謎の洋館ですか?

 怖かった。

 仲のいいともだちと別れてから、ボクはずっと怖かった。

 今ボクがいる周りには、ボクのことに気づいてくれるヒトがいなかったから。

 ボクのことを、理解できるヒトがいなかったから。

 だからボクは、この暗くて冷たい場所で、ずっと一人きりでまどろんでいたんだ。

 いつか、ボクのことが分かるヒトが現れると信じて。

 そして遂に、ボクのことが分かるヒトがすぐ近くまで来てくれたんだ──



「ランティス・トリビュート? それがエルの憧れている人の名前なのか?」

「はい、ヤスタカさん。ランティス・トリビュートは私の憧れであり、同時に目標でもある冒険者なんです」

 エルがいた世界にも、当然ながら有名人は何人もいる。

 中には御伽噺に登場するような、実在したのかそれとも架空なのか不明な人物もいたりするが。

「高名な冒険者と言えば、何と言ってもまずは『竜殺し』のアルテナ・ヴィーツですね。この人物はその通り名の通り、たった一人で何体もの竜を退治した大英雄です。他にも英雄といえば『雷神王』ユイシーク・アーザミルド・カノルドスとか『魔獣使い』リョウト・グララン、後は『癒し姫』アーシア・ミセナルとかいますが……この辺はどちらかというと御伽噺の登場人物として有名で、実在したかどうかは分かりません。ですが、やっぱり私にとって特別なのはランティス・トリビュートです」

「へえ。何か理由があるのか?」

 もちろんです! とエルはにこやかな笑みを浮かべた。

「ランティス・トリビュートは類まれな才能と弛まぬ努力の結果、凄腕の剣士として有名ですが、同時に同じくらい精霊使いとしての実力も高いんです。地・水・火・風・幻・命・雷の全部で七体もの精霊と同時に契約を交わし、自在に使役していたと言われています。ちなみに、私が契約を交わしているのは、水の精霊のぴーちょくんだけですけどね」

 最後に肩を竦めながら、ちろりと舌を見せるエル。

「いつか……もっとたくさんの精霊と契約を交わすことのできる精霊使いになる。それが私の冒険者としての目標なんです」

 それは今から数ヶ月ほど前、赤崎家のリビングにて交わされた康貴とエルの会話だった。



「あたしたちがエルの世界に……? そ、そんな馬鹿なことあるわけが……」

「だ、だってそうでもなきゃ、あり得ないだろっ!? あんな化け物が本当に出るなんて……それに、スマホだって通じてないぜっ!?」

 スマートフォンの電波状況を確認しつつ、隆は先程見た骸骨の化け物の姿を思い出て体を震わせた。

 あおいも、骸骨の恐怖が甦ってきたのだろう。懐中電灯を背後の小路へと向け、その姿がないことを何度も確認している。

「……いや、そう決めつけるのはまだ早いと思う」

 そう呟いた康貴に、隆とあおいは一斉に彼へと振り返った。

「見て見ろよ」

 そう言って康貴が懐中電灯で照らし出したのは、目の前の屋敷の周囲に生えている木々だ。

「生えている木は見たことのあるものばかりだろ? もしもここがエルの世界なら、こんなクヌギやコナラなんて見慣れた木ばかりが生えているはずがないじゃないか」

 言われてみればその通り、確かに周囲に生えている木々は普段から目にする、日本に自生している木々ばかりだった。

 もしもここがエルの世界──異世界ならば、見たことのない植物が少しぐらいはないほうがおかしい。

「じゃ、じゃあ、さっきの骸骨や、目の前の洋館みたいな屋敷は一体何なの?」

「そこまでは僕にも分からないさ。でも────」

 康貴の懐中電灯が、目の前の洋館風の屋敷へと向ける。

「────エルはこの屋敷の中じゃないかと思うんだ」

 康貴が照らし出した屋敷の出入り口と思われる両開きの扉は、その片方がぽっかりと開いたままになっていた。

「そう言えば、あの骸骨はどうしたんだ?」

 康貴は扉を照らしていた懐中電灯の光を、背後へと向ける。だが、そちらからあの骸骨が姿を見せる様子はない。

「さっき、あの骸骨はこの屋敷に近づくな……みたいなことを言っていたはずだろ?」

 もしもあの骸骨がこの屋敷の「番兵」ならば、康貴たちを追ってここまで来るはずだ。

 だが、背後からあの骸骨は現れない。

「よく分からんが、現れないに越したことはないだろ? それより……どうする?」

 隆が指差すのは、目の前の屋敷の開いたままの扉。

 康貴は隆の質問に答えずに、黙って歩き出した。もちろん、目の前に存在する屋敷に向かって。

 もしも、あの中に彼女がいるのなら。

 康貴には、ここで引き返すという選択はありえない。選べない。

 屋敷の外観は一階のみの平屋。それでも日本の一般的な一戸建て住宅に比べるとかなり大きい。

 康貴は開いている扉の前まで来ると、中には足を踏み入れずに懐中電灯の光を向けて様子を見てみた。

 その際、扉や壁には触れないように注意して。

 やはりいくら怪しいとはいえ他人の家である。勝手に入り込むのは躊躇われるし、罪悪感だってある。そのため、屋敷の中の物には極力触れないようにしようと心に決めた。

 そうやって中を覗いたところ、玄関から入ってすぐに小さなホールになっているようだ。

 玄関から向かって正面と左右には扉が見える。

「……見たところ、危険はなさそうだけど……」

 おそるおそる、康貴は屋敷の中に入ってみる。この時点では、何か警報のようなものとか、侵入者撃退用の罠が作動する様子はない。

 このような場所には罠が仕掛けられているものだ、とエルから聞いたことがあるので、康貴は慎重にゆっくりと玄関ホールの奥へと入っていく。

 ホールの中央まで来たところで、康貴は後ろを振り返ってあおいと隆にも中に入るように指示する。

 二人も康貴と同様、扉や壁には触れないように、おっかなびっくり屋敷の中に入ってきた。

「玄関の扉、どうする? 閉めておくか?」

「いや、そのままにしておこう。もしもこの屋敷から逃げ出さなくちゃならなくなった時、開けたままの方が少しでも時間のロスを防げる」

「へえ? 康貴ったら随分と本格的なことを言うじゃない?」

「全部、エルからの受け売りだけどね」

 三人の表情にようやく笑みが浮かぶ。エルが突然姿を消したこと、そして謎の骸骨との遭遇など、あまりにも予想外のことが起こりすぎて、康貴たちは余裕を完全に失っていた。

 それがこうして建物の中に入ったことで、ほんの少しだけ余裕を取り戻すことができた。

 もちろん、この屋敷の中だって安全だという保証はない。それでも、野外でいきなり化け物に襲われるよりはましだと康貴たちには思えたのだ。

「さて……と。これからどうする?」

「エルを探そう」

「エルを探すのはいいけど……どこから?」

 あおいは困ったように、ぐるりと玄関ホールを見回した。

 三人で相談した結果、まずは正面の扉から探索してみることにした。



「しっかし……肝試しに来て、まさかこうやって冒険者みたいなことをするはめになるとはな……本物の冒険者であるエルちゃんがいないのが残念だ」

「仕方ないでしょ? そのエルを探すためにこんなことをしているんだから」

 正面の扉の向こう。そこは食堂だった。食堂には数人がけの長テーブルが中央に置かれ、料理こそ並んでいないものの、テーブルの上には皺一つない綺麗な純白の敷布が敷かれている。

 他にテーブルの上にあるものといえば、銀色の燭台が三つ、蝋燭がセットされた状態で置かれている。さすがに蝋燭に火は灯っていなかった。

 そして、食堂の片隅には更にもう一つ扉がある。

「おそらく、この向こうは厨房だろうな」

 そう言ったのは隆。康貴とあおいも、考えていたことは隆と同じだ。

 念のために中を調べようと思い、康貴が扉の把手に手をかけようとしたところ、なぜか扉は勝手に音も立てずにすうっと開く。

「まただ……食堂に入る時の扉もそうだったけど……まさか、自動ドアってことはないよな?」

「さすがにそれはないと思うわ。でも、まるで誰かに見られているみたいで気味が悪いわね」

 きょろきょろと周囲の様子を伺うあおい。彼女ではないが、確かにこれでは誰かに監視されているみたいだ、と康貴も感じた。

 それでも一応扉の向こうを確認すれば、そこは予想通り厨房だった。

 食材こそ置いていないものの、きちんと整理して片付けられた調理器具や、塵一つ落ちていない行き届いた掃除など、まるでついさっきまで誰かがいたかのようだ。

 そして、竃などの厨房の設備は、現代のキッチンからすれば原始的と言ってもいいほどのもので、やはりこの屋敷がこの世界のものではない──少なくとも現代のものではない──ことを物語っていた。

 一旦玄関ホールまで戻った康貴たちは、今度は玄関から見て左側の扉に向かう。

 やはり自動で開いた扉の向こうには、真っ直ぐに伸びた廊下。壁には等間隔で三つほど扉が並んでいた。

 その内の一つを覗いてみたところ、中にはベッドが二つとサイドテーブル、そして燭台などが置いてある。

 この部屋の調度品もまた、厨房と同様に康貴たちからすればクラシックなものばかり。

「こりゃ、使用人の部屋っていうよりは客間って感じだな」

 部屋の中を覗き込んだ隆が言う。

「僕の家は庶民だから、使用人なんて雇ったことがないからよく分からん。そもそも、使用人……家政婦さんがいるのは隆の家ぐらいだろ?」

 隆の生家である萩野家は、地元では古くから続く名家として知られている。さすがに住み込みではないものの、通いの家政婦さんを数名雇っているのだ。

「曾祖父さんが若かった頃は、住み込みの人もいたそうだけどな。ほら、俺の家って離れがあるだろ? あれって住み込みの家政婦さんの寝起きする場所だったそうだぜ。 ま、今では父さんのコレクションルームになっているけど」

 西洋アンティークをコレクションしている隆の父、萩野日進市市長。

 康貴やあおいも数度だけ見せてもらった覚えがあるのだが、コレクションルームの中には年代物の刀剣や西洋鎧などの武具、ランプや食器といった日用品、そして何に使うのか全く分からない謎の品物まで、あらゆる西洋骨董が整然と並べられていた。

 その後、残る二つの部屋も調べてみた──やはり扉は自動で開いた──が、どれも同じ造りの無人の部屋だった。

 何の収穫も得られないまま、三人は再び玄関ホールへと戻る。

 だが、玄関ホールに戻った三人は思わず立ち止まってしまった。なぜなら、そこに一人の男性が悠然と立っていたからだ。

 懐中電灯の光に照らし出されたその男性。年齢は四十代ほどだろうか。身長は隆と同じくらいだから、180センチ前後だろう。だが、体格の方はスリムな隆とは違ってがっしりとした幅広いもので、体重では隆を大きく上回るに違いない。

 短く刈り込まれた燻んだ金の髪と碧の双眸。赤銅色の肌と彫りの深い顔立ちは、どう見ても日本人のそれとは大きくかけ離れている。

 身に着けているものはといえば、まるでファンタジー系のゲームやアニメのキャラクターのような、所々を金属で補強した革製の鎧のようなもの。おまけに腰には、刃渡り1メートルほどの剣が鞘に収められて吊り下げられていた。

「だ、誰……っ!?」

 思わずあおいの口から誰何の言葉が零れ出る。

 それに応じたのか、その男性から返答があった。

〈我が名はランティス。ランティス・トリビュート。稀代の剣士にして精霊使いとして、少しは名の知れた冒険者である〉


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