面会希望ですか?

「済まん! 康貴!」

 隆は手を合わせたまま頭を下げ、康貴に謝罪する。

「いや、気にするなよ、隆。おまえや親父さんにエルの銀貨や銅貨を換金して欲しいって頼んだのは僕なんだ。それに、僕もおまえの親父さんの鋭さをうっかり忘れていたしな」

「そうね。隆のところの小父さんなら、些細なことからエルのことを察しても不思議じゃないし、下手な誤魔化しも通用しないだろうしね」

 康貴もあおいも、幼い頃から隆の父親であり、現日進市市長の萩野幸一のことはよく知っている。

 気さくで康貴たちにも優しく、昔は彼に連れられて虫取りや釣り、キャンプなどにもよく行った。また、様々な方面で博識でもあり、康貴たちが彼から教わったことは数多い。

「そう言ってもらえると俺も助かる。それで……親父がエルちゃんに会いたいって言っているんだ」

「親父さんがエルに?」

「どうしてかしら?」

 康貴とあおいが不思議そうな顔をする。

 幸一がエルに会いたがる理由が、二人には分からない。まさか、異世界人に会ってみたいなんて単純な理由ではないだろう。

「そこまでは俺にも分からない。でも、康貴やエルちゃんに迷惑がかかるようなことでは絶対にないと親父も言っている。どうだろう? 一度エルちゃんに聞いてみてくれないか?」

「分かった。とりあえず、エルには尋ねてみるよ。ただし、エルと親父さんが会う時、僕も同席させてくれ」

「あたしも同席するわ。隆の小父さんを疑うわけじゃないけど、やっぱりエルのことが心配だし」

「分かった。そっちは俺から親父に言っておく。だからエルちゃんの方は頼むな?」

 隆の言葉に康貴は頷いた。

 彼の父親のことは信頼しているが、不安を全く感じないと言えば嘘になる。きっとそれは自分だけではなく、あおいも隆も同様だろうと康貴は思う。

 何はともあれ、まずはエルと話をしてみよう。

 そう決意する康貴だった。



 テーブルの上にはトランプほどの大きさの、数十枚の片仮名の書かれたカードがランダムに配置されていた。

 そして、椅子に座るエルの前には、裏面を上に山札として積み上げた十数枚のカード。

 エルはその山札の一番上のカードを手に取ってひっくり返す。そこに書かれていたのは平仮名の「つ」。

「『つ』……か。えっと……片仮名の『つ』は……」

 エルの目が、テーブルの上に置かれた片仮名のカードの上を滑っていく。

 やがて一枚のカードの上で彼女の視線が止まり、そのカードを拾い上げた。

「確かこれだったはず……」

 そう呟きながら、エルは拾い上げたカードの裏を確認する。だが、

そこには平仮名の「し」の文字が書かれていた。

「あう……これ、『ツ』じゃなくて『シ』かぁ。よく似ているから間違えちゃった……」

 今、彼女が行っているのは片仮名の学習だった。

 平仮名と対応する片仮名のカードを探す、ちょっとゲーム感覚の学習方法だ。

 これの考案者はあおい。あおいの意見を聞いた康貴と隆が、協力して画用紙を用いて作ったものである。

 エルはその後も、同じことを何度も繰り返して片仮名を覚えていく。今では片仮名も八割方は覚えてしまい、後は先程のような「ツ」と「シ」、「ソ」と「ン」などの良く似た文字さえしっかりと覚えれば、片仮名の読みも完璧だろう。

 ただし、平仮名も片仮名も書く方はまだまだ苦手であり、今後も要練習といったところである。

 ちなみに、会話の方は簡単な挨拶ぐらいなら何とか喋れる。

 それからも片仮名の学習を続けていると、エルの長くて先の尖った耳が突然ぴくりと揺れた。

 同時に、彼女は嬉しそうな表情を浮かべて視線を窓の外の庭の方へと向ける。

 しばらくすると玄関の鍵が開けられ、続いて扉が開く音。誰かが鍵を開けて家の中に入って来たらしい。

 もちろん、この家に鍵を開けて入ってくる人物は一人だけ。

 嬉しそうな表情を浮かべたまま、エルは玄関まで行ってその人物──康貴を出迎えた。



 ぱたぱたと家の奥から駆けてくるエルに思わず笑みを浮かべながら、康貴は出迎えてくれたエルから翻訳のイヤリングを受け取って耳に装着する。

「お帰りなさい、ヤスタカさん」

「ただいま、エル」

 家に帰った時に、誰かがこうして「おかえり」と言ってくれるのはやはり嬉しいものだ。そのことを康貴は、最近改めて実感していた。

「なあ、エル。ちょっと話があるんだけどいいか?」

「話ですか?」

 かくんと首を傾げながら、きょとんとした表情を浮かべたエル。

「うん。落ち着いて話したいから、まずは着替えてくるよ。リビングで待っていてくれ」

「はい。じゃあ、お茶を淹れておきますね」

 最近ではエルもキッチンのガスコンロなどの使い方を覚え、お茶を淹れたり簡単な料理なら作れるようになっていた。

 料理の素材となる野菜などは見知らぬものばかりでも、よく似た味の野菜や果物はエルの世界にもいくつかあるらしい。

 また、肉や魚などは基本的に焼いて食べるものらしく、器具の違いはあっても焼き方まではそれほど違わないため、ある程度は向こうの世界の料理を再現することは可能のようだ。

 ただ、決定的に違うのは調味料である。

 こちらの世界には、エルの世界よりも遥かに豊富な調味料がある。そのため、こちらの世界の料理を作るのはエルにはまだ無理だった。

 また、エルはインスタントとはいえ紅茶がお気に入りのようで、よく嬉しそうに紅茶を飲んでいるのを見かける。

 そんなエルを見て康貴は、いつかバイト先の喫茶店へ連れて行って、インスタントではない紅茶を飲ませてあげようと考えていた。彼のバイト先の喫茶店の店長の淹れる紅茶は、なかなかに美味しいと近所でも評判なのだ。

 でも、今は隆の父親の話をしなくてはならない。

 着替えを終えた康貴がリビングに入れば、エルは淹れた紅茶にスライスしたレモンを添えていた。

「えへへ。この『れもん』って果物、直接食べると物凄くすっぱいけど、こうして紅茶に加えると凄く美味しくなるんですよねー」

 どうやらエルの世界には、レモンやそれに類似する果実はないようだった。以前にエルに紅茶を淹れた時、一緒に添えたスライスしたレモンを彼女が食べてしまい、あまりのすっぱさに涙まで浮かべてあたふたしていたのは康貴の記憶に新しい。

 そんな少し前の記憶に思い出して笑いを浮かべていた康貴は、気持ちを引き締めると紅茶を前にして楽しそうなエルの方へと近づいていった。

「この町の市長さんが、私に会いたい……ですか?」

「ああ。市長さんって言っても、隆の親父さんなんだけどな」

「へー、タカシさんって市長さんの息子さんだったんですね。ということは、将来はタカシさんがこの町の市長さんですか」

「うーん、どうだろうな? あいつ、親父さんに似て政治家向きの性格だし、本人も政治家になりたいとは言っているけど……こればっかりはなりたいからと言ってなれるものでもないしな」

 もちろん、エルの世界にも市長という立場の人物はいた。

 ただ、エルの世界における市長や村長などの役職はほぼ世襲制である。当然ながら、選挙などというものは概念さえない。

 その辺り、二人の認識に違いがあるのだが、この時点では康貴もエルもそれに気づいていなかった。

「でも、その市長さんが私に何の用でしょうか?」

「それは隆にも分からないらしいんだ」

「あ! もしかして、冒険者としての私に仕事の依頼かも? この町のどこかにゴブリンでも出没して、その退治とか?」

「ゴブリン……って、確かエルの世界にいる人間と敵対しているっていう怪物だっけ? いやいや、こっちの世界にはゴブリンなんていないから」

「あぅ……そうでした……」

 エルのいた世界では、市長や村長という立場の人物から、冒険者に仕事の依頼が来ることは割とよくあることだった。

 集落の周囲でゴブリンなどの魔物や怪物が出没した場合、その退治を国の兵士などに頼むよりも冒険者に頼んだ方が対応が早いからだ。

 現にエルもとある集落の村長に頼まれて、畑や家畜を荒らすゴブリンと刃を交えた経験がある。

「どうだろう? 隆の親父さんと会ってみるか?」

「はい。タカシさんのお父さんからの頼みなら、断るわけにもいきませんからね」

「そうか。じゃあ、隆に連絡しておくよ」

 康貴は早速ポケットからスマートフォンを取り出し、隆に向けてメールを送る。康貴たちの間では、余程の急用でもない限り、普段の連絡はメールで取り合うのが暗黙の了解となっている。

 ぴっぴっぴっと慣れた様子でスマートフォンを操作する康貴の手元を、エルがきらきらとした興味津々の目で覗き込む。

「ヤスタカさん! それも魔法具マジックアイテム……じゃなかった、カデンセイヒンの一種ですか?」

「ああ、これはスマートフォン。遠く離れた相手と連絡を取り合える道具だよ。こうやって文章を送ったり、相手と直接話ができたりするんだ」

「うわー、『対話の護符』みたいですねー」

 「対話の護符」とは、二枚で一対となっているエルの世界の魔法具であり、声の交信ができるものである。

 ただし、交信が可能なのは対となっている間でのみに限られ、誰とでも繋がるスマートフォンに比べると利便性は遥かに劣る。

 また、その値段はとても高価であり、主に国軍などの士官が作戦行動時に使う魔法具であった。中にはこれを所持する冒険者もいたがその数は極めて少なく、現代の携帯電話やスマートフォンのように一人が一台、もしくは複数台所持できるような代物ではない。

「他にも『連書の巻き物』と呼ばれる魔法具もあって、これは二枚一対の巻き物で、片方に書いた文字がもう片方にも浮かび上がるんです。『連書の巻き物』も高価な魔法具ですけど『対話の護符』ほどではありませんから、こっちを携帯する冒険者は結構いましたよ」

「なるほど。その『対話の護符』が携帯電話なら、『連書の巻き物』って奴はメール機能ってわけか。確かによく似た道具があるんだな」

 エルの話を聞いていると、確かに家電製品は彼女の言う魔法具と大差ないように思える。

 もしも、康貴のいる今の世界で発展したのが科学ではなく、エルの世界のような魔法であったなら。

 きっと今頃は、携帯電話の代りに似たような効果を持つ魔法具を使っていたかもしれない。

 そんな取り止めもないことを考えながら、康貴はスマートフォンのカメラ機能や、音楽再生、動画の再生アプリでエルを大いに驚かせつつ、二人で遠慮なく笑い合った。



 ちなみに、その時に撮ったエルの写真の中で特に気に入った一枚を、こっそりとスマートフォンの待ち受けに設定したのは彼女には内緒だったりする。


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