木村家にお邪魔ですか?
近くを通りかかったから、という理由で遊びに来ていたクラスメイトの
唐突に来客を告げるインターフォンが鳴ったのが、あおいの耳に届いた。
それに対応しようと腰を上げかけるも、すぐに母親の声が聞こえてきたので、あおいは改めて腰を落ち着けて愛の方へと顔を向ける。
「いいのか?」
言葉短く尋ねる愛に、あおいは顔の前で右手をぱたぱたと振るう。
「うん。お母さんが対応しているみたいだし。もしもあたしに用なら、お母さんが呼んでくれるでしょ」
愛もあおいの意見に同意し、小さなテーブルの上に置かれたコーヒーのカップへと手を伸ばした。
その時、部屋の扉が軽くノックされ、外からあおいの母親の声がした。
「あおい。ちょっといいかしら。エルちゃんが来ているのだけど……」
「え? エルが? 一人で? 康貴は?」
「ええ、エルちゃんだけよ。康貴くんは一緒じゃないわ」
あおいは思わず、部屋の壁にかけられている時計へと目を向ける。
現在の時刻は午後四時を少し過ぎたところ。冬場ならばもう暗くなり始めるだろうが、夏場のこの時間はまだまだ明るい。
エルが一人で出歩いても問題はないが、それでもどこへ行くのも一緒のはずの康貴がいないというのはどういうわけだろう。
「どうかしたのか? 随分とおもしろい顔をしているぞ? ところで、エルって誰だ?」
知らず眉を寄せながら首を傾げていたあおいに、苦笑を浮かべた愛が声をかけた。
言われたあおいは慌てて表情を改め、こほんと軽く咳払いを一つ。
「エルは友達よ。ほら、以前に少し話したことあったでしょ? 康貴の家でホームステイしている外国人の女の子がいるって」
「ああ、そんな話も確かに聞いたな」
「その後、いろいろと事情があって……結局その娘は康貴のご両親が養子として引き取ったらしいの」
詳しいことはさすがに聞いてないけどね、と最後にあおいは付け加えた。
「ほう。すると何か? 赤塚の奴には、血の繋がらない外国人の
「そう。ちなみに、エルは康貴の義妹ってことになったわ」
「ほほう。それは実に興味深い」
あおいは、目の前にいる友人の目がきらんと光ったような気がした。
「できれば、そのエルさんとやらを私にも紹介してくれないか?」
「え? ええ、エルに聞いてみるけど……でも、どうして?」
「そりゃ、外国人の友人ができる機会なんて滅多にないからな。こういう好機は是非、活かさねば」
「ふぅん……それで、本音は?」
「もちろん、赤塚の義理の妹とやらを見てみたい」
隠すこともなくあっさりと本音を告げる愛に、あおいは深い溜め息を一つ吐いた。
「いらっしゃい、エル……あら?」
愛を部屋に残してリビングに顔を出したあおいは、そこで椅子に座るエルを見て違和感を覚えた。
ターコイズブルーのタンクトップに、ボトムはライトグレーのショートパンツ。その上から、ライトイエローの地にネコの足跡柄のライトパーカーという夏っぽい涼しげな格好。
それが今日のエルの服装だった。
だが、違和感の正体はそれではない。思わずじっとエルの顔を見つめたあおいは、ようやくその違和感の正体に気づく。
「耳、どうしたの?」
長くて先の尖ったエルフ特有の耳。その耳が、人間と同じようなものになっている。
「実はですね────」
あおいはエルから魔法で誤魔化していると聞き、改めてまじまじと彼女の耳を見てみた。
「…………魔法って凄いわね……」
すっかり人間と同じになっているエルの耳を見つめながら、あおいは感嘆の溜め息と共に呟く。
しばらくそうしてエルの耳を様々な角度から観察していたあおいだが、エルがどうして突然やって来たのかに思い至った。
「それで、今日はどうしたの?」
「これを見てくださいっ!!」
にっこりと嬉しそうに笑ったエルがポケットから取り出したのは、本日購入したばかりのスマートフォンだ。
「あら、スマホを買ったの?」
「はい! 今日、カオリお
エルは購入したばかりのスマートフォンを嬉しそうに眺め、あおいもそんなエルに思わず微笑みを浮かべる。
「えっと……デンワチョウでしたっけ? それにヤスタカさんとカオリお義母、ユウジお義父さんのすまーとふぉんの番号とめーるあどれすって奴は登録したんです。それで……アオイさんのも登録したくて聞きに来たんですけど……いいですか?」
ちょっぴり上目遣いであおいを見つめながら、そう尋ねるエル。
あおいはエルに破顔しながら、その申し出を快諾した。
「もちろんよ。こちらからお願いしたいぐらいだわ」
「ありがとうございます!」
「でも、あたしの番号やアドレスなら、康貴に聞けばいいんじゃない?」
「ヤスタカさんは、いくら親しい相手でも個人情報だからきちんと本人の確認を取ってからだ、って言っていました」
真面目な康貴らしい。あおいはそう思う。
そして、次に会った時にではなく、こうしてスマートフォンを購入した当日にわざわざ家にまで来てくれた、エルの気持ちがあおいは何より嬉しかった。
「ところで、どうして一人なの? 康貴は?」
スマートフォンの番号とアドレスを交換してから、あおいは康貴が一緒じゃない理由を聞いてみた。
「ヤスタカさんなら、家で晩御飯の準備をしていますよ。私がアオイさんの家に行くと言ったら、御飯の準備で忙しいから一人で行って来いって」
魔法で耳を誤魔化したことで、今後エルは今まで以上に一人でも自由に動けるだろう。
おそらく康貴もそう考えて、今後の予行演習代わりにここまでエル一人で来させたに違いない。
「ふぅん。それで家から歩いて来たってわけ?」
「いえ、自転車で来ました」
「え? 自転車に乗れるようになったの?」
「えへへ。がんばりましたっ!!」
拳をぎゅっと握り締め、自慢気に胸を張るエル。
彼女が最近、熱心に自転車の練習をしていたことはあおいも知っている。少しだけだが、その練習に付き合ったこともある。
何度も何度も転びつつ、それでも果敢に練習に励んでいたエルの姿を思い出して、あおいは彼女に向かって優しく微笑んだ。
あおいの微笑みに笑みを浮かべ返しながら、エルが今後の自分の野望について語る。
「今はまだヤスタカさんの自転車を借りていますが、いつかは自分専用の自転車を手に入れるのが今の私の目標です」
「そう。でも、これで行けるところが多くなるわね」
「はいっ!! 今からとっても楽しみですっ!!」
自転車に乗れるようになれば、行動範囲もぐんと広くなるし、出かけることがもっと楽しくなるだろう。
康貴と。エルと。あおいと。隆と。時には他にも同行者が増えるかもしれない。
そんな近い未来のできごとを、エルとあおいは笑い合いながら楽しそうに語り合った。
「あー、楽しそうなところを何だが……」
突然割り込んで来た声に、あおいとエルは揃ってそちらへと振り向く。
「いい加減、私を彼女に紹介してくれないか、あおい」
「あ、ごめん、愛。エルとの会話に夢中ですっかり忘れていたわ」
「……何げに私の扱いが酷くはないか?」
むすっとした表情を浮かべた愛が、視線をあおいから離してエルへと移動させる。
「………………………………」
エルの顔を見た途端、突然魅入られたように黙り込む愛。エルとあおいは、突然様子が変わった愛に不審そうに首を傾げた。
「…………なあ、あおい…………」
「どうしたの?」
「……私も赤塚のところの養子になるにはどうしたらいい?」
「はあっ!?」
いきなりトンデモなことを言い出す愛。
「いや、だって、羨ましいだろ、赤塚の奴がっ!! こんな綺麗な金髪で宝石みたいな蒼い目の可愛い義妹を手に入れやがってっ!! くそ、私もこんな金髪で蒼い目の可愛い義妹が欲しいっ!! だから、私も赤塚の家の養子になるっ!! い、いや、待てよ──」
訳の分からないことを喚き散らしていたかと思うと、突然思案顔になって黙り込む愛。
そんな愛にあおいは思いっ切り顔をしかめ、エルは不思議そうな表情を浮かべる。
ちなみに、エルが不思議そうにしている理由は、突然現れた目の前の少女が誰なのか知らないからだ。
「──そうか……私と赤塚が結婚すれば、結果としてエルさんは私の義妹になるわけだなっ!! よし、早速赤塚に結婚を大前提にした交際を申し込んでくるっ!!」
「ま、待ちなさいっ!! ってか、落ち着きなさい、愛っ!!」
「そ、そうですっ!! や、ヤスタカさんとけ、けけけけけけ結婚なんて……だ、だめっ!! 絶対にだめですっ!!」
今にも飛び出して行きそうな愛を、あおいとエルは必死に引き止めた。
場所をリビングからあおいの部屋に移して。
「いやぁ、さっきは申し訳ない。あまりにもエルさんが可愛いので、思わず取り乱してしまった」
わはははは、と豪快に笑い飛ばす愛を、あおいはじっとりとした目で見つめ、エルはいまだに訳が分からずに居心地悪そうにしていた。
「では、改めて……初めまして、エルさん。私は沢村 愛という。あおいや赤塚とは中学時代から友人で、それなりに仲良くしているつもりだ。以後、よろしく」
「ヤスタカさんやアオイさんのお友達でしたか。私はエルルーラ・ザフィーラ・フィラシィルーラ・アカツカと言います。長いので、先程呼んでいたようにエルでいいですよ」
「そうか。では、私のことも愛でいいぞ」
「はい、メグミさん!」
にっこりと笑いながそう言うエルを、愛は眩しいものでも見たかのように目を細める。
「くぅ……やっぱいいなぁ金髪美少女……なあ、あおい。今日からエルさんは私の家で暮らすって赤塚の奴に伝えておいてくれ」
「堂々と誘拐宣言しないっ!!」
愛の側頭部に、結構強めの手刀を入れるあおい。
「で、では、せめて……せめて写真だけでもっ!! なあ、いいだろ、エルさん?」
愛は自分のスマートフォンを取り出し、カメラを起動させる。
あおいはそんな愛を見ていて、疑問に思ったことをエルの耳元で小さく尋ねてみた。
「ねえ、エル。その耳の幻だけど……写真とかに撮ってもバレない?」
「はい、それはヤスタカさんと実験しました。シャシンやドウガとかにもこのまま写ります」
どうやら魔法による幻は、「ない」ものを「ある」ように感じさせているわけではなく、光学的に見えているもののようで、写真や動画といったものにもしっかりと対応するらしい。
写真に撮っても大丈夫だと分かり、あおいはエルの了解のもと、愛に撮影の許可を出した。
「エルも写真を撮ってもいいって言ってくれたけど、見境なく見せびらかしたりしないのよ?」
「分かっている。そこまで私は常識知らずじゃないぞ? あ、どうせ撮るなら私とエルさんのツーショットがいいな。あおい、撮ってくれ」
自分に突き出されたスマートフォンを、あおいは溜め息を吐きつつも受け取った。
そしてその画面を覗き込めば、その向こうにエルと並んでご満悦の愛の姿がある。
「じゃあ、撮るわよー」
あおいがカメラのシャッターボタンを押す直前、愛が隣にいるエルを突然抱き寄せ、そのままぎゅっと抱き締めた。
「ぴあああっ!?」
「ああ、何とも言えぬこの柔らかな感触と高貴さえ感じられる芳香……エルさんが相手なら、私はこのままユリに堕ちてもいい……」
恍惚とした表情でエルを更に抱き締める愛と、その抱擁から必死に逃れようとじたばたと暴れるエル。
「堕ちんでいいっ!!」
先程よりも更に力の強いあおいの手刀が、愛の頭頂部に炸裂した。
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