閑話 夢の場所ですよ

「お、おお…………こ、これは……っ!?」

 目の前に広がる光景に、エルは思わず目を輝かせた。

 ここは日進市内にある某大型家電量販店。

 最近、こちらの世界の家電製品に興味津々のエルにとって、この場所はまさに夢の場所だった。

 特別、何かを買う予定はないのだが、それでも展示されている家電製品を見ているだけでも楽しい。

 そう考えて、康貴はとある週末にエルをここに連れて来たのだった。

「こ、ここに並んでいるカデンセイヒン……全て買えるんですか?」

「そりゃあもちろん買えるよ。ただし、買えるだけのお金があれば、だけどね」

「あ……あ、ああ、そ、それは当然ですよね……」

 それまで高かったエルのテンションが、あっという間に下がってしまった。

 目の前に並ぶ様々な家電製品を前にして、思わず興奮していたエルだったが、考えてみればここは「商店」なのだ。展示された製品を手に入れるには、代金が必要なのはエルにも分かることである。

「うう……今の私の所持金で、何か買えるかしら……?」

 肩からたすき掛けにしたポーチの中から財布を取り出し、その中身を確認するエル。

 最近では日進市から請け負っている「エルフさん」のギャラが入るようになって、エルにも少しは自由に使える資金がある。

 とはいえ、「エルフさん」で入るギャラのほとんどを、エルは生活費として赤塚家に入れているため、彼女が自由に使えるお金はそれほど多くはないのだが。

 康貴としては、エルから生活費をそれほどもらうつもりはないが、そうすることでエルが気兼ねなく日本で生活できるのなら、と彼女から生活費を受け取っている。

 実は受け取った生活費の半分ほどを、エル名義で銀行に貯金してあることを当のエルは全く知らない。

 そのため、今のエルにはそれなりの貯蓄があるのだが、それを知らない彼女は切実な思いで財布の中身を確認していた。

「まあ、何十万円もするような高額なものはともかく、ちょっとぐらいの値段なら僕も少しは手伝うから、気に入ったものがあれば買うといいんじゃないか?」

「そ、それって、要はヤスタカさんに借金をするってことですよね?」

「まあ、そうなるかな?」

「………………借金の代償として、ヤスタカさんは私に何か求めるつもりですか?」

「そうだなぁ……何を求めようかなぁ?」

 わざとらしく、にやにやしながらエルを見る康貴と、そんな彼からすすっと数歩遠ざかり、自分の体を抱き締めるエル。

 だが次の瞬間には、康貴とエルは互いに顔を見合わせて笑い合った。二人とも、今のやり取りが冗談であることを完全に理解しているからだ。

 康貴が無理なことを自分に要求するはずがないと理解しているエルと、最初から借金にするつもりなど全くない康貴。

 笑い合った二人は、仲良く肩を並べながら、数多くの家電が展示されている店の中をゆっくりと歩き出した。



「ヤスタカさん、ヤスタカさん! これって一体何をするものなんですか?」

 興奮した様子のエルが指さす製品を見て、康貴はやや首を傾げた。

「う、うーん……これって、一体何だろう……?」

「あれ? ヤスタカさんにも分からないカデンセイヒンがあるんですか?」

「そりゃああるよ」

 苦笑を浮かべながら、康貴は改めてその製品を見た。

 どうやら、女性用の美容目的の商品のようだ。だが、男性用の髭剃りシェーバーぐらいならともかく、女性用の美容製品なんて、高校生男子には縁のないもの故に理解できるわけがない。

 いや、高校生男子に限らず、ほとんどの男性にはいまひとつ理解できないものと言えるかもしれない。

「…………あおいなら、これが何に使うものなのか、知っていたかもなぁ」

「なるほどぉ。では今度、機会があったらアオイさんに聞いてみましょう」

 と、エルは手にしていた商品を棚に戻した。

 別にあおいでなくとも、その辺りにいる店員さんに聞けばいいのだろうが、それも何となく気恥ずかしい。男子高校生である康貴が、女性用の製品の説明を求めるには相当な勇気が必要なのである。

「ヤスタカさん、ヤスタカさん! あっちの椅子は何ですか? 椅子に座っている人がたくさんいます!」

 エルが指差す方を見てみれば、そこにあったのはデモ用のマッサージ椅子だ。何人かの客が椅子に座り、マッサージ機能を試している。

「エルも実際に体験してみるか?」

「はい、あの椅子がどんなものか分かりませんが、体験できるものは体験したいです!」

 さすがは冒険者と言えばいいのだろうか、エルはとても好奇心が強い。こちらの世界に来てからもその好奇心は健在で、知らないものは貪欲なまでに知りたがるし、実体験できるものは何でもやってみたがるのだ。

 康貴は空いているマッサージ椅子にエルを座らせると、コントローラーを操作してマッサージ椅子を起動させる。

「お? おお? おおお?」

 腰や背中に適度な負荷が加わり、エルが楽しそうな声を上げる。

 更にはふくらはぎや腕までも加圧され、心地よい感覚がエルの全身に広がっていく。

 こちらの世界に来て、エルも知らず知らず疲れていたのだろう。慣れない生活環境に接していれば、誰だって何らかのストレスが加わるものだ。

「とても気持ちいいですねー。この椅子、買えませんか?」

 マッサージが終了し、すっかりとこの椅子が気に入ったらしいエルがそんなことを言う。

「…………なあ、エル。その椅子の値段、よく見てくれ」

「え? この椅子の値段ですか…………ぴあっ!!」

 エルは首をやや傾げながらも、展示されている椅子の値段を確認する。最近は康貴と一緒に買い物したり、「エルフさん」でギャラを得ていたりするため、日本の物価についてはある程度理解しているエル。

 なので、エルはマッサージ椅子に表示されている値段を見て、小さな悲鳴を上げたのだ。その予想外なまでに高額な値段に。

 エルが康貴の腕を引きながら慌ててその場から離れたのは、その直後のことだった。



「…………びっくりしました……」

「そりゃあ、びっくりしただろうね」

 自らの胸を片手で押さえながら、エルははぁと大きく息を吐き出す。いまだ、彼女の心臓は激しい動悸を繰り返していた。

 今日の彼女の出で立ちは、夏らしい涼し気なもの。

 オフホワイト地にグレーのロゴが入ったチューブトップにブルーグリーンの生地に白でイルカが染め抜かれた、再度クロスパーカーを合わせている。

 そして、アンダーはデニム生地のショートパンツ。もちろん、頭にはいつものニット帽。全体的に、スポーティなイメージで纏められているものの、やはりこの季節にニット帽はやや不釣り合いだ。だが、こればかりは外すわけにはいかない。

 当然というか何というか、このようなコーディネートは康貴にはアドバイスできないので、エルのコーディネートの情報源はもっぱらあおいであった。

「さすがにマッサージ椅子を買うのは無理だけど、他にも気に入るものがあるかもしれないぞ」

「そうですよね! こんなにたくさん賞品があるのですから、私にも買えるものがありますよね!」

「そうそう。でも、エルに買える家電製品となると、実際何がいいのかな……?」

 テレビや冷蔵庫、エアコンなどの大型家電はまず金額的に無理だろう。いや、テレビも冷蔵庫も小型の物を彼女の部屋に置くのであれば、買えないことはないかもしれない。

「どうせ買うなら、もっと身近で実用的な物がいいですねー」

「なるほど、身近で実用的な物か……」

 となると、パソコン類は除外されるだろう。なんせ、エルはまだパソコンを使えないし、やはり予算をオーバーしてしまう。

 では、ドライヤーはどうだ? と康貴は自問する。

 ドライヤーであれば毎日使う物だし、手頃な値段の物もあるに違いない。

 それ以外ですぐに思いつくのは、ポータブルミュージックプレイヤーとかか。

 一体何がいいのかと考えつつ、陳列されている商品を見ていく康貴。しばらくそうしていると、不意に彼はとあることに気づく。

「あれ? エルはどこに行ったんだ?」

 そう。

 気づけば、それまで彼の隣を歩いていたエルフの少女の姿がなかったのである。



 幸い、エルはすぐに見つかった。

 そもそも、エルが康貴に何も告げずにこの量販店の外に出るわけがないし、知らない人間についていくはずもない。

 そもそも、エルはようやく片言の日本語を理解できるようになったばかりなので、翻訳のイヤリングを装備していない康貴以外と、まともに会話をすることはできないのだ。

 そんなエルがどこかに行くとすれば、精々がトイレぐらい。それだって、康貴に一言告げてから行くだろう。

 では、そんなエルが康貴から離れて何をしていたのかといえば。

「一体、何をそんな熱心に見ているんだ?」

「あ、ヤスタカさん……」

 康貴の声に、エルはちょっと恥ずかしそうに振り返る。そして、そんなエルの肩越しに、彼女が見ていた商品へと目を向ければ。

「…………電動歯ブラシ……?」

「え、えっと……いつもヤスタカさんが使っているのを見ていて、実は自分も使ってみたいなーって、前々から思っていまして……」

 やや頬を染めつつ、康貴の顔と電動歯ブラシの間で何度も行き来するエルの視線。

 確かに、康貴は以前から電動歯ブラシを愛用していた。対して、エルが日常使っているのはごく普通の歯ブラシである。

 エルがこちらの世界へ来て数か月。これまでに彼女の衣服やら日用品やらはあれこれと買い揃えていたが、さすがに歯ブラシまでは手が回らなかった。というか、そこまで気が付かなかった。

 元の世界のマジック・アイテムに通じるものがあるという、こちらの世界の家電製品。そんな家電製品に始めから興味津々だったエルにしてみれば、電動歯ブラシだって興味の対象だったのだろう。

 だが、かといって康貴の電動歯ブラシを、エルに貸すわけにもいかない。さすがに。

 なお、康貴の父も母も、今は結婚して家を出た姉も歯ブラシは普通の歯ブラシ派だったため、赤塚家で電動歯ブラシを愛用していたのは康貴だけである。

「なるほど、確かに電動歯ブラシなら、手頃な値段の物もあるよな」

「はい、そのようです。高いのから安いのまで、いろいろあるみたいです」

 いくつも並んだ電動歯ブラシの展示品と、その下に存在する値段が書かれたラベル。

 それらを何度も見て確認し、エルは一つの電動歯ブラシを買い求めることにした。

「えへへ。これ、私がこちらの世界に来て、初めて自分で手に入れたマジック・アイテム……じゃなかった、カデンセイヒンですね!」

 と、実に嬉しそうに笑うエルを見て、また家電量販店にエルを連れてきてあげよう。その時は、何かを自分からプレゼントするのもいいかもしれないと思いながら、康貴はエルと一緒に我が家へと足を向けるのだった。



 ちなみに。

 電動歯ブラシを購入したその日の夜、喜々としながら早速それを使おうとしたエルだったが、うっかり口に入れる前に電動歯ブラシの電源をオンにしてしまい、歯ブラシにつけていた歯磨き粉を洗面所にまき散らして康貴からこんこんと説教されるのだが、それはまた別のお話。


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