これからですか?

 赤塚家のリビングには、沈黙が鎮座ましましていた。

 リビングの食事用のテーブル。そこの定位置に康貴とエルは対面するように腰を下ろしている。

 二人の顔に浮かぶのは、どこか気不味そうな、それでいて擽ったそうな表情。

 そう言えば、いつかもこうやってリビングで面と向かって座り、沈黙に耐えたことがあったっけ。

 と、逃避行動の一種でそんなことを頭の片隅で考える康貴。

 そう。あれはエルが初めてこちらの世界に来た、次の日のことだ。

 浴室で偶然にもエルの裸を見てしまった後、場をリビングに移してから、こうやって互いに気不味そうにしていたなぁ、と康貴は半年ほど前のことを思い出していた。

 あれから。

 康貴がプロポーズ紛いの告白をしてから。

 温かい涙を流しつつ康貴の胸に飛び込んだエルだったが、いつまでも道端で二人して抱き合っているわけにもいかないので、場を家の中へと移したのだ。

 気づいた時、隆とあおいの姿は既になかった。

 きっと彼らのことだから、自分たちに気を使ってそっと姿を消したのだろう。

 後で二人にはお礼のメールでも打っておこうと考えつつ、康貴は目の前に座るエルへと目を向ける。

 と、そこでエルの視線と真っ正面から衝突した。

 途端、改めて真っ赤になって視線を逸らすエル。エルのその反応に、康貴も自分の顔が熱を帯びていくのを自覚する。

「あ、あの……ヤスタカさん……」

 いかにも意を決したといった表情で、エルが口を開く。

「あ、あの……さきほどはごめんなさい……電話越しとはいえ、ヤスタカさんとアオイさんのお話を聞いてしまって……」

「あ、い、いや、あれは……う、うん、あれは隆の策略だろ? だったらエルには何の責任もないよ」

 必死に笑顔を浮かべて誤魔化そうとする康貴。

 実際にエルがどこから聞いていたのかは分らないが、自分が他の女の子に告白されたところを聞かれたというのは、やはり恥ずかしい。しかもその相手が、これまでずっと好意を持っていた女の子であれば尚更だ。

「そ、それで…………ですね……?」

 ちらり、とエルがやや上目遣いで康貴を見る。

「……先程の……ヤスタカさんの言葉ですけど……」

「う……」

 改めて、康貴の顔が赤くなる。

 あの時は隆の言葉に背中を押されて、半ば勢いで自分の希望というか本音をエルにぶつけてしまった。

 彼自身もあの時に言ったように、あれは康貴の我儘以上のなにものでもない。エルがそれを完全に否定してしまっても、それは仕方のないことだろう。

 だから康貴は、半分は諦めの境地で居住まいを正した。

 半分しか諦めていないのは、エルが彼の言葉を聞き、そのまま彼の胸に飛び込んできてくれたからだ。もしもエルが康貴に家族としての愛情しか感じていなければ、あのような態度は示さないだろう。

 期待半分、諦め半分。実に複雑な心境で、康貴はエルの言葉を待った。

「そ、その……私……帰りません……」

 ちょっぴり上目遣いに、そして、更に顔を赤くしながら。それでもエルは康貴に向かって確かにそう言った。

「え、エル……ほ、本当か……?」

「少なくとも、ヤスタカさんが天寿を全うするまで……私は……エルルーラ・ザフィーラ・フィラシィルーラは、あなたの傍にいたいです…………いいですか……? 私、あなたの傍にいてもいいですか……?」

「も、もちろんだよっ!!」

 何とかそれだけ答えると、そのまま康貴はへなへなと崩れ落ちるように姿勢を崩し、フローリングの上に倒れ込む。

「や、ヤスタカさんっ!?」

 驚いたエルはテーブルを回り込み、慌てて康貴を抱き起こした。

「だ、大丈夫ですかっ!? も、もしかしてどこか体の具合が悪いとか……?」

 エルは慌ててぺたぺたと康貴の体に触れて、彼の様子を確かめる。

 エルの小さな手が体中に触れ、その感触が恥ずかしいやら嬉しいやらで、康貴もどうしていいか分らずそのままされるがままでいた。

「あ、うん、その……エルがこれからもこの家にいてくれると分ったら……安心して思わず腰が抜けた」

「へ…………?」

 間近で互いに見つめ合いながら。やがてどちらからともなく吹き出し、二人でくすくすと笑い合う。

「ヤスタカさん」

 エルは康貴の前で床に正座し、居住まいを正す。

「これからも……よろしくお願いします」

「ああ。こちらこそ、よろしく」

 康貴も同じようにその場に正座すると、改めて互いに見つめ合って幸せそうに微笑み合った。



「そうか。上手くいったんだな」

「良かったわね、康貴。エルがこっちの世界に残ることを選んでくれて」

 翌日。

 学校で隆とあおいと会った康貴は、あれからのエルとのことを昨日の礼も兼ねて報告した。

「だけど、分っているだろうな、康貴?」

「え? 何を?」

 にやりと笑った隆は、首を傾げて疑問顔の康貴をじっと見る。

「あれだけのことを言ってエルちゃんを引き止めたんだ。当然、それ相応の覚悟はあるんだろうな、ってことだよ」

「う……そ、それは、まぁ……が、がんばる……」

 顔を真っ赤にしながら、ぼそぼそと小声で囁く康貴。そんな彼を見て、隆とあおいはくすくすと楽しそうに笑った。

 そうしながら、隆は隣にいるあおいの様子をそっと窺う。

 昨日の今日だ。今のあおいはきっと相当無理をしているに違いない。それでもこうして康貴に笑顔を向けていられるのだから、やっぱりあおいは強いなと隆は内心で彼女を改めて評価する。

「これから年末に向けて、クリスマスや正月とイベントが続くからな。せいぜい、エルちゃんと仲良く、そして楽しくやってくれ」

 だけど、と隆は表情を真面目なものへと変えた。

「想いが通じ合い、しかも同じ屋根の下で二人っきり……康貴の気持ちは同じ男としてよーっく理解できるが、あまり先走るなよ? 急いてはことを仕損じるって言うし、勢いに任せてエルちゃんを押し倒したりするな?」

「す、するかっ!!」

「うむうむ。真面目な康貴センセのことだから大丈夫だとは思うが……念のためにな?」

 意味有りげにぱちりと片目を閉じる隆と、顔を真っ赤にさせつつ憤ってみせる康貴。

 そして、そんな二人のやりとりに屈託のない笑い声を上げるあおい。

 今までずっと一緒だった三人。もうしばらくは、今まで通りの関係を続けられそうだった。



 しんと静まり返った夜の町。

 車も人もほとんど通らない暗い道を、康貴とエルは寄り添いながらゆっくりと歩く。

 冷たい北風が吹き抜け、しっかりと身を寄せ合いながらも二人は小さく震えた。

「はぁ……寒いですねぇ。私、温暖な気候の国の出身なので、こんなに寒いのは初めてです」

 そう言いつつも、彼女の表情は明るい。息が白く染まるのがおもしろいのか、何度もはあと息を吐いてはくすくすと笑っている。

 そうやって歩いていると、再び強い風が吹き付け、二人はぎゅっと身を固くしてより密着する。

 今、エルの右腕は康貴の左腕にしっかりと通され、エルは康貴の腕を抱き締めるようにして北風に耐える。

 康貴は黒いダウンハーフコートに、ボトムは厚手のジーンズ。エルはダークブラウンの裏起毛のファー付きコートに、グレーと黒のバイカラーのスキニーパンツ。

 ちなみに、エルが着ているダークブランのコートは、康貴のお下がりだったりする。成長期である康貴は、二年前に購入したコートでは少々サイズが合わないのだ。

 男物でエルにはちょっと大きいかと思われたが、元々タイトな造りのコートだったのでエルが着てもそれほど大きすぎるという印象はなく、丈もハーフコートぐらいになって意外とエルに丁度いいサイズであった。

 康貴が以前に愛用していたコートとあって、現在ではエルの最もお気に入りのコートである。

「やっぱり寒いなぁ」

「寒いですねぇ」

 二人ともコートの中にセーターなども重ね着をしているが、やはりこの時期のこの時間帯はかなり寒い。

 小さく震えながら歩む二人の足取りは、ゆっくりではあるが決して重くはない。

 今日は大晦日。そして、新しい年を迎えるまであと数時間。

 康貴とエルが目指しているのは、近所の神社の境内にある集会所だ。

 康貴たちの住む町では、大晦日は年越し前に神社の集会所に集まり、そこでご近所や親しい者たちが集まって一騒ぎして、年が明けたら改めて初詣でをするという風習がある。

 今から康貴たちが向かう集会所には、隆やあおい、その他にも親しい連中が既に集まっているだろう。

「エルの世界でも、やっぱり新年はお祝いするのか?」

「はい。私がいた世界……特に私が暮らしていた国では、新しい年を迎えると皆一斉に年齢がひとつ増えるので、その祝いも兼ねて新年祭というお祭りが開かれます。この新年祭と作物の収穫時期に行われる収穫祭が、私がいた国では最も大きなお祭りですね」

「え? エルのいた国では、個人個人で誕生日を祝わないんだ?」

「個別に誕生日のお祝いをするのは、王族とか貴族の方たちだけですね。私たち平民は年が変わると、全員一斉に一つ年齢を重ねます」

 それぞれの世界、それぞれの国の様々な風習や文化。

 まだまだ、二人の間には理解しきれないことがたくさんあるだろう。

 でも、それはきっと時間が解決してくれる。

 今の二人のように、こうしてお互いに寄り添いながら、ゆっくりとその差を埋めていけばいいのだから。

 二人の時間はまだまだこれからだ。

 康貴とエルは、ゆっくりと互いに理解を深めていくだろう。

 もうすぐやってくる新しい年も。そして、更にその次、そのまた次の年も。

「さて、少し急ごうか。きっと隆たちが待ちくたびれている」

「そうですね。急ぎましょう」

 しっかりと身を寄せ合いながら、それまでより少し早足で。

 康貴とエルは、親しい仲間たちが待つ場所へと、しっかりとした足取りで歩いていった。


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