居候ですか?
「ではっ!! 俺たちとエルちゃんとの出会いを祝しまして──」
立ち上がった隆が、清涼飲料の入ったコップを片手に、その場に居合わせた者を代表して告げる。
「──かんっっぱああぁいっ!!」
妙なイントネーションの乾杯の音頭に、康貴とあおいが怪訝そうな顔をする。
「何? その妙ちきりんな発音の『乾杯』は……?」
あおいの問いに、聞かれた隆はしたり顔で説明する。
「いやな? 名古屋の大須観音の住職さんがこんな発音の乾杯をするとか聞いたので、ちょっと真似てみた」
「……相変わらず、意味もなく変なことを知っているな……」
呆れながらそう呟いた康貴の声が、彼の家のリビングに響いた。
大型スーパーを後にした康貴たち。康貴たちと同じようにバスで大型スーパーに来ていた隆も協力し、四人で買い込んだ荷物を康貴の家まで運んだ。
そうして荷物を康貴の家に運び込んだ後、あおいと隆は一旦自分の家に帰って行った。
今晩は康貴の家に泊まり込むため、着替えなどの準備と親にそのことを告げるためだ。
おそらく、二人の親が康貴の家に行くことを反対することはないだろう。
康貴たちは、これまでに何度もそれぞれの家に泊まり込んだことがある。それは彼らが出会った小学校時代から今日までずっと続いていることだ。
特に康貴の両親が別居してからは、自然と彼の家に集まることが多くなっていた。
あおいと隆の両親も康貴の家の事情は知っているので、余計に子供たちの好きにさせているという面もあるのだろう。
すぐに戻ってくるだろうあおいと隆を待つ間、康貴はあおいたちの分も含めた夕食の下拵えをしたり、干しておいた洗濯物を取り込んだりする。
その間、エルはといえば康貴に買ってもらった絵本に夢中だった。
さすがに翻訳のイヤリングも文字までは翻訳してくれないが、それでも色彩鮮やかな絵本を眺めているだけでエルは楽しかった。
「こっちの文字や言葉、僕でよければ教えようか?」
「本当ですかっ!?」
あまりに熱心に絵本を見入るエルをみて、康貴が何気なくそう提案すれば、彼女は目をきらきらとさせて教えて欲しいと申し出た。
「まあ、こっちで暮らす以上、言葉が理解できないと絶対に不便だからな。じゃあ、明日から暇を見て少しずつ一緒に勉強しようか。でも、日本語って世界でも難しい方の言語だって聞くけど……」
「きっと大丈夫ですよ! こう見えても私、エルフ語と交易共通語だけじゃなく、ドワーフ語だって理解できるんですから。ヤスタカさんの国の言葉も絶対に覚えてみせます!」
可愛らしく、ぐっと拳を握ってやる気を漲らせるエル。
後で詳しく聞いたところによると、エルも最初は母国語とも言うべきエルフ語しか理解できなかったそうだ。エルフの里を出て冒険者になり、イヤリングの魔力の助けを借りながら他の言語を修得していったらしい。
「ふぅん。じゃあ、五十音や基本的な単語を覚えた後は、テレビでも見ながら日本語に慣れるといいかもしれないな」
日本語に親しむにはいい手段と思った康貴は、エルにそう提案してみた。
「てれび……? てれびって何ですか?」
「テレビってのは、これだよ」
ソファの前にあるローテーブルの上にあったリモコンを手に取り、康貴はテレビのスイッチを入れる。
途端、それまで暗かったテレビの画面が明るくなり、夕方の報道番組が映し出された。
「え……こ、これって……幻影……? それともこの板みたいな薄い箱の中に、たくさんのブラウニーが住み着いているんですか……?」
あおいか隆がこの場にいれば、「お約束な反応ありがとう!」と右手の親指を突き出しそうだが、生憎と康貴にはその辺りの知識がない。
だから康貴は、エルにテレビというものを説明してやる。
「……詳しい原理とかは分からないけど、遠くから電波で流れてくる情報を受け取り、この画面に映し出しているんだよ。だから魔法とかではないんだ」
エルにそんなことを言いながらも、康貴は以前にどこかで聞きかじった「Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic. ──充分に進歩したテクノロジーは魔法と区別がつかない──」という一文を思い出していた。
確かにエルからしてみれば、こっちの世界の科学技術は魔法と大差なく見えるのだろう。
今後は言葉だけではなく、そういった日常知識も彼女に教えていかなければいけないな、と康貴は心の中で呟いた。
康貴がエルにテレビや電話などの現代技術を用いた道具についてあれこれ説明していると、あおいと隆が再び彼の家を訪れた。
彼らは着替えなどだけではなく、食べ物や飲み物もそれぞれ持参してきてくれたようだ。
とはいえ、これも彼らにしてみればいつものことである。誰かの家に泊まる時はそれぞれ何か持参するのが、いつの頃からか暗黙の了解になっているのだ。
そうして始まったのが、「エルの歓迎会」という名の宴会だ。元々隆はお祭り好きだし、あおいも賑やかなのは嫌いじゃない。康貴にしても幼馴染みの二人とこうして騒ぐのはいつものことであり、冒険者であるエルも世界は違えども仲間内での宴会は一仕事終えた後のお決まりだった。
そして始まった歓迎会。エルはこちらの飲食物のほとんどが、初めて目にするものである。康貴たちにあれこれと尋ねながら、恐る恐る口に運ぶ。
時に、今まで味わったことのない味覚が口の中で爆発し、目をぱちくりさせている。
康貴たちもそんなエルの様子に笑い声を上げ、彼らのこれまでのおもしろおかしい過去のエピソードを、エルに代わる代わる語っていく。
こうして、思い思いに心からこの歓迎会を楽しんでいる四人だが、彼らにも不安がまるでないわけではない。
エルにしてみれば、ここは常識さえ知らない未知の世界である。不安がないはずがなかった。
康貴たちもまた、異世界から流れ着いたエルをこれからどうすればいいのか分かっていない。もちろん、彼女のことを見捨てるつもりはないが、ことが人間一人だけに──正確には人間ではなくエルフだが──犬や猫を拾ってきて育てるのとはわけが違う。
言ってみれば今のエルは、不法入国者と大差ないのだ。今のままではこれから先、彼女が重篤な病気や怪我を負った場合、病院に連れていくこともできない。
そんなことをすれば、エルの正体がたちまち露見してしまうだろう。
そんな彼女をこれからどうするのか。単なる高校生にすぎない康貴たちにはどうすることもできない問題である。
いつか、誰か信頼のできる大人に、彼女のことを相談する時が来るだろう。
でも。
それでもとりあえずは、自分たちでどうにかできる問題だけでも解決しよう。康貴たちは宴会の中でエルも交えて相談した結果、そう判断を下したのだった。
「────と、いうわけで、まずは目の前にある問題を解決しましょう」
そう言い出したのはあおいである。
康貴やあおいが用意した料理もあらかた各自の胃袋に収まり、持ち寄ったお菓子などを摘みながら互いの世界のことを語り合っていた時のことであった。
「で、その目の前にある問題とやらって何だ?」
「もちろん、今日からエルがどこで暮らすか、よ」
あおいのその言葉に、康貴と隆、そしてエルが互いに顔を見合わせた。
「まさか、男の康貴が事実上一人暮らしのこの家に、女の子のエルを置いておくわけにはいかないでしょ?」
「それもそうだな……となると、あおいの所か?」
「あたしも最初はそう考えたんだけど……それは絶対に無理なのよね」
右手の人差し指と中指を揃えて伸ばして額に当て、あおいは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「どうして、あおいの家じゃ駄目なんだ?」
不思議そうな顔で尋ねる康貴に、あおいは何とも複雑そうな表情を一瞬だけ浮かべるとぽつりと告げた。
「……………………兄さんよ」
「え? あおいの兄さんって……
あおいの兄である木村孝則は、家業である喫茶店の店主を努める青年である。ちなみに、年齢は26歳とあおいとは少し歳が離れている。
康貴よりも低い身長でありながら、体重は確実に孝則の方が30キロ近く重いというやや肥満ぎみな体型ではあるが、極めて善人でありエルに良からぬことをするような人物ではない。あおい同様に孝則ともつき合いがある康貴と隆は、そのことを良く知っている。
「あの人は他人の弱みにつけ込んで何か悪さするような人じゃねえだろ? こう言っちゃなんだが、エルちゃんが一緒に暮らすからって、何かするような度胸はないんじゃね?」
隆が言うように、あおいの兄は善人ではあるが、どちらかと言えば気が弱い方である。
その孝則が同居人に悪戯や悪さをするとは康、貴も隆も到底思えない。
「その辺りに関しては、実の妹のあたしも隆に同意見だけど。問題はそうじゃないの。あたしが問題に感じているのは、エルが本物のエルフだってことよ」
本物のエルフ。あおいがそう言った時、康貴はともかく隆は全て納得がいった。
あおいの兄である孝則は、隆よりも遥かに重度のファンタジーオタクにして病的なまでのエルフマニア。エルフに関するフィギュアやグッズは可能な限り入手するほどの
そんな孝則が本物のエルフであるエルと同居すればどうなるか。
「その兄さんが本物のエルフと同居なんてしたら、そりゃあもう一日中萌えまくってまともな日常生活なんて送れなくなるわっ!! 絶対っ!!」
拳を握って力説するあおいに、隆は何度も頷いて同意する。
「そうか……孝則さんが集めているグッズ……あれってエルフだったのか……」
康貴は孝則の趣味は知っていたものの、アニメか何かのキャラクターだろうという認識でしかなく、孝則の集めているグッズがエルフ関係だとは全く知らなかった。というか、あまりにもヤバい臭いが強すぎて、自らその危険領域に足を踏み込まないようにしていた。
「となると……」
康貴とあおいの視線が、隆に向けられる。
「うーん……俺の家は部屋も余っているし、そういう面では問題ないが……途轍もなく口の軽いのが約一名、いるからなぁ……」
「……
晶とは隆の姉であり、実の弟が言うようにとても話し好きで極めて口が軽い。
そんな晶のいる隆の家にエルを住まわせようものなら、おそらく三日でご町内はおろかこの日進市中にエルの存在が広まるに違いない。
「……となると……やっぱり康貴の家しかないわけね」
あおいも本音を言えばそれは分かりきっていたのだ。少なくともこの三人の中で、エルをこっそりと住まわせることができるのはここしかない、と。
だけどそれを素直に認めることは、彼女の複雑な胸中が許さなかった。
「いいっ!? 康貴っ!!」
あおいはきっと鋭い視線で康貴を睨み付ける。
「二人きりだからって、エルに変なことしたら……殺すわよ?」
「お、おう。そ、そんなことしないって」
怯えるように頷いた康貴を訝しげに睨みつつ、あおいはエルへと向き直った。
「できる限り、私もこの家に来るようにするから。もしも……もしも康貴に何かされたら、その時は必ずあたしに言うのよ?」
「ヴァ……ヴァース」
今、イヤリングを着けているのは康貴で、あおいにはエルの言葉は分からない。が、今の一言が「Yes」に相当することぐらいは理解できた。
「そんなわけだから……エル。これからよろしくな」
「あ、あのー、ヤスタカさん。住むところに関してなら、私にも意見……というか、考えがあるのですが……」
ようやく纏まりかけたところで、当人であるエルから何か提言があるようだ。
そのことに康貴だけではなく、あおいも隆も思わず身を乗り出してエルの言葉の続きを待つ。
「ここに置いてもらえるのは本当にありがたいのですが、やっぱりご迷惑でしょうし……ですから、この辺りでどこか安い宿屋を教えてもらえれば、私はそちらに移動しようと思います」
「や、宿屋ぁ?」
「はい、宿屋です。できれば、冒険者用の宿屋ならもっと都合がいいですね。こう見えても私、プリウスの町ではちょっとは名の知れた冒険者だったんですよ? あ、あと、この町の冒険者ギルドの場所も教えてもらえますか? そうすればそこに登録して、一人でもやっていけると思います。実際、故郷のエルフの里から出た時もそうでしたし……あ、あれ? どうかしましたか、ヤスタカさん?」
康貴が呆然とした表情で自分を見つめていることに気づいたエル。彼女には、どうして彼がそんな表情をしているのか全く分からない。
冒険者が冒険者ギルドに登録し、そこから仕事を受けて報酬を得るのは当然。それがエルの常識だった。
その一方、我に返った康貴は、今の言葉をあおいと隆に通訳する。
それを聞いた二人も先程の康貴同様の表情を浮かべ、ぼーっとエルのことを見つめることになる。
「あのな、エルちゃん……」
どれぐらい三人で呆然とエルを見つめただろうか。ようやくといった感じで、隆が口を開いた。もちろん、それを康貴が通訳していく。
「はい、なんでしょうタカシさん?」
「────ないんだ」
「ない? 何がないんですか?」
「この町に……いや、この世界には冒険者ギルドなんてないんだ。当然、冒険者なんて職業もシステムもないぞ」
「え……? ぼ、冒険者ギルドが……ない……? 冒険者もいない……?」
この世界にも冒険家を名乗る者はいるにはいるが、それはエルの言う冒険者とは全くの別物である。
その辺りの説明を、康貴からイヤリングを借りた隆が説明している内に、今度はエルが呆然となっていく。
エルの常識にしてみれば、これだけ大きな町に冒険者ギルドがないというのが、まず信じられない。だが、こっちの世界には冒険者自体がいないのであれば、冒険者ギルドがないのも頷けるというもので。
「そういうわけだけど……エルちゃんはこれからどうする?」
どこか意地の悪そうな笑みを浮かべながら、隆が尋ねる。
エルは呆然とする頭で必死に考えつつ、順番に三人の顔を見回した。
そして。
「……ヤスタカさんの家で、お世話になります……」
と、康貴に向かって深々と頭を下げ、そして、隆の通訳を通した康貴たちは、揃って笑い声を上げながらエルを改めて迎え入れた。
こうして。
愛知県日進市の赤塚家に、異世界から迷い込んだ一人のエルフの少女が居候することになったのである。
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