第3話
その日は結局、不良の3人組を退治したという結構大きな出来事があったのにも関わらず、伊織は誰にも誘われずに、一人のまま学校から帰った。「なんか、納得いかねえなあ。」と呟きながら。
友達の伊達君を誘って帰ろうとしたのにも関わらず、今日は彼女とデートがあるからと爽やかに断られたのはちょっと癪だが、それは彼女がいない伊織が悪いと言いくるめられたので仕方がない。
そんな訳で、伊織は電車を待っていた。3時29分に来るらしいから、後7分ほどで電車は来る。電車を待つ10分とかの時間は今の伊織にとっては退屈な時間だ。ケータイが壊れてしまったせいで。何故か、公園で荷物を広げていた日以来、ケータイは壊れたままだ。理由はよくわからないが、家に帰ってくるとケータイにリンゴのマークは浮び上らなかった。壊れたのもショックなのだが、それ以上に今の伊織の頭を悩ませているのは、お金だ。修理代がいくらかかるかは分からないが、一人暮らしをしている伊織にとっては月の初めに何も考えずに、漫画や小説を買い漁ってしまったことから、残されているお金は多くはない。
「ねえ。」
だから、真剣に悩む伊織にはその声は聞こえずらかった。
「ねえ。ねえ!いっくん!」
大きな声と同時に、耳を引っ張る女性。そこにはツンとした顔をして、伊織の幼馴染である綾乃が立っていた。
「な、なんだよ?」
ただ、伊織は少し不思議がっていた。確か、教室で京介が言っていた気がする。今日は綾乃と遊びに行くとかなんとか。だったらなんで綾乃はここにいるのだろう。
でも、肝心の幼馴染はそんなことより他の事が気になっている様子だった。
「なんで、私のこと無視するかな?」
「無視?」
伊織は自らの記憶を思い返す。伊織は綾乃のことを無視なんてしたことはない。
「今!今もそうだけど。いっくん、私の連絡見てないでしょ!」
怒った様にして、喋る幼馴染に
「あー。それか。」
「それかって何よ?まさか、気づいて無視してたの?」
綾乃はコロコロと表情を変えながら、話す。
「ケータイ、壊れたんだよ。」
「へ?」
「いや、この前ケータイ壊れて。っていうか、なんか大事な用があったのか?」
「な、ないけど。」
「で、でも壊れてたなら、早く言ってよ。」
「いや、お前、話しかけようとしたら嫌がるし。」
電車の警報の音が響いて、綾乃は女子高生らしく、アクセサリーだらけの肩にかけていたバックをわずかに持ち直す。
「そんなの当たり前でしょ。あからさまに男子と仲良くしてる奴がいたら、目立って浮いちゃうじゃん。」
「そういうもんなのか?」
綾乃は伊織を見て、憮然とした表情。
「そういうものなの!」
「へー」
だけど、伊織はそんな綾乃の視線に気づかないまま、たった今、警報を鳴らしながらやって来た電車に乗り込む。綾乃も先に乗り込んだ伊織を追いかけるようにしてその磁石の塊に乗り込む。
そうして、二人で並んで電車の座席に腰掛けていると、綾乃は伊織に話しかけた。
「ねえ。」
「うん?」
「さっきの話なんだけど。」
「別に俺は邪魔しないぞ。」
伊織にとって、綾乃は大切な幼馴染、という以上に伊織は綾乃に好意を抱いているのだが、別に綾乃をどうこうしたいとは思ってない。綾乃が話しかけるなと言うなら伊織は話しかけないし、綾乃が伊織を踏みたいなら伊織は喜んで踏まれる。そう考えると、伊織はどちらかといえば、受けのタイプなのかもしれない。
「そうじゃなくて、なんでいっくんはそんなやる気ないの?」
「何が?」
「クラスでの立ち位置っていうか。中学の時もそうだけど気にならないの?」
「まあ、別にな。疲れそうだしな。」
「疲れるからって。」
綾乃は呆れたような表情で伊織を見ては、はあと溜息をつく。
「まあ、もう揉めるのはこりごりだから静かにしとこうとは思うけど」
「ほんとだよ」
「それに、友達がいたら充分だろ。」
確かにみんなに常に囲まれる人気者というのには憧れる。要するに陽キャというやつだ。でも、京介を知っている伊織からしたら、本当の人気者というのは、作り上げるものではなくて、自然にそうなるものなのだ。
「まあ、そうだけど。」
「っていうか。」
まだなんか言いたい事がありそうな綾乃を抑えつつ、今度は伊織から聞きたいことを綾乃に聞く。
「京極はどうした?」
「京介君?」
「そう。今日、綾乃と予定があるって言ってたから。」
教室に3人組が来た時に、「綾乃と予定があ〜」とか言っていた。どんな相手にも誠実な京介だから、3人組に対しても嘘を言った訳じゃなかったと思ったのだが、それは伊織の気のせいだったのだろうか。
「え?でも、私聞いてないよ。」
「あ、そうなんだ。」
「いっくん、なんか知ってるの?」
「知ってるも何も、京極がお前と予定あるって言ってたから。」
え?と訳の分からないような表情を浮かべている綾乃に伊織はガシガシと頭を掻く。
「とりあえず、ケータイ確認してみたら?」
基本的に、高校生なら連絡はケータイでだ。むしろ、口頭で言う方が少ない。体育をやる場所も黒板には書いてなくて、グループに書いてあるみたいなことも稀ではない。
そうして、綾乃は「うわ!最悪!いっぱい来てる。」と言いながら、ぽちぽちとそのスマホを操作し始めた。すると、必然的に手持ち無沙汰になった伊織の視線は綾乃のケータイにいって、その画面を見る事になる。そうして、その綾乃の画面を覗き込んでは一言。
「なんか、大変そうだな。女子高生。」
伊織に見えたのはたくさんの未読通知が溜まったアプリのアイコンの表示。ただ、当の本人はというと、伊織の皮肉にも構ってる暇がないほど、返信が忙しいらしい。
「別に普通だし。ていうか、人のケータイ見ないで。」
綾乃は自らの体でケータイを隠すようにする。
「見られたら困るの?」
「困るっていうか、見るものじゃないでしょ!」
「そうですか」
「何、そのやる気のない返事?」
綾乃はケータイをいじるのもやめて、伊織を見て。
「あのね、いっくんは関係ないかもしれないけど。未読スルーはダメなの。」
「未読スルー?」
伊織は顔に疑問を浮かべて、綾乃はというと人間を見ているとは思えない引き攣った表情でそんな伊織を見つめる。
「そこから分かんないの?」
「何が?未読スルー?」
「そう。本当に同い歳?」
「うーん。まあ、既読スルーなら分かるけど。」
「なんか、いっくんもう可哀想。」
「え、そんなになのか?」
ほんと、信じらんない!とか言って、また返信を返す作業に綾乃は移行する。
「だから、誰かに返信したら、みんなに返さなきゃダメなの。」
「返信しなかった誰かにバレるから?」
「まあ、それもあるけど。」
と、綾乃は浮かない表情で言いながら。
「返信、遅くて嫌われるのは嫌。」
「へー。」
そうして、しばらくの綾乃が返信を送る時間が続いた後、綾乃はやっぱりかというような表情で伊織に向き返った。
「京介君から連絡来てる」
「なんて?」
「もしよければどこかに行きませんか?だって」
「なんで敬語?」
「そんなの分かんないよ」
「で、行くの?」
「どうしようかな」
綾乃は素早く京介に返信を送りながら、
「いっくんは?」
「え?」
「いっくんは行くよね?」
「何に?」
「京介君に誘われたから。」
遊びの約束だろうか。
「あ、いいよ。俺は」
「え?行かないの?」
綾乃は驚いた表情で伊織を見つめる。
「うん。今日はいいや」
「なんで?」
「まあ、用事かな。」
「本当?」
「嘘ついて、何のメリットがあんだよ。」
「まあ、そっか。じゃあ、私、どうしよ。」
「行けばいいじゃん」
「でも・・・・」
「京極も喜ぶだろ」
否、これは嘘だ。用事なんかないし、お金はあんまり無いが、別に幼馴染の二人は散財するようなタイプでは無いし、伊織の財政面に関しても気を使ってくれるから、行く事に関しては表面上は何の問題も無い。だから、行きたく無いのは内面上の問題だ。
「いっくんはなんでそんなやる気無いの?」
「何が?」
「その・・・、人付き合いとか。私、聞いたけど、いっくん部活でも適当なんでしょ。」
「別に、そんなつもりは無いけどな。ただ、やっても無駄だよな」
伊織はただ、選別しているだけだ。そうしたら、残ったのが友達3人しかいなかったというだけで。だから、結局
「俺の性格のせいだろ。」
と、話をまとめた。
「まあ、いっくんがそういうのに興味ないのは分かってたけどさ」
綾乃もケータイをいじるのを再開して、
「付き合ってやろうとか思わないの?」
「誰が?」
「いっくんが私と」
その言葉を聞いた伊織がじろっと綾乃を見ると、綾乃は少したじろいだ表情で後ろに下がる。可愛い。
「い、い、いや、まあ、もちろん、他の人でも良いんだけどね。そのいっくんでも彼女とか欲しいのかなって。」
「そうだな」
と、伊織は頷いてから。
「彼女は欲しい」
「え?」
「でも、恋愛はめんどくさいって感じかな。」
「何それ?ダメじゃん。」
綾乃は少し笑って、伊織がまるで何と言うか分かっていたかのような表情を浮かべる。
「そもそも、俺の事を好きな奴なんているわけないしな」
プーという音が鳴って、電車が止まる。そうして、外を見ればそれは伊織が降りる駅。
「じゃあ、俺は帰るわ。また明日な。」
「え?ちょ・・・ちょっと!」
そういって、伊織は体を反転させて、そそくさと電車を降りて、駅のホームをポツポツと歩き出した。
思えば、この一ヶ月で随分と周りの人を避ける技術が上がったものだ。群れなす人の中を左に右に、もし目の前に人が立ったら、さっと後ろに下がって、その人道を譲れば良い。
しかし、そうやって、上手く歩いていた伊織のその目の前に立った女子高生は全然どいてくれなかった。
様子がおかしいと思って、前を見るとそこには息を切らした少女。というか、さっきまで話してた女の子。
「何してんの?綾乃。」
「こっちのセリフなんだけど!!」
「何で勝手に帰るの?話、終わってないのに。」
「俺の中では終わってたんだけど。」
「そんな事やるからいっくんモテないんだよ?」
「ええ?」
「ええ?はこっちのセリフだから!!」
「そうだな」
伊織はそんな感じで頷いて家の方向へ。
「ちょっと!聞いてないでしょ。」
綾乃はパタパタと伊織の方を向いて、走ってくる。その様子はとても可愛くて、やっぱり綾乃が好きだという事を自覚する。だからこそ困っているというのが難しい問題である。
「だいたい、いっくんが一人ぼっちなのがダメなんだよ?この前の美術の時間とか一人で鏡置きながら描いてたじゃん。あれ凄い目立ってたからね!」
出席番号が前後の人とやって下さいと先生が言った時は、別に困らなかったのだが、いざ描く段階になって、伊織のペアの筈の女の子が全然違う人と絵を描いてた時は困った。結局、どうしようもなかった伊織は美術室の大きな鏡の前に座って、自分の顔を描いていた。
「あれ、びびったよな。」
「びびったとかじゃないでしょ!」
「エミちゃんとかもさすがにひいてたからね?」
「エミちゃんって誰だ?」
「同じクラスの子は覚えてよ!中学も一緒だよ!」
だけど、伊織はそれには答えず、綾乃が左に曲がろうとした十字路の右に体を向ける。
「っていうか、京極は?」
「あー。断った。」
「え?」
「いっくん行かないんでしょ?そしたら、京介君も別にいいやみたいになったから。」
「そりゃ悪いことしたな。」
「本当にそう思ってる?」
「思ってまーーす。」
「もう!」
綾乃の頬はぷんと膨らんで、怒ったような表情を浮かべる。ちょっとあざといようなその様子も綾乃くらい可愛い女の子になると、もう腹も立たないみたいだ。
「だから、代わりにいっくんの家に連れてって。」
「え?」
「え?」
驚いた顔を二人で見合わせてから、伊織が先に口火を切った。
「俺の家ですか?」
「そうだけど。ダメなの?」
「いや、ダメじゃないんですけど。」
とはいえ、伊織はなんだか浮かない表情。
「もしかして、私が可愛すぎて緊張してるのかな?」
「むふふ?」とか言いながら変な顔をしながら近づいてくる綾乃に、
「緊張っていうか、スリルの方なのかな?」
「え?」
「いや、別に俺はどっちでも良いんだけど。綾乃が別に気にしないっていうなら良いんだけど。」
「ちょっと!ちょっと待って。」
ジロっとした視線が伊織を通り過ぎて、
「もしかして、そういうの?」
「そういうのって?」
「高校生っぽくない?」
「まあ、そうと言えばそうなのかな。」
「え?その、そういうのは・・・・」
モジモジとしている綾乃をみて、伊織は
「じゃあ、また明日な。」
「ちょ、ちょっと、説明していってよ。」
伊織は綾乃をおいて、去っていく。だけど、「何なの。」とか呟きながら、少し嬉しそうに笑みを浮かべて伊織のことを見ていた綾乃は、伊織が帰り道の公園に入ろうとした瞬間に、急にその表情を愕然としたものに変えた。
「今、消えなかった?」と驚いて。
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