第1話 

その春休みのある日、新田 伊織は雨が上がった街をポツポツと歩いていた。さっきまで降っていた雨はもう止んで、今は濡れている足元くらいしか雨が降っていた事を知らせるものはない。


高校一年生の伊織の手には、パソコン、タブレットなどの引っ越し業者では運べなかったであろう、沢山の荷物が抱えられていて、これから一人暮らしを始めるという感じがしてやまなかった。


駅から行くと、南口から出て一番大きな道をまっすぐ左へ。そして、そのまま5分くらい歩いて、見える信号を曲がって、やや歩いた所にあるコンビニの裏側の階段を降りていく。


伊織はふうと一旦道路に荷物を置いて小休止をとる。両手が塞がっていると髪の毛が顔にかかってうざくて仕方がない。特に、雨の日は髪の毛が爆発するから尚更うざい。夏休みとかの長い休みは部活も勉強も何もないから、誰かにに構われない限りは外に出ない。そうすると、床屋さんなんかに行く機会なんてほぼ無くなって、必然的に髪の毛が伸びるのは仕方がない。


そうして、階段を降りて、その階段を降りた所に広がるそこまで大きく無い公園を視界に入れた途端、伊織は自分の目に写ったものが一瞬、幼馴染と一緒に見たホラー映画のワンシーンみたいに見えて、思わず背筋がゾワっとした。


目に映ったのはまだ、幼い少女の背中。だけど、その少女に関して言えるのは、傘も何もなくビショビショに濡れていて、その長い髪が背中を覆い尽くさんとばかりに伸びきっている事。だから、その後ろ姿は貞子みたいに見えて、伊織には恐ろしかった。


声をかける、様子を見る、傘を貸す。選択肢がどんどん生まれては消えていく。


ビショビショな姿で公園で一人でベンチに座っている少女。それが人間ならば良い。人間であれば。いや、別にそれは濡れている幼女だから良いというのが、伊織の性癖だからという訳ではなくて、ちゃんとした生きている人間ならば、別にそれは怖くはない。様子を聞いて、もし親とはぐれたとかそういう感じであれば、警察に電話をかければいいし、雨に打たれたせいで、体がものすごく冷えていて動けないとかだったら、伊織の食べ物を渡せば良い。幸い、伊織にはさっきスーパーで買ってきた食料はある。


ただ、もし彼女が生きている人間ではなかったら?何かの祟りとか、地縛霊とか、見えてはいけないものだったとするのならば。


声をかけた伊織を見て、ニタっと笑って追いかけてくるに違いない。そうして、翌日には15歳の男子高校生の変死体が公園で見つかったというニュースが流れるはずだ。


だから、伊織はその恐ろしげな少女のいる公園を少女を見ない様にして、通り抜けた。でも、その少女も案外、自らの近くを通り抜けた伊織のことを気にも止めない様子で、本来であれば何も起こらない、おきる筈は無かった。


伊織が戻ってこなければ。


「ああ!もう!何してんだよ?風邪引くぞ。」


伊織は自ら持っていた傘を差し出す。今はもう雨が降っていないから、意味はないのだが。結局、伊織みたいな普通の人間は、明らかに様子がおかしい人には声をかけてしまうのだ。


下を向いていたその少女がゆっくりと動くその姿は、小心者の伊織にとっては充分な恐怖だったが、伊織を見上げたその少女の顔は、全然恐怖に値するものではなかった。


流れ落ちた黒い髪の下にあった顔。あと五年ほど経てば、伊織の好みになる様な、真っ白な肌に異常な程に整った顔に大きな瞳。


可愛い。と率直に声が出てしまう程に。


とはいえ、伊織にはいくら美少女とはいえ、10歳ほどの少女に興味はない。


だから、伊織はその少女とお近づきになろうなんて考えは無くて、ただ親切心で声をかけただけだった。少女が困っているなら助けてやろうと。何なら警察くらいであれば、一緒にいってあげようかと。その少女が敵意をむき出しにした言葉を返して来なければ。


「近づかないで下さい。警察を呼びますよ。」

「いや、なんで?」


少女は自らの肩をぎゅっと抱きしめながら、伊織に警戒した目線を向け続ける。白系統の服は、伊織の目から見ても充分に透けている様にも見える。だけど、何度でもいうが、伊織にロリコン趣味はない。


「雨に打たれている小学生に声をかける人なんていません。いたとしたら、小学生に興奮する変態くらいです。それにあなたはさっきから私の体をジロジロと見てきますし。」

「いや、だから違うって。」


伊織は自らの荷物の中から大きめのタオルを取り出す。そうして、少女に体を拭けという様に示す。


「ですから、結構です。」


だけど、伊織に対する少女の態度は軟化しない。


「どこかに行ってください。私は、援交少女ではありませんから、あなたの申し出には応じられません。」


勝手に少女に援交をやる奴と思われていた事は心外だが、それ以上に伊織はそこまで伊織のことを嫌がる少女のことが気になった。


「分かった。俺、離れるから。これで体拭け。」

「だから、私は要らないと。」


だけど、その言葉は、伊織にまだごちゃごちゃと何かを言っている少女を捕まえさせるには充分だった。伊織は自らの大きなタオルを持って、少女を包む。少女は暴れるが、小学生の力ではこれから高校生になる伊織には敵わない。そうして、少女は、伊織に組み伏せられて、ビショビショに濡れていた体を拭かれる。


「や、やめて下さい!」

「あ、暴れんなって。大人しくしろ!」


誰かに見られていたとしたら、結構やばい光景をそこそこの間続けて、少女が伊織を跳ね除けたのは、伊織に体を拭かれた後で、暴れたせいか少女の顔は真っ赤になっていた。


「なんで、私が嫌と言っているにやるんですか?本当に警察を呼びますよ!」

「なんだ、お前、体めっちゃ冷えてるじゃねえか。」

「私の話を聞いて下さい!」


怒る少女は全く少女の話を聞かずに、自らの荷物を漁る伊織を見て、更に怒りを増幅させる。


「あー。あった。あった。」

「何がですか?」


いつの間にか、少女の隣には座っている伊織に少女は気づいて、距離を取ろうとするが、それよりも早く、伊織は荷物から取り出した。


「ほら、食え。」

「なんですか、これ?」

「見たら分かるだろ。焼き芋だよ。」

「いや、それは分かりますよ。なんで、私がそれを差し出されているかっていうか、さっきからあなたはなんなんですか!!何が目的なんですか?」


騒ぐ少女に伊織は、安堵した様な表情を浮かべて、ニタっと笑う。


「元気でたか?」

「はあ?」

「いや、なんかよくわかんないけど、雨の中に一人でいるって事はなんかあるんだろ?お前。」

「まあ、そうですけど。」


少女はふてくされた様な表情で、伊織に渡された焼き芋をその小さな口で食べる。


「あなたには関係ありません。」


そうピシャリと答えると、少女は黙々と食べる作業に移行する。だけど、しばらく何も話さない時間が続いた後に、少女はポツンと言った。


「聞かないんですか?」

「何を?」

「なんで、私が一人でいるのかとか。」


少女はじろっと伊織の顔を見上げる。


「話せっていったら、話すのか。」

「それは、話しませんけど。」

「じゃあ、意味ねえじゃん。」

「まあ、そうですけど。」


伊織は小さな口で、ちょびちょびと芋を食べている少女を尻目にケータイを取り出す。少女はその姿を見ながらも少し、食べる速度を速くする。


「あの・・・お兄さん。」


「お兄さん!」


呼んだのに反応しない伊織にイラついたのか、少女は少し乱暴に伊織を呼ぶ。


「あ、俺?」

「お兄さん以外、誰がいるんですか?」

「いや、お兄ちゃんとか言われるの久しぶりで」

「お兄ちゃんとは言ってません。お兄さんって言ったんです!」


少女はふうと息を貯める。


「べ、別にどっちでも良いですけど、私は話したくないですが、お兄さんの話を聞いてあげても良いです。物ももらいましたし。」


憤然とした調子で、お礼を返そうとしている少女を伊織は少し可愛らしく思った。そうして、頭を撫でようと思って、伊織は手を伸ばす。


「や、止めてください!」


嫌がる少女の頭を撫で回す伊織。そうして、その少女が立って、伊織に掴みかかろうとした瞬間に少女が食べていた焼き芋が地面に落ちた。



「あれ、俺、何をしてたんだ?」


伊織は、誰もいない公園で荷物を広げている自分を省みて思った。それまでのことなんかを全て忘れて。


「テンション上がってたのかな?」


伊織はそう呟いて、荷物をしまって家に帰る道を歩き出した。



同時刻、一人の16歳の少女は目を覚ました。何か、昔の夢を見ていたみたいな心持ちがして。


「あれ、私。」


少女は自らのケータイの黒い画面に反射する自らの姿を見て、驚いた。


「なんで、泣いているのかしら?」


自らが涙を流している姿に。

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