怪談ですか?

 夜もまだ明けきらぬ早朝の時間帯。

 小学生と覚しき二人の男の子が、懐中電灯片手にとある林の中を行き来していた。

「おい、いたか?」

「ばっちり。見ろよ、これ」

 一人の男の子が友人の前に掲げたのは、小さめのプラスチックケースだ。

 その中に、カブト虫が数匹入れられていた。

「うわ、すげっ!! 三匹もいたのか?」

「オス二匹にメス一匹。相変わらず、この木にはたくさん集まってくるな」

 そう言って、その男の子は背後のクヌギの木を振り返った。

 辺りには一種独特の、据えたアルコールのような匂いが立ち籠めている。

 それはクヌギの木から出る樹液の匂いだ。

「これだけ樹液が出ているんだ。カブト虫だって集まるさ」

「スズメバチなんかも集まってくるから注意しないとな」

 ここはとある神社の境内にある林の中。とはいえそれほど深い林ではなく、子供でも比較的安全に立ち入ることができる。

 林の周囲には歩道もあり、もう少し時間が経てば早朝のウォーキングや飼い犬の散歩に訪れる人も現れるだろう。

 それでも蛇や百足などの危険な生物もいるので、子供たちも夏場でありながら長袖に長ズボン、そしてゴム製の長靴と重装備で固めていた。

 危険な生物と言えば、忘れてはならないのが先程の会話にも登場したスズメバチである。スズメバチは本来昼行性の昆虫なのだが、時々夜間でも樹液の出る木にいることがある。そんな時は当然ながら、危険なので近づかないに越したことはない。

「どうする? もう少し奥へと行ってみるか?」

「確か、この奥にも樹液の出ている木はあったよな……うん、行ってみよう」

 二人の男の子たちは、歩道を歩いて更に奥を目指す。神社を取り巻くような林なので、奥へ行くほど木々は濃くなっていき、見通しも悪くなる。

 それでも一人ではないことと、カブト虫やクワガタが捕まえられるかもしれないという期待から、子供たちの足取りは自然と軽くなっていた。

「この辺じゃなかったっけ?」

「確かそうだったはずだけど……」

 以前に訪れた時、カブト虫を捕まえた実績のある木を探しながら、二人は懐中電灯の光を林の中へと向ける。

「あれ?」

「どうした?」

「今何か……懐中電灯の光が反射して光ったような……」

「空き缶か何かが落ちているんじゃないのか?」

 一人が懐中電灯の光を向ける方向に、もう一人も自分の懐中電灯を向けてみる。

 だが、光を反射するようなものは何も見当たらない。

「……何かの見間違いじゃないのか?」

「うーん……そう言われるとなぁ……」

 首を捻りながらも、男の子は懐中電灯の光を林の中で左右に走らせる。

 周囲には樹液の独特な匂い。近くに目的の木があることは間違いない。

 その時だった。

 林の中を走らせた懐中電灯の光に、確かにきらりと反射するものを見つけたのは。

 反射的に光を戻せば、LEDの白い光の輪の中に、ソレははっきりと浮かび上がっていた。

「…………ひっ!!」

 引き攣るような悲鳴を零したのは、二人の内のどちらであったか。

 LEDの白い光を反射したのは、錆の浮いたぼろぼろの剣だった。

 その剣を握る腕は、皮膚や筋肉が全てこそげ落ち、骨しか残っていない。

 その腕が繋がる肩や胴体もまた、同様で。

 胴体には朽ち果てた細かい鎖のようなものが纏わり付いている。もしもそれを見た者がある種の知識を有していれば、それが鎖帷子と呼ばれる鎧の残骸であると気づいただろう。

 カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ──

 カスタネットを連続で打ち合わせるような音が、未明の林の中に響き渡る。

 二人の男の子たちは、それが目の前の骨だけの怪物──骸骨が顎の骨を鳴らしている音だとは、ついに気づくことができなかった。

 眼球のない空ろな眼窩をじーっと向けられ、二人の男の子たちは知らずその場にぺたんと尻餅をつく。

 かさり。

 骸骨が一歩、男の子たちの方へと踏み出した。骨だけしかない足の下で、落ち葉が数枚、踏み砕かれる。

「う、うわあああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 この時になって、ようやく目の前の光景が現実だと男の子たちの脳が判断した。

 涙と鼻水と涎と尿を撒き散らしながら、二人の男の子は這いずりながら何とか逃げ出す。

 だが、骸骨は男の子たちを追うとはせず、その場に佇んでかたかたと顎の骨を鳴らすばかり。

 カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ。

 誰もいない林の中で、いつまでもその音が響いていた────



「──という怪談が、最近噂になっているらしいぞ?」

「いきなりだな」

 世間は夏休みに突入した。

 夏休み。それは学生限定のパラダイス。とはいえ、遊んでばかりもいられない。

 夏休みや冬休みの宿題は、前半にほぼ終わらせるのが康貴の主義である。

 そのため、夏休み初旬である七月と八月の境目付近である本日も、康貴は真面目に宿題に取り組んでいた。

 そこへ、突然とある友人から電話が入ったのだ。

 あおいや隆ほどではないが普段から仲の良い友人で、こうして時々電話がかかってくることもある。

 もっとも、その電話の内容は今日のように本当にどうでもいいことばかりなのだが。

「そんな下らない用事だけなら、もう切るぞ? 午後からはバイトが入っているから、午前中に今日の分の宿題ノルマを達成しなきゃいけないんだ」

「まままま、そう言うなって。ここからがおもしろいからさ」

「ここから?」

「そう。怪談そのものは今話したところで終わりなんだけど、舞台になっている神社ってのが……隣町の東郷町にある、せんげん神社らしいんだよ」

「浅間神社? あの目の前に小さな池があって、すぐ近くに中学校がある、あの浅間神社か?」

「そうそう。その浅間神社らしいんだ」

 康貴の脳裏に、話題となった浅間神社の景色が浮かび上がる。

 その場所には、康貴も実際に行ったことがある。神社の前にある小さな池にブラックバスや鯉を釣りに行ったこともあるし、幼い頃には怪談に出てきた小学生のように、境内の林の中でカブト虫を捕まえたこともあった。

「確かにあの神社の周囲には鬱蒼とした林が広がっているけど……骸骨が出るなんて聞いたことがないぞ?」

「それが最近出るようになったんだってさ。その骸骨ってのは」

 問題の浅間神社の周囲に広がる林は、周囲に街灯などもあまりなく確かに薄暗くてなんとなく不気味な所だ。

 それでも町中にある神社であり、決して広い林ではない。周囲には民家だってある。

 そんな所に骸骨が出るなど、康貴には信じられない。

「何かの見間違いが元で、それに尾ひれが付きまくった類の噂じゃないのか?」

「まあ、それが妥当なところだろうな」

 電話の向こうの友人も同意し、その後はいつも学校でやっているような内容のない馬鹿話を交わしていると、部屋のドアをノックする音が響いた。

「ヤスタカさーん。冷たいお茶淹れましたよー。あれ? お話し中でしたか?」

 流暢な日本でそう言いながら、ドアを開けたのはもちろんエルである。

 日頃の努力が実を結び、エルは日常的な会話なら問題なく話せるようになっていた。

 もちろん、難しい言い回しや聞き慣れない言葉、画数の多い漢字などは分からないが、普通の生活を送るならばもう魔法具マジックアイテムの助けはいらないだろう。

 ただし書く方だけは、話す方や読む方に比べて相変わらず苦手ようだったが。

「お、おいっ!! 今、女の子の声がしたぞっ!! 誰だっ!? 今の、木村さんじゃないよな? 彼女はおまえのこと『康貴』って呼ぶのに、今の声は『ヤスタカさん』だったぞ?」

「今のはあおいじゃなくて、いもうとだよ」

「い、妹っ!? おまえに妹なんていなかっただろっ!?」

「家庭の事情って奴でさ。最近できたんだ」

「な、なんだってえええええっ!? 聞いてないぞ、そんな話っ!? そ、それで、その新しい妹ちゃんは可愛いのか? 可愛いのかっ!? 大事なことなので二回聞いたぞっ!?」

 そう問われて、お茶の入ったグラスを机の上に置き、こくんと首を傾げながら自分を見ているエルを見上げた。

──誰がどう言おうが、僕は凄く可愛いと思うな。

 エルの整った美貌を見つめながら、康貴は電話の向こうの友人に告げる。

「うん、まあ……普通じゃないかな?」

 友人にエルの美貌を素直に伝えるのが何となく勿体なくて。康貴は思わずそんなことを口にした。

「えー? 本当に普通かー?」

「そうだよ。本当に普通だよ。じゃあ、義妹が呼んでいるから切るぞ」

「ああ。新しい妹ちゃんによろしくなー」

 スマートフォンの通話をオフにして、そのまま机の上に置く。

「何が普通なんですか?」

「何でもないよ」

 不思議そうなエルに笑いかけ、康貴はエルが淹れてくれたお茶を一口飲む。

 今年の夏は異常に暑い。それでも午前中から冷房を入れるのは気が引けて、康貴は扇風機だけで我慢していた。

 そんな中、エルの淹れてくれた冷たいお茶が一際美味しく感じられる。

 グラスの中のお茶を一気に飲み干して、再びエルを見上げた時。

 彼女はじーっと机の上に置かれた康貴のスマートフォンを凝視していた。

「どうした?」

「え? あ、はい、それって、いつでもどこでもお話のできる魔法具……じゃなかった、キカイでしたよね?」

「ああ、そうだけど?」

 康貴にそう尋ねる間も、エルの視線はスマートフォンに定められて動かない。

 いつでもどこでも会話ができるキカイ。それはエルにとっては夢のような存在だった。

 普段、エルは家に一人でいることが多い。唯一の同居人である康貴は、学校やバイトで家にいないことが多いからだ。

 やはり、一人で家にいるのは少しばかり寂しい。

 でも、このスマートフォンというキカイさえあれば。この小さなキカイに向かって話しかければ、いつでもどこでも康貴の声を聞くことができるのだ。

「いいなぁ……」

 彼女がそうぽつりと呟いたのを、康貴の耳はしっかりと拾っていた。

「エルもスマホが欲しいのか?」

「ぴあっ!? い、いえ、別に欲しいとかじゃなくて、そ、その……」

「そうだよな。エルだってこちらの世界で暮らしていく以上、スマホがあった方がいいかもな。うん、今度親父かお袋に頼んでみるよ」

 一応未成年ということになっているエルである。保護者である康貴の両親の承認なしに、スマートフォンを契約することはできない。

 だが、康貴の両親も今ではエルのことを実の娘のように可愛がっているし、そのエルがスマートフォンを持ちたいと言えば反対はしないだろう。

 エルのスマートフォンの維持費の一部ぐらいは、康貴もバイト代から出すつもりだし。

「よし、今度親父かお袋が帰ってきた時、一緒にスマホを手に入れに行こうか」

「はい!」

 嬉しそうに微笑むエル。そんなエルを見ていると康貴まで何となく嬉しく思えてくる。

「それで、ヤスタカさん?」

「ん?」

「どこの迷宮に挑めば、すまーとふぉんは手に入りますか?」

 こちらの世界について、かなり慣れてきたエル。だが、まだまだ分かっていないことは多かった。



 康貴がエルに、スマートフォンは普通に店で売っていることを説明していると、再び彼のスマートフォンが軽やかなメロディを奏でた。

「この着信音は……あおいだな」

 康貴がスマートフォンを取り上げ、通話のキーを指先で弾く。

「ねえねえ、康貴! ちょっとおもしろい話を聞いたんだけどっ!!」

「もしかして、浅間神社に出る骸骨の怪談じゃないだろうな?」

「あれ? 康貴も聞いていたの?」

「やっぱり……」

 あれであおいはホラー系が大好物なのだ。だから身近で怪談の噂があれば、絶対に食いつくだろうと康貴は思っていた。

 だから、これからあおいが言うであろう言葉も、彼には大体予測がついた。

「なら、話は早いわ。近々、肝試しをするからそのつもりでね!」


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