塔は危険ですか?
康貴たちは地下鉄を
その過程で、地下鉄の中も徐々に人が増えていった。
「やっぱり、御器所で桜通線に乗り換えて正解だっただろ?」
「そうね。伏見で東山線に乗り換える方が名古屋には近いけど、東山線はむちゃくちゃ混むもの。地下鉄に慣れていないエルには少しきついわね」
隆とあおいの言う通り、車内は確かに混み始めていたがそれでも余裕はまだまだあった。
だが、東山線の栄駅と名古屋駅の間は、平日でもかなり込み合うのだ。そのため、康貴たちは混雑を避けて御器所で桜通線へと乗り換えることにしたのである。
それでも名古屋に近づくにつれ、乗客はどんどんと増えていく。
そんな増えていく乗客の様子を、エルは興味深そうに眺めていた。
「ひト、ふえてキまシた」
「まだまだ、これから増えるさ」
「まダ、ふえまスか?」
「そうだぜ、エルちゃん。これから俺たちが行こうとしている名古屋って街は、この国でも有数の大都市の一つなんだ」
「だから大勢の人が集まるのよ」
康貴たちの言葉を聞き、エルは納得の表情を浮かべた。
大きな街に人が集まるのは、この世界でもエルのいた世界でも同じようだ。
人が集まれば、商品などの物も集まる。物が集まれば、それを求めて更に人が集まる。
自分がいた世界に比べて、遥かに物が豊富なこちらの世界である。それを求めて集まる人も、こちらの世界の方がずっと多いのだろう。
だが、この時点でのエルのこの予想は、半ば当たって半ば外れていた。
それは名古屋という街に集まる人の数は、エルの予想を遥かに上回っていたからだ。
右を見ても人、人、人。
左を見ても人、人、人。
自分の左右を流れていく数え切れないほどの人々を前に、エルは呆然と立っていることしかできなかった。
「人の多さに驚いただろ?」
「はイ。おどろキまシた。」
後ろからかけられた康貴の声に、エルは左右を何度も見ながら呟くように応えた。
「わタシのくに、おうトでもコれだケのひト、いナい。びクり。それに……」
エルは頭上を見上げた。そこに見えるはずの空は、とても狭く感じる。
立ち並ぶ無数の巨大な塔。
継ぎ目のない石で造られたその塔たちは、似たような色彩ではあるが、よく見ると微妙に異なっている。中には一際鮮やかな色彩の塔もあり、各塔の表面に貼り付けられた無数のガラス──エルもガラスのことは学習した──の窓が、日の光を反射してきらきらと輝いている。
もちろん、日進市にも駅前などにも高い塔──マンションという人々が住む場所だと康貴たちは教えてくれた──はあったが、その数は段違いだった。
「さ、まずは最初の予定通り、水着を買いに行きましょう」
あおいの言葉に、康貴たちが頷いて歩き出す。
彼らが目指すのは、高い塔ばかりが立ち並ぶ中でも一際目立つ向かい合った双子のような塔だった。
「こ、このとウのなか、はイるでスか?」
「そうよ。目的地はここ……セントラルタワーズの中の百貨店の、十階の特設水着売り場だもの」
「か、かっテにとウはイっても、おこラれないでスか?」
「怒られるって……そんなわけないだろ? 百貨店側としては多くの人に入って欲しいわけだからさ」
康貴の返答に、エルは首を傾げた。
エルの世界において、高い塔とは高位の魔術師の住居にして研究施設である場合がほとんどである。
当然そこには貴重な魔術的資料や研究成果が収められており、主人である魔術師はその秘密を守るために外来者を嫌う。
塔の中にはゴーレムなどの強力な守護者や危険な罠が配置されているのは当たり前で、勝手に塔に足を踏み入れることは死をも意味するのだ。
つまり、エルの常識で言えば、高い塔とは極めて危険な場所なのである。
それなのに目の前の塔には、実に多くの人々が自由に出入りしている。当然、守護者が動き出すような気配もない。
「やパり、こちらノせかイ、ふしギおおイ」
そんなことを呟きながら、エルは康貴たちの後を追って、おっかなびっくり塔──セントラルタワーズの中に足を踏み入れるのだった。
人波に乗って、エスカレーターを使って百貨店の中をどんどんと昇っていく。
康貴たちの目的は十階なので、まずはそこを目指す予定だ。
ここまでの途中、自動で昇るエスカレーターを目にして、エルはしきりに康貴たちに危険を訴えるという一幕もあった。
なんでも、かつて潜った
「やパり、とウはきけん! コレ、わナでス!」
「いや、罠じゃないから。ただのエスカレーターだよ」
「ちがウ! こノさき、おとシあなあル! おとシあなのそコ、やリたててあル! ノるだメ!」
「大丈夫だって。ほら」
康貴の腕を取り、必死に危険を訴えるエルに、隆が次々にエスカレーターで昇っていく人たちを指差す。
「な? 誰も落とし穴に落ちたりしないだろ? これは単なる『動く階段』なんだよ」
「う、うゴくかいダん……?」
隆に言われた通り、多くの人が平然とその動く階段に足をかけ、そのまま静かに昇っていく。
当然、エスカレーターの先に罠などはなく、人々は更にエスカレーターを乗り継いだり、その階にある目的地を目指していく。
「わナ……なイです……」
「そうだろ? だから心配することはないんだよ」
康貴たちに諭され、そろそろとエスカレーターに足を乗せようとするエル。だが、どのタイミングで足を降ろしていいのか分からないようで、おろおろとしてしまう。
「ほら、エル。掴まって」
康貴が差し出した腕に掴まり、どうにかこうにかエスカレーターに乗ることができた。
「お、おー。うゴくかいダん、おもシろい!」
康貴の腕を抱き抱えるようにしがみつきながら、エルの蒼い瞳が好奇心に輝く。
「そういや、エルを連れて初めてみよし市の大型スーパーに行った時は、人目を避けるために階段を使ったからなぁ。あの時にエスカレーターについて説明しておけば良かったな」
初めてエルと出会った翌日、あおいと共に彼女を郊外のスーパーへ連れて行った時のことを思い出す康貴。
「だイじょぶでス、ヤスタカさん。これかラ、おぼエます」
「そうだな。僕はもちろん、隆だってあおいだって教えられることはどんどん教えるから」
自分たちから少し下に立っている隆とあおいを見下ろせば、康貴たちの会話が聞こえていたようで二人は揃って右手の親指を突き立てた。
「はイ! よろくシおネがイマしス」
エルが答えた変な日本語に、康貴たちは声を上げて笑い合った。
十階のイベントスペースであろう空間には、色取り取りの水着が咲き乱れていた。
もちろん、色だけではなくデザインもサイズも様々。これだけの数の水着が展示されている様は、はっきり言って圧巻の一言だ。
一体、どれぐらいの数の水着が展示してあるのか。康貴と隆とエルは、その光景を呆然と眺めていた。
唯一、過去にこの光景を見た経験のあるあおいだけが、平然と売られている水着へと近づいていく。
「どうしたの? そんな所で突っ立ってないで、こっちへ来て水着を選びましょ?」
突っ立っている三人を振り向くあおい。
「い、いや……選びましょって言われても……」
「……なあ?」
康貴と隆は困った表情のまま互いに顔を見合わせる。
下着と違って目のやり場に困るようなことはないが、二人とも女性の水着を選んだことなどこれまで一度もないのだ。
そんな二人にとって、水着を選ぶことなどできるはずがない。
「お、俺たちは自分たちの水着を見てくるから……」
「そ、その後は別の場所で時間を潰しているから……買い物が終わったら連絡してくれよ」
ちなみに、特設売り場の片隅には男性用の水着も置いてある。その数は女性用と比べると実に微々たるものだが。
「あら、そうなの? 残念ねぇ」
どこか悪戯っ子のような表情を浮かべながら、あおいがわざとらしい溜め息を吐く。
「こういう水着売り場って、カップル用の試着室だってあるのよ?」
「え……? か、カップル用……?」
そう言われてみれば、売り場には夫婦や恋人らしき男性と女性の二人組の姿があちこちで見かけられる。
「ちょっと、隆。あなた今、変な想像しているでしょ? 例えば……カップルの男女が一つの試着室に入って着替えるとか……ね?」
思わずにやけた顔を晒す隆に、あおいがにやりと笑いながら釘を刺す。
そしてその指摘が的中だっただけに、隆も言葉に詰まる。
「別にカップル用の試着室って言っても、二人で入って着替えるわけじゃないの。男の人は外で待っていてもらって、女性だけ試着室で水着に着替えるのよ。普通の試着室の前で男の人だけ立っていると気不味いでしょ? だから特設売り場の隅の方や裏の方に、カップル用の試着室はあるの」
「へえ。詳しいんだな、あおい」
「実を言うと……あたしも知り合いからの受け売りなんだけどね」
あおいはそう言いながらちろりと舌を見せた。
結局、水着売り場にはあおいとエルだけが残り、康貴と隆は二人の買い物が終わるまで別の場所で時間を潰すことにした。
二人がどんな水着を買うのか興味がないと言えば嘘になるが、近いうちにその水着姿を披露してくれるだろう。
「とりあえず、どこに行く?」
「あ、俺、本屋行きたい。ラノベの新刊が出ているはずなんだわ」
水着売り場を後にした康貴と隆は、そのままもう一階上がって十一階にある本屋を目指す。
「そういや、どうだった?」
「ああ、おまえから借りた小説か? うーん……やっぱり個人的にはファンタジーってイマイチだけど……でも、エルフとかゴブリンとかについては勉強になったかな?」
最近、康貴はあおいや隆から借りて、少しずつファンタジー小説や漫画を読み始めていた。
理由はもちろん、エルから異世界の話を聞いて興味を持ったからだ。
小説に登場するエルフと本物であるエルを比べれば、当然いろいろと違いはある。例えば、隆から借りた小説に登場するエルフは、なぜかやたらと巨乳だったりするが実際のエルは実にスレンダーだ。エルに聞いたところによると、エルたちの世界のエルフは総じて痩身であり、巨乳なエルフなどまずいないらしい。少なくとも、エルの故郷では一人もいなかったそうだ。
「まあ、小説は所詮小説であって、空想の産物だからな。まさかその小説を書いている作者も、俺たちが本物のエルフと出会っているなんて思ってもいないだろうし。なあ、いっそのこと、おまえが小説でも書いたらどうだ? 本物のエルフとの交流記、とか。もしかしたら受けるかもしれないぞ?」
「止めてくれ。僕に文才なんてないから」
隆にはそう答えつつ、康貴はそれもおもしろいかもと頭の片隅で考えていた。
文章を書く練習ならこれからすればいい。エルという異世界からの来訪者との出会いを何らかの形で残しておくのは、きっと意味を持つであろうから。
割と本気でエルとの出会いの記録を残すことを考えながら、康貴は隆と並んで十一階にある本屋を目指して歩いて行った。
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