盆踊りですか?

 からころ、からころ。

 からころ、からころ。

 下駄を軽やかに鳴らしながら、浴衣姿のエルとあおいがゆっくりと歩く。

 エルが着ている浴衣──元々は康貴の姉のもの──は、濃紺の地に青い蝶を描いたもの。

 蝶の羽がグラデーションを描いており、鮮やかな印象を与えている。

 また、暗い色合いが逆にエルの金髪を更に映えたものにしていた。

 帯の色も髪の色に合わせて淡い黄色。そこに青い帯紐がアクセント。

 でも、肩からぶらさげられたペットボトルのケースと、外出時の変装用の伊達眼鏡がちょっとミスマッチだ。

 一方のあおいはと言えば、鮮やかな空色の地にピンクと黄色の鳥をあしらったもの。

 帯も鮮やかな赤紫で、エルとは対照的に華やかな印象だった。

 あおいの方は帯紐を使わず、手に下げた巾着がワンポイントになっている。

 彼女たちの後ろを歩くのは、もちろん康貴と隆である。

 彼らは女性陣とは違って浴衣ではないが、二人とも夏の夕暮れらしくTシャツにハーフパンツという涼しげな格好だった。

 彼らがこれから向かう盆踊りは、決して大きなものではない。

 毎年町内会が主催する小さな規模のもので、出店だって同じく町内会や小学校のPTAの役員が店員を務めていて、その数もごく僅か。

 それでも、昔から続く日本の夏を感じさせるには、十分な舞台だろう。

 盆踊りの会場に近づくにつれて、懐かしさを感じさせる音楽が四人の耳にも届いてくる。

 生演奏ではなく録音されたものだが、その聞き慣れたリズムは思わず昔を思い出させてくれる。

「うわぁ……何かあっちの方が明るくて賑やかですよ?」

 一方、異世界から来たエルにしてみれば、その光景も音楽も全てが初体験だ。

 彼女のその蒼い目は今、初めて目にする盆踊りにきらきらとした輝きを浮かべていた。

 盆踊りの会場となっている広場に入ると、そこには既にかなりの人が集まっていた。

 やはり、一番目に付くのは小学生ぐらいの子供たちだ。両親と、もしくは友達同士でここに来て輪になって踊っている盆踊りや、その広場の外周にある出店を楽しそうに覗いている。

「ふわぁ……これがボンオドリですか……」

 賑やかな音楽と明るい照明の中で踊る人たち──その多くは踊りの先導役のボランティアの人たち──を、エルは興味津々といった感じで眺めていた。

 ゆったりとした盆踊りの民謡が流れる中、康貴たちはまず出店を覗いてみることにした。

 出店といっても小規模なもので、ジュースやビールなどを売っていたり、お決まりの焼きそばやフランクフルトやかき氷などを売っていたりするぐらい。もちろん、金魚掬いやくじ引きといった子供向けの出店もある。

 そんな中で、エルが最も興味を向けたのは金魚掬いだった。

「わぁ……小さくて綺麗な魚が一杯います!」

 おそらく金魚を目にするのは初めてであろうエルは、その色鮮やかでゆらゆらと泳ぐ金魚をじーっと見つけている。

「お嬢ちゃん、外国人なのに随分と日本語が上手いねぇ。どうだい、ひとつ遊んでみないか? なぁに、外国の別嬪さんに免じて、最初の一回はサービスだ!」

 店主らしき中年のおじさんが、にこやかにエルに向かってポイを差し出す。

 エルは康貴を振り返って彼が頷いたのを確認すると、差し出されたポイを受け取る。

「あ、あのー……これをどうするんですか?」

「それで泳いでいる金魚を掬い上げるんだよ。ほら、周りを見てみろ」

 康貴に言われて自分の周囲を見回せば、小さな子供たちがポイを手にして果敢に金魚に挑んでいる。

「なるほどぉ。よぉし、やってみます!」

 気合いを入れたエルが、手にしたポイを勢いよく水中へと突っ込む。

 だが、そんな乱暴に扱えば、薄い和紙でできたポイはあっと言う間に破れてしまう。

「や、ヤスタカさぁぁん……これじゃあキンギョを掬えっこないですっ!! インチキですっ!!」

 無残に破れたポイを康貴に見せつつ、エルは康貴に向かって頬を膨らませる。

「そこをどうにかして掬うのが、金魚掬いのおもしろさなんだよ」

 康貴は苦笑しつつ小銭を店主に渡し、新しいポイを受け取る。

「まあ、見ていろって」

 エルと場所を交替した康貴は、慎重にポイの半分ほどを水に着けながら、表面を泳ぐ金魚を見事に掬い上げた。

「お、おおー。凄いです、ヤスタカさんっ!!」

「ポイの全部を一気に水に着けないことと、表面を泳ぐ金魚を狙うのがコツだな」

 康貴はまだまだ使えるポイをエルに手渡しながら、再び場所を入れ替わる。

 先程の康貴を見習い、エルは今度こそと慎重に狙いを定めながらポイを水に入れる。

 水面を泳ぐ金魚の下にポイを忍び込ませたエルは、会心の笑みと共にポイを水から引き上げた。

 しかし。

 引き上げる勢いが強すぎたのか。再びポイは破れて、一旦は救い上げた金魚が水中へと落下する。

「うぅ~。やっぱり難しいです……魔法を使えば簡単にキンギョを取れるのに……」

「いやいや、ここで魔法を使ったら駄目だからな?」

 水を操るエルの精霊魔法ならば、ゆったりと泳ぐ金魚を一網打尽にすることだってできるだろう。

 もちろん本当にエルが魔法を使うとは思わないが、それでも一応釘を刺しておく康貴だった。

「ほら、そのポイはまだ使えるから、もう一回チャレンジだ」

 水に着けていたのはポイの半分ほどだけなので、残る半分はまだ濡れてもいない。十分に使用に耐えうる。

「よ、よぉし、今度こそ!」

 闘志を燃やして再び金魚掬いに挑むエル。だが、そんな闘志も虚しく、残ったポイの半分もあえなく破れ去るのだった。



 結局、最初に康貴が掬った一匹だけを袋に入れてもらい、金魚掬いを後にしたエルと康貴。

 彼らが金魚掬いに夢中になっている間に、あおいと隆は姿を消していた。おそらく、二人でどこか他を見物しているのだろう。

 とはいえ、狭い盆踊りの会場内である。探せばすぐに見つかるだろうと、康貴とエルは金魚の入った袋をぶら下げながら歩き出した。

 その途中、エルは金魚の入った袋を目の高さまで持ち上げると、とても嬉しそうに相好を崩す。

「このキンギョって魚、とっても可愛いですねぇ」

「金魚が気に入ったのか? だったら、家で飼ってみるか?」

「えっ!? この魚、飼うことができるんですかっ!?」

「まあ、金魚って手軽に飼えるけど……飼うつもりじゃなかったら、どうするつもりだったんだ?」

「いや、その……て、てっきり……食べるのかと……」

 段々と尻すぼみになっていくエルの言葉を聞きながら、康貴は変なところで感心する。

 康貴たち、というか日本人はまず「金魚」=「食べる」という発想をしないが、異世界人であるエルからすれば、「魚」=「食料」という考えがまず来るのかもしれない。

 それとも、サバイバルが基本の冒険者の性として、何よりもまず「食べられるか食べられないのか」を最初に考えるのだろうか。

 もしかするとエルのいた世界では、ただ単に魚を飼うという文化がないのかもしれないが。

「それじゃあエルは、食べるつもりの魚を見てにやにや笑っていたのか?」

「うっ、そ、それはその……で、できれば食べずに済ませられないものかな、と考えていまして……」

「本当かなぁ?」

「ほ、本当ですよっ!! もうっ!! ヤスタカさんは意地悪ですっ!!」

 ぷくーっと頬を膨らませるエルと、そんなエルをおもしろそうににやにやしながら見つめる康貴。

 やがてどちらからともなく笑い出すと、二人は再びあおいと隆を探して盆踊りの会場を歩き始めた。



 程なく、隆とあおいを見つけることができた。

 ただし、その時は隆とあおい以外にも見知った顔が一緒にいたのだが。

「いやぁ、まさかここで木村さんに会えるなんて幸運だなぁ」

「ほんと、ほんと。浴衣、とっても似合っているよ」

 その見知った顔たちは、しきりにあおいのことを褒め称えている真っ最中だ。

「あれ? 安田と沢田? おまえらも来ていたのか?」

 隆たちと一緒にいたのは、クラスメイトの安田と沢田という男子たちだ。彼らもやはり中学からの同級生で、康貴や隆とも親しい連中である。

「おっと、やっぱり赤塚も一緒だったか」

「本当におまえらって、いつも三人で一緒だよなぁ……って、あれれ?」

 安田と沢田の二人が、康貴の隣にいるエルを見て目を丸くした。

「お、おい赤塚……おまえの隣の金髪美少女は……だ、誰……っ!?」

「安田には以前に電話で少し話したよな? 家庭の事情でいもうとができたって」

「あ、ああ、例の浅間神社の怪談の話をした時だよな?」

 エルが幻の精霊であるレンプラーススと契約する切っ掛けとなった、骸骨が出没するという怪談。それを電話で伝えて来たのがこの安田だった。

「その時話した義妹がこのだよ」

「とある事情でヤスタカさん……じゃない、さんの義妹になりました、エルルーラ・ザフィーラ・フィラシィルーラ・アカツカといいます。長いので、呼びにくかったらエルと呼んでください」

 エルがぺこりと頭を下げると、それまでぽーっと彼女に見蕩れていた安田と沢田の二人が、はっと我に返って慌てて自己紹介を始める。

「あ、あのっ!! 俺……じゃない、僕、お義兄さんのクラスメイトの安田といいますっ!!」

「同じく、沢田ですっ!! お義兄さんとは、学校でも仲良くさせていただいておりますっ!!」

「いやぁ、まさかここで噂の赤塚の義妹さんに会えるなんて幸運だなぁ」

「ほんと、ほんと。浴衣、とっても似合っていますよ」

「……ちょっと、あんたたち……」

 調子のいい級友二人のやり取りを聞いて、あおいが怒気の篭もった視線を彼らに向ける。

「今あんたたちが言っているのって、さっきあたしに言っていたこととまるっきり同じじゃないっ!!」

「うぎゃああああ、し、しまったっ!! ご、ごめん、木村さんっ!! でもここで木村さんと義妹さんに会えたことは本当に幸運だと思っているよっ!!」

「そ、そう、そう。二人とも本当に浴衣が似合っているねっ!!」

「おまえたちさぁ……他に女の子を褒める言葉を知らないのか?」

 呆れたように隆が言えば、安田と沢田は二人揃って右手の親指を突き出した。

「当然じゃないかっ!!」

「俺たちみたいなごく一般的モブ男子が、気の利いた口説き文句をたくさん知っているはずがないだろっ!!」

「そうだそうだ! モブ男子をなめんなよっ!!」

「あんたたち……それ、自分で言っていて情けなくないの?」

「まったくだ。あおいの言う通りだぞ」

 そう言いながら康貴たちに近づいて来たのは、同じく康貴たちのクラスメイトである沢村愛だった。

「あれ? 沢村? おまえも来ていたのか」

 愛はエルやあおいとは違って浴衣ではなく、Tシャツにデニムパンツというラフなスタイルだ。

「まあ、私の家も近くだしな。ここに来れば、きっと赤塚たちと会えるんじゃないかと思ったんだ。お久しぶり、エルさん。この前は取り乱してしまって済まなかった」

「お久しぶりです、メグミさん」

「いや、今日もエルさんは相変わらず可憐だな。うん、浴衣もとても似合っている」

「ありがとうございます」

 あおいと愛、そしてエルは、同性ということもあってあっと言う間に話の花を咲かせ始める。

「そういや隆。どうして突然いなくなったりしたんだよ?」

「おまえとエルちゃんがいい雰囲気だったからな。気を利かせてやったんじゃないか。それに安田たちの姿を見かけたから、ちょっとあいつらにも声をかけようと思って」

「それよりも赤塚っ!! おまえ、電話では新しい義妹さんの容姿は普通とか言っていたけど……めちゃくちゃ可愛いじゃないかっ!! しかも金髪の外国人っ!!」

「そ、そうかな……? 僕はエルの容姿は割と普通の方じゃないかと思うけど……」

「義妹さんのどこが普通だよっ!? どこからどう見ても義妹さんは可愛いじゃないかっ!!」

 男性陣がそんなことを話していると、先程までエルやあおいと話していた愛がいつの間にか康貴の背後に近づき、つんつんとその背中を指で突いた。

「なあ、赤塚。実はおまえに少し頼みがあるのだが」

「え? 沢村が僕に頼み? そりゃまた珍しいな」

「何、そんなに難しいことじゃない。そこら辺の暗がりで、ちょっと私と子作りしてくれないか?」

「ああ、子作りね。それならお易い御用だ……………………って、ええええええええええっ!? こ、子作りって、よ、要はせ、セック────」

 突然とんでもないことを言い出され、康貴は真っ赤になって絶句する。

 そしてそれは康貴だけではなく、隆も安田も沢田も、そしてあおいもエルもぽかんとした顔で愛を見つめた。

「真面目な赤塚のことだ。一度でも既成事実を作ってしまえば、最後まで責任を取ろうとするだろう? 私はどうしてもおまえと結婚したいんだ」

「ぼ、僕と結婚って……い、いきなり何を言い出すんだよ、沢村っ!?」

「おまえと結婚すれば、エルさんは私の義妹になるじゃないか。私もエルさんのような可愛い義妹が欲しいっ!!」

 愛は拳を握り締め、背後に炎を背負う勢いで力説する。

「め、愛っ!! この前のことまだ言っているのっ!?」

「だ、駄目ですっ!! ヤスタカさんとこ、子作りなんて……ぜぇっっっっったいに駄目ですっ!!」

「これは私と赤塚の問題だろう? それにこう見えてもあおいほどじゃないが、それなりのプロポーションはしているつもりだ。抱いてみても退屈はさせないと思うぞ? さあ、赤塚。いざ、快楽の岸辺に共に行こうじゃないかっ!!」

 呆然としている康貴の手を引いて、本当に彼を暗がりに連れ込もうとする愛を、あおいとエルが必死になって引き止める。

 盆踊りの音楽に負けないくらいにぎゃいぎゃいと騒ぐ少女たちを、隆はぽけっとしたした表情で見つめながらぽそっと呟いた。

「………………………………何? この混沌カオス……」

 本当、混沌だった。


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