町の発展ですか?

 定期テストも無事に終わり、その次の週の日曜日。

 午前11時をやや過ぎた時刻に、赤崎家の呼び鈴が鳴った。

 ほぼ約束の通りの時間。そろそろ来るだろうと思っていた康貴は、玄関まで行って鍵を開けて扉を押し開く。

「やあ、康貴くん。おはよう」

「おはようございます、矢野さん」

 赤塚家を訪れたのは、矢野という三十代前半の男性。もちろん、康貴は彼のことをよく知っている。

 彼は隆の父親、萩野幸一日進市市長の秘書を務める男性で、これまでに何度も顔を合わせたことがあった。

 矢野の肩越しに見える門の向こうには、一台の車。確か、トヨタのヴェルファイアというミニバンだったと康貴は記憶していた。萩野家──隆の家の自家用車である。

 そのミニバンの助手席には隆が座っており、康貴に気づいて手を振っている。後部座席には、同じようにあおいの姿も見えた。

 どうやら赤塚家に来る前に、既にあおいの家に寄って彼女を拾ってきたようだ。

「ところで、康貴くん。例の……」

「あ、はい。すぐに来ますよ。おーい、エルー」

「ヴァーダ イールゥ」

 康貴が家の中へと声をかければ、それに応えるエルの声がした。

 翻訳のイヤリングをしている康貴には「すぐに行きます」と聞こえたが、矢野には意味不明の言語である。

 現れたエルの出で立ちは、ターコイズブルーのタンクトップの上に、オフホワイトのカットソーシャツ。ボトムはライトブルーの裾しゅくクロップドパンツ。

 そして、頭にはいつもの耳覆い付きのニット帽。そろそろ気温も高くなってきたので、いつまでもこのニット帽を被るのは辛いかもしれない。

 家の奥から現れたエルの美貌に、思わず陶然とした表情で見蕩れていた矢野だったが、我に返ると慌てて康貴とエルを車へと誘う。

「じゃ、じゃあ、行きましょうか。うちの先生が……萩野市長が市役所でお待ちです」



 赤塚家から日進市の市役所までは、車で15分ほどの道のりである。だが、康貴たちが日進市の市役所に到着するまで、実にいろいろなことがあった。

 先日の大型スーパーへ出かけた際に乗ったバス以降、久しぶりに自動車という乗り物に乗るエルは、初っ端からテンションが高かった。

「この前乗った『ばす』という乗り物によく似てますねー。でも、『ばす』に比べると椅子の数が少ないですけど、こっちの方が『ばす』よりもちょっと豪華っぽくて、まるで小さなお部屋みたいですね!」

「ははは、さすがに自家用車とバスを比べたら、椅子の数じゃあ勝てないな。でも、乗り心地はこっちの車の方がいいと思うぞ」

 資産家である萩野家が所有する自家用車である。当然、そのグレードはトップクラス。しかも隆の父親の趣味であれこれと手が加えられており、乗り心地はかなりのものである。

 そのことを、以前にもこの車に乗った経験のある康貴はよく知っていた。

 その後、動き出した自動車の中で、エルが子供のようにはしゃぎ出す。

 移動の途中で名鉄日進駅近くの高架を潜り抜ける時、高架の上を走っている電車を見たエルが、巨大な魔獣が町中を走っていると騒ぎ出すなんて場面もあったり。

 康貴やあおいたちからすれば、エルのその反応は何とも微笑ましいものだったが、当のエルにしてみれば驚きの連続だった。

 やがて、康貴たちを乗せた乗用車は、市役所の駐車場へと滑り込む。

「さあ、着きましたよ。市長が待っています。どうぞ、こちらへ」

 日曜日は市役所も休館日であり人気はない。正面入り口も閉められており、矢野は康貴たちを横手の職員専用の通用口へと誘導した。

 それでも場所が場所だけに通用口横には守衛の詰所があり、その中には守衛の姿もある。

 だが、さすがに市長の秘書だけはあり、矢野は顔パスで市役所の中へと入っていく。

 守衛にじろじろと見つめられ、康貴たちは居心地の悪い思いをしながらも、矢野の後を追って市役所に足を踏み入れた。

 中に入ると、休日出勤なのかちらほらと職員の姿が見える。彼らは日曜だというのに市役所に入って来た康貴たちに、不思議そうな視線を送る。

 だが、彼らを先導しているのが市長秘書の矢野だと分かると、何かの学生のイベントとでも思ったのかそれぞれの仕事に戻っていく。

 矢野に導かれて市役所の中を歩く。矢野は康貴たちを「市長室」というプレートの掲げられた部屋へと導いた。

「どうぞ。中で市長が待っていますから」

 矢野が開けてくれたドアを潜ると、中には一人の中年の男性が待っていた。

 中肉中背で背が高く、高価そうなスーツに身を固めた紳士然とした雰囲気の男性だ。

「やあ、いらっしゃい。久しぶりだね、康貴くん、あおいちゃん。元気そうで何よりだ。そして……」

 男性──現日進市市長の萩野幸一は、エルを視線の先に捉えるとにっこりと笑って優雅に腰を折った。

「ようこそ、我が日進市へ。私はこの町の市長として、異郷の旅人の来訪を、市民を代表して心より歓迎しましょう」

 萩野市長の言葉を聞いたエルもまた、にっこりと微笑んでたどたどしいながらも日本語で返答する。

「はじメまして、シちょさん。ワたし、エルふのエルルーラ・ザフィーラ・フィラシィルーラいイまス。エルとよんデくサい」

「おお、なかなか日本語もお上手ですね。では、お言葉に甘えてエルさん。まずは座ってください。確か、あなたは紅茶がお好きと息子より聞いております。すぐに用意させましょう。君たちは何がいいですか?」

 康貴たちがそれぞれ好みの飲み物を挙げると、それらを用意するために矢野が一旦市長室から退室した。

 市長室に置かれた、対談用のソファとテーブル。その一つに、萩野市長が率先して腰を下ろす。

 市長の対面にエルが腰を下ろし、その隣に康貴。エルと康貴から見て左側のソファに、あおいと隆が並んで腰を落ち着けた。

「今日は市役所までご足労いただき、本当にありがとうございます。我が家や康貴くんの家で一席設けても良かったのですが、やはりこれからのことを考えると、この市役所で対面するのが相応しいかと思いましてね。さて、早速ですがエルさん。あなたにこうしてここに来てもらったのは他でもありません。あなたに我が日進市のこれからの発展のために、是非力を貸していただきたいのです」

 萩野市長は真っ正面からエルを見据え、真面目な表情でそう切り出した。



 現在、翻訳のイヤリングは康貴が着けていた。

 本来なら萩野市長とエルの対談なので、二人が着ければ意志の疎通がスムーズになるのが、それだと康貴たちには二人の会話が完全には理解できない。

 もちろん、萩野市長の言葉だけでも大体は理解できるが、やはり完全というわけにはいかないだろう。

 そのため、康貴が「通訳」の立場に入ることになった。そうすれば、あおいと隆にも萩野市長とエルのやり取りがよく理解できる。もちろん、これには前もって市長の了承を取り付けてある。

「康貴くん、あおいちゃん、そして隆。君たちは『日進市』と聞いて、何を最初に連想しますか?」

 話を振られるとは思ってもみなかった康貴たちは、突然のことに思わず三人で顔を見合わせた。

「子供の頃から住んでいる君たちでさえ、そうやってすぐにめぼしいものは出てきません。いや、君たちに限らず、市民の大多数がそうでしょう」

 現職の市長が言うように、日進市には有名なものが少ない。

 市内に四つの大学短大を構えていることから、この町を学園都市と呼ぶ市民もいるが、それも全国的に見れば決して珍しくはないし、岩崎城址や愛知牧場などの観光スポットもいくつかあるが、やはり全国レベルではメジャーとは言い難い。

 有名な温泉地などもなく、和合ゴルフ場で大会が開催される際に、有名なプロゴルファー目当てに大勢の人が集まるくらいだ。

「産業も同じように目立ったものはありませんしね。そもそも、この日進市は名鉄豊田線が開通してから発展した町で、ほんの三十年ほど前までは田圃と山ばかりでした」

 大都市・名古屋との直接アクセスが可能になり、住宅地として発展した日進市である。今でも宅地開発は進んでおり、新しい家やマンションがあちこちに建てられている。

「確かに、これからもベッドタウンとして十分発展していくでしょう。ですが、私としてはもっと何か……我が町から全国的な何かを生み出したい。常々そう考えていました。例えば、近隣都市である名古屋ならば名古屋城やテレビ塔、ナゴヤ飯……スポーツでも中日ドラゴンズや名古屋グランパスなど、誰もが一度は耳にしたことのあるものが幾つもある。そんな日進市だけの何かを、私は市長として生み出したいのです。そして、やるからには経済効果も見込みたいところですね」

 熱弁をふるう萩野市長。だが、康貴たちには市長の意図しているところが分からない。

 この町の発展と、異世界からの来訪者であるエル。それがどう結びつくというのだろう。

「さて、ここで再び質問ですが……今のこの国で、最も元気な産業は何だと思いますか?」

 再び顔を見合わせる康貴たち。高校生の彼らだが、今の日本の経済がそれほど活発ではないことは承知していた。

 どんな業界も業績は思わしくない。ほんの極限られた一部の企業や業種だけが、右肩上がりの業績を残している。もっとも、それも最盛期と比べると大したものではないのだが。

「そんな状況においても、人間という生き物は自分の好きなことには資金をつぎ込むものです。中でもその最たるものがいわゆるオタク業界……サブカルチャー業界だと私は考えています」

 もちろん、一時に比べればこの業界も思わしくはないのですが、と萩野市長は付け加えた。

「それでも、この業界は底知れぬパワーを秘めている。そのパワーを、私はこの町の発展に利用……もとい、活かしてみたいのです」

 ちらっと漏れかけた本音を平然と取り繕い、萩野市長は更に続ける。

「愛知県の知多半島に存在する県を擬人化し、可愛い女の子……いわゆる萌えキャラにすることで大きな収益を挙げたという実例もありますし、人気のあるアニメの舞台となった町が億を超える経済効果を得たという前例もあります」

「おい、父さん! まさか、エルちゃんを見せ物にするつもりじゃないだろうなっ!?」

 嫌な考えが頭をよぎった隆が、父親の言葉を遮った。

 動物園のような檻の中で、珍獣よろしく見せ物になっているエル。そんな光景を、康貴もあおいも思わず連想してしまう。

 だが、息子の糾弾を父親はあっさりと否定する。

「当然です。そんな非道なことをするわけがないでしょう。私が考えているのは、『ご当地アイドル』とか『ローカルアイドル』に似ているかもしれません」

「小父さんは、エルに協力してもらって一体何をしようとしているんですか?」

 萩野市長の考えが読めないあおいが、率直に質問する。

 その質問に、市長はにこりと実に爽やかな笑みを浮かべた。

「私が考えているのは、町興しですよ」

「町興し……?」

「そうです」

 萩野市長はソファから立ち上がると、窓辺まで歩いてそこから日進の街並みへと目を向けた。

「そうですね……キャッチフレーズはこんなのはどうでしょう?」

 室内の康貴たちへと振り返った萩野市長。彼は自信ありげにそのキャッチフレーズを口にする。

「『エルフの住む町、日進市』……どうです? 分かりやすくて、実にいいと思いませんか?」







~~~作者より~~~

 今回、舞台となっている日進市についてあれこれ述べていますが、悪意は一切ありませんのでご了承を。

 とてもいい町ですよ、日進は(笑)。

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