水着選びですか?
本屋で買い物を済ませた康貴と隆は、あおいとエルの水着選びが終わるまで各階で興味を惹かれる場所をぶらぶらと回っていた。
「お、これ、エルちゃんに丁度いいんじゃね?」
そういって隆が取り上げたのは、少し武骨な黒縁の伊達眼鏡だった。今、二人が要るのはパーティグッズを扱うコーナーである。
「そうか? エルには似合わないと思うけど……」
「いや、似合う似合わないじゃなくて変装用に、だよ」
「変装用……? ああ、例の『エルフさん』か」
隆の父親である萩野市長が推し進めている、日進市のホームページ上で公開されている『エルフさん』のコーナー。隆が父親から聞いたところによると、ここ最近アクセス数が急増しているらしい。
中には『エルフさん』の姿を求めて日進市まで足を運んだ者もいたそうで、今後は『エルフさん』絡みの来訪者が増える見込みだとか。
『エルフさん』の正体は公表されていないが、それでも『エルフさん』を求める来訪者が日進市を訪れて、エルとばったり出くわす可能性はゼロではない。
そのため、今から変装用のグッズを幾つか揃えておこうと隆は提案しているのだろう。
「それでも、もう少しスマートな奴の方がよくないか?」
「いや、こういう物は少しぐらいミスマッチの方がいいんだよ。その方が他人の視線を集めることも少なくなるしな」
「そういうもんか?」
首を傾げつつも、隆の助言に従って伊達眼鏡を購入する康貴。
確かに隆の言う通り、あまり似合いすぎて他人の視線を集めるよりは、少しぐらい似合わない方がいいのかもしれないと考えたからだ。
色彩の洪水のようなたくさんの水着たち。その洪水の中を泳ぐ魚のように、あおいとエルは特設売り場の中を一回り見て回った。
「どう? 気に入った水着はあった?」
あおいがエルにそう尋ねれば、エルは不思議そうに首をこくんと傾げた。
「あ、あの、アオイさん……アオイさんのいウ、みズぎってなにでス?」
「あ、そうか。エルの世界には水着なんてなかったのね」
あおいはエルに、水着とは何なのかを教える。
「なルほど。およグとキや、みずアそびのトききル、ふクでスね?」
「そう。エルの世界では、そういう時はどうするの? 水着なんてないんでしょ?」
「はイ。わタしのせかイでは、およグとキ、したギかはダかでス」
「えええっ!? それじゃあ、誰かに見られたりするんじゃない?」
「はイ。でも、キぞくはともカく、へいみン、きにしナい」
「そういうものなんだ……」
驚くやら呆れるやら、といった表情のあおい。
だが言われてみれば、江戸時代の日本の町湯も男女混浴だったと聞いたことがある。
文化や風習は場所や時代によって違うものだ。そう考えるとそれほど不思議なことでもないのかもしれない。
「ふーん。じゃあ……さ? エルは康貴や隆の前で裸になっても平気なの?」
あおいがこう尋ねた途端、エルの処女雪のような白い肌が一瞬で真っ赤に染まった。そして両手で顔を覆い隠し、その場に踞ってしまう。
「イガーナ……っ!! イガーナっ!! デ ギロゥ スゥ デニモリックぅぅっ!!」
思わず使い慣れたエルフ語で何やら言いつつ、顔をぶんぶんと左右に振るエル。どうやら、恥ずかしがっていることは間違いない。
だが、その原因が異性に肌を晒すからなのか、それとも特定の誰かに肌を晒すからなのかは、あおいにも分からなかった。
ようやくエルが落ち着いたのを見計らって、あおいとエルは水着選びを再開した。
「それで、エルはどんな水着にする?」
「わタし、よくわからなイ。アオイさんまかセまス」
「そう? じゃあ……」
あおいはきょろきょろと周囲を見回すと、にやりと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
ととと、と少し離れた場所まで離れると、数着の水着を抱えて足早に戻って来る。
「じゃーん! こんなのはどう?」
そう言ってあおいが提示した水着は、この特設売り場に展示してある水着の中でも特に布面積が小さなものばかりだった。
それを見て、再びエルの顔が朱に染まる。
「むリ……むリ……っ!! わタし、アオイさんほどおぱイ、おキくないっ!! そンなのキれナイ……っ!! アオイさん、キてくさイっ!!」
「あ、あたしだってこんなの恥ずかしくて着られないわよっ!!」
自分が提示した水着を逆にずいっと押しつけられて、今度はあおいが顔を赤くして狼狽える。
そうやって二人は、しばらく互いに水着を押しつけあっていたが、ふと我に返ってどちらからともなく笑い合う。
「まったく……何やっているのかしらね、あたしたち……」
「でも、タのしイでス」
「ふふふ。そうね」
二人は今度こそ、まともな水着を選び始める。
あおいは気に入った水着をいくつか選び、エルもあおいの助言に従って数着選んで、店員に断って試着室で試着してみる。
互いに試着した水着を見せ合いながらあれこれと意見を述べ、ようやく最終的なものを選んで会計を済ませた。
「さて、早く康貴たちと合流しましょう。随分と時間がかかっちゃったから、きっと待ちくたびれているわ」
「はイ!」
スマートフォンを取り出し、登録されているナンバーを呼び出しているあおいの横で、エルは嬉しそうに買ったばかりの水着の入った袋をぎゅっと抱き締めた。
やはり、自分で稼いだお金で買った物はとても誇らしく、そして、同時にとても嬉しかった。
康貴たちと無事に合流したあおいとエルは、少し早いが昼食を摂ることにした。
「飲食店には早目に入らないと、昼時になるとあっと言う間に席が埋まるからな」
「その意見には賛成だけど、どっちに行く?」
隆の言葉に頷いた康貴は、右手の人差し指で上と下の両方を交互に指し示す。
今康貴たちがいる百貨店の上階にはレストラン街があるし、地階には名古屋が誇る地下街が広がっている。
どちらに行っても、食べる場所と種類には事欠かない。
「そうね……やっぱり下にしない? エルに名古屋の地下街を見せてあげたいわ」
あおいの意見に康貴も隆も賛同し、一行は下りのエスカレーターへと向かう。
「あ、あノ……こノまち、ちカあるでス?」
「ああ、あるよ。まるで迷路みたいに入り組んだ広い地下街があるんだ。僕はいつ来ても必ず迷うんだよなぁ」
「そ、そレ、ドワーフのまちみたイ?」
「うーん……逆に僕はドワーフの町や集落を知らないから比べられないけど、僕としてはあれはもう地下迷宮と呼んでもいいと思う」
「ち、ちカめいキュう……でスか?」
腕を組みながら首を傾げる康貴。隆やあおいから借りた小説や漫画でドワーフという種族や地下迷宮についての知識は得ている。だが、さすがにそのドワーフたちが実際にどんな地下集落を築くかまでは分からないし、冒険者であるエルとは違って本物の地下迷宮に潜ったこともない。
それでも名古屋の地下街に来る度に、康貴はここが本当の迷路のようだと思ってしまうのは事実だ。ならば、地下迷宮だと言えばエルにも分かりやすいだろう。
「ま、ここであれこれ言っていないで、実際に行った方が早いぜ? 百聞は一見にしかずってな」
隆の言葉に促されて、康貴たちは地下街を目指す。
その途中、エルだけが疑問顔で首を傾げていた。
(『ヒャクブンハイッケンニシカズ』ってどういう意味だろう? 後でヤスタカさんに聞いてみなくちゃ)
どんよりとした黴臭い澱んだ空気。
どこかから僅かに漂ってくる死臭。
薄暗くて狭い通路。
そしてその暗がりから、突然襲いかかってくる魔獣や魔物。
それがエルの知る地下迷宮というものだ。
だが。
だが、このナゴヤという街の地下に広がる地下迷宮は、エルが知るような地下迷宮ではなかった。
第一に、ここが地下だとは信じられないくらいに明るい。
そこかしこに明かりが灯され、空気もしっかりと流れているようで淀みはまるでない。
エルの知る地下迷宮には、罠と魔物と暗闇が詰め込まれていたが、この地下迷宮にあるのは色取り取り、多種多様な商品や食べ物、そして信じられないぐらいのたくさんの人間だった。
しかも、康貴たちに聞いたところ、この地下の街は人々が暮らすための街ではなく、単に買い物や飲食のためだけの街だそうだ。
それだけのためにこの規模の地下の街を造るなど、エルたちの世界では考えられないことである。
そして、康貴の言う通り、この地下の街はとても複雑な構造をしており、とてもではないが一度歩いただけでは、どこに何があるのかとても覚えられない。
いや、構造自体は比較的単純だ。問題なのは、あまりにも店舗の数が多すぎて、どこに何があるのかが覚えきれないことだろう。
「チじょうのとウもびくリシたけど、このちカもびくリでス」
エルは康貴たちと地下街を歩きながら、左右を流れる人の流れや、明るい店舗に飾られている商品を眺めながら呟く。
時折、すれ違う人々が驚いたような顔でエルを眺めながら通り過ぎていくが、それは単に彼女の整い過ぎた容姿に見蕩れているのだろう。
「ところで、何を食べる?」
先頭を歩いていた隆が、肩越しに振り返った。
「そうね……せっかく名古屋駅まで来たんだから……何か名古屋名物がいいんじゃない? エルも名古屋名物は食べたことないでしょ?」
「なごヤめいぶツ……? そレ、どんなたベものでスか?」
「そうだな……有名で手頃なところはきしめん、味噌カツ、天むす……ひつまぶしは値段が高いからパスしたいな」
隣を歩く康貴の言葉を聞きながら、エルは楽しそうに頷いている。
こちらの世界には、実に様々な料理が存在することはこれまでに学習している。もちろん、口にしたことのある料理はほんの一部だけだが、それらは全てとても美味しかった。
実際に食べたことはなくても、テレビや雑誌でいろいろな料理が紹介されている。映像や写真で見ただけでも、どれもエルのいた世界のものより手が込んでいて美味しそうだ。今、康貴が言った料理たちも、どんなものかはまるで分からないがきっとどれも美味しいに違いない。
「そうだなぁ。じゃあ、今日は手頃にうどんかきしめんにでもするか」
「あ、うどん屋ならエスカの方にあるんじゃない? そっちに行きましょう」
「えー? 俺は味噌カツあたりをがっつりいきたい気分なんだけど……」
「そっちは今度、大須方面へ行ったでもいいじゃない」
「ああ、味噌カツの老舗店か。そういや、あそこの看板が某国でパクられたって騒ぎが何年か前にあったな」
そんな取り止めもないことを話しながら、康貴たちは名古屋地下街から一旦セントラルタワーズの方へと戻り、逆方向のエスカ地下街へと移動する。
当然、その途中で見かけるもの全てに、エルは好奇心溢れる目を楽しそうに向けていた。
そして、その日に食べたきしめんをエルはとても気に入り、彼女の好物の一つに付け加えられたのだった。
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