設置されているのだが、一騎の体力はその幼い子供と同程度しかない――という事になるのだろう。


 

 学校のシェルターへと急ぐ矢先、一騎はどこかですすり泣く子供の声を耳にする。


「子供……?」


 足を止め、周囲を見渡し、息を呑んだ。


 電柱に隠れるようにして、まだ十歳にも満たない男の子が泣いていたのだ。

 大方、避難の途中で親と離れ離れになってしまったのだろう。


 一騎は早く避難したいとはやる気持ちを抑え、その子供に駆け寄る。


「大丈夫? 君、お母さんは?」

「……は、はぐれちゃった……」


 やはりか……

 一騎は嘆息した。

 この辺りにはもう人は残っていない。この子の母親もすでに学校のシェルターに避難しているだろう。


 この子の母親も当然、子供とはぐれた事には気付いているだろうが、探しに来る可能性は低い。

 政府が用意したシェルターは一度入ると政府が許可しない限り外に出る事が出来ない仕組みになっているからだ。

 安全確認が行われるまで、住人はずっとシェルターに閉じ込められたままになる。

 探しに行きたくても探しに行けない。

 子供が自力で学校まで辿り着ける事をただ願うしか出来ないのだ。



 人影のない町に小さな子供一人。

 あの大震災で、誰かに『死ぬな』と『生きろ』と言われた手前、簡単に命を放り投げるわけにも、そして、見捨てるわけにもいかなかった。


 一騎は腹をくくる。


「君、シェルターの場所はわかるかい?」

「……わかんないよ……」


 ここから急いだとして一騎の足で学校まで十分はかかる。警報が鳴ってから既に十分近くが経過していた。

 避難推奨時間は警報が鳴ってから二十分以内。

 この子の足では到底間に合わない。

 かといって一騎も少しばかり急がないと地震に巻き込まれかねない状況だ。


(子供一人背負って間に合うか? 僕の体力で?)


 正直、心許ない。だが、やるしかなかった。


 一騎は子供の前で屈むと、背中を向ける。


「お兄ちゃん……?」

「乗って。時間がない」


 端的に目的だけを告げる。

 その子は一騎の意図を理解したのか、一騎の背中に負ぶさった。

 お尻を抱え込み、腰に力を入れて立ち上がる。


「うぐ……お、重ッ!!」


 予想以上の負担が両足にかかり、思わずうめき声を上げる。


 小さな子供とはいえ、その重量は三十キロを超える。

 大きな段ボール一つ運ぶだけでも体が悲鳴を上げてしまう一騎に抱えきれる重さではなかったのだ。


 すぐに後悔が押し寄せる。


 だが、一騎はこの後悔を必死に呑み込んだ。

 理由は単純。

 背中ごしに子供が「お兄ちゃん、大丈夫?」と心配そうに覗き込んできたからだ。

 一騎は必死に笑顔を貼り付けて「大丈夫だよ」と答える。当然、嘘だ。


(今日は重いものを持ってばっかりだな……)


 どこか呆れたようなため息と共に、一騎は全身に力を込めた。


「いい? しっかり掴まってるんだよ」


 しっかりと子供を抱きかかえ、一騎は人気の無くなった町中をひた走るのだった。





 学校が見えてきたのはそれから十五分も経った頃だった。


 何とか時間までには間に合うだろうという一騎の目論見は開始早々、一分で潰えていた。

 すぐさま体力に限界が訪れ、子供が歩くよりも鈍重な歩みで、息も絶え絶えに目的地を目指す羽目になったからだ。

 途中、抱きかかえるのが困難になり、子供を下ろし、手を引く形で連れてきたが、それでも子供が歩く方が速く、学校のシルエットが見えると、逆に一騎が手を引かれる形となった。大人の面目もない。情けなさすぎる姿だった。


「お兄ちゃん、ほら頑張って!」


 子供は必死に一騎を引っ張りながら、声をかけ続ける。

 もう、どちらが迷子なのかわからない。

 息切れで明滅する視界の中、それでも一騎は歩みを止めない。亀のように遅くとも、この子供を学校に連れて行く使命感だけが一騎の鉛のような重い足を動かしていた。


「ああ、頑張る。お兄ちゃん頑張るから、もっと優しく……」


 一騎の体力などまるで考えない子供の強引さに目眩を覚えながらも一騎は子供に虚勢を張った笑みを浮かべる。こうなれば意地だ。

 死力を振り絞ってやっとのことで校門にさしかかった時。


『グオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』


 獣のような雄たけびが鼓膜を振るわせた。

 二人して肩をビクッと竦ませる。


 何か……いる。

 一騎の本能がけたたましく警鐘を鳴らす。

 その時。ドスンという音がすぐ近くで聞こえた。


(なんだ……?)


 一騎のすぐ後ろだ。

 一騎の前で手を引いていた子供は青ざめた顔を浮かべ、失禁していた。

 握った手が否応なく震える。

 一騎は錆びついた機械のようにゆっくりと首を動かし、背後に現れたソイツを見つめた。



 それは、黒い、人の形をした何か――



 まるで影が形を得たかのような黒い人型だ。

 だが、人と言い張るには些か無理がある。

 手は肘から先が剣のように鋭く、尻には黒い尻尾。頭の上には黒い獣耳が生えていた。

 黒に染まった顔には紅い目と裂けた口だけがあり、表情らしきものは一切ない。

 全長は三メートルにも及ぶ。一騎が見上げた直後、その影は一騎を見下ろす形で見つめ、咆吼した。


『グオオオオオオオオオオオ!』

「「おあああああああああああああッ」」


 子供と一騎の悲鳴が重なる。

 力尽きた筈の体力が漲り、一騎は体に鞭打って子供を抱きかかえ全力疾走。

 目指すはシェルターだ。

 だが、そんな一騎の目論見はあっさりと崩れさった。

 その巨体と重量からは到底考えも及ばない身軽さをもって、その異形は跳躍。

 一騎とシェルターの間に躍り出たのだ。


 そして、その異形は怯える二人を見て、嘲り笑うと――

 剣のような腕を振り回し、一騎に殴りかかってきたのだ。

 一騎には速すぎて、異形が何を振り回したのか、そして、自分がどうなってしまうのかを想像する時間も余裕もなかった。


 ただ、立ち尽くし、その異形に刺し貫かれる――


 一騎は訪れるであろう未曾有の衝撃に瞼を閉じ、歯を食いしばった。


 ―――――――

 ――――

 ――


「……あ、あれ?」


 だが、何時までたってもその衝撃は訪れない。


 ――なんでだ?


 ゆっくりと目を開けた一騎に飛び込んできたのは黒ではなく銀。


 銀色の髪を靡かせた碧眼の瞳の少女が見るからに怪しい恰好で、その黒い異形と戦っていたのだ。


「……君、速く逃げて!」


 銀髪の少女は片目だけを一騎に向けると、叱責するように言い放つ。


「――ッ!?」


 彼女の言葉で、恐怖の硬直が解けた一騎は、異形と少女の真反対――街中に足先を向け、そのまま振り返ること無く走り去ったのだった――



 ◆



「――司令」


 銀髪碧眼の少女は耳につけたインカムを通じて、直属の上司に指示を仰いだ。

 インカムを通して野太い男の通信が入る。


『どうした、イノリ君?』

「一般人を発見しました。二人です」


 イノリと呼ばれた少女は、警報が鳴り終わり、人気の無くなった町で、なお一層目を引く恰好をしていた。

 彼女の首から下を青いスーツがまんべんなく覆っている。顔は剥きだしだが、両耳にはヘッドフォンを連想させる大きめのインカムが装着されていた。

 また、白と青を基調としたスーツを覆う鎧ともいえる防護服を身に纏った姿は、どこか騎士を連想させる。

 腰には大仰な腰当てが左右に展開され、青白い光を放出している。太股の半分は露出し、レザーブーツと股間の間にはこれといった防護スーツはない。


 甲冑と呼ぶには頼りない装甲を身に纏った少女。それがイノリだった。


『なに? 一般人だと!?』


 インカム越しに、男は驚いた声を発してた。

 イノリたちの任務は極秘扱い。この世界・・・・の住人に知られてはいけない類いの任務だ。

 背中越しに会話していたので、イノリの素顔は見られていないだろう。

 だが、問題はそこじゃない。


「はい。二人は街中に向かいました。シェルターへの避難がまだ出来ていません。報告にあった《魔人》は確か二体でしたよね? 一体は目の前にいます。もう一体の正確な場所を教えて下さい」


 イノリは目の前で牙を剥き出しに威嚇してくる黒い異形を見据えながら、右手の手首に装着されたブレスレットを左右にスライドさせた。

 ブレスレットの中には菱形状の宝石が装填されており、ブレスレットをスライドするのと同時に、その宝石が排出され、光の粒子となって消えていく。

 そして、その宝石とは異なる輝きを放つ宝石を取り出したイノリは、スライドされたブレスレットへと装填した。


 その瞬間、ブレスレットが光り輝き、スーツの色が変わる。

 青と白を基調とした甲冑が光の粒子となって分解され、一瞬にして黄色と白を基調とした甲冑へと変化したのだ。


 それだけではない。

 バチバチッ! とスーツが放電を始め、イノリの周りに九つのプラズマボールが形成されたのだ。


換装シフト――雷神トール


 イノリはプラズマボールをたぐり寄せ、右手で掴む。球形だったプラズマボールは一つに纏まり、イノリの手の中で別の武器へと生まれ変わる。


 それは巨大な槌だった。

 雷で形成された巨大な槌を大きく振りかぶりイノリは黒い異形と対峙する。

 イノリが臨戦態勢を整えたのと同時に、ノイズまみれのインカムから司令の声が聞こえた。


『ま……いイノリ君! 二人……先に……いる!』


 途切れ途切れの声にイノリは眉を歪ませた。

 

「司令? よく聞こえません」

『雷神の……だ! 電波障害……!』

「あーなるほど」


 そう言えば、そんな注意事項を受けていたような気がする。

 雷の力を操る雷神の能力は電子機器に影響を与える。

 《魔人》と戦う為の鎧――《イクスギア》にすら影響を与えるほどの強力な磁場だ。

 使えばほんの数秒、本部との通信が出来なくなる。


 すぐにギアが雷神の磁場を打ち消してくれるが、途切れ途切れの内容はイノリに一抹の不安を抱かせるには十分すぎた。

 焦った司令の声。

 そして、『二人の先』という言葉。

 最悪の展開を予想してしまい、嫌な汗が噴き出す。

 ジリジリと黒い異形と対峙しながら、イノリはインカムの復旧を待つ。

 そして――


『イノリ君! 二人の先に《魔人》が一体――いや、二体、だと……!?』

「え……?」


 予想をはるかに上回る最悪の事態がイノリの耳に飛び込んできた。

 思わず耳を疑う。


(嘘!? だって、《魔人》は二体だって……)


 目の前にいる黒い異形。そして先ほど逃げた少年達の前に現れたもう一つの異形。

 なら、新しいもう一体はどこから?

 

 考えている暇はない。

 もうこれ以上、《魔人》による被害を増やすわけにはいかないのだ。

 イノリは焦る心を落ち着かせ、槌を握りしめた。


「すぐ、彼らの救助に向かいます! 本部はバックアップの準備を!」

『うむ、任せたまえ!』


 野太い声が力強くイノリを激励する。

 イノリは槌を大きく振り回し、遠心力を上乗せした雷速の一撃を振るうのだった――

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