異世界人ですか?

 あおいの話を聞いた康貴は、しばらくほけっとした表情をしたまま、何度もあおいとエルの顔を見比べていた。

 やがて。

「は、はははははは。そ、そんな馬鹿な。エルが宇宙人じゃなくて異世界人だって? そんなことがあるわけないだろう?」

「どうしてよ? 宇宙人は信じられても、異世界人は信じられないの?」

「当たり前だろ? 異世界人より宇宙人の方がまだリアリティがある」

 地球に知的生命体が生まれたという実例がある以上、康貴はこの広い宇宙のどこかに宇宙人──知的生命体はきっといると考えている。

 もっとも、その宇宙人がUFOに乗って人知れず地球に来ていたり、大挙して地球に攻めきたりする、いうのはさすがに信じていないのだが。

 だが、事故などで地球に不時着するくらいならあり得るのではないか。それが康貴の考えだった。

 しかし、異世界人となると、まずは異世界が存在することが大前提となる。地球の外に確実に存在する宇宙と、あるかないか定かではない異世界。どちらが信じられるかと問われれば、康孝はやはり宇宙と答えるだろう。

「じゃあ、いいわ。あたしが直接エルさんと話すから。その翻訳のイヤリングをちょっと貸して」

 康貴は、エルに断ってから翻訳のイヤリングをあおいに手渡した。

 イヤリングを自分の耳に取り付けたあおいは、エルと話をし始める。

 二人の会話の内容は康貴には全部は分からないが、あおいの言葉と二人の様子から結構親しげに話しているようだ。

──やはり、女の子同士だと気が合うのかな?

 そんなことを考えながら、康貴は幼馴染みの横顔を改めて見てみる。

 エルは美少女と呼ぶに相応しい容姿をしているが、あおいもまた、それに決して劣っていないと康貴は思う。

 肩まである明るい茶色の少し癖のある髪と、ちょっと吊り目ぎみの黒い瞳。

 顔のラインはシャープで、その他のパーツも整っており、活動的な印象の少女である。

 明るくて誰にでも気さくに話ができる性格と、もう一人の幼馴染みや彼女の兄の影響で、ある程度のオタク知識も持っているため、少し趣味に偏りがあるものの学校では男女問わずに友人が多く、成績も悪くないので教師陣の受けもいい。

 噂では、生徒会からも次期役員として立候補して欲しいという要請もあるとか。

 康貴とあおい、そしてもう一人の幼馴染みであるたかしの三人は、小学校から高校までずっと一緒だった。

 地方ということもあり、クラスの数も多くはないため同じクラスになることも多く、何をやるでも一緒だった三人である。

 あおいは昔から活発で、三人のリーダー的存在であり、困った時には本当に頼りになる。

 たとえば、今のように。

 エルとあおいはすっかり打ち解けたようで、楽しそうに談笑している。

──誰とでもあっという間に仲良くなるのは、相変わらずだなぁ。

 そんなことを康貴が思っていると、不意にあおいが彼の方へと振り返った。

「やっぱり、エルは異世界から来たみたい」

「い、異世界からって……本当に異世界なんて存在するものなのか? って、いつの間にエルのことを呼び捨てに?」

「ついさっき。エルがそう呼んでいいって言ったからね。でも、エルはあたしのことを『あおい』って呼んでくれないのよね」

 ちょっとばかり寂しそうなあおいの言葉。そう言えば、エルは自分のことも「ヤスタカさん」と呼ぶよな、と康貴は改めて思い出した。

「でも、一体どうやって異世界からこっちへ来たんだ? 本当に異世界があるのなら、だけど」

「きっと魔法じゃない? エルフがいる世界だもの。剣と魔法のファンタジー世界に違いないわ」

 妙にうきうきとした様子で、あおいはエルに話しかけた。エルもあおいの質問に応えていくが、エルの表情に徐々に陰りが、あおいの表情には焦りが表れていくのが康貴にも見て取れた。

「お、おい、あおい……あまり突っ込んだことは聞かない方が……」

「え、ええ、そうね……え? あたしたち二人には聞いて欲しい?」

 康貴とあおいは互いに顔を見合わせた。対するエルの方も、表情に陰りこそあるものの確固とした決意が浮かんでいる。それを確認した康貴は、もう一度あおいと顔を見合わせてお互いに頷いた。



 エルは、自分が着けている翻訳のイヤリングを康貴に渡した。これでエルの話が二人同時に理解できる。逆に康貴たちの言葉はエルに理解できなくなるが、質問は後で纏めて受け付ければいい。

 エルは康貴がイヤリングを着けるのを待ってから、彼女の身に起きたことについてゆっくりと話していった。

 エルが話したその内容は、康貴とあおいにはかなり衝撃だった。

 エルと共に数年間一緒に行動してきたという仲間たちの死。いやそれよりも、あまりに人間の命が軽々しく扱われていることが、康貴にはショックだった。

「そ……そんなことが……自分たちが宝を手に入れられなかったからといって、他人の物を……相手を殺してまで奪うなんて……」

「あら、今の地球だって似たような所はあるわよ? 先進国のアメリカだって、治安の悪い場所に行けば強盗目的で人を殺すなんてよく聞くし、内戦などに明け暮れている国なら人の死なんてそれこそ日常茶飯事よ。まして、エルがいた世界はこっちの世界とは根本的に違うみたいだし……奴隷の売買が表立って行われているようだしね」

「うーん……そう言われてみればそうだけどさ……それでも、やっぱり僕にはショックが大きいな」

 腕を組み、リビングの天井を見上げながら康貴が呟く。

「あたしだって衝撃を受けていないわけじゃないわよ? 何年も一緒にいた仲間が殺されるなんて、あたしでいえば康貴や隆がいきなり殺されるようなものだもの。考えただけで恐ろしいわ」

 あおいは両手を体に回してぶるりと身震いした。

 彼女に大切な存在だと言われて嬉しい反面、康貴もあおいや隆を突然失うことを想像して、あおい同様に恐ろしい気分に陥る。

 よく見れば、エルもその大きな瞳に涙を浮かべていた。今にも決壊しそうなそれを必死に堪えながら、それでもエルは健気に微笑む。

「……でも、こうしてヤスタカさんやアオイさんと出会えましたから……確かに仲間を失ったのは悲しいですが、冒険者をしている以上は、こうなることはある程度覚悟していましたから……」

 口ではそう言うものの、エルの頬を一粒の雫が伝い落ちる。

 やがてぽろぽろと零れ始めた涙を、エルは必死に手の甲で拭う。康貴とあおいは、そんな彼女をしばらく無言でじっと見守ることしかできなかった。



 やがてエルが落ち着いたのを見計らい、あおいは改めて口を開いた。

「ところで、これからエルはどうするつもりなの?」

「そう、それなんだよ。さっきも言ったけど、エルのことで相談に乗って欲しくて、あおいに来てもらったんだ」

「……何よ? 言っておくけど、あたしじゃ大して力になれないわよ?」

「そんなことないさ。あおいは困った時には本当に頼りになるからな」

「もう……上手いことばかり言って……」

 拗ねたような表情で顔を逸らせるあおい。だが、彼女の言葉にはどことなく嬉しそうな響きが含まれていた。

「じゃあ確認するけど、エルの話に出てきた魔法の短剣ダガーは、この部屋にはなかったのよね?」

「ああ。リビングにいたのはエルだけだった。それらしい短剣なんてどこにもなかったよ」

 短剣に込められていた魔力で、エルが次元の壁を越えたのは間違いないだろう。となれば、その短剣さえあればエルも元の世界に帰れる可能性が高い。

 しかし、鍵となるその短剣が見当たらないのでは、彼女が元の世界に帰れる可能性は極めて低いと言える。

「エルと一緒に短剣もこっちの世界に来たのか、それとも短剣だけはあっちに残されたのか……」

 ぶつぶつと呟きながら、思考の海に潜るあおい。

「……ここにない短剣のことを考えても仕方ないわね。短剣の行方はおいおい考えるとして、まずは当面の問題を片づけましょう」

 あおいの言葉に頷いた康貴は、適宜イヤリングを交換しつつ、エルも交えてこれからのことを相談する。

「まずはエルの服を買いに行こうと思うんだ」

「そういえば、今エルが着ている服って康貴のよね? エルの服はどうしたの? まさか、この部屋に現れた時は裸でした、なんてお約束じゃなかったでしょうね?」

「それなら、あそこだ」

 康貴は庭に干してある洗濯物を指差した。そこにはあおいもよく見かける康貴の服と一緒に、どこかファンタジックなデザインの服が風に吹かれて緩やかに揺らめいている。

 だが、あおいの目を引きつけたのは、その中の白くて小さな布だった。

「あ、あれって……もしかして……」

「う、うん……」

 康貴は頬を赤く染めながら目を泳がせた。

「じゃ、じゃあ……今のエルは……」

 あおいはじっと目の前で座っているエルを見つめる。

 エルが着ている康貴の服は、デザイン的にもサイズ的にもゆったりとしており、彼女の体の線を浮き上がらせるようなことはない。

 それでも目の前のエルフの少女が、あの服の下には何も着けていないのは事実であって。

「……大問題だわ……」

 あおいはエルと康貴を何度も交互に見比べながら呟いた。

 確かに由々しき問題だった。あおいにとってもいろいろな意味で。

「今すぐ、エルの服を買いに行くわよ」

 あおいは決意に満ちた視線で康貴とエルを順に見回すと、勢いよく立ち上がった。



 康貴とあおい、そしてエルは連れ立って康貴の家の外へと出た。

 周囲の風景を物珍しげに眺めているエルを余所に、康貴とあおいはこれからどこへ向かうのかを相談する。

「やっぱり、隣町であるみよし市の大型スーパーかな?」

「そうね。みよし市のあそこなら、大抵のものが揃うしね」

 二人の言っているのは、ここ日進市に隣接するみよし市にある、郊外型の大型スーパーのことである。

 十数軒の専門店や各種の飲食店、それに映画館まで併設する大型施設であり、日用雑貨から婦人服に靴や靴下、もちろん下着まで。今のエルが必要としているものがそこなら全て揃うだろう。

 もちろん、都会の百貨店やデパートとは比べ物にはならないが、康貴たちの住む地域では最も品揃えが豊富な場所の一つである。

 康貴の家は日進市の中でもみよし市寄りの場所にあり、自転車を使えば二十分ほどで着く。

 あおいはここに来るまで乗ってきた自転車に跨り、康貴も自分の自転車をガレージの片隅から引っ張り出す。

「あ、あのー、これ、何ですか?」

 エルが並んだ二人の自転車に顔を近づけて、興味深そうに眺めている。

 康貴の赤い自転車とあおいの白い自転車。決して新品ではないが、普段から「足」として使われているそれらは、よく手入れされており金属特有の光沢を放っていた。

「なんか綺麗ですけど……こちらの世界の美術品か何かですか?」

「ああ、これは自転車というこっちでの乗り物さ。乗るのに何の資格もいらないから、僕たちのような学生が唯一自由に使える乗り物だな」

「の、乗り物なんですか、これっ!?」

 目を見開いて驚くエル。彼女は更に興味深そうな視線で、二台の自転車を代わる代わる眺め、指先でちょんちょんと突いたりする。

 エルの感覚でいう乗り物とは、馬を始めとした生物であり、中には乗用に調教された魔獣なども含まれる。

 馬にしろ魔獣にしろ、乗用の生き物は大きな体を持つのが常である。それなのに、今目の前にある「ジテンシャ」とかいう物体は骨組みしかない小さな物。とてもではないが、人が乗るものだとはエルには思えなかった。

「まあ、百聞は一見にしかず、だな」

 エルが興味深そうに見つめる中、康貴は実際に自転車に乗って見せる。

 まずはガレージの中をゆっくりと。本来ここに置かれているはずの乗用車は、両親が赴任先へ乗って行っているので、車二台分のスペースがある。

 そのガレージの中を、康貴は円を描くように自転車を操る。

「お、おおー、本当に乗り物なんですね……」

 感心した様子のエルに、康貴はもうちょっといい所を見せようと、ガレージから家の前を走る車道へと自転車を向ける。

 そして、車通りの少ない車道を、それなりの速度で疾走する。

「す、凄い……っ!! 骨組みだけの小さな乗り物が、あんなに速く走るなんて……っ!!」

 さすがに全力疾走する馬には及ばないが、それでも人間が走るよりは速い自転車の速度。そんな速度で自転車を操る康貴に、エルは目をきらきらとさせていた。

 そうやって、しばらく自転車の披露をしていた康貴たちだが、不意にあおいがとあることに気づく。

「ね、ねえ、康貴? 今更だけど、エルの自転車どうするの? そもそも、エルって自転車に乗れないわよね?」

「あ……」

 思わず、根本的なところを忘れていた二人だった。



 結局、自転車での移動は諦め、日進駅前から出ているバスを利用することにした康貴たち。

 さすがにこのままだとエルの耳が目立ちすぎるというあおいの意見を取り入れ、エルは鍔の広い帽子を被って耳を隠すことに。

「この帽子って、あけさんのよね?」

「うん、姉さんが家を出た時、結構いろいろと置いていったからね」

 康貴は大学卒業と共に家を出て、今では長野県で暮らす姉のことを思い出す。

 もちろん、あおいも康貴の姉のことはよく知っているので、今エルが被っている帽子が康貴の姉のものだとすぐに理解していた。

 その後、三人でゆっくりと日進駅を目指して歩き出す。

 初めて見る異世界の風景に、エルはあちこちを見回しては目を輝かせていた。

 そんなエルを、康貴とあおいは微笑ましく見つめながら。

 三人は住宅地の中の細い道を抜け、駅へと続く広い道を歩いていった。



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