閑話 数ヶ月後ですよ

 それは本当に単なる偶然だった。

 一人の男性が、何気なくインターネットでとある単語を検索した時、偶然見つけたある町のホームページ。

 だが、その男性はそこに掲載されていた写真を見て思わず呟いた。

「……なんだ、これ? 『エルフのいる町、日進市』?」

 その写真に写っていたのは、一人の少女。外国人らしきその少女は、ファンタジー風の衣装と白い革鎧らしきものを身に着けていた。

 そして何より男性の目を引いたのは、輝く長い金髪からぴょこんと飛び出した長くて先の尖った耳。

「どこかのエルフキャラのコスプレか……?」

 そう思いつつも、興味を引かれた男性は他の写真も表示してみる。

 おそらくはその町の文化財か何かなのだろう。数百年ほどの樹齢がありそうな松の木──写真のキャプションには「臥龍の松(岩崎町小林妙仙寺境内) 樹齢約400年」とあった──を、エルフのコスプレをしていると覚しき少女がにこやかに見上げている写真。

 どこかの境内の中にあるらしい古墳の傍に、静かに佇むエルフの少女の写真。

 小さくて単純な構造の石橋の傍にしゃがみ込み、興味津々といった風に石橋を見つめるエルフの写真。

 田圃の中で全身泥まみれになり、それでも弾けるような笑顔で幼い子供たちと一緒に、捕まえたザリガニを自慢気に見せるエルフさんの写真。

 市長らしき人物から、公布された住民票を受け取って微笑むエルフさんの写真。

 他にも多くのエルフさんの写真が、そのホームページには掲載されていた。

「何者なんだ、彼女……? それにこの町……日進市……?」

 男性はホームページをじっくりと眺めた。やがて、片隅に「エルフさんの部屋」というコーナーがあることに気づく。

 そのコーナーには、写真の少女──「エルフさん」の簡単なプロフィールが記載されていた。


  名前:エルフさん

  年齢:ひみつ

  経歴:異世界からひょんな理由で日進市にやって来たエルフの少女。

     自然豊かな日進市を気に入り、しばらく住み着くことにした。


「ふーん、『エルフさん』ねぇ。なかなか可愛いけど……まさか、本物のエルフってことはないよな? ゆるキャラみたいなものだろ」

 男性はホームページに掲載されていた画像をハードディスクに落とし、画像編集ソフトでエルフさんの画像を拡大してみる。

 ホームページ用の写真だけあって、解像度は極めて低い。拡大してみてもこの少女のエルフ耳が特殊メイクの類なのか、それともCGや合成なのかは判断できなかった。

「日進市ね……へえ、名古屋からなら電車で30分ほどで行けるのか……ってことは、俺の家からそれほど離れているわけじゃないな……」

 ちょっとだけ……ちょっとだけ、この町まで行ってみようか。男性は何となくそんなことを考えていた。

 まさか、本当にエルフがいるとは思っていない。どうせ外国人の役者か何かを使ったPR用のイメージキャラクターだろう。

 それでも、もしかして────

 そんな思いが頭の隅を横切る。

 それに、この「エルフさん」が写っている写真の場所を、直接自分の目で見てみるだけでもいいじゃないか。

 もしかすると、偶然この「エルフさん」と──もしくは「エルフさん」を演じた少女と──出会えるかもしれないし。

「どうせ暇だし、次の週末にでも行ってみるか」

 男性は淡い期待を抱きながら、日進市までの交通機関などを詳細に調べ始めた。



 これと似たようなことが、あちこちで起きていた。

 「エルフさん」に関する話題は静かに、だが確実に広まり、一部のマニアの間で盛んに噂されるようになる。

 そして、この「エルフさん」を巡り、あちこちのネットの掲示板などで、あれこれと議論が交わされていった。


〈どうせCGだろ?〉

〈いや、単なるメイクだよ、きっと〉

〈合成とか、付け耳(笑)とか?〉

〈いや、あれは本物だ! 本物のエルフさんが、この世界に舞い降りたんだ! 俺たちエルフマニアのために!〉

〈うわ、馬鹿だ。本物の馬鹿がいる〉

〈本物のエルフなんているわけねえだろ! エルフなんて空想の産物だよ〉


 やはり、ほとんどの者はエルフが実在するなど信じはしなかった。

 それでも、ごく一部の熱烈なエルフマニアの中には、その存在を頑なに信じる者もいた。

 そんなマニアたちの中でも日進市の近郊に住んでいる者は、休日などに直接日進市に赴いて「エルフさん」の姿を探し求めるようになる。

 しかし、「エルフさん」と実際に出会えた者は誰もいなかった。

 一口に日進市と言ってもかなり広い。その中から一人の少女を探し出すなど、素人が半日や一日でできるはずもない。

 それでも、たとえ「エルフさん」とは出会えなくても、彼らは嬉しそうな表情で家に戻ってネットの掲示板に書き込むのだ。


〈本物の『エルフさん』には会えなかったけど、関連グッズが売っていたので買っちまったぜw〉

〈関連グッズ? 画像よろ〉

〈おけおけ〉


 ネットにアップされた画像には、様々な「エルフさん」の写真が印刷されたクリアファイルや下敷きなどの文房具から、タオルやTシャツ、コースターといったお決まりのグッズなどが写っていた。


〈おおおおっ!? なかなかいいな、コレ。俺も欲しい。通販やってないのか?〉

〈そうか? 俺はいらねーな〉

〈通販はやってないっぽい。どうもご当地限定のグッズらしいんだわ〉

〈じゃ、じゃあ、日進市まで行かないと買えないのか?〉

〈あ、俺、比較的近隣だから行けなくもないな〉

〈うわ、俺ん家離れすぎ。とても行けねえわ。誰か俺の分も買ってきてくれ。もしくはネットオークションでもいいぞ〉

〈しかし、こうして見ると本物のエルフっぽく見えるな、『エルフさん』〉


 このように、「エルフさん」の噂はごく一部のマニアの間で徐々に広まっていった。



 やがて、次第に「エルフさん」には熱心なファンが形成されるようになり、彼らファンたちは誰からともなく日進市を訪れては、「エルフさん」がホームページの写真に写っていた場所などを回り、記念写真などを撮って満足そうに帰って行く。

 中には週末を利用して泊まりがけで日進市を訪れる剛の者もいて、「エルフさん」に縁のある場所などをあちこち訪れたり、コンビニなどで売っている地域限定の『エルフさん』グッズを大量に買い込み、やはり嬉しそうに帰路に着くのだ。

 こうして。

 決して全国的な騒ぎになるほどではないものの、一部のマニアの間で「エルフさん」の存在は静かなブームメントを巻き起こしていくのだった。



 机の上に置かれた電話が、軽やかな呼び出し音を奏でた。

 職員の一人がその電話を取り、受話器を耳に当てる。

「はい、こちら日進市市役所、広報課です……は? ああ、はい、『エルフさん』に関する問い合わせですか……え? 『エルフさん』は実在するのか、ですか? はい、もちろん、実在しますよ。はい? では、どこに行けば会えるのか、ですか? 申し訳ありませんが、それはお教えするわけにはいきません。彼女の住所は個人情報ですからね。 はあ。じゃあ『エルフさん』の中の人の名前……? いえいえ、『エルフさん』に中の人なんていません。『エルフさん』は『エルフさん』。彼女は我が日進市を愛する市民の一人です!」

 職員は上司に言われた通りの対応をして、受話器を戻した。

「ふう……一体、一日に何本同じ問い合わせの電話が来るんだよ?」

「思ったより人気だよな、『エルフさん』」

「まあ、『エルフさん』役の外国人の女の子、凄く可愛いからな。実際に会ってみたいって気持ちはよく分かるよ」

 職員は、近くにいた同僚とそんな会話を交わす。

 『エルフさん』の正体は、萩野市長とごく一部の者だけしか知らないのだ。

 それ以外の一般の市役所の職員は、『エルフさん』は市内に住む外国人の少女が演じていると信じ込んでいた。

 そうこうしている内に、再び電話が鳴る。

 職員は、溜め息を一つ零すと再び電話に手を伸ばし、同じ受け答えを続けるのだった。


「────以上、『エルフさん』の関連グッズの売り上げは実に順調です」

 秘書の矢野の報告を聞きながら、萩野市長は満足そうに頷いた。

「グッズの生産を依頼した企業の売り上げはどうですか?」

「はい。日進市の経済活性が目的のため、関連グッズの八割を市内の、主に中小企業で生産しています。生産を依頼した企業の売り上げは徐々に上がっており、また、それに合わせて人手も必要となったために市内の失業率も僅かですが緩和されました」

「そうですか。見込みよりも多めの経済効果が出ているようですね」

「ですが、エルさんの存在はあくまでも公表しない方向なので、今以上の効果は期待できませんが?」

「今の状況でも十分ですよ」

 例えば、エルの存在をもっと前面に出して公開イベントなどを企画すれば、より人も金も流れ込むだろう。だが、それをやろうとすればエルの私生活が乱されることになる。

 それは萩野市長を始め、エル本人も康貴たちも望んではいないのだ。

「それで、次の企画の準備はどうなっていますか?」

「はい。旅行会社と提携して、市内のいくつかの宿泊施設で特設ルームを設置する準備を進めています」

 これはそのホテルの宿泊客だけにしか入手できない限定グッズの販売や、限定ルームに設置したそこだけで使用されている限定版のタオルなどのアメニティを自由に持ち帰ってもよいとした企画である。

 既に特設ルームの予約は数ヶ月先まで埋まっており、上々の結果を出していると言えるだろう。

「後はコンビニなどでの限定くじの景品の発注をかけました。商品を限定フィギュアにすることで、一定数の収益が見込まれています。とはいえ、さすがに市内でフィギュアを生産できる企業はありませんから、市外の企業に発注することになりますが」

「まさか、このためだけに起業するわけにもいきませんからね。仕方ないでしょう」

 萩野市長は椅子の背もたれに体を預けると、にっこりと微笑んだ。

「『エルフさん』一人の影響で、これだけの効果が得られるとは……実に素晴らしい」

「ですが、懸念事項もあります。不特定多数の来訪者が訪れることで、治安の悪化のおそれがあります」

「そうですね。それは警察や地域パトロールのボランティアの方たちとの連絡を密にして、犯罪の早期発見を目指して犯罪の発生を極力抑えてください」

 矢野は承知しましたと一礼し、市長室を退出しようとする。おそらく、早速警察などと連携のための連絡を取りに行ったのだろう。

 だが、その途中で足を止めると、萩野市長を振り返った。

「一つだけ質問してもいいですか、先生?」

「何ですか?」

「今回の『エルフさん』ですが、別に本物を……エルさんを使わなくてもよかったのではありませんか?」

「確かにその通りですね」

 萩野市長は、市長の椅子から窓の外に広がる日進市の街並みを眺める。

 矢野の言う通り、別に本物のエルフを起用しなくても、役者などをエルフに扮装させれば済むことなのだ。

「ですが、そこであえて本物を使うのが拘りというものですよ。市役所の職員が問い合わせに答えているように、本当に『エルフさん』は実在し、中の人など存在しない……彼らは決して嘘は吐いていないわけですから。たとえ公表されないようなことでも、そういうところにこそ気を配るべきだと私は考えます」

「はあ……そういうものですかねぇ」

 今ひとつ納得できないという表情を浮かべながら、今度こそ矢野は市長室を後にした。



 名鉄日進駅から出てきた二十代と覚しき数人の男性が、きょろきょろと周囲を見回した。

 彼らはそれぞれスマートフォンではなく、ごついデジカメやハンディカムを手にしている。

 だが、彼らはそれで周囲の景色を撮影することもなく、何かを探し求めているようだった。

「ほ、本当にこの町にエルフがいるのか……?」

 男性の一人がぽつりと呟く。途端、残りの男性たちが殺気だった表情で一斉にその男性を睨み付けた。

「『エルフさん』を呼び捨てにするな! 『エルフさん』にはきちんと『さん』をつけろっ!! それが『エルフさん』を愛する我々のマナーだっ!!」

「『エルフさん』は『エルフさん』が正しい名前なのだ! それを中途半端に『エルフ』などと呼び捨てにしやがって……貴様には『エルフさん』に対する愛が足りんっ!!」

「貴様には、ゆっくりと『エルフさん』がいかに素晴らしい存在なのかを得々と語ってやる! それを聞いて心を入れ替えろっ!!」

「ひ、ひい……っ!!」

 一人の不心得者に対し、残る男性たちが口々に『エルフさん』の素晴らしさを語っていく。

 そうしながら彼らが歩き出すと、前方から来た四人の高校生らしい年頃の少年少女とすれ違った。

 構成は少年が二人に少女が二人。その少女のうち、どうやら一人は外国人のようだ。

 長くて綺麗な金髪が、淡いグリーンに所々にピンクの星形が散らばるニット帽から零れ落ちている。

 顔にかけられたちょっと武骨な黒い眼鏡が、逆にその外国人の少女を愛らしく見せていた。

 すれ違いざま、カメラを構えた男性たちはちらちらとその外国人の少女を盗み見る。

「お、おい、今の外人の女の子……」

「あ、ああ。何となく『エルフさん』に似ていなかったか?」

「いや、きっと別人だろう。そもそも、外国人の顔って全部よく似て見えるし……」

「そうだよな。『エルフさん』がこんな所──駅前の賑やかな町中をふらふらと歩いているわけがないよな。『エルフさん』がいるのはもっと自然豊かな静かな所だろうし。ホームページの写真でもそうだっただろ? しかも、ごく普通の高校生っぽい子供たちと一緒にいるはずがないさ」

 背後から聞こえてくるそんな声に、ニット帽を被った外国人の少女は、その黒い伊達眼鏡の奥の蒼い瞳を悪戯を成功させた子供のように細めて、三人の仲間たちと共ににっこりと微笑むのだった。

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