まんじゅうですか?

 あおいの家を出た康貴たち四人は、そのまますぐ近くにある名鉄豊田線の日進駅に到着した。

「行き先は名古屋でいいんだよな?」

「ええ。今日は名駅とその近場を回ればいいでしょ? 他の場所日を改めて行けばいいし」

「了解」

 康貴たちは目的地までの切符をそれぞれ買う。切符の自動販売機の使い方がよく分からないエルには、康貴が使い方を教えてやる。

 本日、エルは電車代や買い物でかかる費用は全部自分で負担することにした。

 隆の父親である萩野市長から、「エルフさん」の出演料として一定の給料を得たことと、その萩野市長が自分の西洋アンティークのコレクションに加えるため、例のエルの銀貨と銅貨を数枚個人的に買い取ってくれたことで、今のエルにはある程度の資金があるからだ。

 エルとしては、今までのように康貴やあおいたちに何から何まで負担してもらうことが心苦しかったし、康貴たちにしてもエルの社会勉強の一環という意味も含めてそれを受け入れた。

 ただ、萩野市長から受け取った紙幣を、エルがお金だとすぐには信じられなかったという一幕もあったのだが。

 エルにしてみれば、「紙幣」など常識外の存在だ。彼女にとっての「お金」とは、金貨や銀貨、そして銅貨などの硬貨か宝石などであり、紙幣など「細かな同じ絵の描かれた細長い紙切れ」でしかないのだ。

 康貴たちがあれこれと説明して、ようやくその「紙切れ」がこの国のお金であると納得させたのだった。

 実際は、康貴たちが紙幣で支払うところを何度も見たことはあったのだが、どうしてあんな紙切れで物が買えるのかずっと不思議だったそうである。

 四人で改札を抜け、ホームへと出る。

 その間、エルはずっとにこにことご機嫌だった。

「楽しそうだな、エルちゃん」

「はイ、タカシさん。でんシャのる、ずとたノしみだっタ」

 たどたどしいながらも、エルはにっこりと笑いながら答える。

 エルもこれまで走っている電車は何度も見たが、当然乗るのは今日が初めてである。だからそれが楽しみで仕方がないようだ。

「でんシャ、そっくリ」

「電車がそっくり? 何にだ?」

「キャリークロール!」

「キャリークロール?」

「はイ。キャリークロール、デっかいイもむシのまンじゅう!」

 エルは両手を目一杯伸ばしてそのキャリークロールとやらの大きさをアピールする。

 だが、康貴たちはそれどころではなかった。

「ちょっと! 止めてよね、エル! お饅頭が食べられなくなるじゃない!」

 あおいだけではなく、康貴も隆も芋虫の姿をした巨大な饅頭を想像し、気持ち悪そうな顔をしていた。

「エル……それを言うなら、『でっかい芋虫の魔獣』だろ?」

 康貴がエルの言いたかったであろうことを推測して、彼女の間違いを訂正してやる。

 なお、エルの言うキャリークロールという魔獣は、人間よりも大きな芋虫の姿をした魔獣で、口の周りに生えた触手で獲物を捕えて食べる魔獣だそうだ。

 その触手には麻痺性の毒があり、時には人間もその犠牲になるという。当然麻痺毒に犯された獲物は、生きたままその芋虫魔獣に食べられることになる。

 実際、エルもあちらの世界では冒険者として、この魔獣と戦った経験があった。

「でんシャ、キャリークロールよりずとデっかい! はしルのうまヨりはヤい! のるノたノしみ!」

 「魔獣」と「まんじゅう」の違いを理解しているのかいないのか。

 エルは浮き浮きとした表情で、じっと電車が来るであろう方向を眺め続けていた。



 やがてホームに電車が滑り込み、出入り口のドアが開く。

 真っ先に電車に駆け込んだエルは、その内側を見て目を輝かせる。

「いス、いパいある! きレいなえ、いパいある! すゴい!」

 エルは車内のたくさんの座席や、吊り広告などを興味深そうに眺めている。

「ヤスタカさん、こレ、なニ?」

 エルは吊革を指差しながら尋ねる。

「これは吊革と言って、席に座れなくて立つ人が使うんだ。こうやって……」

 康貴は吊革の使い方を実演して見せる。

「でモ、いス、いパいある。すわれナいひト、いないでス?」

 エルは車内を見渡した。電車の中は空いていて、座れない人はいないようだ。

「うん。今日は人が少ないからね。でも、平日の出勤時間ともなると、電車の中はすし詰めになるから」

「シュきんじカん? スシづめ?」

 聞き覚えのない日本語に、エルが首を傾げる。

「エルの世界でも、毎日働く人はいただろ?」

「はイ。ショうてンのひト、いちバのひト、はたラくひト、いパいいた」

 最近のエルの日本語能力は日に日に高くなっている。特にヒアリングの方は聞き覚えのない単語や特殊な単語でない限り、ほとんど問題なく聞き取ることができるようだ。

 この分なら、会話の方もすぐに流暢に話せるようになるだろうと康貴は予測していた。

「出勤時間というのは、そういう働きに行く人が重なる時間のことさ。一度にたくさんの人が移動するから、電車の中も今日以上に人が増えるんだ」

「ワかりまシた! ひトふエる。いスたりなクなる」

 うんうんと頷くエルを、康貴は優しく微笑んで見つめる。

「すし詰めの方は、電車の中が人でぎっしりと隙間なく埋まることを言うんだ」

 康貴は「すし詰め」の語源や使い方をあれこれと説明していく。

「……………………」

 あおいは、楽しそうに話すエルと康貴の様子を、どこか複雑そうに眺めていた。

 そして、そんなあおいを隆が黙って見つめていることに、康貴もエルも、そしてあおい本人も全く気づくことはなかった。



 がたんという揺れと共に、電車が動き出す。

 名鉄豊田線の座席は長椅子タイプで、両側の壁に沿って椅子が設置してある。康貴たちは、その内の一部に四人揃って腰を下ろした。

 エルはまるで子供のように窓にくっついて、目を輝かせて外の風景を眺める。

 だが、その外の風景が一瞬でブラックアウトする。

「マくらになった!」

 驚いたエルが、周囲の窓を確認した後、康貴たちへと振り向く。

「この路線は、日進駅と赤池駅の間で地下鉄になるんだ」

 名鉄豊田線は、赤池駅からは名古屋の市営地下鉄の鶴舞線と連接して地下を走るようになっている。

「ちカてつ?」

「地面の下を走るんだよ」

「じ、じメんのしタ……」

 この巨大な列車が地面の下を走っていると知り、エルの驚愕は更に大きくなる。

 優れた土木技術を持つドワーフ族ならば、地下に巨大なトンネルを掘ることは不可能ではない。だが、これだけ巨大な電車が高速で走れるほどの長くて広いトンネルを掘るのは、さすがに不可能に違いない。

 もちろん、百年二百年という長い年月をかければできるだろう。だが、康貴たちの話によれば、この巨大なトンネルを十年もかからずに掘ったのだという。

 改めてエルは、こちらの世界の人間の技術力に驚かされる。

 魔法とはまるで別の技術体系。どちらが優れていてどちらが劣っているなど比べるようなものではないが、少なくとも日常の生活面ではこちらの世界はかなり発達している。

 こちらの世界に来て五十日以上経つが、まだまだ日々驚かされることの連続だ。

 いや、これからも驚くことはまだまだ山ほどあるに違いない。

 それを考えると、エルの心はどきどきと期待に高鳴る。

 これから体験するであろうことに期待しながら、エルは隣で自分を見守ってくれる少年に──こちらの世界に来てからずっと見守ってくれた少年に向かって、にっこりと微笑んでみせた。



 電車が地下に潜って幾つもの駅を過ぎた頃。

 ふと思い出したように隆が康貴に尋ねた。

「なあ、康貴。結局、エルちゃんはおまえとはどういう関係になるんだ?」

「ああ、それならいもうとってことになるらしい。年齢は15歳ってことにするそうだよ」

 まさかエルの実年齢である152歳を公表するわけにはいかない。そんなことをすれば間違いなく、ギネスブックの最高長寿のレコードをぶっちぎりで塗り替え、二度と更新されることはなくなるだろう。

 もっとも、公表したところで誰も信用などしないだろうが。

 そのため、家族間で協議した結果、エルの年齢は表向き15歳ということにして、康貴の義妹ということで落ち着いた。

 現在は養子縁組の申請中であり、近々正式にエルは「エルルーラ・ザフィーラ・フィラシィルーラ・アカツカ」という名前になる。

 既にご近所にはエルのことは家庭の事情で引き取った養女として紹介してある。もちろん、エルフであることは当面はまだ秘密のままだ。

 彼女の容姿──特にその特徴的な耳に関しては、これからどうするか真剣に考えなくてはならないだろうが、そう簡単に解決策が見つかるような問題でもないだろう。

 今も彼女はいつものニット帽を被っている。季節的にも暑くなってきており、これからどんどんきつくなるに違いない。幸い車内は冷房が効いているので、額に汗を浮かべるようなことはないが。

「名古屋に着いたら……きっとエル、驚くでしょうね」

「ああ。休日の人込みは半端ないからな。もっとも、東京とは比べ物にならないが」

 名古屋駅周辺は、休日でなくともかなりの人間が詰めかける。

 名古屋の表玄関でもある名古屋駅は、新幹線を始めとした数多くの私鉄や地下鉄の中継点でもあるからだ。

 それが休日ともなれば、平日以上の人間が押しかけて人込みは更に増す。

 それでも、さすがに日本の首都である東京駅やその近辺の有名どころの駅と比べれば、やはり名古屋駅前も霞んでしまう。

 名古屋に着いたら、果たしてエルはどんな反応を見せるのか。そんなことを予想し合いながら、あおいと隆は小さく笑い合う。

 そして。

 そして電車は、いよいよ名古屋駅へと到着する。


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