買い物ですか?

 康貴たちを乗せたバスは、名鉄日進駅前から国道153号線に入り、そのまま東を目指す。

 起伏に富んだ国道153号線だが、バスなら全く問題にならない。この道を自転車で走るのは結構厳しかったよな、と康貴は流れる風景を見ながらそう考えていた。

 そんな康貴の隣の席では、エルが窓の向こう側の風景を見て大はしゃぎ──というか、興奮しっぱなしだった。

 そもそも、彼女は初めて見るバスや周囲を走る自動車を、そしてアスファルトで舗装された道路を見てびっくりしていたが。

「す、凄い……こんな広い幅の道、初めて見ました……しかも、きちんと小さくて黒い石を敷き詰めて舗装されているし……こんなに綺麗に舗装された道、信じられない……」

 当然、バスに乗ったら乗ったで大騒ぎし、慌てて康貴やあおいが宥める始末だった。

「ヤスタカさん! 道沿いの浅い沼の中にたくさんの丈の短い草が綺麗に並んで生えていますけど、あれって何の意味があるんですか?」

「あれは米っていうこの国の主食作物を育てているんだよ」

「コメ……? あんな沼の中で育つ作物なんて初めて見ま…… や、ヤスタカさんっ!! 大変ですっ!! 先ほども見た『ジドウシャ』って魔獣が、列をなしてこっちに向かってきますっ!! 物凄い数ですっ!!」

「いや、だから……あれは魔獣じゃないって。このバスと同じで、中に人が乗っている乗り物なんだってば」

 康貴に言われて、エルは改めてバスの中を見回す。

 それほど乗客は乗っておらず、康貴たちの他には年配の乗客が五人ほど。彼らは特に康貴たちに注意を向けることもなく、スマートフォンを弄ったり、知人同士で話をしている。

「……この乗り物と同じ……?」

 エルが首を傾げながら呟く。初めて乗ったバスという乗り物は、これまたエルの常識からかなり外れたものだった。

 エルの世界にも乗り合いの馬車はあるが、その移動速度は遅く、乗り心地も良くはない。

 だが、この「バス」というこちらの世界の「乗り合い馬車」は、走る速度は馬よりも速いし、乗り心地も凄くいい。

 揺れは少なく、がたごとという車輪が回る音は聞こえてこない。それに何と、馬が曳いていないのに馬車が走るのだ!

 もちろん、全く揺れがないわけではないし、エンジンの音は響いてくる。だが、エルからしてみれば、そんなものは全く気にならない程度だった。

「で、では、あの『ジドウシャ』の中も、こんなに乗り心地のいい椅子がたくさんあるんですか?」

「さすがに、普通の車の座席の数は、バスほどじゃないぞ。普通乗用車なら五人、大型のワンボックスカーなら八人ぐらい乗れるかな?」

 そんなやり取りをしている二人の後ろの席では、あおいがエルの様子を微笑ましく見ていた。

 翻訳のイヤリングは今、康貴が装着しているので、あおいにエルの言葉は分からない。

 それでも、エルのうきうきとした様子と康貴の受け答えから、彼女が何を言っているのか大体理解できた。

「きっとエルは、ファンタジー世界の住人ならではの、お約束な質問をしてお約束な反応を示しているのね。うんうん」

 と、なぜか一人でそう納得していた。



 やがて三人の乗るバスの前方左手に、大きな建物が見えてきた。

「お、大きな建物が……も、もしかして、この辺りを収める領主様のお屋敷か何かですか? そ、それにしても大きすぎだと思うのですが……」

「違う違う。あれが僕たちの目的地。あそこの大型スーパーでエルの服や必要な物を買うつもりなんだ」

「買うって……あ、あんな大きな建物が商店なんですかっ!?」

 エルの感覚でいう商店とは、そのほとんどが露店である。もちろん、店舗を構える商家もあるが、そのような店は貴族などの金持ちの御用達店であることが多く、庶民はまず利用しない。

 エルたちのような庶民が利用するのは、市場などに並ぶ露店の方だった。

 それに、ここに来るまでに見た家々も、エルには見たこともないような家ばかりだった。

 同じような構えの家が何軒も並んでいたり、一つの大きな建物の中に小さな家が何軒も連なっていたり。

 大きさ自体はそれほどではないが、それでもエルが住んでいたプリウスの町の家々よりも遥かに多くの家があちこちに建っている。

 家々以外にも見慣れない建物がたくさんあり、康貴に聞いたところによると、それらはいろいろな店舗や飲食店らしい。

 そのような店舗や飲食店も、その店その店で外装がほとんど異なるし、使われている色彩も豊富で同じ店は二つとないと言ってもいい。中には良く似た外観の店もあったが、それらは「チェーン店」というものだそうだ。

 もちろん、エルには「チェーン店」なるものは理解できないのだが。

 そんなやり取りをしている間に、バスは大型スーパー前のバス停に停車した。

 バス停でバスを降りた三人は、店舗の入り口へと向かって歩を進める。

 だが。

「…………や、ヤスタカさん……な、なんか私、周囲の人たちから

見られていませんか……?」

 今日は土曜日ということもあり、大型スーパーはそれなりの賑わいを見せていた。

 家族連れや康貴たちのような学生たち。中には恋人同士らしき男女もいる。ここはこの辺りでは唯一の映画館があるので、そちらが目的の客も多いだろう。

 そんな客たちのほとんどが、ちらちらと──中には無遠慮にジロジロと──エルを見ている。いや、彼らが見ているのは、彼女のちょっとばかりちぐはぐな服装だった。

 今のエルは康貴のトレーナーとジャージ、それに耳を隠すための鍔広の帽子。そのどれもがエルにはちょっと大きめなので、その不釣り合い感はかなりのものだった。

 中には、帽子に隠れがちなエルの美貌に目ざとく気づき、そこに見蕩れている者もいたりしたが。

「……ここはまず、今のエルの服とそれに合う帽子か何かを買った方が良さそうね」

「だな」

 こうして三人はまず、帽子を売っていそうな店を探して大型スーパーの中へと駆け込んで行った。



 最初に手頃なニット帽を買ってエルの耳を目立たなくすることに成功した一行は、ゆっくりと大型スーパーの中を見て回ることにした。

「わ、わわわわっ!! す、凄いっ!!」

 建物の中に入っている数々の小売店の店舗と、建物の中を行き交う無数の人々。そして、店舗に並ぶ色とりどりの商品たち。もちろん、それらはエルが見たこともないものばかりで。

 大きな瞳を更に大きく見開き、更には興奮で頬を紅潮させたエルが、開いた口を閉じるのも忘れて周囲をきょろきょろと見回した。

「こ、これって、全部書物なんですか……? し、しかも、同じ内容の本がたくさん置いてある……し、信じられないっ!! い、色が着いている本もこんなにたくさん……う、うわ、この本に描かれている絵、すっごい精巧……」

 大型スーパーの中に入っている本屋の前で、エルは並んでいた本を手に取って興奮し、中を確認して更に興奮している。

「もしかして、エルって本が好きなのか?」

「あの様子からすると、そうなのかもね」

 現在、翻訳のイヤリングを着けているのはあおいだった。これからエルの服を買うのだから、女性のあおいが着けていた方が一緒に服を選び、アドバイスなどもしやすいだろうと判断したからだ。

 イヤリングのない康貴は、あおいからエルの言葉を通訳してもらっている。

 エルの世界には印刷機は当然ないので、本は全て手書きによる写本であり、モノクロでもある。エルの感覚では、本とは全て極めて高価なものなのだ。

「ほら、エル。まずは服を買ってからね。本なら後で何か一冊ぐらい買って上げるから……康貴が」

「僕かいっ!?」

「あら? だってエルの服の代金、康貴が出すつもりだったんでしょ?」

「そりゃまあ……こうなったのも何かの縁……ってか、そうするしかないだろ? 幸い、バイトしているから少しは金もあるし……」

「ま、あたしだって少しは出すつもりよ? あなたじゃないけどこれも縁だしね。…………でも、いいなぁ。康貴に服とか買ってもらえて……」

「え? 最後の方、声が小さくてよく聞き取れなかったけど、何か言ったか?」

 あおいらしくもなく尻切れの悪い言葉に、康貴が思わず聞き返した。

「別に、何でもないわよ。ただ、新しい服が増えるエルが羨ましかっただけ」

「そういうものか?」

「そういうものなの。女の子はね」

 澄ました顔でそう告げるあおいに、康貴は思わず苦笑を零す。

「じゃあ、今日わざわざ付き合ってくれたお礼に、あおいにも何か買ってやるよ」

「え? い、いいのっ!?」

 思わず目を輝かせるあおいに、康貴は鷹揚に頷いて見せる。

「いいさ。だけど、一つだけだぞ? それにあまり高額なものもなしな?」

「う、うんっ!! やったっ!!」

 手を叩いて喜ぶあおいは、その場でくるりと一回転。晴れやかな笑顔を康貴に向けると、足早にまだ本屋の前から動かないエルへと近づいた。

「さ、エル! 早く買い物に行くわよ! まずは下着からっ!!」

「なぜにそこからっ!?」

「だって、まずは下着を買わないと、服を買う時に試着もできないでしょ?」

 確かにあおいの言う通りだなと考えつつも、さすがに下着を買いに行くのに同行しようとは思わない康貴であった。



 どこかで適当に時間を潰すという康貴と別れた二人は、まずは下着の専門店で店員にエルのサイズを計測してもらいつつ──エルが現在下着を着けていないことに怪訝な顔をされながら──、彼女の体に合ったものをいくつか購入し、ついでに買ったばかりの下着を早速身に着けて、次に婦人服を取り扱っている店へと向かう。

 その途中。

「あ、あの、アオイさん……」

 エルが恥ずかしそうにもじもじとしながら、つんつんとあおいの服の裾を引っ張った。

「どうしたの?」

 尋ね返したあおいの耳元に口を寄せ、エルは小声で何ごとかをごにょごにょと囁いた。

「あ、ああ、御手洗ね。それならこっち────」

 エルを婦人用のトイレに案内しようとしたあおいの足が、なぜか突然ぴたりと停止した。

「ね、ねえ、エル? 変なこと聞くけど……あなたって、こっちの世界に来てから御手洗……どうしたの? まさか、今初めてってこと、ないわよね?」

 大型スーパーの通路の片隅に立ち止まり、小声で何かを囁き合う二人の少女。端から見たら随分と異様だろう。だが、当の二人は極めて真剣な表情で、周囲の視線に気を回す余裕はなかった。

「そ、それは……今朝早くにヤスタカさんの家のお庭の裏手で……穴を掘って……」

「に、庭にあ────っ!?」

 思わず大声を出しそうになったあおいは、慌てて自分の手で自分の口を塞いだ。

「だ、だって……家の中のどこでしたらいいのか分からなくて……そ、それに冒険者なんてやっていると、そういうことはよくありますし……」

 野外で活動することの多い冒険者という職業──少なくともあおいはそう認識している──ならば、確かにそうすることも多いだろう。時には野営だってするだろうし、今の日本のようにそこかしこに公衆トイレやコンビニがあるはずもない。

 だからと言って、エルのような外見の少女が、庭に穴を掘ってそこで済ませるというのはいかがなものだろう。

「康貴に聞けば良かったのに……」

「そ、それが……夕べはヤスタカさん、全く起きる気配がなくて……」

 正確にはとある事情で康貴は気絶してしまったのだが、それをあおいに告げるのは恥ずかしすぎた。

「だ、誰かに見られなかったでしょうね……?」

「それは大丈夫だと思います。まだ辺りが暗い時でしたから……」

 誰かに見られた心配はないと分かり、あおいは少しだけ安堵する。

「とにかく、今後は外では絶対にだめだからね?」

 エルが頷いたのを確認したあおいは、改めて彼女を婦人用のトイレまで案内する。

「御手洗に着いたら、使い方を説明するわ」

「使い方……ですか?」

「ええ。たぶん、あなたじゃこっちの世界の御手洗の使い方、分からないと思うし。それにきっとびっくりするとも思う。水洗式とか便座ヒーターとかウォシュレットとかそういう意味で」

「え? え? び、びっくり……?」

 その後。

 みよし市のとある大型スーパーの婦人用トイレのひとつで、異世界の少女の驚きの声が響くのだった。



 あおいたちと別れてから、康貴は書店や興味を引きそうな店を何軒か覗いて回った後、自身の休憩も兼ねて二階にあるフードコートにやってきた。ちなみに、康貴が二人と別れてから既に一時間以上が経過している。

 昼時少し前のフードコートはかなりの人込みだったが、それでも何とか四人かけのテーブルの一つを確保し、康貴は自分がいる場所をメールであおいに伝えると、彼女たちが来るまでの手持ち無沙汰を紛らわせるために、愛用のスマートフォンを弄り出した。その時。

「あれ? 康貴? 康貴じゃね?」

 康貴の耳に、よく知る声が響いた。

 覗いていたスマートフォンの画面から視線を上に向ければ、そこには予想した通りの人物の姿が。

 180センチを超える均整のとれた長身。爽やかな印象を与える整った容姿は、ただそこに立っているだけで異性の視線を集める。現に、周囲にいる中学生や高校生、中には大学生か社会人らしき女性たちまでが、ちらちらと彼に視線を向けていた。

 彼の名前ははぎたかし。康貴とあおいのもう一人の幼馴染みである。

「あれ? 隆? どうしておまえがここに?」

「どうしてって、暇だったから? そういうおまえは……ははぁん、もしかして、あおいと一緒か?」

 にやにやとした笑みを浮かべ、隆は勝手に康貴の対面の席に腰を下ろした。

「確かにあおいも一緒だけど……」

「あおい『も』?」

 隆は不思議そうに首を傾げた。

 彼の知る限り、康貴が親しくしている同年代の女友達はあおいだけである。

 もちろん、同性の友人ならば他にもいるが、康貴が自分以外の男友達といる時に、あおいも一緒だったことはほとんどない。

 では、あおいの友人が一緒なのか?

 隆はそう考えたが、あおいも同性の友人がいる時は、康貴と一緒に行動することはあまりないのだ。

「じゃあ、誰と一緒なんだ?」

 結局答えが出なかった隆は、素直に康貴に聞いてみることにした。

「……そうだな。おまえなら教えてもいいな。ただし、このことは絶対に言い振らすなよ?」

「お、何だ? 何かおもしろそうなことを始めたのか?」

 何やらわくわくとした表情で身を乗り出す隆に、康貴は昨夜から今日にかけて起こった出来事を、順を追って説明していった。


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