第2話 

新田 伊織は自らのことをどちらかといえば、人生の勝者だと思っていた。嘘ではなく、本当に。容姿こそ自信は無いが、そこそこの家庭環境に、可愛い幼馴染。まあまあの水準にある部活と勉強。とはいえ、後者は置いておいて、前者の幼馴染は伊織の同級生にとっては本当に羨ましいものだった。


宮本 綾乃という綺麗な少女は伊織の幼馴染だ。まだ、入学して半年そこそこしか経ってないなのにも関わらず、告白する人が後を断たないほどに。


まあ、綾乃はそんな美少女であるからクラスの中でも冴えない伊織に対して、毎朝起こしにきてくれるとか、毎晩ご飯を作りに来てくれるなどという夢みたいな事はない。


それでも伊織はそんな可愛らしい幼馴染のことが好きで、綾乃を見つめているだけでも充分に幸せだった。


という訳で、伊織は今日も一年A組の一番端の席、もう伊織の定位置となってしまった、窓側の一番後ろの掃除道具箱が真後ろにおいてある場所で、既にクラスの中心となっている綾乃を見つめていた。


「いやいや、キモいって。」

「何が、人生の勝者だよ。こんな教室の端から眺めている時点でおもいっきり負けてんじゃねえか。」

「うるせえ!恋愛っていうのは、順序が大事なんだよ!今はまだ序盤。焦って動いても良いことがねえんだよ。」

「いや、幼馴染だろ?もう10年以上一緒で今さら、序盤って。お前、面白いな。」


伊織に話しかけていた二人の少年は楽しそうにギャハハと笑う。だけど、伊織はそんな二人の様子を見て、ゆっくりと口を開く。


「笑ってんじゃねえよ!!今の何が面白かったんだよ?」

「なんていうんだろうな。自虐ネタをしてる訳じゃないのに、自然に自虐してる所かな?」

「僕は人生の勝者あたりから充分に面白かった。」

「恋は戦争なんだよ!戦略なんだよ!」


話しかけている二人は、伊織の中学校からの友達で、高校も一緒になった二人で、名前を伊達と紫宮。だから、伊織のこともよく知っているし、伊織の綾乃に対する思いも知っている。


「てか、宮本はどう思ってんだろうな。」

「僕もわかんないけど、友達くらいじゃないの?」

「最近、全然話してないよな」

「うぐ。」


伊織と綾乃は世間一般的な幼馴染では無い。別に、毎朝迎えに来るとかは無いし、部活も全然同じでもなんでも無い。なんなら一週間に一回、話せば珍しいほど。ちなみにもう一つの情報を足すと、少し前である中学三年生のバレンタインは貰えていない。


「それはもう無理なんじゃ無いのかなあ。」

「脈無いな。」

「うるせええ!まだ、終わってねえだろ。」


時刻は昼休みで人はまばらな感じで散らばっている。だいたい高校入学からそこそこも経てば、休み時間のクラスの立ち位置はだいたい決まっていて、女子の中心グループは伊織の列の前の方に固まってて、男子は女子ほどグループ分けがされてる訳じゃないが、それでも一応は教卓の前に集まっている。


伊織の場所はというと、教室の端っこ。担任の女の先生が伊織達、一年A組に自由に席替えをさせてくれた時にその席替えを仕切っていた女子にその席を与えられた。最初は良い席を与えられたものだと思っていたのだが、どうもクラスがこういう配置になってしまうと、この席は別に良い席ではないらしい。


とはいっても、クラスでの立ち位置なんていうのはどうでも良い伊織にとっては、外が見えるこの席はすごく良い位置だ。クラスの話題から除外されている事を除けば、後ろに誰もいないからこうやって伊達君とかの友達が集まりやすいし、隣の女子も可愛いし。


だけど、そんなことを話していた彼らの雰囲気も教室のドアが開いた瞬間にスパッと変わった。入ってきたのは3人組。特徴として挙げられるのは3人とも高校生にも関わらず、ピアスや金髪などの高校生らしく無い格好をしていること。


そうして、伊織達の口から咄嗟に出た言葉は嫌悪の言葉だった。


「また、あいつらかよ。」

「まただね。」

「まじ、なんなんだよ。」


だけど、いきなり不快感を露わにしたのは伊織達だけではなく、教室全体だった。クラス全体が一つの生き物みたいになって、その金髪の3人組に対して、全員がジロジロと視線を浴びせて、ヒソヒソと囁く。しかし、その3人組は特に気にすることのない様子で、クラスの中心のグループ、つまり綾乃を含めたクラスの中でも可愛い女子が5人程集まっている所へと向かっていって、彼女らに話しかけた。


「なあなあ?遊びに行かねえ?」


嫌そうな様子を示すのは、彼女達も一緒でその3人組が彼女達に話しかけるたびに、彼女達は罵声を返す。3人組自体はその態度に特に苛立ってはなかったが、彼女達を遊びに誘っているのにも関わらず、全く乗ってこない様子に痺れを切らしたのか、少し、彼女から目を離して、周りを探し始めた。


そうして、その3人組は伊織達の方を見て、その顔を笑いで歪めながらやってきて、伊織の隣の席の女子に話しかけた。



伊織の席の隣の女の子。それは冷泉 清華という。特に可愛い女の子が多い伊織のクラスの中でも、綾乃に並んで最も可愛い女の子である。もし、伊織が綾乃一筋でなければ、挨拶されただけで、すぐに惚れていたかもしれないほどの美貌の持ち主。


だから、伊織も隣の席になった時は浮かれていたが、すぐに思い知ることになった。その女の子、冷泉さんの事を。深窓の令嬢とでも言えばいいのだろうか、彼女は全然、他人を必要としていなかった。話しかけられても一言、言葉を返すだけ。彼女の美貌に惹かれて、男子達が告白してきても「無理」と一言伝えるだけ。勿論、伊織なんて席が隣なのにも関わらず、一言も話したことがない。文字通り、一言もだ。挨拶すらない。


まあ、そんな訳で3人組が美貌を誇る冷泉さんに話しかけるのは半ば必然とも言える行動だった。だけど、綾乃達と違ったのは、冷泉さんが一人である事。当たり前だけど、人間は人数が多い方が強く出れる。だから、5人もいる綾乃達は3人組に強く出れるし、逆に今、3人組は嫌がっている冷泉さんに執拗に声をかけている。


「だから、どっかに遊びに行こうぜ。」

「無理」

「一年のこの時期が忙しい訳ないだろ?」

「俺らが高校生の遊びってやつを教えてやるよ。」


だから、痺れを切らした3人組が冷泉さんに手を伸ばした、その瞬間に伊織は動いた。


「いや、やめろよ。」


3人組は冷泉さんを掴もうとした手が、何故かゴツゴツとした伊織の手を掴んでいるのを見て、冷静にいった。


「あ、あの、そういうのは良くないんじゃないんですかね?」


しきりにウザそうな顔をする3人組は、それでもまだ冷静に話す。


「はあ。なんだよ。お前。」

「えっと、隣の人というか」

「はあ、何言ってんだ、お前?」

「席が隣というか、何というか、そんな感じ?」


若干焦って、変な言葉になってしまったが、伊織はそう3人組に言った。


「とにかく、合意がないと犯罪になると思いますよ?」

「なんだよ。お前、めんどくせえなあ。」


すごく鬱陶しそうな顔をする先輩達。たぶんだが、自分たちが良く無いことをやっている自覚はあるのだろう。


「それに、こういうのダサいと思いますし」

「はあ?やんのか、お前?」


3人組としても入学したての一年生、それも弱そうでインキャっぽい髪の毛の長い奴、つまり、伊織にばかにされるのは、癪に障るのだろう。そんなことは伊織も分かっている。


「それに、一年生でボクシング部のレギュラーの紫宮君がいますけど?」

「お前が戦うんじゃねえのかよ。まあ、でも戦ってもいい気はしてる」


そう言いながらも、紫宮は準備運動みたいなものを始めている。さっき先輩達が綾乃達に声をかけた時に紫宮の彼女が居たことも、充分に紫宮をイラつかせる要素の一つになったのだろう。


「チッ。良い気になってんじゃねーぞ。」


そうして、それに恐れた3人組は悪態をつきながら、一年A組の教室から去って行こうとする。


ただ、やはり伊織が気に食わなかったみたいで、帰り際に伊織とわざと肩がぶつかるように歩くことは忘れない。案の定、弱い伊織は彼らにぶつかられて弾け飛ぶ程ではあるのだが。


「ちょっと、大丈夫?」


だから、そんな伊織の様子を心配して、グループから少し離れて伊織に声をかけた幼馴染の綾乃が3人組に声をかけられるのはほとんど必然的だった。


だけど、咄嗟に腕を掴まれた綾乃に伊織ができることは何もなかった。その瞬間に、ドアが開いて、ヌッとした影が綾乃を引き寄せたから。


「何をしているんだ?」


と、教室に入ってきた黒髪の少年はスッと言葉を放った。



圧倒的な存在感を感じて、伊織はそちらを振り返った。

綾乃を引き寄せて立っていたのは、完璧なルックスを持ったイケメン。鋭い眼光にどちらかといえば、きつい感じに上がった眉。

だけど、知っている人から言わせれば、一見きつそうなその顔も、笑った時に弾けたように、ぱあっと広がる幼さをみれば、絶妙なバランスを保っているとしか思われないらしい。


京極 京介。サッカー部では、入学したての一年なのにも関わらず、すぐさまレギュラーポジションを奪取して、新入生挨拶を務めた黒髪の少年。ただ、完璧なのは容姿ではなくて、むしろその性格。誰にでも優しくて、女の子からの告白を断る時には涙を見せてしまうほどの誠意を見せる。だから、入学して半年ほどだが、もう京介は間違いなく学年の中心となっている。


完璧なイケメン。王子様。人に好みがあるとしても100人がいたら、99人は楽しい気持ちになるであろう人間。


そうして、そうして、そして、京介は伊織と綾乃の幼馴染。


「伊織、頼む。」


圧倒的な主人公感を持った少年、つまり京介は綾乃を伊織に託して、端正な顔を3人組に向きかえる。


「すまない。事情を知らないのに、怒鳴ってしまって申し訳なかった。だけど、大切な幼馴染が嫌がっているように見えたからそれは許してくれないか。それで、何があって、綾乃の腕を掴んでいたんだ?」


3人組の目の前に目線を鋭くして立っている京介の身長は伊織の知っている限りでは中学校を卒業した時の179センチというのだが、どう見ても180センチある友達の紫宮より高いように見える。おおかた、身長も伸びているのだろう。だから、その3人組も目の前に立った京介に少し怖気付いては、3人で顔を見合わせる。


教室の雰囲気もいつの間にか京介の登場によって、どんどんと強気なものになっていく。さっきまではなんだかんだで3人組に対してはジロジロと見つめるくらいしかやっていなかったのが、明らかに非難に近いような怒声や罵声を浴びせる程までにはなっている。圧倒的なリーダーの存在がいるといないとでは雲泥の差がある人達。それが民衆でその中の一人が伊織でもあるわけで。


「いや、その・・・遊ぼうと思って。」


3人組もさすがに明らかに人間としての格が違う京介に逆らう気は無いらしい。さっきまでの一年A組のクラスを我が物顔で歩いていた時とは全然様子の変わった様子でしきりに下を見ながら話す。


どうでも良いのだが、なぜ人は都合が悪いことがあると下を向いて話すのだろうか。別に、顔を見て話した所で何か大きな問題が起きるわけでは無いのに。むしろ、顔を伏せている方が相手に与える印象は悪くなるのではと思う。


「綾乃は嫌がっていたんじゃ無いのか?」

「ま、まあな。」


気まずそうに3人で口調を合わせるように笑う3人組を京介はじろっと見る。そうして、その3人組が笑うのをやめるまでずっと送っていた視線を切って、口を開くと同時に頭を下げた。黒い髪の毛がサラッと揺れて下に落ちる。


「申し訳ない。」

「え?」


驚く3人組とクラスの人達。当然も当然で、悪いというか明らかに非があるのは3人組だ。そして、それは3人組も分かっている。だから、なんで京介が謝っているのかが分からない。


「綾乃と遊びたかったのかもしれないが、今日は諦めてくれないか。今日は僕も綾乃と予定があるんだ。」

「そ、そういうことならな。仕方ないな。」


せめてもの威厳を保とうとしているのか、京介の肩をポンポンと叩いて、教室を出ていく3人組を見送りながら、京介は綾乃に心配そうな表情できく。


「大丈夫だったか?」

「うん。」


教室の雰囲気も安堵したかの様にふわっとしたものになる。クラスの人も京介を中心とする様に自然に集まってきては京介に話しかける。


「京極、どこ行ってたんだよ?」

「ちょっと、部活のミーティングに。」

「一緒に飯食う約束してただろ?」

「ああ、ごめん。まさか、こんな事になってるとは思わなくて。」

「っていうか、ミーティングってさすが一年生レギュラーだね。」

「いや、そんなんじゃないよ。僕はまだ全然だから。」


謙遜も忘れずに、という感じじゃない様子はそれを見ている関係ない第三者でも分かるし、なおさら小さい頃から京介のことを知っている伊織ならば、もっとわかる。


京極京介は本心から謙遜しているのだ。だから、全ての人に対して敬意を払って、どんな人にも同じ様な態度で接する。さっきの3人組みたいな不良にもゲームの話ばっかりしているクラスのオタクみたいな奴でもどんなに可愛い女子で全員平等に。親切に、時にお茶目に。


だから、みんな京介が好きになる。当たり前というか、当然だ。優しくて、かっこよくて、勉強もスポーツもできて人気もある人を嫌いになる人間なんている訳がないのだ。


そして、新田伊織はそんな女子も男子も関係なくたくさんの人に囲まれている京介の顔を見ている綾乃の少し赤らんだ表情を見て、もう何度目か分からない程の絶望に苛まれた。さっき言った通りだ。京介を嫌いになる人間なんている訳がないのだ。


伊織以外。


そうして、伊織は誰にも気づかれない様にそっと教室を出た。


だけど、伊織は気づかなかった。冷泉 京華から視線を向けられていることに。冷泉 京華だけは京介じゃなくて、伊織を見ていたことを。

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