迷子ですか?
青く澄みきった空が広がる、見事な秋晴れの九月中旬の日曜日。
午前九時三十分頃にあおいの家に集合した康貴たち四人は、目の前の日進駅にある巡回バスのバス停で市役所へと向かうバスを待っていた。
「確か、今日って臨時バスが出るんだよな?」
「毎年出ているから、今年だって出るだろ」
バス停でバスを待つ人の行列を見て、うんざりしたような調子で康貴と隆が言葉を交わす。
「でも、毎年こんなに集まらないわよね? しかもこんな早い時間から……」
今日開催される「夢まつり」は、午前十時から午後八時まで。屋台などが出る関係もあり、一番賑わいを見せるのは昼時とその前後である。
それなのに、今年は十時前にも拘わらず既に多くの人が詰めかけている。しかも、日進駅から巡回バスを利用するということは、おそらくここに集まっている人々の殆どが市外からの観光客なのだろう。
祭りといっても、所詮は地方都市の小さなものである。全国的に見れば知名度など限りなくゼロに等しい。実際、康貴たちも毎年祭りに参加しているが、市外からこれほどの人間が詰めかけたのを見たことはない。
それなのに、どうして今年に限ってここまで人が集まったのか。
更には、ここにいる観光客の八割以上が男性である。皆一様にごつくて本格的なデジタルカメラやハンディカムを手にしているところから、彼らが何を目的にしているのか康貴たちには想像がついた。
「祭りってことで、『エルフさん』が実際に姿を見せるかもしれないと考えているのね、きっと……」
そう。あおいの言葉通り、彼らの目的は『エルフさん』なのだ。
「夢まつり」という市が主催する祭りである以上、イベントの一環として『エルフさん』が登場するかもしれないと思っているのだろう。
いや、もしかすると、某市長が前もってそれらしい噂を流していたという可能性も考えられる。
幸いというか何というか、ここに集まっている連中はエルのことには気づいていないようだ。
今日のエルは、いつものように魔法で耳を誤魔化し、変装用の少しごつい黒縁眼鏡を装着した上で、康貴の帽子を借りて目深に被っていた。
そのため、周囲にいる『エルフさん』のファンたちも、当の本人がすぐ傍にいることに気づいてはいないようだった。
「……そういや、例のイベントもあるしな……」
疲れたように隆が言う。
以前に彼が言っていた、萩野市長が考えているという例年にはない催し物。
その内容を知った時、隆だけではなく康貴もあおいも、そしてエルまでも大いに驚いたものだ。
ちらりと康貴が視線を動かせば、バス停の近くに貼ってあるポスターが目に入った。
「隆の親父さん、本当にやるんだなぁ」
そのポスターこそが、萩野市長が計画したイベントを告知するものであり、そこには『エルフさんコンテスト』というタイトルが踊っていた。
日進市市役所前の広場と、その隣に併設された駐車場が「にっしん夢まつり」の会場である。
康貴たちが会場に到着した時には、既にかなりの人が集まっていた。
十時を過ぎた時点で鳴子踊りのチームによる演技は始まっているようで、メイン会場である市役所横に設けられた舞台と、サブ会場である市役所の駐車場の一角では、リズミカルなBGMに合わせて華麗な演舞が行われている。
B級グルメの屋台からは、食欲をかき立てる様々な匂いが溢れ出し、気の早い中年のおじさんなどは早速ビール片手にそれらを味わっていた。
康貴たちはそれらの屋台をスルーして、まずは遊戯関係の屋台が集まる一角を目指す。
水ヨーヨー釣りや輪投げに鈴投げなど、昔からある懐かしい屋台の遊戯。そんな中で、やっぱりエルが一番目を輝かせたのは金魚掬いだった。
「ヤスタカさんっ!! 金魚掬いですっ!! ここにも金魚掬いがありましたっ!!」
サファイアのような瞳をきらきらと輝かせて、エルは康貴の手を引いて金魚掬いへと向かう。
「やってもいいけど、一回だけだぞ? あまり金魚の数が増えると、今の水槽じゃ飼えなくなるからな」
「分かりましたっ!! ふっふっふ、今度こそ絶対に一匹は掬ってみせますっ!!」
不敵な笑みを浮かべ、全身からやる気をだだ漏れさせるエル。
だけど。
そんなやる気はあえなく空回りして、エルが手にしたのはおまけで貰えた一匹だけだった。
康貴もあおいも隆も、それぞれ思い思いに懐かしい遊戯を楽しんだ後、彼らは昼食も兼ねてグルメ関係の屋台が集まる市役所前へと移動することにした。
こちらの屋台は地元の商工会や青年会、農協などが主催して出しているので、屋台を切り盛りする人々の中には康貴たちも見知っている顔がいくつもあった。
そんな人たちと挨拶を交わしつつ人込みを縫うように歩いていると、エルの視界の端を何かが横切った。
何だろう、今見えたのは?
そう考えながら思わず立ち止まるエル。康貴たち三人も、突然立ち止まったエルに不審そうな顔を向ける。
「どうかしたのか?」
そう問いかける康貴に応えることもなく、エルの体が突然駆け出した。
「ちょっとっ!! 突然、どうしちゃったのっ!?」
「まさか、また精霊がどうこうっていうのじゃないだろうなっ!?」
三人は夏休みの最中に行った肝試しで、似たような状況があったことを思い出す。
またあのような怪事件が起こるのでは、と思わず身構える康貴たち。
だが、今回は前回とは少々違う状況のようだ。
駆け出したエルは、康貴たちから少し離れた所で突然しゃがみ込む。その背中の向こうに小さな人影が揺れていることが、康貴たちの所からも見ることができた。
「子ども……かしら?」
「もしかして、迷子じゃないのか?」
一度顔を見合わせた三人は、急いでエルの元へ向かう。近付いてみれば、やはり隆の予想通り迷子のようだった。
五歳ぐらいだろうか。両の目を涙で赤く張らし、それでも少しでも涙を流すまいと必死に堪えている姿が痛々しい。
「お嬢ちゃん、お名前は? お父さんかお母さんは? 一緒じゃないの?」
エルは迷子──女の子だった──の前で、彼女の視線の高さまでしゃがみ、頭を撫でながら優しく問う。
「え、えり……わたし、えり……お母さんとはぐれちゃった……」
目元に当てた小さなハンカチは、かなり湿っている。どうやら、長い間一人ではぐれた母親を求めて歩き回っていたようだ。
「大丈夫だよ? 僕たちがすぐにお母さんを見つけてやるからな。隆!」
「おう!」
隆は女の子を優しく抱き上げると、そのまま肩車の要領で肩へと乗せた。
この時、既にあおいの姿は彼らの傍にはない。祭りを運営する本部へと、迷子の女の子のことを知らせに向かったのだ。
女の子の母親も、はぐれた我が子を探しているに違いない。子どもと違って大人ならば、まずは本部などの迷子を預かってくれる所へ足を運ぶだろう。
康貴たちもそうすればいいのだが、彼らはそれを選ばない。
康貴と隆は、迷子の女の子を肩車したまま、祭りに集まっている人たちへと大きな声で問いかけた。
「えりちゃんのお母さん、いませんかー? えりちゃんはここですよー!」
「えりちゃんはここにいまーす! お母さん、どこですかー?」
二人は周囲の視線を集めつつ、女の子を肩車したまま祭りの会場をゆっくりと歩く。
隆が女の子を肩車したのは、背の高い彼が肩車した方が遠くからでもよく見えるからだ。
一言も相談することもなく、まるで予め打ち合わせでもしていたかのように、役割をしっかりと分担して行動する三人。
前を歩く康貴と隆の背中に暖かな視線を送ったエルは、二人に負けないように声を張り上げた。
「えりちゃんのお母さーん! どこですかー? えりちゃんはここでーす!」
そうして三人で迷子の母親を探して歩く。
最初こそ泣いていた女の子も、隆の肩の上が気に入ったようで、しばらくすると楽しそうな笑顔を浮かべて周囲を見回し始めた。
そうやって迷子の母親を探していると、エルのポケットの中のスマートフォンが着信を告げた。
取り出して確認してみれば、発信者はあおいである。
エルが慌ててスマートフォンを耳に当てれば、その向こうからあおいの元気な声がする。二言三言あおいと会話したエルは、通話を切って康貴たちに今の会話の内容を知らせた。
「ヤスタカさん! タカシさん! えりちゃんのお母さんが見つかりました! ウンエイホンブという所でえりちゃんを待っているそうです!」
「そうか。やっぱりお母さんは本部に行っていたか」
「おっし、すぐに本部に向かおうぜ! えりちゃん、もうすぐお母さんに会えるからな!」
肩の上の女の子を安心させるように声をかけた後、三人は急いで運営本部が置かれているテントへと向かうのだった。
「お母さん、見つかって良かったですねー」
エルはレモン味のかき氷を口に運びながら、自分たちに何度も頭を下げていた母親と、その母親と嬉しそうに手を繋ぎ、小さな手をぱたぱたと振っていた女の子を思い出した。
今、彼らがいるのは市役所から少し離れた、隣接する農協の建物の近くの空きスペースである。
コンクリートが敷かれた場所に直接腰を下ろし、四人はかき氷をほおばっている。
このかき氷は迷子を見つけたご褒美にと、顔見知りの運営委員のおじさんがご馳走してくれたのだ。
他にも、屋台で買い込んだ食べ物もあり、彼らは少し遅めの昼食を食べているところなのである。
彼らが他の食べ物に先駆けてかき氷を食べているのは、もちろん後回しにすると溶けてしまうからだ。
彼らの周囲には同じようにこの場所を休憩所と定めた者たちがいて、思い思いに腰を下ろして屋台の食べ物を口に運んでいたり、雑談に興じていたりしている。
遠くからはリズミカルな音楽が絶え間なく聞こえてくる。鳴子踊りがまだまだ続いているのだ。
各チームが創意工夫した鳴子踊りは、毎年祭りに文字通り花を添えてくれる。
「さて、と」
そんな音楽を聞きながら、買い込んだ食べ物を粗方片付けた隆が立ち上がる。
「そろそろ始まる頃だ」
彼の言葉に頷いて、康貴たちも立ち上がる。
ただ一人、エルだけは憂鬱そうな溜め息を吐きながら、だったが。
「……一体、どんなことをするんですか? そ、その……『エルフさん』コンテストって……?」
「どれだけ『エルフさん』のイメージに近づけるかっていう、いわば仮装コンテストだよ」
「仮装コンテスト……ですか?」
よく分かっていなさそうなエル。
『エルフさん』本人である彼女からしてみれば、他人が自分に似せて仮装するというのは些か変な感じがするのだ。
他人から自分がどのように見られているのか。気になると言えば気になるし、それを知るのが怖くもある。
「まあ、単なるお祭り企画なんだ。そんなに気にしなくてもいいと思うぞ」
「そうそう。康貴の言う通り。別にエル本人が出場するわけじゃないんだから」
「そうは言っても、やっぱり気になるんですよぉ」
そんなことを言いつつも、四人は『エルフさん』コンテストの会場へと向かって歩き出した。
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