あり得ませんですか?

 机の上に置かれた数枚のコイン。

 隆の視線は、そのコインと父親の顔の間を何度も往復する。

 そして、幸一はそんな息子を見つめながら言葉を続けた。

「このコイン……知り合いの古銭商の何人かに調べてもらったのですが、誰も価値が分からないどころか、これまで見たことも聞いたこともないコインだと言っているのです」

 そりゃそうだろう、と隆は思う。

 このコインは異世界人であるエルが持っていたものなのだ。こちらの世界でこのコインについて知識のある人間がいるとは思えない。

「古い金貨や銀貨などの古銭……もちろん、過去に日本でも発行されたものも含めて、古銭の価値を決定づけるのは、まず希少性だそうです」

 過去にどれくらいの数が発行されたのか。また、今の時点でどのくらい残存しているのか。それで古銭の価値の大部分が決定する。

 例えば、傷一つ、手垢一つついていない新品の百円硬貨があったとしても、それは100円の価値しかない。

 逆にどんなにぼろぼろの状態であっても、千年前の銅貨ならば100円以上の価値がつく可能性があるのだ。

「そのため、本職の古銭商は、現在に至るまでに発行された古銭に詳しいのです。もちろん、その全てを記憶しているわけではありませんが、彼らは何らかの形で資料として古銭の情報を持っています。その彼らが……本職の古銭商たちが、口を揃えて隆が持ってきたこれらのコインを知らないと言う。それが一人や二人ならば偶然ということも考えられますが、私が尋ねた古銭商全員がこのコインを見たことも聞いたこともないと言うのです。ここまで来れば、これはもう異常と判断して差し障りないでしょう」

 息子を見つめる父親の視線。その視線に鋭さが増す。

 その視線に晒され、隆は完全に気圧される。これまでに何百人という有権者や、海千山千の政治家を相手にしてきた現職の市長に、その資質を受け継いだ息子とはいえ一介の高校生が太刀打ちできるはずがない。

 息子の胸中の動揺を見抜いたのか、幸一は視線を息子から机の上のコインに移動させた。

「次に、古銭の価値を決めるのはその状態だとか。当然、傷だらけや錆だらけのものより、綺麗なものの方が価値は高い……これは理解しやすいでしょう」

 幸一は机の上の銀貨を一枚手に取り、蛍光灯の光に翳す。

「このコインたちは決して新品ではありませんが、かといって古いものでもありません。つい最近まで、日常で使われていたものだ、と古銭商たちは言っていました。つまり、今の日本で使われている百円硬貨や十円硬貨のようなものですね。となると、疑問が生じてきます」

 幸一は親指で銀貨をぴんと弾き、息子へと飛ばした。

 隆もそれを片手で難なく受け止め、手の中の銀貨へと視線を落とす。

「とある知り合いに、この銀貨と銅貨の成分を分析してもらいました。結果……この銀貨と銅貨には、ほとんど不純物が混じっていない純度の高い銀や銅が使われていることが判明しました。それがどういう意味か分かりますか?」

 幸一は隆に質問しておきながら、その答えを待たずに言葉を続けた。

「現在、一部を除いて世界中の国のほとんどが信用貨幣を用いています。信用貨幣は知っていますね?」

「あ、ああ。貨幣そのものに表示されているだけの価値はなく、その価値を国などが保証している……だったよな?」

 例えば、日本の一万円札は正確には日本銀行券であり、日本政府がその日本銀行券一枚に一万円の価値があると保証していることは誰もが知っているだろう。

 紙幣だけに限らず硬貨でも同様で、五百円硬貨一枚には実際に五百円の価値はなく、それに500円の価値があると日本政府が保証しているのだ。

「そうです。つまり、銀貨に純度の高い銀を使う必要はないのです。国などがその銀貨──銀色の硬貨にこれだけの価値があると保証すればいいのですからね。ですが、この銀貨は違う。それはこれらのコインが、一枚の金貨や銀貨が同量の金や銀と同じ価値で以て取り引きされている、という証左でもあります。そんなコインが使われていたのは、信用貨幣が主流の今の社会が形成されるずっと前……近代以前の時代の話です。となると、ここで矛盾が生じると思いませんか?」

 隆の手の中にある一枚の銀貨。それは決して古いものではなく、最近まで日常的に使われていたものである、と古銭商は言う。

 だがこれらのコインは、その成分から現代や近世のものではないことが立証される。幸一は、そこが矛盾していると指摘しているのだ。

「確かに今でも純銀や純金のコインが造られることはあります。ですが、それらは何らかの記念硬貨である場合が多く、日常的に使うようなものではありません。プロである古銭商が誰一人として知らなく、今の時代に用いられている信用貨幣とは矛盾する純度の高い『現代』のコイン。それらの結果から、私はこの銀貨や銅貨がこの世界に本来存在しないものだと判断しました。もちろん、これは私がそう判断しただけあり、何らかの証拠があるものではありません。さて、隆」

 幸一の鋭い視線が、再び息子を射抜く。

「おまえはこれらのコインを、どこで、どうやって手に入れたのですか?」

「そ、それは……」

 正直に異世界からやって来たエルフから預かった、と言うわけにもいかないので、何とか言い訳をしようと努力する隆。だが彼の父親は、そんな息子の考えをすっかり見抜いていた。

「下手な誤魔化しや言い逃れはできませんよ? これでも長年政治家なんてものをやってきていますし、何よりおまえの実の父親ですから。おまえが嘘を吐こうとしていることぐらい、すぐに分かります」

 幸一の視線が一層鋭さを増し、隆は重圧を感じて思わず一歩後ずさる。

「私としては、おまえがこれらのコインをどこかから盗んできたとは思っていません。ええ、親の欲目と言われるかもしれませんが、私はおまえをそんな人間に育てた覚えはありませんからね。ですから、ここは正直に答えてくれませんか?」

 ここまで言われては、もう誤魔化しは通用しないと覚悟した隆。彼は心の中で康貴とエルに詫びながら、コインの出所を詳しく父親に説明していった。



 息子の話を聞いている内に、幸一の表情が困惑を通り過ぎて驚愕へと変化する。

 その顔は奇遇にも、隆が康貴からエルの話を聞いた時ととてもよく似ていた。

 そして、次の幸一の反応も、また。

「マぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁベラスっ!!」

 大きな音と共に椅子を蹴倒して立ち上がり、幸一は高々と両の拳を突き上げた。

「異世界からの来訪者っ!! それもエルフの美少女っ!! それがこの日進市にっ!! これを奇跡と言わずしてなんと言おうっ!?」

「お、おい、父さん! とりあえず落ち付けってっ!! もう真夜中過ぎているぞ!」

 息子に諭され、幸一は我に返って恥ずかしそうに椅子を起こして腰を下ろした。

「い、いや、申し訳ない。あまりのことについ興奮してしまいました」

 こんなところまで息子とよく似ていた。

「それで、その異世界から来たというエルフの少女は、現在康貴くんの家にいるのですね?」

「あ? あ、ああ、そうだけど? なあ、父さん。頼むから康貴やエルちゃんを変なことに巻き込まないでくれよ?」

「ええ、分かっています。康貴くんは幼い頃からよく知っていますし、折角の異世界からの客人を、おかしな機関に預けて解剖や人体実験の材料にするなど非人道的なことは考えていませんとも」

 口ではそうは言いつつも、父親が浮かべているどこか黒い笑みに思わず隆はその身を引いた。

「では、隆。可及的速やかに、そのエルフの少女とアポイントメントを取ってもらえませんか?」



 四時間目の体育はかなりきついものがある。

 昼食前の一番空腹な時に体を動かさなくてはならないのだ。ましてや、育ち盛りの健康な少年少女ならば尚更だろう。

 早く何か放り込めと催促を繰り返す胃袋を宥めながら、あおいは更衣室で体操服から制服へと着替えていた。

 彼女たちの通う県立おりさか高校は、男子は濃紺の学生服、女子は同色のブレザーを制服として採用している。

 体操服の上を脱ぎ、学校中でも五本の指に入ると噂される均整の取れた肢体を晒すあおい。

 周囲には同性しかいないとはいえ、いや、同性しかいないこそ、その群を抜いたプロポーションは際立っていた。

「おお、相変わらずよく育っているな」

「ひゃあああああああっ!!」

 突然、その豊かなバストを背後から誰かに無遠慮に──ご丁寧にも、その手は下着の下に潜り込んで──握り締められ、あおいは思わず悲鳴を上げる。

「ちょ、ちょっと、めぐみっ!! 突然何するのよっ!?」

 あおいの背後で両手の指をわきゃわきゃと不気味に動かしていたのは、クラスメイトのさわむらめぐみ。康貴と隆を除けば、あおいとは最も親しい友人である。

 肩にも届かない短いショートの黒髪と、縁なしの眼鏡が愛のトレードマーク。

「いやー、あおいのその豊かな胸を見ていたら、どうしても揉みたくなってしまってな。しかも、以前に比べてまた大きくなったようだな?」

 言われたあおいは、自分の胸を両腕でかき抱くようにしてガードする。位置のずれた下着からはみ出した柔らかな肉が、更に悩ましげに変形していることに彼女は気づいていない。

 ちなみに、あおいは特別巨乳というわけではない。が、全体にほっそりとした体型と、生まれながらの姿勢の良さが、彼女のスタイルを余計に良いものに見せていた。

 相も変わらず指をわきゃわきゃさせながら、愛は眼鏡の奥の瞳をきらーんと光らせる。

「……もしかして……最近あいつに揉まれたから大きくなった……とか?」

「あ、あああああ、あいつって誰よっ!?」

 あおいの脳裏に、一人の少年の面影が一瞬浮かび上がる。

 だがその面影は、突然騒ぎだしたクラスメイトの女子たちによってあっさりと霧散した。

 どうやら彼女たちも、あおいと愛の会話にこっそりと耳を傾けていたらしい。そこへ愛の意味深な発言が飛び出したことで、抑えていたものが溢れ出したようだ。

「ええっ!? やっぱりあおいって萩野くんと付き合っていたのっ!?」

「どこをどうしたら、あたしと隆が付き合っているって結論になるのっ!?」

 確かにこれまで、隆とあおいはあれこれと噂が立ったことはあった。康貴を含めて三人で行動することの多いが、何かの弾みで隆と二人になる場面ぐらいはよくあるし、それを言えば康貴とあおいが二人きりになることだって同じぐらいある。

 その割には康貴とは全く噂にならないのは、やはり見た目は遥かに隆の方が良いからだろうか。

 あおいが思わずそんなことを考えていると、彼女と隆が付き合っていると誤解していたクラスメイトは、その根拠を上げた。

「だってこの前、夜も結構遅い時間……九時ぐらいだったかな? そんな時間にあおいと萩野くんが一緒に歩いているのを見かけたし、それに、あおいのその手首……」

 そのクラスメイトが指差したあおいの右手首には、あの時に四人で一緒に買った例のブレスレットが輝いていた。

「私、萩野くんがそれと同じデザインで、色違いのブレスレットをしているのを見たんだけど……」

 なるほど。どうやら目敏いクラスメイトに、いつの間にかブレスレットを見られていたようだ。

 あおいも隆がブレスレットを学校に着けて来ているのは知っている。根が真面目な康貴は着けていないようだが、あおいにはそれがちょっぴり残念だった。

「このブレスレットと同じ物を持っているのは隆だけじゃないわよ? 康貴だって持っているし、もう一人、最近友だちになった女の子も持っているしね。それに、隆と夜一緒に歩いていたのは、康貴の家で騒いだ日の帰りじゃないかしら? あの時は隆と一緒に康貴の家を出たし、隆はついでだからってあたしの家まで送ってくれたのよ」

「なんだ、相変わらずおまえたちは三人で一緒か?」

 愛が詰まらなそうに呟く。

 あおい、康貴、隆の三人グループは結構有名だ。ただ、どうしても見栄えのいいあおいと隆に目が行きがちになり、康貴のことを見落とす者もたまにいたりするが。

「そういえば、その赤塚くんっていえばさ?」

 ふと、別のクラスメイトが何かを思いついたように口を開いた。

「この前、さかえみなみの交差点近くのスーパーで、すっっっっっっごく可愛い外国人の女の子と一緒に食料品を買っていたのを見かけたけど……あれ、誰だろう?」

「ほう。あの、あおい以外にはあまり女子と接点のない赤塚が、外国人の美少女と一緒だったと? それは実に興味深いな」

 愛は、その興味津々といった視線を巡らせ、あおいに向き直った。

「あおい。それについて何か知っているか?」

「ええ。康貴が一緒だったのはエルっていう、最近康貴の家でホームステイしている子よ。詳しいことまでは知らないけど、親戚から頼まれたとか言っていたわ。ちなみに、あたしが最近友だちになったって子も、その子なの」

 あおいは愛に、手首のブレスレットを見せながら説明する。そして、そのエルと友だちになった記念に、四人で同じデザインのブレスレットを買ったのだとも付け加えた。

「ほう、ホームステイねぇ。まあ、ホームステイ自体は分からんでもないが、何が目的でこんな田舎に近い町に来たんだろうな?」

「さあ? そこまではあたしも知らないし、康貴の家の事情だろうから関与していいことじゃないしね」

 本当はエルがこの町に来た理由はよく知っているが、それをここで言うわけにはいかない。

 なので、あおいはある程度は康貴から聞いて知っているが、あまり詳しくは知らないというスタンスを取った。それぐらいの方が、不審がられることもないだろう。

 その後は何ごともなく着替えを済ませ、あおいは愛と一緒に更衣室を後にした。



 やはり女子であっても、お昼ご飯は楽しみである。

 康貴やあおいたちが通うこの折戸坂高校は、公立ということもあってか学食というものがない。購買でパンを売り出しはするが、種類も数も限られている。よって、大多数の生徒は弁当を持参してくる。

 教室に戻ったあおいは、愛や他に仲のいい女子たちと一緒に弁当を食べるつもりだった。普段は康貴や隆と一緒に行動することが多いが、常に一緒というわけでもないのだ。

 だが、教室の片隅で、真剣な表情で何やら話している幼馴染みたちを見かけた。

 二人のその深刻そうな表情が気になり、あおいは愛たちに一緒に弁当を食べることを断ると、手にした弁当箱を持参したまま康貴と隆の方へと近づいていった。

「何かあったの?」

 そう声をかけると、康貴と隆は一瞬びくりと体を震わせ、慌てて顔をあおいへと向けた。

「な、なんだ、あおいか……ふう。誰かに聞かれたのかと思ったぜ」

「何よ? 聞かれると困るような悪巧みでもしていたの?」

「そうじゃないんだ。ある意味、悪巧みよりもまずいかもしれない」

 康貴の表情が思いの外真剣だったので、あおいも腰を落ち着けるために空いている椅子を拝借して彼らの近くに座った。

「実は……エルのことが隆の親父さんにバレたらしいんだ」

「え?」

 確かに、それは由々しき問題だった。


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