本物ですか?

 新しくともだちになれそうなヒトが近くにいる。

 そのことが、ボクの心を沸き立たせる。

 でも。

 でも、ボクの力はすごく弱まってしまった。

 だって、もうずっと長い間、ボクはここに一人でいるのだから。

 だからボクは、最後の力を振り絞ってそのヒトにボクのことを伝える。

 ボクはここだよ。早くボクを見つけて、と────



 ぴょんぴょんと飛び跳ねて暗い小路を先行するぴーちょを追いかけながら、康貴たちは足元を懐中電灯で照らしつつ走り続ける。

 相変わらず、エルの姿は見えない。どうやらかなり先に行ってしまったらしい。

 それでもぴーちょにはエルの居場所が分かるのか、彼(?)は迷いなく小路を進んでいくように康貴には感じられた。

 そうやって、どれぐらいぴーちょの後を追いかけただろう。

 康貴は自分がどれぐらいの時間を走り続けているのか、分からなくなっていることに気づいた。

 そもそも、この小路はそれほど長い道ではないはずだ。走れば五分もかからずに終着点に到着する。そのはずなのである。

 それなのに。

 康貴たちが走っている小路は、どこまで行ってもその終着点が見えてこない。

 しかも、周囲にうっすらと霧のようなものまで立ち籠め始めている。

(霧? さっきまでそんなものなかったのに……?)

 この小路の近くには小さいが池が二つある。そのため霧が出る可能性はなくはないが、このように突然出るとは思えない。

 不安感と恐怖心。

 突然沸き起こったそれらに、康貴は思わず足を止めた。

 背後から聞こえる荒い息遣いに気づいてそちらを振り向けば、あおいと隆がやはり不安そうな顔で周囲を見回している。

 どうやら彼らも、ことの不自然さに気づいているようだ。

「……どうする?」

 隆が康貴に、短く問う。つき合いの長い彼らである。それだけで意志の疎通は可能だ。

 このまま進むか。それとも引き返すか。

 安全を考えれば、引き返すべきだ。確かにこの場はエルを見捨てることになるが、ここは日本である。たとえ深夜でも治安は悪くはないのだから、彼女のことは夜が明けてから探しても遅くはない。

 エルにちょっかいを出すような、おかしな連中も確かにいるかもしれない。だが彼女も冒険者であり、荒事には康貴たち以上に慣れている。その辺のちゃらちゃらした連中などでは、彼女には敵わないだろう。

 それでも。

 それでも康貴は、この場で引き返す選択をしなかった。

「もう少しだけ先へ進もう。それでも周囲がおかしなようなら、引き返して誰か大人に知らせよう」

 今彼らがいる小路は、確かに暗い小路だが一本道である。道に迷う可能性はない。

 康貴の決断に、あおいも隆も頷いた。

 そして、彼らが再び小路の奥へと足を踏み出した時。

 ソレはそこに、いた。



 ひっ、という短い悲鳴は誰もものだっただろうか。

 康貴もあおいも隆も。三人とも驚愕を顔中に張り付けて、目を見開いてソレを見つめる。

 暗い小路の少し先。

 うっすらと辺りを覆う霧の中。

 宙にぼんやりと白く輝くように見えるソレ。

「…………が、骸骨…………」

「ほ、本当に…………出た……」

 康貴は背後のあおいと隆がそう呟くのを聞いた。

 LED懐中電灯の白い光の中、じゃらじゃらと──距離があるためか、音までは聞こえない──朽ちかけた鎖帷子を揺らしながら、ソレ……骸骨の頭部がはっきりと浮かび上がっていた。

 そして、骸骨が康貴たちへと一歩踏み出し、康貴の懐中電灯が骸骨の全身をはっきりと照らし出す。

 噂で聞いた通り、ぼろぼろの鎖帷子を胴体に纏いつかせ、手には錆の浮いた剣──西洋風の真っ直ぐな両刃の剣──を握っている。

 そして、骸骨は康貴たちを睥睨するかのように、ぐるりと眼球のない虚ろな眼窩を巡らせると、かたかたと顎の骨を動かした。

──カエレ──

 突然、康貴たちの頭の中に、直接『声』が響く。

「い、今のは……」

「直接頭の中に響いたような……もしかして、テレパシーみたいなもの……か?」

 頭に直接響く不快な『声』。どういう原理で『聞こえて』くるのか全く不明だが、その『声』は目の前の骸骨のものであることは間違いなさそうだった。

──ココヨリ……サキ……ワガアルジ、ランティス・トリビュート……ノ……ヤシキ、ナリ。ナンビト……タリトモ……タチイル……ユルサレジ──

「ら、ラン……なんだって……? それに屋敷って……この先にそんなものはないはずだろ……?」

 この小路の先に屋敷などない。それは康貴たち三人ともが承知していることだ。

 思わず眉を顰めるあおいと隆。だが、康貴はそれよりも気になることがあった。

「ら、ランティス・トリビュート……?」

 康貴は、その名前に聞き覚えがあった。

「し、知っているの?」

 背後から聞こえるあおいの声。その声に、康貴は骸骨から目を離さずにゆっくりと頷いた。

「え、エルから聞いたことがあるんだ……エルの世界では有名な英雄だって……」

 それはまだエルがこちらの世界に来て、康貴から日本語を学んでいた時のこと。

 その当時のエルはまだまだ日本語での会話が成り立たず、翻訳のイヤリングを用いて意志の疎通を図っていた時。

 日本語の勉強の合間に、康貴はエルの世界について尋ねてみたことがあったのだ。

 その時、彼女が最も尊敬する冒険者として、そのランティス・トリビュートという名前が出てきたのを、康貴は確かに覚えていた。

「そ、それじゃあ……あの骸骨は……」

「あ、ああ。エルと同じ世界のものってことだな……」

「そ、そんなものがどうしてここに……?」

「そこまでは僕にも分からないけど……」

 康貴たちの会話を断ち切るように、再び骸骨の『声』が響く。

──カエレ! サモナクバ……ジツリョク……デ……ハイジョ……スル──

 骸骨が手にした剣を大きく振りかぶり、勢い良く康貴たちへと突進して来た。



 それまで康貴たちはその光景を、映画か何かのような感覚で見ていた。

 突然目の前に骸骨が現れる。余りにも現実離れしすぎたその光景に、彼らの脳がそれを現実として認めていなかったのかもしれない。

 だから康貴たちは、目の前に骸骨が現れても、暢気に会話を交わすことができていた。

 だが。

 だが、その骸骨が錆の浮いた剣を振りかざし、自分たちへと猛然と突っ込んでくるのを目の当たりにして、康貴たちの脳はそれが現実であるとようやく認めた。認めてしまった。

 同時に、猛烈に沸き上がってきたのが恐怖心である。

「う、うわああああああああああああああああああっ!!」

 隆が悲鳴を上げて、思わずその場で尻餅を着く。

 悲鳴こそ上げなかったものの、康貴もあおいも感じている恐怖は彼と同じだ。

 目の前まで迫った異形に恐怖して、彼らの足は竦んでしまって動いてくれない。

 びゅん、という風鳴りの音を、康貴は聞いたような気がした。

 目の前すれすれを通り過ぎる、錆びた剣の切っ先。

 ようやく足が動き、康貴は数歩後ろへと下がってみっともなく尻餅を着く。だが、今の彼にみっともないなどと感じている余裕はない。

 見ればあおいも、顔面蒼白で同じように地面に座り込んでいる。

 彼らよりも少しだけ早く腰を抜かしていた隆は、あわあわと言葉にならない声を発しながら、座り込んだ姿勢のままずりずりと後ずさりしていた。

「に、逃げろ隆っ!! あおいも早く立てっ!!」

 何とか立ち上がった康貴は、あおいを無理矢理立たせながら少し後ろにいる隆に向かって叫ぶ。

 そして、立ち上がらせたあおいの背中を、少し強めに隆の方に向かって押してやる。

 隆に向かってつんのめるように数歩踏み出すあおい。倒れかけた彼女の体を、ようやく立ち上がった隆が抱き留める。

 腕の中のあおいの体の温かさと柔らかさ。それを感じた隆の心が少しだけ落ち着きを取り戻す。

 だから、隆は見た。

 自分に逃げろと言った張本人の康貴が、なぜか骸骨に向かって全速力で走って行くのを。



 錆の浮いた剣を振り上げた骸骨が、どんどんと近くなる。

 当然だ。なんせ自分から骸骨に向かって走っているのだから。

 そのことを、康貴はどこか他人事のように考えていた。

 そして。

 骸骨は錆びた剣を、近づいてくる康貴に向かって振り下ろそうとする。

 その瞬間、康貴は走り込む勢いを殺すことなく骸骨に向かってダイブした。

 骸骨の足元で飛び込み前転の要領で一回転。そして素早く立ち上がった康貴は、そのまま後ろを振り向くことなく全力でその場を走り抜ける。

 隆たちに逃げろと言った康貴だが、自分自身は逃げるつもりはなかった。

 なぜなら、この先にいるはずなのだ。

 彼にとっては義妹でもあり、誰よりも大切だと思いつつある異世界からやって来た彼女が。

 その彼女を見捨てて、この場を立ち去ることは康貴には考えられなかった。

 先程までは、確かに一旦戻ることもありだと考えていた。

 だがそれは、あくまでも彼女に危険がほとんどないと思っていたからだ。

 しかし、あんな怪物が実在した以上、彼女にも危険が迫っているかもしれない。

 冒険者である彼女の下に素人の自分が行っても、ただ足手まといになるだけかもしれない。それでも、康貴は彼女の元に行きたかった。

 だから。

 康貴は心の中で何度も彼女の名前を呼びながら、暗い小路を懐中電灯の小さな灯りだけを頼りに全力で走り続けた。



 強引に骸骨の脇を突破した康貴に、あおいは思わず吐き捨てるように小さく叫ぶ。

「あ、あの馬鹿っ!! 相変わらずこういう時の覚悟だけは半端ないんだからっ!!」

 腕の中のあおいの言葉を、隆は確かにそうだなと思いつつ聞いていた。

 昔から、康貴はそうだった。

 何かに追い詰められた時。何かに迷った時。三人の中で真っ先に覚悟を決めるのはいつもあいつだった。

 幼い頃に隆の家で遊んでいた時、隆の父である萩野市長が大切にしている美術品を誤って壊してしまった時。

 隆とあおいがどうしようと狼狽えているだけなのに対し、真っ先に正直に謝ろうと言い出したのは康貴だった。

 同じように子供の頃、三人で興味本位から見知らぬ所へ出かけて道に迷った時。

 あおいと隆が怖さと心細さから泣きべそをかくだけだったのに対し、康貴だけは何とか正しい道を見つけ出そうと常に前を向いていた。

 きっと今も、この道の先にいるであろう彼女のために、あいつはあんな無茶をしたのだろう。

 隆がそんなことを考えていると、それまで腕の中にいたあおいがするりと抜け出した。

 そのことで我に返った隆に、あおいは覚悟を決めた顔つきで言う。

「あいつだけ行かせるわけにいかないでしょ?」

「ああ。俺たちも行こう……!」

 あおいと隆は一度だけ頷き合うと、それぞれ左右に別れて小路の外の林の中に飛び込んだ。

 隆たちが二手に別れたことで、骸骨はどちらを追うか迷いでもしたのか、その場に突っ立ったままゆっくりと左右を見回す。

 その間に、二人は落ち葉と枯れ枝で一杯の林の中を駆け抜ける。

 何度も転びそうになりながらも、どうにか元の小路に戻った二人。

 背後に懐中電灯の光を向ければ、骸骨がこちらに向かって走って来るのが見えた。

「行くぞ」

「ええ」

 短いやり取りを交わして、二人は康貴の後を追って走り出した。



 あおいと隆は、すぐに康貴に追いつくことができた。

 どういうわけか、少し小路を進んだ所で彼は立ち尽くしていたのだ。

 背後からでは康貴の表情は見えないが、どうにも困惑しているような雰囲気だ。

「どうした康貴?」

 後ろから隆が声をかけるも、康貴は振り返ることさえしない。

 そのことを疑問に思いつつ、隆とあおいは彼の元へと辿り着いた。

 そして、二人は悟った。どうして康貴が返事をすることなく呆然としていたのかを。

 康貴たち三人の目の前。

 そこに、大きくて立派な西洋風の屋敷が一軒、どん、と存在していたのだから。もちろん、彼らが記憶している地図の中に、このような建築物は記されていない。

 康貴と同じように、立ち尽くしたまま呆然とその屋敷を見上げる隆とあおい。

「……………………………………なあ?」

 しばらく目の前の屋敷を見つめていると、何かを思いついたのか隆が誰に言うでもなく口を開いた。

「……………………さっきの骸骨といい………………目の前の屋敷といい……もしかして…………………………今度は俺たちがエルちゃんの世界に迷い込んじまったってことは……ない……よな…………?」


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