それぞれの思惑ですか?

「ねえ。最近、おかしくない?」

「やっぱ、おまえもそう思うか?」

 教室の片隅で、隆とあおいがぼそぼそと小声で何やら相談していた。

 彼らの視線が、ふと自分の席に座っている康貴の背中へと向けられる。今、康貴はぼんやりとした表情のまま、何をするでもなく座っているだけだった。

「……まるで魂が抜けたみたいね」

「エルちゃんと喧嘩でもしたのかねぇ?」

「その程度ならいいけど……」

 あおいは心配そうに康貴を見る。

「やっぱり……例の短剣が原因でしょうね……」

「まあ、そうだろうな……」

 エルをこちらの世界へと導いた、世界を渡る魔力を秘めた短剣。

 その短剣を手に入れたのは隆の父親である萩野市長だったが、彼はその短剣を快くエルに無償で譲ってくれた。

 市長いわく、エルにはこれまでいろいろと世話になったので、そのお礼らしい。

 本音を言えば、萩野市長もエルにもっと『エルフさん』を続けて欲しいのだろうが、エルが元の世界に戻れるかもしれない今、さすがにそんなことを言い出したりはしなかった。

「ところで、あの短剣を使えば本当にエルは元の世界に帰れるの?」

「さあなぁ? 正直、試してみないと分からないんじゃね?」

「それって……結構、危険よね……?」

「ああ。はっきり言って賭けの一種だな」

 確かにエルは短剣が秘めた魔力でこちらの世界に来た。だが、だからと言って無事に故郷の世界に帰れるという保証はない。

 短剣には世界の壁を越える力があるのは確かだろうだが、世界が康貴たちの世界とエルの世界、この二つしかないという保証はどこにもないのだ。

 異世界は確かに存在する。だが、もしかすると幾つもの異世界が、並列するように存在しているのかもしれない。

 そうだとすれば、短剣の魔力で世界を越えたとしても、エルがいた世界に必ず通じるとは限らないのだ。

 もちろん、無事に帰れる可能性だってゼロではない。案外、すんなりとエルが元いた世界へと通じるかもしれない。

 だからと言って、気軽に試せるようなものでもない。

 新たな第三の異世界へと飛ばされるかもしれないし、短剣に秘められた魔力だって有限かもしれないのだから。

 それを承知しているからこそ、エルも短剣を気安く使うようなことはしなかった。いや、できなかったのだ。

「どうするつもりかしら……?」

「こればっかりは当人たちの問題だからな……」

 エルは自分の世界に帰るつもりなのか。それとも、まだこちらの世界にいるつもりなのか。

 もしも、エルが自分の世界に帰るという選択をしたならば。

 その時、康貴はどうするつもりだろうか。

 ちらちらと心配そうに康貴を身ながら、あおいはそんなことを考えていた。

 そして。

 康貴を見るあおいを隆が無言でじっと見つめていることに、彼女は全く気づいていなかった。



 最近、エルが暇さえあればじっと例の短剣を眺めているのを、当然ながら康貴は気づいていた。

 正直言えば、康貴はエルに自分の世界に帰ってほしくはない。だが、それを彼女に告げるのが、単なる自分の我が儘だということも理解していた。

 誰だって生まれ育った場所に帰りたいと思うだろうし、生まれ育った場所の方が暮らしやすいだろう。そんなことは確認するまでもない。

 だから康貴は、もしもエルが自分の世界に帰ると言い出した時、笑って見送るつもりでいるのだ。

 あの日。萩野市長が例の短剣をエルに見せた日。

 エルに康貴、そして、隆にあおいに萩野市長と、それぞれの意見を交わし会い、すぐに短剣を使用することは見送られることになった。

 短剣の魔力を使ったからと言って、すんなりと元の世界に戻れるという保証はなく、下手をすれば全く別の第三の世界に通じてしまうかもしれない。

 それが、皆で相談して出した結論だったからだ。

 エルもその結論に納得し、すぐには短剣の魔力を使用しないと約束してくれた。

 でも、それからだった。エルが暇さえあれば、ぼんやりと短剣を眺めるようになったのは。

 そんなエルの姿を見て、やはり彼女も元の世界に帰りたいのではないか、と康貴は推測した。

 だから。

 だから、彼は決めたのだ。

 エルが元の世界に帰りたいというのであれば、自分はそれに全面的に賛成しようと。できることがあれば何でも協力しようと。

 たとえ、それが彼の胸の内に抱かれている想いの終焉になろうとも。



「さて、と。どうしたものかね……」

 一人学校から自宅へと帰る道、隆は誰に言うでもなく一人ごちた。

「何とか事態を動かしたいところだが……下手すると余計にこじれるし、かと言って放っておくとあっちもこっちも煮詰まっちまうし……」

 最近、すっかり複雑に絡み合ってしまった友人たちの関係。彼は何とかそれをすっきりとさせたいのだ。

 無論、そこには彼なりの打算も含まれている。

「しっかし、父さんも余計なものを手に入れてくれたよ……」

 彼の父親があの短剣さえ手に入れなければ、事態はここまで行き詰まったりはしなかったのに。

 いや、遠からず行き詰まるようなことにはなっただろうが、こうも複雑にはならなかったはずだ。

「もう少し時間があれば、あの二人の想いも通じ合っていただろうに……」

 そうなっていれば、彼らもここまで思い悩むことはなかっただろう。

「……なんとか、今の状態から抜け出せるとといいが……」

 三人の友人たちが、それぞれ袋小路に行き詰まっている今の状態。

 誰か一人でもいいから、そこから抜け出すことができれば。

 もしかすると、そのまま一気に残る二人もどうにかなるかもしれない。

「少し強引な手を使うしかないか」

 隆が行おうとしていることは、単なる独善だろう。

 三人の友人たちからすれば、余計なお世話であるかもしれない。

 それでも。

 それでも、彼は今の状態を何とかしたいと考えていた。



 康貴の様子がおかしいことは、あおいは当然ながらすぐに気づいた

 その理由にも心当たりはあるし、今の康貴の心理もほぼ正確に把握している。

 もしかすると、いなくなってしまうかもしれない彼女。

 不確かながらも自分の世界に帰る方法が見つかった今、自分の世界に帰るという選択を彼女が選ぶ可能性は、決して低くはないだろう。

 もし、彼女がその選択をした時。康貴はどうするつもりだろうか。

 まさか、彼女と一緒に異世界へ行くとは言わないだろう。馬鹿がつくほどに真面目な康貴のことだから、こちらの世界の全てを投げ捨ててまで、彼女と一緒に行くという選択はしないはずだ。

 となれば、自分の想いを押し殺して、無理して笑いながら彼女を見送る。おそらくはそんなところだろう。

 ある意味、これはあおいにとってはチャンスと言っていい。

 康貴が彼女をどう想っているか、あおいも理解している。その彼女がいなくなれば、康貴の心にできた隙間に、あおいが入り込むことは難しくはないかもしれない。

 でも。

 でも、そんな卑屈な真似はしたくない。

 どうせなら、正々堂々と彼の心を手に入れたい。それがあおいの偽らざる気持ちだった。

 そのためには何をすべきか。あおいも充分に承知している。

「…………告白、しよう。康貴に」

 はっきり言って、今告白しても勝算は薄い。それでも、このまま何もしないでいるのはもう嫌だ。

「でも……」

 ふと、あおいの脳裏に友人である愛の言葉が甦る。

──もしもおまえが告白するつもりなら、いっそ全裸であいつに抱きついて……

 その言葉を思い出した途端、あおいの顔がぼん、という音がするような勢いで真っ赤になった。

「む、むむむむむ無理……っ!! それだけは絶対に無理……っ!!」

 誰もいない自室の中で、ぐりんぐりんと身悶えするあおいだった。



 また、気づかないうちに例の短剣を眺めていた。そのことを、エルはふと自覚した。

「…………また、やっちゃった……」

 右手に持った短剣を、ことりとテーブルの上に置く。

「自分で思っていたより……あっちの世界が……生まれ故郷が恋しくなっているんだなぁ……えっと、確かこちらの言葉で『ホームシック』とか言うんだっけ?」

 なまじ帰れるかもしれない手段が目の前にあるため、余計に望郷の念が強くなっているのだろう。

 テーブルの上に置いた短剣に、自分の指先をゆっくりと滑らせながら、エルはそんなことを思う。

「あちらの世界とこちらの世界……自由に行き来できればいいのになぁ……」

 もしかすると、この短剣の力を使えば可能なのかもしれない。

 だが、それを確かめるには余りにも危険すぎた。

 隆やあおいの言うように、世界が康貴たちの世界とエルの世界の二つだけ、といいう保証はないのだ。

 それに、この短剣が秘めた魔力も有限の可能性もある。

 短剣の力を使って世界を渡り、そこが見ず知らずの第三の世界であり、しかもそれで短剣の魔力が尽きたとしたら。

 どのような過酷な状況に置かれるか、分かったものではない。

 確かにエルは、見ず知らずのこちらの世界に来てしまった。だが幸運なことに、そこで康貴という人物と出会えた。もしもこちらの世界で最初に出会ったのが彼でなければ、今のような平穏な生活は送れなかったのかもしれないのだ。

 それを考えると、おいそれとは短剣の力に頼ろうとは思えないエルであった。

 だけど。

 だけど、故郷の世界に未練があるのも、また事実で。

 多少の危険は承知の上で、あえてそれに挑むのまた、エルたち冒険者の気質でもある。

 一体自分はどうしたらいいのか。そんなことを、ここ数日延々と悩んでいるエルであった。

 その時。

 不意にポケットに入れていたスマートフォンが着信を告げた。

 ポケットからスマートフォンを取り出し、相手を確かめると隆である。

 何の用件だろうと首を傾げつつも、スマートフォンを通話状態にする。すると、耳に当てたスマートフォンの向こうから、隆ではない人物の声が聞こえてきた。

「…………え…………っ!?」

 その声を聞き、エルの心臓がどくん、と激しく鼓動する。

『……僕はエルのことが好きだ』

 若干くぐもって聞こえ辛いものの、それは間違いなく康貴の声だった。


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