恐怖症ですか?

 だけど……ともだちと別れた後、新しくともだちになれそうなヒトは一向に現れない。

 新しいともだちとの出会いを待ちわびながら、だけど、どこかで諦めかけていた。

 もう、ボクにはともだちはできないのだ、と。

 そうやって長い長い間、暗い暗い場所で起きているような寝ているような曖昧な状態でずっと過ごしてきたんだ。

 でも。

 でも、ボクには分かった。新しくともだちになれそうなヒトがすぐ近くにいることが。

 だからボクはそのヒトに向かって合図を送ることにしたんだ。

 ボクはここにいるよ。ずっとキミのようなヒトが来るのを待っていたんだよ、って。

 お願い。

 早くボクのところへ来て、ボクを見つけて────



「────なるほどぉ。怖い場所へ自ら出向き、自分の勇気を確かめる……それが『キモダメシ』なんですね?」

「うん。後は、昔から怖い思いをすると背筋が寒くなるって言われていて、冷房などのない時代からある暑い夏の時期の避暑方法……まあ、夏の風物詩だな」

「フウブツシ……? うーん、また難しい言葉が出てきました」

「ああ、風物詩というのは────」

 懐中電灯で足元を照らし、康貴はエルに風物詩の意味を教えながら暗い小路を歩く。

 その横で肩を列べて歩いているエルも、ふむふむと真摯に康貴の言葉に耳を傾けている。

 そんな二人の様子を、彼らから数歩離れた隆とあおいは懐中電灯の光を時々周囲に向けつつ歩いていた。

「……それで、告白する決心はついたのか?」

 決してあおいの方を見ることもなく。隆は隣を歩くあおいにだけ聞こえるように小声で囁いた。

「……そ、それが……」

 顔を真っ赤に染めて。視線を自分の足元に固定したまま、あおいはぼそぼそと蚊の鳴くような声で呟く。

「……な、何回か、自分の部屋でこっそりとシミュレーションしてみたのよ……」

 あおいの部屋の中。そこでぬいぐるみか何かを康貴に見立てて、それに向かって告白の練習をするあおいの姿を想像して、隆は込み上げてくる笑いを必死に押し殺した。

 彼が想像した光景は確かに笑えるものだったが、それでもそれを笑うことはできない。あおいはあおいなりに真剣なのだ。それを笑うことは許されることではない。

 実際は隆の想像通り、持っている中で一番大きなぬいぐるみの顔に康貴の写真を貼り付け、それに向かって告白の練習をしていたのは彼女だけの秘密である。

「……でも、何度シミュレーションしてみても、いざって時には恥ずかしすぎて言葉が出てこなくなっちゃうのよ! 練習でこれなら、本当に告白なんてしようとしたら……私は恥ずかしさで悶え死ぬ自信があるわ!」

「……そんなことに自信を持つなよな……」

「し、仕方ないでしょ! だ、だから……だから今は……ちょっと無理っぽい……」

 どんどん尻切れとんぼになるあおいの言葉。それを隆は相変わらず前だけ向いて聞いている。

「そうか……でも、後悔だけはするなよ?」

「……………………うん、分かっている……」

 あおいもまた、相変わらず自分の足元だけを見てそう応えた。

 だから彼女は、この時の隆がどこかほっとしたような表情を浮かべていることに気づいてはいなかった。



 背後でそんな会話がされているとは気づきもせずに、康貴とエルは場違いなほど明るい会話をしていた。

「それでヤスタカさん。もう一つ分からない言葉があるのですけど」

「え? 何か難しい日本語あったっけ?」

「はい。『ガイコツ』ってどういう意味ですか?」

 康貴たちは、この真っ暗な小路の奥で骸骨が出るという噂を聞き、それが本当かどうか確かめに来たのだ。

 それはエルも理解していたが、肝心のガイコツがどういうものなのかが分からない。話の流れからして、何か恐ろしげなものだということは想像がつくのだが。

「ああ、骸骨ってのは……ええっと……なあ、隆。ファンタジー小説なんかで骸骨のこと、何て言ったっけ?」

「ん? スケルトンのことか?」

「そうそう、それだ。スケルトンなら分かるか?」

「いえ……」

 エルはこくんと首を傾げて康貴を見ている。

「あ、そうか。『スケルトン』もこっちの世界の言葉だもんな。エルには分からなくて当然か。つまりだな、魔法とか呪いとかで動く骨だけの怪物なんだけど……エルの世界にはそんな奴いるかな?」

「はい、いますよ。魔法で動く骨の怪物のことは、エルフ語でジャバルールーシ、交易語ではギルグラドゥって……いい……ま……」

 LED懐中電灯の白い明かりの中、エルの顔色がはっきりと青ざめた。

「え……え……? も、もしかして……これから確かめに行くのって……」

「うん。そのジャバなんとかって怪物のことを、こっちでは骸骨とかスケルトンとかって言うんだ」

「ヤラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁウっ!!」

 突然叫び声を上げ、頭を抱えてその場に踞るエル。

 驚いた康貴が彼女の肩に手を乗せるが、まるでそれを振り払うかのようにエルは踞ったまま体を左右に振る。

「ヤラウっ!! ヤラウっ!! ギ グラス ドァ ゲルガル リグルング ドゥガルドス ジャバルールーシ ラン ピィストっ!!」

 突然のエルの変調に、数歩後ろを歩いていたあおいと隆が驚いて駆けつけて来た。

「ちょ、ちょっと! 突然どうしたの?」

「ま、まさか……何か出たのか……?」

 あおいはエルの隣で彼女と同じようにしゃがみ込み、その背中をゆっくりと撫でさすり、隆は恐怖に引き攣った顔で周囲に懐中電灯の光を走らせる。

「と、とりあえず何もいないようだが……一体、エルちゃんはどうしたんだ?」

「そ、それが僕にもよく分からないんだ。骸骨のことを話していたら、急にエルが────あれ?」

 ふと何かに思い当たり、考え込む様子を見せる康貴。

「な、何か思い当たることがあるのか?」

「う、うん。ほら、僕がこれまでエルに日本語を教えていたのは隆たちも知っているだろ? その時、僕もエルからエルフ語の単語をいくつか教えてもらったんだ」

「じゃあ、さっきエルが何て言ったのか分かったの?」

「さすがに全部は分からないけど、一部の単語だけは聞き取れた。確か……『ヤラウ』は『いいえ』とか『いや』って意味で、『ピィスト』が『怖い』とかって意味だったはずなんだ。そして、骸骨を意味する『ジャバルールーシ』って単語もあったから……」

 康貴の話を聞き、あおいと隆は思わず顔を見合わせる。

「も、もしかしてエルちゃん……スケルトンが怖い……のか?」

「で、でも、エルって冒険者なんでしょ? だったら、スケルトンとかゾンビなんて雑魚じゃないの?」

「いや、エルちゃんの世界のスケルトンやゾンビが雑魚かどうかは分からないぞ? それに冒険者って言っても、生理的に嫌いなものや苦手なものぐらいあるだろ?」

 隆とあおいがそんなことを話している間も、エルは踞ったままがくがくと震えていた。



「うぅ~。私、どうもリグルング……えっと、こっちの言葉では『あんでっど』……でしたか? 『死んでいるのに死んでいない』系の魔物ってどうしても苦手で……」

 肩を落とし、しょんぼりと歩くエル。ここは人目がないので例のニット帽は被っていないのだが、露になっている特徴的な長い耳も、どこかしんなりとしているような気がする。

「ふーん、言わばアンデッド恐怖症ってところか。なら、どうする? エルはこの先に行くのを止めて、一人で先に帰るか?」

「い、いいい嫌ですよぉ。ここから一人でヤスタカさんの家まで帰るなんて、こ、怖くてできませんっ!!  そ、それにたとえ家に帰っても、家の中で一人っきりで待っているのも怖いじゃないですかぁ……」

 うっすらと涙を浮かべて、エルは康貴に哀願する。その際、彼女の手は康貴の服の裾をしっかりと握り締めて放そうともしない。

「でも、僕がバイトで帰りが遅くなるような時、いつも一人で平気で待っているだろ?」

「い、いつもはいつも! 今日は今日なんですよぉ! いつもと今日は違うんですっ!!」

 よく分からない理屈だが、このままだと本気で号泣しかねない様子のエルに、康貴は予定通りエルをこのまま連れて行くことにした。

「でも、冒険者ならアンデッドと遭遇したことぐらいあるでしょ? その時はどうしたの?」

「そ、その時は……私が震えている間に、仲間たちがさっさと倒してしまったので……」

 思ったより重症っぽいエルのアンデッド恐怖症。この暗い小路の先に噂通り本当に骸骨が出るとは思っていない康貴だが、エルがあまり怖がるようなら肝試しの中止を提案すべきか、と考えていた時。

 康貴は、隆が黙ったままじーっとどこかを凝視していることに気づいた。

「どうかしたのか、隆?」

「……あれを見ろよ」

 そう言って隆が指差したのは、彼らから少し先に停車してある一台のミニバンだった。暗いのでボディカラーまでは分からないが、おそらく黒かグレーの暗色系だろう。

「あの車がどうかしたのか?」

「いや……こんな所に車が停まっているなんて不自然だろ?」

 そう言われて、康貴とあおいは改めて車をよく見てみる。

 彼らがいるこの小路は、車が一台何とか通れるぐらいの道幅しかなく、しかもこの先は確か車止めで道が塞がっているはずなのだ。問題の車は路肩の僅かなスペースに強引に駐車してあったが、隆の言う通りこんな場所に駐車するのはどう考えてもおかしい。

「そ、それに……あの車……何だかゆらゆらと揺れてないか……?」

 周囲が暗いためにはっきりとは分からないが、確かにその車はゆらゆらと揺れているように見える。

「も、もしかして……」

 あおいが、ごくりと息を飲みながら呟く。

「あ、ああああああれって、いわゆるその……カップルが車の中で……」

「や、やっぱりあおいもそう思うか……?」

 康貴と隆、そしてあおいは、三人で互いに顔を見合わせる。暗くてよくは見えないが、康貴は他の二人が自分と同じように顔を赤くしているだろうと推測した。

「い、行くわよ……っ!!」

 そう言い置いて、あおいは足早にその車の方へと歩き出した。

「お、おい……ま、まさか……覗くつもりか?」

「違うわよ、ばかっ!! 見なかったことにして、さっさと通り過ぎるのっ!!」

 確かに、あおいの言う通り先に進もうとするなら、車の横を通り過ぎるしかない。他に道はないし、真っ暗な林の中を歩くのも嫌だ。

 康貴と隆もあおいに習い、早歩きでミニバンの横を──決してミニバンの方を見ないようにして──通り過ぎる。

 ミニバンの方を見ないようにしていても、どうしたって康貴の意識はそちらに傾いてしまう。それは年頃の青少年には、無理なからぬことだろう。

 その時だった。

 まるで、康貴のそんな心の隙間を突くようなタイミングで、エルが突然走り出したのだ。

 驚く康貴たちを無視して、エルは黙ったまま、ただただ真っ暗な小路を全速で駆け抜けて行く。

「ちょっとっ!! 今度はどうしたのっ!?」

「分からないっ!! エルの奴、何も言わずに急に走り出したんだっ!!」

「そ、それよりエルちゃん、足速過ぎだろっ!?」

 エルが走る速度は確かに速い。高校のクラスの中でも足が速い方である康貴や隆よりも、確実にその速度は上だろう。

 康貴もこれまでエルが全速で走っているところを見たことはなく、彼女の足がこれほどまでに速いとは思ってもいなかったのだ。

「と、とにかく追いかけよう!」

 エルの背中は、暗闇の向こうに消えて既に見えない。それでも放っておくわけにもいかず、康貴たちもその後を追って走り出す。

 その時、康貴の爪先が何かを蹴飛ばした。

「え?」

 何を蹴飛ばしたのかと彼が懐中電灯の光を向ければ、そこにはソフトケースに入ったペットボトルが落ちている。

「こ、これってエルの……」

 康貴にはそれに見覚えがあった。間違いなく、それはエルが水の精霊ウォーターエレメンタルを入れているペットボトルに間違いない。

 走った時の弾みで、普段は腰にぶら下げているこのペットボトルを落としてしまったのだろう。

「これを落としたことにも気づかないなんて……エルの奴、本当にどうしちまったんだ……?」

「おい! どうしたんだよ康貴っ!?」

 エルの後を追って走り出した隆とあおいだったが、康貴が立ち止まっていることを不審に思ってこちらに戻ってきた。

「それって、エルのよね……?」

 康貴が持っているペットボトルを見て、あおいが尋ねる。

 だが、康貴はそれには答えずにペットボトルの蓋を開け放った。

 すると、中からふわりと水の塊が飛び出して、その水の塊はぽよんぽよんと康貴の足元で数回弾んでみせる。

「ぴーちょ。エルがどこへ行ったか分からないか?」

 康貴の言葉に応えるように、水の精霊はふるふると数回水の塊を震わせると、ぴょんぴょんと弾みながらエルが駆けて行ったほうへと移動を開始した。

 康貴はあおいと隆が頷くのを確認してから、急いで水の精霊の後を追いかけるのだった。


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