お祭りですか?
帰っていく友人たちを見送るために玄関まで来た康貴は、改めて彼らに言葉をかける。
「今日はエルのためにわざわざ悪かったな」
「気にしないで。わたしたちもエルの様子を見たかったし」
「そういうこった。じゃあ、エルちゃんにお大事にって伝えてくれ」
今日、あおいと隆が赤塚家を訪れたのは、もちろんエルの見舞いのためだ。
ようやくエルの熱も平熱まで下がったため、学校帰りに赤塚家に立ち寄ったのである。
久しぶりにあおいたちと顔を会わせたエルも、まだベッドの上ではあったが楽しそうだった。
隆のボケにあおいが突っ込み、それを見て康貴とエルが笑う。
すっかり定着してしまったやり取りを久しぶりに繰り返し、他愛のない会話を楽しみ、あっと言う間に時間は流れた。
エルの調子が良くなり、康貴がエルの面倒を看ることができるようになった時点で、両親は赴任地で借りている賃貸マンションへと戻っている。
そのため、あおいと隆は八時過ぎまで赤塚家で過ごしてしまった。
途中、康貴謹製の軽食を皆で軽く食べたので、空腹を感じることさえ忘れていたのだ。
二人とも康貴の家に寄ることを予め自宅に知らせてあったため、余計に油断していたのだろう。
現在の時間に気づいた二人は慌てて帰宅の準備を始め、今に至るのだった。
あおいと隆が連れ立って玄関から外へと出ようとした時。
あおいが何かを思い出したようで、もう一度康貴へと振り返った。
「エルの今日の様子なら、今度の日曜日はすっかり元気になっているでしょ? だったら、当然一緒に行くわよね?」
「日曜……? ああ、『夢まつり』か」
康貴の言う「夢まつり」とは、毎年九月に日進市で開催される地元主催の祭りである。
全国的に知られるような大規模な祭りではないが、市内外のダンスチームによる鳴子踊りの演舞や、B級グルメや物販ブースなどの出店も150以上並ぶ。
何より祭りの最後を彩る打ち上げ花火などもあり、近隣の町からも足を運ぶ者たちもいて毎年賑わいを見せていた。
その「夢まつり」が、今度の日曜日に開催されるのだ。
「そうだな。エルにもこっちの祭りを見せてやりたいな」
「ええ。四人で一緒に行きましょう」
「分かった。エルにも伝えておくよ」
康貴の返事に満足そうに頷いたあおいは、手を振りながら今度こそ玄関を潜っていった。
二人の友人が帰った後、康貴は改めて夕食を作り、エルの分を彼女の部屋まで持っていく。
病後で胃腸が弱っているであろうエルのため、今日のメニューはあっさりとした味付けのきしめん──エルの好物でもある──だ。
康貴はエルの部屋に入ると、ローテーブルの上に持ってきたきしめんを置く。
「うわぁ、きしめんですっ!!」
「具は少なめだけど我慢してくれ。まだ消化器系が弱っているかもしれないからね」
康貴がローテーブルに置いたきしめんを見て、エルが目を輝かせて床に置かれたクッションの上に座る。
嬉々とした表情で箸をもち、きしめんに手をつけようとして────ぴたりとエルの手が止まった。
「あ、あの……ヤスタカさんの晩ご飯は……?」
今、目の前のローテーブルの上にあるきしめんは一人分。当然ながら、それはエルの分だ。
「僕は下で食べるよ。ちゃんと自分の分も作ってあるから」
どうやら康貴は、エルの部屋で食事をするつもりはないようだった。
ここ数日、エルはずっと自室で食事を摂っていた。病気中ということであまり動き回らない方がいいという香里の判断だったが、普段から康貴と一緒に食事することの多いエルにしてみれば、やはり一人で食事を摂るのは寂しいことだった。
やっと病気もよくなり、今日はあおいと隆も尋ねてきてくれて本当に楽しかった。
そんな楽しい時間の後に再び一人で食事をするのは、いつも以上に寂しく感じてしまう。
それに。
それに、どうせなら康貴と間近で顔を会わせながら、彼の作ってくれた食事を楽しみたい。
「あ、あのー……ヤスタカさんさえ良ければ、ここで一緒に食べませんか……?」
ちょっとだけ上目遣いで、エルは康貴に願い出た。
「え? 僕もエルの部屋でか……? うーん、まぁ、エル本人がいいなら……」
「ほ、本当ですかっ!?」
康貴が承知してくれたことで、エルの表情が輝く。
一旦階下に降りた康貴は、自分の分のきしめんを持ってエルの部屋に戻ってくる。
ローテーブルのエルの対面に腰を落ち着け、康貴は改めて背筋を伸ばしてエルと向き合う。
「え、えーっと……じゃ、じゃあ、食べようか」
「はい。いただきます」
「いただきます」
二人は同時に箸を持つと、つるつるときしめんを吸い上げていった。
食後にエルのために林檎を切り分けながら、康貴は次の日曜日に開催される祭りについて話した。
「お祭り……ですか?」
「ああ。祭りと言っても所詮は地方の町の小さなものだけどね。でも、僕も昔から毎年行っている祭りなんだ」
日進市の「夢まつり」の歴史は決して古くはない。初めて開催されてから20年も経っていないのだから、康貴は幼い頃から毎年行っているぐらいだ。
それでも、康貴はあの祭り特有の賑やかな雰囲気が好きだった。
「夜には花火も上がるし。楽しめると思うよ」
「ハナビ?」
「あ、そうか。エルは花火を知らないか」
康貴は花火がどのようなものか、彼が知る知識の限りでエルに説明する。
そのエルはと言えば、康貴の説明を聞いている内にどんどんとその顔に好奇心が浮かび上がってくる。
「是非、そのハナビっていうのを見てみたいですっ!!」
まだ見ぬ花火は、エルの好奇心に完全に火を着けたようだ。
「じゃあ、またみんなで行こう。明日学校でそう伝えておくよ」
「はい。私の方からもメールを送っておきますね」
ある程度熱が下がってからというもの、ベッドの上で暇を持て余していたエルは、自分のスマートフォンを退屈しのぎにあれこれと弄っていた。そのため、今ではその扱いにもかなり慣れたようだ。
エルの言葉を聞いた康貴は、頷きながら皮を剥いて切り分けた林檎を、爪楊枝に刺して彼女へと差し出した。
「ありがとうございます! このリンゴって果物、本当においしいですよね!」
エルはローテーブルの上に身を乗り出すようにして、康貴が差し出した林檎を受け取った。
その際、前かがみになった彼女の寝間着の胸元から、その大きくはないが形の良い胸の双丘がちらりと顔を覗かせる。
特に真っ正面にいた康貴からは、滑らかな半円を描く双丘の殆どが見えてしまっていた。辛うじて、その先端の鴇色の果実は見えていなかったが。
しかし康貴にしてみれば、それだけでも十分刺激が強い。
思わず顔を赤くしながらも、慌てて視線を逸らす康貴。
だが、一緒に暮らしている以上、このようなことはどうしても多々あるのだ。
特に今は夏場であり、当然着ているものも薄着ばかり。
胸元から覗く胸の谷間や、袖口から見えてしまう脇の下、服の隙間から垣間見える下着など。
とはいえ、それを口で指摘するのは難しい。男性から女性に「見えていますよ」とは簡単に言えないものだ。
だから、康貴にできることはそれとなく視線を逸らすだけ。
そんな男の葛藤にまるで気づかず、エルは美味しそうに林檎を頬張っている。
彼女にしてみれば、熱が下がってようやくまともなものが食べられるようになったのだ。林檎の美味しさに夢中になるのも仕方ないだろう。
エルが自分の胸元の無防備さに気づき、可愛い悲鳴を思わず上げるのはもう少し後のことだった。
翌朝、康貴が学校へ登校すると、既に隆もあおいも教室にいた。
二人は康貴が教室に入ってきたことに気づくと、朝の挨拶と共に彼の傍へと近寄ってくる。
「よ、おはようさん、康貴。夕べ、エルちゃんからメールが来たぜ」
「おはよう、康貴。あたしの所にもメール、来ているわよ」
「おはよう、あおい、隆。エルのメールにもあったと思うけど、日曜はまたあおいの家に集合でいいよな?」
「それでいいわよ。あたしの家に集合してから、駅前から出ている巡回バスでお祭りの会場の市役所まで行けばいいものね」
「夢まつり」には、毎年参加している康貴たちである。とはいえ、幼稚園にさえ入園していないような年齢だった頃のこと、具体的にどのような催しがあったのかまでは覚えていない。
その後は毎年、いつもの三人にそれぞれの兄や姉、そして保護者として誰かの親と一緒に行っていた。三人だけで祭に行くようになったのは、彼らが中学に入学してからのことである。
だが、今年からは三人ではなく四人での参加となるだろう。
「そういや、今年はちょっと変わった催しをするって、父さんが言っていたな」
「催し? いつもの鳴子踊りとかじゃなくて?」
「ああ。鳴子踊りは例年通り今年もやるそうだけど、それ以外に何か企んでいるらしい。詳しいことは教えてくれなかったが、すでにそれなりに根回しはしてあるそうだ」
「隆の親父さんの根回しかぁ。なんか途方もないことやりそうでちょっと怖いな」
例の「エルフさん」の企画がヒットして以来、隆の父親である萩野市長の名声は高まっている。
最近では休日ともなると、「日進市のエルフさん」の姿を求めたカメラ片手の観光客を市内のあちこちで見かける。その影響は経済効果としてはっきりと数字で現れており、各方面からは次の施策の期待が高まっているそうなのだ。
その萩野市長が何やら企んでいると聞き、康貴たちは期待半分怖さ半分といったところだった。
「まあ、例年通りに屋台もたくさん出るだろうから、そっちでエルを楽しみませてやれればいいよな」
「そうね。あの娘にしてみれば、こっちでのお祭りは初めてでしょ?」
「そういや、屋台といえば盆通りの時の金魚、元気か?」
「最初は物置の片隅に転がっていたプラケースで飼っていたんだけど、エルはすぐに小さいけれど本格的な水槽やエアポンプなんかを自分で買ってきてさ。自室でしっかりと飼っているよ」
「ああ、そういや、昨日エルちゃんのお見舞いに行った時、部屋の隅の机の上に水槽があったっけな」
「あれ、やっぱりあの時の金魚だったのね」
すっかり金魚を気に入ったエルは、康貴にインターネットで金魚の買い方を調べてもらい、それに従って熱心に世話をしている。
金魚は一匹だけだが、水槽内の掃除屋として近所の田圃の用水路などでタニシやスジエビなども捕まえてきて、金魚と一緒に水槽内で暮らしているためちょっと賑やかだ。
時には
ちなみに水槽の水が汚れてきた時は、水を浄化する魔法を使って一瞬で綺麗にしているとのこと。
「うふふ。きっとエルのことだから、金魚掬いの屋台を見つけたらまたやりたいって大騒ぎするでしょうね」
「まあ、あと一、二匹ぐらいならあの水槽でもよさそうだけど……あまり増えるようならもっと大きな水槽が必要になってくるなぁ……」
そうなると、エルの部屋にある小さな机の上には置けなくなり、改めて置き場所を考えなくてはならなくなる。
それでもそれでエルが喜ぶのなら、あれこれと悩んでみるのも悪くはない。
きっとその時は、康貴だけではなくあのエルフの少女も、笑顔を浮かべながら一緒に考えてくれるだろうから。
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