打ち合わせですか?
今日も今日とて、真夏の太陽の自己主張はとても激しい。
そんな凶暴なまでに強い日差しの中、エルはのんびりと日進市の町中を歩いていた。
日傘を差して、極力日陰を選びながら。それでも、彼女の体中からじっとりと汗が吹き出してくる。
時折吹き抜ける風に、黒縁眼鏡の奥の蒼い瞳を細めながら。
エルは目的地を目指す。
彼女が今、目指している場所。
それは康貴のバイト先であり、あおいの兄である木村
あおいの家が入っているマンションの一階。そこに「ある~む」は存在する。
店の前に出ている「ある~む」という店名の入った看板。その看板の上でくるくると回りながら光る物体──いわゆるパトランプ──を見て、エルはこくんと首を傾げる。
「……看板は分かるけど……これは何でしょう?」
これと同じパトランプは、町のあちこちで時々見かける。
多くは「ある~む」と同じ喫茶店などの飲食店の看板の上で。中には道を走っている白と黒に塗り分けられた車や、全身真っ赤な車、そして白くて赤いラインの入った車などの屋根の上にも。時々、それらの車がけたたましいサイレンを鳴らしながら走っているのを、エルも何度か目撃していた。
なぜか、名古屋圏の喫茶店などの飲食店の看板には、パトランプが設置されている場合が多い。
場合によっては二つ三つと設置されている店舗もあり、他県から来た者が見ると異様に感じるほどらしい。
当然ながら異世界人であるエルにも、看板の上のパトランプは意味不明の物体であった。
首を傾げつつも、エルは「ある~む」の入り口のドアを押し開ける。
中から流れ出てくるエアコンの冷気が、すうと彼女の汗ばんだ身体の表面を冷やしていく。
それと同時に、興奮を抑えきれない叫び声もまた、エルの耳を襲撃した。
「おおおおおおおおおおっ!! ほ、本当にエルさんがボクの店に来てくれるなんてっ!!」
興奮した様子でエルを出迎えたのは、もちろんこの店の店長である孝則であった。
カウンターの奥から飛び出した孝則は、素早くエルに駆け寄ると満面の笑顔を浮かべながら、彼女の手を掴んでぶんぶんと勢いよく上下に振る。
「え、えっと……」
困惑するエル。興奮する孝則。
「お? おおおおおっ!? み、耳が……す、凄いっ!! 妹から聞いてはいたけど、これが本物の魔法か……っ!!」
エルの耳が人間そっくりに見えることに気づいた孝則は、更にテンションを上げる。
その異様なまでのテンションの高さに、店内にいた客が何ごとかと一斉に二人に注目する。
そんな中で、客の一人が不意に立ち上がると、何かを押さえ込んだ表情のままつかつかと二人に歩み寄る。
そして無言のまま、孝則の横っ腹に鋭い蹴りを叩き込んだ。
どむ、という鈍い音と共に、脇腹を押さえて踞る孝則。
「何やっているのよ、この馬鹿兄貴っ!! 見なさいっ!! エルが怯えているでしょうがっ!!」
腰に手を当てながら仁王立ちするあおいと、その足元に腰を押さえながら悶絶する孝則。
そんな二人のやり取りを、喫茶店の常連たちは微笑ましく見つめていた。
「やれやれ。また孝則くんとあおいちゃんの喧嘩かい?」
「相変わらず仲がいい兄妹だねぇ」
幸い、店の中には常連客しかおらず、常連客はいつものできごととばかりに笑い合っている。
彼らは「喧嘩するほど仲がいい」を地でいくこの兄妹を、昔からよく知っているのだ。
孝則が立ち上がれない間に、あおいはエルの手を引いて、さっさと自分たちの席へと連れて行く。
そこには隆の姿もあり、笑顔を浮かべてエルに手を振っていた。
「外は暑かっただろ?」
そう言いながら椅子に座ったエルにお冷やを差し出したのは、この店のエプロンを着けた康貴だった。
現在彼はバイト中であり、店員として注文を聞くためにエルやあおいたちがいる席へとやって来ていた。
「それで、ご注文は何になさいますか、お客様?」
少し気取った風で、康貴はエルに尋ねる。そして、いつもとちょっと違う様子の康貴に、エルも楽しそうに笑っている。
「うふふふ。何かお薦めはありますか、店員さん?」
「お薦めですか? そうですねぇ……」
何を薦めようかと考え込む康貴。そこへ、隆が横から口を挟み込む。
「だったらナポリタンなんてどうだい、エルちゃん? ここ……『ある~む』のナポリタンは美味いぜ? なんせ康貴が作っているからな」
「ヤスタカさんが? じゃあ、それにします!」
康貴の作る料理の美味さは、毎日それを口にしているエルが一番理解しているところだ。
そんな康貴の作るナポリタンを、エルは迷わずに注文する。
注文を承った康貴は、エルの様子に苦笑しながらも、どこか嬉しそうな顔でカウンターの奥へと引っ込む。
その姿を目で追っていたエルは、彼の姿が見えなくなると改めて店内の様子を観察した。
店内の照明は少し暗めで、落ち着いた雰囲気だ。
それでいて道路に面した面は大きなガラス張りになっており、中から外の様子がよく見える。
有線のチャンネルらしきゆったりとした音楽が流れる店内は、エルたち以外にも多くの客が入っており、思い思いに話の花を咲かせていた。
時折、ちらちらとエルの方を伺う者もいるが、それは彼女の飛び抜けた外見のせいか、外国人という存在が気になるかのどちらかだろう。
とはいえ客の年齢層はそれなりの年齢以上の人間ばかりであり、エルに声をかけてくるような者は一人もいなかった。
そして店内を観察するエルの目を引いたのが、カウンターの上にでん、と置かれている全長四十センチはありそうな巨大な少女のフィギュアだ。
そのフィギュアはファンタジックな衣装を纏い、手には魔法の杖。そして何より、ピンと尖った長い耳をしていた。
「あ、あれってエルフですよね?」
「そう。兄貴の趣味よ。どこかのエルフキャラのフィギュアで、兄貴の最もお気に入りのシロモノをああやって店内に飾っているの」
呆れたようにあおいが言う。
見れば、そのフィギュア以外にもエルフ関連のグッズが店内のあちこちに展示されている。
さすがに店中にグッズが溢れているようなことはないが、初めて訪れた客などは若干引いてしまうのは間違いないだろう。
そして更によく見れば、洒落た写真立てに入れられた一枚の写真がエルの目に留まった。
それは淡い金髪で蒼い目のエルフの女性の写真で、ファンタジックな衣装でにっこりと笑っているものだ。
「あ、あれって……」
それを見たエルの頬が、瞬く間に赤く染まる。
「そうよ。兄貴のお気に入りの一枚だってさ。市のホームページから落として、大喜びでああやって飾っているのよ。ちなみに、店の中にはあれ一枚だけど、兄貴の部屋にはもっとたくさんの『エルフさん』の写真があるわよ?」
「あうぅぅぅ…………」
エルは真っ赤なまま、肩を竦めてそっと周囲の様子を窺った。
どうやら店にいる客たちは、エルが写真の人物と同一だとは気づいていないらしい。
そのことにほっと安堵しているエルの元へ、再び康貴が現れる。
「はい、お待ちどうさま。『ある~む』名物の鉄板ナポリタンだ。あと、紅茶は店長からのサービスだってさ」
音を立ててエルの前に置かれたのは、細長い木枠に熱した鉄板を嵌め込み、そこに卵を薄く敷いた上にナポリタンを盛りつけた、これまた名古屋圏名物の鉄板ナポリタンだ。
鉄板が熱してあるため、上に乗せられたナポリタンが冷めにくいというアイデアの料理である。
「鉄板が熱いから注意するんだぞ?」
「はい! タカノリさんも紅茶ありがとうございます!」
康貴謹製の料理を見た途端、エルの表情が輝く。そして、カウンターの向こうでにこやかに手を振っている孝則にも、笑顔で礼を告げた。
「もう少ししたら休憩だから、そうしたら今度の計画の打ち合わせをやろう」
「ええ。康貴もバイトがんばってね」
「仕事に勤しみたまえよ、勤労少年」
あおいや隆からも声をかけられて、康貴は仕事に戻って行った。
三十分ほどが過ぎて、再び康貴がエルたちの席に戻って来た。
今の彼はエプロンをしていない。先程彼自身が言ったように、休憩時間に入ったからだろう。
「じゃあ、康貴も来たことだし……今度プールへ行く日取りなどを決めるわよ?」
小さなバッグから手帳を取り出して、八月のカレンダーのあるページを開きつつ、あおいが議題を進行させていく。
「あたしの都合の悪い日は、この日とこの日……あとはこの日ぐらいかしら? それから、今月の終わりの週は全部駄目だからね」
あおいが自分の手帳のカレンダーに、都合の悪い日に「×」印を書き込む。
月末の都合が悪い理由をあおいは語らないが、康貴も隆も何となくその理由を察した。これまでつき合いの長い彼らである。あおいでなくても、女の子が一週間丸々プールに行けないとなると理由は大体限られてくる。
「あ、僕はこことここと……ここがバイトだけど、逆にそこ以外は大丈夫だな」
「俺はいつでもいいぜ? 皆の都合に合わせる」
「私もアオイさんと一緒で、月末以外ならいつでも大丈夫です」
四人は顔を付き合わせて、あれこれと予定を立てていく。
そんな四人の様子を、カウンターの奥から孝則がちょっと羨ましそうに眺めていたが、四人はそれに気づいていない。
「じゃあ、この日に決まりね! 明後日の正午に、あたしの家に集合。いいわね?」
あおいが一同の顔を見回して確認する。それに応じるように、残る三人も頷いた。
「日進市の総合運動公園のプールは午前と午後に入替えがあって、午後は一時からのオープンだったよな?」
「そのはずだぜ? 一応、確認してみるか?」
隆が自分のスマートフォンを取り出して、インターネットに繋いで確認してみれば、康貴の言うように午後の開始は一時からだった。
「あたしの家から総合運動場まで自転車で三十分ぐらいだから、正午に集まって少ししてから出ると丁度いい時間よね?」
その後も細かな予定を立てて行く。その途中で、ふとあることに気づいた康貴が、自分の隣に座っているエルに尋ねてみた。
「そういや、エルって泳げるのか?」
「私はザフィーラ族のエルフですよ? 当然、泳げます!」
えっへんと胸を張るエル。どうしてザフィーラ族だと泳げて当然なのかは康貴たちには分からないが、きっとエルの世界では常識に分類されるようなことなのだろう。
「…………じゃあ、こんなところかしらね。これ以外で何かあれば、その時に改めて連絡を取り合うってことで」
予定を纏め終えたあおいが、手帳にあれこれと書き込みながら終了を宣言する。
「後は当日の天気だけど……」
「それなら大丈夫そうだ。今週一杯、天気は保つってよ」
隆がスマートフォンで、今週の天気を確認する。
「でも、最近はゲリラ豪雨とかもあり得るからなぁ。用心だけはしておこう」
夏場なのだから、突然の雨に濡れても風邪をひくようなことは滅多にないだろう。
しかし。
屋外で、しかも自転車に乗っている途中に豪雨に遭遇すれば、何かと拙いことも多々ある。
例えば今は夏場なのだから、康貴も隆も、そして女性のあおいもエルもかなり薄着だ。
そこに豪雨が降って濡れてしまえば、色々と透けて見えてしまったりする。
男の康貴と隆ならば少しぐらい濡れても何も問題はないが、エルとあおいはそうはいかない。
そのため、レインウェアなどの雨具は念の為に用意しておくべきだろう。
「そういや、この前一緒に水着は買いに行ったけど、あおいやエルちゃんがどんな水着を買ったのかまでは知らないんだよなぁ」
「そういや、そうだよな」
「ふっふっふっ。当日にあたしたちの水着姿はお披露目してあげるから、楽しみにしていなさい」
「お? 自信たっぷりだな?」
「もちろんよ。こう見えても、日頃から体型を維持するために結構努力しているんだから。決してみっともないものじゃないと思うわ」
あおいのスタイルの良さは、康貴も隆もよく知っている。もちろん実際に裸を見たことなどはないが、学校のプールの授業や去年も一緒に泳ぎに行ったりもしているのだ。
そんなあおいの水着姿を思わず想像し、ごくりと唾を飲み込む康貴と隆。
彼らも年頃の青少年だ。同年代の少女の水着姿に興味がないわけがない。
それに加えて、今年はエルもいる。あおいに比べるとボリュームの点では劣るものの、手足の長さやすらりとした日本人離れしたそのスタイルは、決してあおいに負けるようなことはない。
「えへへ。明後日、楽しみですね」
「あ、ああ、そうだな」
確かに、康貴も隆もこのメンバーで行くプールは楽しみであった。
いろいろな意味で。
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