契約ですか?
大切なともだちがその生涯を終えた時、ボクとボクの仲間たちはとても悲しんだ。
でも、それは予め分かっていたこと。
人間であるともだちは、ボクたちのように長くは生きられないから。
ともだちは、自分が死んだらボクと仲間たちは自由にしてもいいと言ってくれた。
仲間たちは、しばらくともだちがいなくなったことを悲しんだけど、やがて彼の言葉にしたがってひとりずつ旅立っていった。
仲間たちがどこへ行っちゃったのか。それはボクにも分からない。
でも、ボクは……ボクだけはどこにも行かなかった。ともだちのことを忘れたくなかったから。
ともだちがボクにくれたこの指輪と一緒に、ボクはずっとそこに留まった。
どれぐらいの時が経っただろう。そもそもボクたちには時という概念がほとんどどない。ともだちと出会ってから、ボクは時というものを学んだんだ。
そんなボクがふと気づいた時。
ボクは全く知らない所にいることに気づいた。
そしてそこは、ボクやボクの仲間たちにとってはとても怖い場所だった。
なぜなら、そこにはボクのような存在がほとんどいなかったのだから──
私はそれに、突然気づいた。
それは間違いなく精霊の気配。精霊使いである私にとっては、とても馴染みのあるそれ。
だけど、その気配は凄く弱くて。
すぐ近くまで来て、ようやく感じ取れるぐらいだった。
ううん、違う。
それは弱いどころか、今にも消えてしまいそうで。
だから私は、思わず走り出してしまった。
あの人に何も言わずに行動してしまい、心配をかけてしまうなと頭の隅で考えながらも。
それでも、そうするしかないぐらい、その精霊の力は弱く、小さくなっているのだから。
その精霊は、僅かに残った力で必死に私に呼びかけていたのだから。
だから、私は。
たとえあの人に心配をかけることになっても、その精霊の元へと急いだのだ──
「突然、勝手な行動を取ってしまってごめんなさい」
エルはまず、そう言って康貴たちに頭を下げた。
冒険者であるエルは、一人が勝手な行動をすることで仲間全体を危機に陥れかねないことをよく知っている。
だがあの時のエルは、それを承知していても思わず駆け出してしまった。
「そうだな。その辺りも含めて、どうしてその精霊がエルを守ろうとしたのか……それを説明してくれないか?」
「いや! ちょっと待て、康貴! それよりも先にエルちゃんに確認したいことがある!」
エルと康貴の会話に、突然せっぱ詰まった表情の隆が割り込んだ。
「な、なあ、エルちゃん? も、もしかしてここは……そ、その……エルちゃんが生まれ育った世界……だったりするのか? 今度は俺たちが、エルちゃんの世界に紛れ込んでしまったのか?」
どうやら隆は、そのことをずっと心配していたようだ。
康貴としては、植生などからここがエルの世界ではないと考えていたのだが、隆はなかなかそうとは信じきれなかったのだろう。
見れば、あおいの表情も固い。きっと彼女も隆と同じ思いに違いない。
確かに突然異世界に紛れ込んだかもしれないというのは、不安にかられても当然なことではある。
そんな隆の質問に、エルは首を横に振った。
「いいえ。ここは私の世界ではありませんよ。間違いなく、ヤスタカさんやタカシさんたちの世界です」
「そうか……いや、それを聞いてようやく安心したよ」
ふうと大きな息を吐いて安堵する隆。その隣にいるあおいもまた、安心したのか表情が幾分柔らかくなっていた。
エルはなぜ一人で駆け出したのかを話した後で、康貴たちに精霊レンプラーススの説明をしていく。
「幻の精霊レンプラーススは、康貴さんたちが怖かったんです」
「僕たちが? どうして精霊は僕たちが怖いんだ?」
突然怖いと言われた康貴たち。彼らは揃ってきょとんとした顔をエルへと向けた。
「私たちエルフや康貴さんたち人間と比べると、精霊の心や感覚はちょっと異質なんです」
精霊とは意識を持ったマナである、とエルの世界の識者たちは言うそうだ。
現に精霊は肉体を持っていないし、ものの考え方や捉え方も人間たちとは異なる部分が多い。
例えば、時間という概念がないとか、食欲というものがないので美味しいものを食べたがる理由が分からない、など。
精霊使いと契約した精霊は、その精霊使いを通じて初めてそれらを学ぶのだそうだ。
「精霊からしてみれば、こちらの世界はとても怖い所なのでしょうね。こちらの世界の人々は、精霊の存在を感じ取ることができません。もちろん、こちらの世界の人の数はもの凄く多いので、中には精霊を感じることができる人もいるかもしれませんが、少なくとも、私はこちらの世界で私と同じ精霊使いの素質を持った人と会ったことはありません」
つまり、こちらの世界について、精霊は学ぶことができない。
こちらの世界には、精霊にこちらの世界について教えてくれる「教師」である、精霊使いがいないのだから。
そして、何一つ分からないこちらの世界は、精霊にとっては異質で恐ろしい場所に感じられたのだ。
「どれだけ話しかけても聞こえない。精霊にとってそれは……とても寂しくて怖いことだと思うんです」
当然、そんな世界に暮らすこちらの人間もまた、精霊にとっては異質で恐ろしい存在なのだろう。
だから精霊は、こちらの世界の人間である康貴たちを怖がったのだ、とエルは語った。
だけどそんな中、自分と分かり合えそうなエルという存在が現れた。
精霊はエルもまた、理解できない者たちに囲まれて怖い思いをしていると勘違いしたのだ。
だから、分かり合える存在であるエルを、分かり合えない康貴たちから守ろうとしたのだ、と。
「それが……ヤスタカさんたちが見た骸骨や、さっきのランティス・トリビュートだったんです」
「そうか。骸骨や英雄などの幻影を見せて、あたしたちを怖がらせて追い払おうとしたわけね?」
あおいの言葉に、エルはその通りですと頷いた。
「でも、それならどうして……えっと、ランティスなんとかって冒険者の姿を俺たちに見せたんだ? 俺たちを怖がらせたいのなら、あんなおっさんよりももっとおっかない怪物……例えば、ドラゴンとか巨人の幻影を見せればいいのに」
「それはですね、レンプラーススにとって世界で一番強いのは、竜でも巨人でもなく冒険者ランティス・トリビュートだからですよ」
「それじゃあ最近の怪談騒ぎも、やっぱりその精霊の仕業なのか?」
「はい。怖いこちらの世界の人たちを遠ざけながら、精霊使いである私に対する信号……それが噂になったんでしょうね」
こちらの世界の人間が近づいた時には、レンプラーススは骸骨の幻影を見せて追い払っていたのだ。
そして、その幻影を作り出すことが、精霊使いであるエルに対する信号にもなっていた。
「でも、レンプラーススの力はとても弱っていて……近いとはいえ隣町にいた私まで届きませんでした。それが今回、私が近くまで来たことでようやく感じられたんです」
「そうか。それじゃあ、今回の肝試しをしたことは正解だったわけだ」
「はい」
エルが康貴にそう答えた時、レンプラーススが作り出していた冒険者ランティス・トリビュートの屋敷の幻影が、突然ぐにゃりと歪みを見せた。
「いけない! レンプラーススの力が限界みたいですっ!!」
「その精霊がどこにいるのか分からないのかっ!?」
「そ、それが……レンプラーススが幻影を作り出しているせいで精霊力が辺りに拡散していて、具体的な場所がよく分からないんですっ!!」
康貴たちに先行して屋敷に入ったエルだったが、それが理由でレンプラーススと直接対面することはできていなかった。
その後、屋敷の中をあちこち探し回っていた時、康貴たちと遭遇したのだ。
「そ、そういえば……精霊と言えば、エルの水の精霊はどこに行ったのかしら? すっかり忘れていたけど……」
「ぴーちょくんならここにいますよ? さっきこの屋敷の中で会いました」
エルが
そのぴーちょの姿を見て、エルはとあることに思い至る。
「そうか! 同じ精霊なら私よりもレンプラーススの居場所が分かるかも! どう、ぴーちょくんっ!?」
ぴーちょは、エルの言葉に応えるように数度弾むと、彼女の肩から飛び降りて歪んだ屋敷の廊下を飛び跳ねて行く。
エルと康貴、そしてあおいと隆は、全員で頷き合った後、急いでぴーちょの後を追い始めた。
康貴たちを先導して弾むぴーちょは、とある部屋の前で停止した。
それと同時に、ぐにゃぐにゃと歪んで康貴たちの平衡感覚を思いっ切り狂わせていた幻影が、かき消すように消え去る。
それに驚いた康貴たちが持っている懐中電灯で周囲を照らせば、そこは例の小路から少し逸れたの林の中だということが分かった。
「ほ、本当にエルちゃんの世界じゃなく、幻影だったんだな……」
周囲の見慣れた風景を確認して、隆が改めて安堵の息を吐く。
そんな隆の言葉が聞こえているのかいないのか、エルは目を閉じて意識を集中させる。
しばらく必死に周囲の精霊の力を探っていると、とある地点からごくごく微弱な精霊力を感じることができた。
どうやら水の精霊もそれを感じたらしく、エルと水の精霊はその地点を目指して急いで移動した。
「ここだよね、ぴーちょくん?」
エルの問いかけに、ふるふると震えて肯定を示す水の精霊。
エルは真っ暗な林の中の地面に座り込むと、急いで落ち葉を掻き分けてその場所の土を素手で掘り出した。
どうやら、例の精霊の力は土の中から伝わってくるらしい。そう判断した康貴たちは、落ちていた小枝や小石でエルの手助けをする。
「ほら、エルちゃん。これを使えよ」
そう言って隆が差し出したのは、小さなスコップだ。どうやら彼は、こんなものまでリュックの中に入れていたらしい。
「随分と用意がいいわね?」
「これも本職の冒険者であるエルちゃんからのアドバイスさ。土を掘る道具があると、何かと役に立つことがあるそうだ」
「ありがとうございます、タカシさん!」
エルは笑顔を浮かべて隆に礼を言うと、後はもくもくと土を掘り返し続けた。
「…………これが……そうなのか……?」
康貴は、エルの掌に乗っているものを眺めながらそう呟いた。
「はい、これがそうです」
エルの掌の上のもの。それは土で汚れた一つの指輪だった。
材質は真鍮か何かだろうか。本来なら金色の指輪は、長い間土の中に埋まっていたこともあって、すっかり色褪せている。
「ランティス・トリビュートは、契約を交わした精霊たちをそれぞれ指輪に封じていたといいますから」
精霊使いは、契約した精霊を何らかのアイテムに封じ、必要に応じて呼び出したり、その力を引き出したりするのだそうだ。
エルが水の精霊を水袋──今はペットボトルだが──に入れているのも、同じ理由である。
そして今、エルの掌に乗っている指輪こそが、ランティス・トリビュートが幻の精霊を封じた指輪に違いないとエルは言う。
「………………まだ……なんとかなりそうです……」
エルは指輪に意識を集中させて、必死に心の中でレンプラーススに呼びかける。
(応えてレンプラースス。私と契約を結びましょう。私ではランティス・トリビュートの足元にも及ばないけど、それでもがんばってあなたと契約するから……契約してみせるから……お願い、応えて!)
今までのエルの精霊使いの実力では、一体の精霊とまでしか契約を交わすことはできない。
だが、レンプラーススの力が極限まで弱まっている今なら、もしかするとぎりぎり契約することもできるかもしれない。エルはそう考えていた。
それにここで契約が交わせないと、レンプラーススは力を失って消滅してしまうだろう。
元々弱っていたレンプラーススにとって、エルに自身の存在を知らせるために力を行使することは、自分を消滅させかねないぎりぎりの行為だったのだ。
エルのいた世界では、魔法の源であるマナは至る所に存在していた。そしてそのマナは、精霊の力の源でもある。
だが、こちらの世界ではマナは殆どない。そのため、レンプラーススのような精霊が存在するためには、精霊使いから直接魔力を供給してもらわなければならない。
だから、ここで契約を交わしてレンプラーススにエルの魔力を供給しない限り、レンプラーススはそのまま消滅してしまうのだ。
エルは必死に精霊使いとしての感覚を伸ばす。やがてその感覚に、何かがそっと触れたような反応があった。
(レンプラースス! 応えてくれたんだね!)
エルは感覚の先に触れたそれを、必死に手繰り寄せる。そして何とかはっきりと感じ取れたそれに、自身の魔力をゆっくりと流し込んでいった。
康貴たちが見ている前で、その変化は起きた。
エルの掌の上の指輪が、ぼんやりと輝きだしたのだ。
驚く康貴たちが見守る中、指輪の上に小さな人影が現れた。
15センチぐらいの身長。人間を三頭身ぐらいにデフォルメしたシルエット。背中にはトンボのような二枚の翅。
緑色の服を着て、同じ色の三角帽を被った愛敬ある姿。そして何より、でかでかと顔の真ん中に居座るような団子鼻は、見ようによってはちょっと可愛くも見えるかもしれない。
「これが……幻の精霊レンプラーススなのか……」
康貴はその姿を見て呆然と呟く。
水の精霊が水を使って仮初めの体を作るのとは違い、幻の精霊ははっきりとした体を持たない。おそらく、康貴たちが見ているその姿も、幻影で映し出しているものだろう。
その証拠に、レンプラーススの体は半透明だった。
康貴たちがレンプラーススにじっと見入っていると、レンプラーススはにっこりと笑みを浮かべて康貴たちにぺこりと頭を下げると、そのままぱっと消えてしまった。それと同時に、指輪に宿っていたぼんやりとした輝きも消え失せる。
突然精霊が消えたことで驚いた康貴たちに、エルが大きく息を吐き出してから大丈夫だと告げた。
「な、何とか契約することができました。これで、ツィールくんはもう大丈夫です」
「ツィールくん? それってさっきの精霊の名前か?」
「はい。ツィールというのが、ランティス・トリビュートが彼に与えた名前だそうです。私と再契約する際、引き続きその名前で契約しました」
精霊と契約を交わすということは、名前を与えることでもある、とエルは康貴たちに説明した。
「ツィールくんは精霊の中でも中位の存在で、本来なら私の精霊使いとしての実力では契約できないのですが、彼が弱っていたことと、彼自身が私と契約したがっていたこともあって何とか契約できました」
ふぅ、と改めて息を吐くエル。
どうやら彼女がかなり疲れているらしいのは、見ている康貴たちにもよく分かる。精霊と契約を交わすというのは、かなりの重労働なのだろう。
「そうか……なら、そろそろ帰らないか? もう随分と時間が経ってしまっているぞ?」
腕時計で時間を確認した康貴。肝試しを開始したのが午後八時頃だが、今は十時を過ぎていた。
どうやら想定外なことの連続で、時間感覚もおかしくなっていたようだ。
康貴が今の時間を告げると、あおいと隆が慌ててスマートフォンを引っ張り出して通話を始めた。思ったより遅くなったことで、家に連絡を入れているのだろう。
そう言えば、スマートフォンが繋がるようになったんだな。と康貴は二人の様子を見ながらそんなことを考えていた。
やがて通話を終えた二人は、ふかぶかと溜め息を吐いた。
「大丈夫だったか?」
「ああ、早く帰って来いってさ。とりあえず、連絡は入れたから怒られることはなさそうだ」
「あたしも同じく。でも、のんびりとはしていられないわね」
本当なら帰りに皆でどこかで夕食でも食べてから帰りたかったのに、とあおいが残念そうに続けた。
「それなら、何も今日じゃなくてもいいじゃないか」
夏休みは始まったばかりだ。これから先、四人でまた遊びに出かける機会はいくらでもあるだろう。
それに夏休みが終わっても、九月には地元日進市の祭だってあるのだから。
それほど大きな規模の祭ではないが、出店はたくさん並ぶし、夜には花火だって打ち上がる。
祭以降だって、まだまだ楽しいことはあるに違いない。
だからあおいと隆も、康貴の「今日じゃなくてもいい」という言葉に同感だった。
エルも、また。
こちらの世界に来て得られた仲間たちと共に。
そして何より、彼と一緒にこれから過ごすことが楽しみで。
その彼に向かって、エルはにっこりと微笑むのだった。
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