10

 その週の土曜日、あたしと佐野は地元で一番大きなショッピングモールにやってきた。


 休みの日に、男女二人だけで出かける。これって、よく考えればデートじゃん。前日の夜になってから気づいて、落ち着かない気持ちでその日を迎えた。鏡の前でスカートを何枚も合わせてみて、頑張ってオシャレしようとしてる自分のイタさに思い至り、結局、ジーンズにした。


 佐野は、何も模様の入っていないシャツにズボンというシンプルな格好で現れた。特に、オシャレに力を入れたふうもない。よかった。これで、あたしだけオシャレしてきてたら、バカみたいだった。


 佐野はいつも通りの自然体で、学校の花壇にいるときの空気感と少しも変わらない。そのおかげであっと言う間にいつもの距離感を思い出し、緊張はなくなった。休日のショッピングモールの喧騒が、遠く、意識の外に溶けていく。


 あたしたちは、色々な話をした。サーティーワンアイスクリームの店を通り過ぎるときには、好きなアイスのフレーバーの話を。子どもを預ける遊具コーナーを横切る時には、幼い頃の失敗談を。何を話したのってあとで聞かれてもよく思い出せないくらいどうでもいい話ばかり。だけど、それが楽しかった。佐野となら、何時間でも話していられる気がした。


 目当てのメガネ屋さんは、大人な雰囲気で、ドアのないオープンな内装になっていなければ、気後れして絶対に入って行けなかった。


「あ、あれですね」


 佐野は臆することなく、店の奥へと歩いていく。佐野はたぶん、周囲の視線や評価に無頓着なんだ。感覚が鈍いとも言えるけど、何でも気にしすぎるあたしには、羨ましい性質だった。


 ご自由にお試しください。


 ショーケースから出された状態で、それはあった。盗難防止のためか、金属の細いチェーンに繋がれている。サングラスみたいに、黒くてごつい。レンズの表面が虹色に輝いて見えた。これが、色覚補助メガネ。正直、あたしたちのような中学生には絶対に似合わないデザインだった。まるで、魚釣りに行くおじさんがかけるメガネみたい。


「早くかけてみてよ」


「緊張するな……」


 佐野はメガネを両手で持ったまま、しばらく逡巡した。息を吐き、意を決したように、メガネをかける。


 顔を上げ、あたしを見て、佐野は固まった。しばし、無言。薄い唇が、微かに震えていた。


「佐野先輩、どう?」


「……ああ、」


 唇が何度も開きかけ、のどぼとけが上下する。


「───すごい」


 腕が伸びてきて、あたしはびくっとした。佐野の指先が、ためらいがちにあたしの頬に触れた。


「遠坂さん、きれい……」


 涙が、佐野の頬を伝い落ちた。


「ごめん、ごめん」


 佐野はメガネを外して泣き続けた。乱暴な仕草で涙を拭い、あたしにつむじを見せたまま泣く。


 無性に、佐野を抱きしめたくなった。だけどあたしは、衝動に任せて佐野を抱きしめることはできない。抱きしめ方がわからないし、第一、恥ずかしい。


 それに、誰かに見られたら? 大泣きする佐野を、店員が、道行く客たちが見てる。休日のショッピングモールには、同級生だって、来ているかもしれない。


 そうだ、同級生。まったく考えていなかったわけじゃないけど、佐野と二人でいるところを見られたら、絶対に噂になる。どうしよう。いまさら、焦りが出てくる。


 心は前のめり、だけど、余計な思考がストップをかける。


 それでも、声を殺して泣く佐野を見ていたら、衝動が理性に少しだけ勝った。佐野に触れたくて、ギリギリのせめぎあいの中、あたしは佐野が以前にしてくれたように、その拳をぎゅっとにぎった。


 佐野が顔を上げる。あたしを見て、ふにゃりと笑った。


「ありがとう、遠坂さん。ぼくをここに、連れてきてくれて」


 きゅうと、心臓が痛んだ。初めて経験する痛みに、思わず胸元に手を当てた。

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