00 笹貫透の話①
女っぽくないところが透の魅力だよ。
付き合いたてのころよく言われた台詞だ。昔から背は高くて痩せ型だったから、パンツスタイルでいると男に間違えられることも多かった。それを別段嫌とは感じていなかった、ように思う。
透は見かけ通りサバサバしてるね。
これはいつだったか女友達に言われた台詞。確かに私は可愛らしいスカートやフリルのついたトップスよりダメージデニムやシンプルなコートのほうが見映えがする、とショップ店員にも誉めそやされた。私自身は、自分の体型や髪型に似合う服を選んでいただけで。とりたててメンズファッションが好きなわけでも、キュートなファッションが苦手なわけでもなかった。
でも。でも、思えば小学校のころ、隣の席の女の子が着ていた綺麗なレース模様のお洋服を少しだけ羨ましく眺めていた。だから結局は、私も「可愛い女の子」に憧れていたのだろう。
彼氏が浮気してるとわかって、問い詰めたとき。
「だって透はあんまカワイイって感じじゃないしさ」
彼氏に対する嫌悪や怒りより先に、ああやっぱりね。そんな思いが頭をよぎった。女っぽくないところが魅力だよ、なんて言っていたのはどの口だろう。
「透ならほら、サバサバしてるからサッパリ別れてくれるだろ?」
熱っぽい性格ではないことは自覚している。感情があまり尾を引かないのも。私があっさりした性格だからって、傷つかない理由にはならないのに。そんな簡単なこともわからない男を好いていたのだと思うと自分に腹が立った。噛んだ唇を見られたくなくて俯くと、長く伸ばしていた髪が肩から落ちる。女っぽくない私と並んで歩くと彼氏彼女に見えないから。「彼女」として見られたかったから。私の人生で珍しく髪を伸ばしていた時間だった。あんな男のために毎日こまめに整えていた髪。そう考えるとたちまち自分の髪が汚いもののように思えて、私は男と別れたその日のうちに髪を切った。引かれる後ろ髪など要らない。私はやはり、「私らしく」いるのがいちばんいいのだ。
お望み通りサッパリ別れてあげた彼氏に未練はちっともなかったけれど、私にしては珍しく、怒りが持続していたのかもしれない。じゃなければ、あんな思いつきは実行しなかった。それは美容院でのこと。背中まであった髪をばっさり切ってもらったあの日。
「お客さんホントイケメンって言っても通じますよ! 女の子達にモテたりしません?」
私は女なのだからその美容師が言う意味でのモテるなんてあるわけない。ありがたいことに女友達はそれなりに多かったけど、彼女達はあくまでも同性の友達。正直、何を言っているんだろうこの人、という印象が拭えなかった。普段ならそこで終わっていた。
でも私は、閃いてしまった。思いついてしまった。馬鹿でくだらなくてとんでもなく最低な、その悪戯を。
彼は私を傷つけたのだから、彼も私によって傷つくべきではないのだろうか。
彼は私を振って別の女の子を選んだのだから、彼もその女の子に振られてしまえばいいのに。
私の見た目はイケメンで、女の子にモテると言うなら。
私が彼女を奪えばいいのだ。
男性のふりをするのはそう難しくなかった。もともと女言葉を多く使うほうではなかったおかげで、「私」を「俺」にするだけで事足りた。男性になるためのメンズファッションを新たに購入するのはイメチェンのようで少し心が浮き立った。格好いい女性、のような見出しが踊るファッション誌も嫌いではないし、ひらひらした服も好きではあるけれど、「自分」が最も映える格好をするのは気分が良い。丈長のカーデにボーダーのシャツ、七分丈のパンツと頭にはキャップ。女でも男でもあまり変わらない気がした。しかしまわりには俺が男に見えるらしい。
馴染みのない店へ数件立ち寄り、店員と軽く会話をする。もちろん、「俺」として。まったく訝しがられることはなかった。でも業務上、そんな表情を出さなかっただけかもしれない。次の休日は人通りの多いエリアを目的もなくぶらぶらと歩いた。なるほど確かに俺は女の子受けするらしく、ちらほらと視線を感じる。声をかけられもした。愛想よく応対すると彼女達は花が咲くみたいに盛り上がる。奇妙な心持ちだった。見た目が劇的に変わったわけではないから、おそらくこれまでもこういった視線はあったのだろう。「私」が気づかなかっただけで。
また次の休日、俺はあの男のあとをつけてデートを盗み見た。デレデレと鼻の下を伸ばす男の向こうで花束のように可憐な女の子が笑っていた。私とは似ても似つかない、むしろ対極にあるのではとさえ感じられるほどの、柔らかそうで可愛らしい女の子だった。
女の子は砂糖でできている。彼女ならそんな
あの純真そうな微笑みを騙す行為をこれから俺はやろうとしているのだ。最低な悪戯だとは自覚していたけれど、何よりも実行しようとした自分自身が最低だった。俺はようやく気づいて、目が覚めて、自己嫌悪に溺れたまま公園のベンチで泣いた。人目も憚らず、声を殺して。何がイメチェンだ。何が気分が良いだ。こんなものただの醜い腹いせだ。ひとりで調子に乗って、いい気になって、馬鹿は私じゃないか。
どれほどそうしていたか、気づけば目の前にハンカチが差し出されていた。
「どこか具合でも悪いんですか? 救急車、呼びましょうか?」
――彼女だった。
笑っていたはずの顔はいま心配そうに眉根をひそめられ、その大きな瞳は俺への気遣いに満ち満ちていた。俺のために。俺だけに向けられる、優しさに。俺はどうしようもなく、歓喜して。俺の行動で彼女の感情が動く、その事実に、これまで感じたことのない熱を覚えたのだ。
「あ、ああ……大丈夫、ありがとう……」
「そうですか! よかったー」
彼女はまた笑った。あたたかい、お日様みたいに。
確かに、その瞬間。
俺は、彼女に恋をした。
「ハンカチ、借りていい? 涙、拭きたくて」
「どうぞどうぞ!」
「ありがとう。……洗って返したいんだけど、迷惑?」
自分の口からこんなナンパの常套句が出てくるとは想像もしていなかった。
「え……っと」
彼女は戸惑ったようだった。無理もない。彼氏がいるのだからほかの――しかも会って間もない男となんて会う約束するわけがない。
「無理だったらいいよ。お礼がしたかっただけだから」
彼女と同じくらい私も戸惑っていた。これは恋だ。言い逃れできないくらいの、ひとめぼれだ。それはわかる。わかってしまった。でもなぜ。私は女なのだから――
(「お客さんホントイケメンって言っても通じますよ! 女の子達にモテたりしません?」)
何を言っているんだろう。何を考えているのだろう、私は? 私は
「あの、次の日曜日でよかったら……」
「え?」
反射的に見上げると、ほんのり頬を染めた彼女と目が合った。
「いいの? さっき、彼氏と一緒にいなかった?」
あんな男やめてしまえ。俺のなかの私が叫ぶ。心変わりしてしまえ。私のなかの俺が囁く。もはやあの男への復讐よりも、ただ、俺を見てほしい。その想いだけが私の心を占めていた。
「彼氏っ? そんな、違います」
ぶんぶんと彼女は首を振る。ゆるふわ、と呼ばれるようなまとめ髪から漂う甘い香りは私の知らないヘアフレグランスで。隣の席だったあの女の子のように、私には無縁の可愛らしさがそこにあった。
「……彼氏じゃない?」
ぼうっとした思考のまま呟くと、こくこくと首肯が返ってくる。ちいさな拳を握りしめて、首を前に突き出して、必死に否定するその姿があまりに愛らしくて、私は涙を拭うのも忘れて頬を緩めた。
嘘。愛らしかったとか、そんなかわいい理由じゃない。胸の
気づけば驚くほど間近にあったパールピンクの唇を私は奪っていた。独占欲、支配欲、愛玩。なんでもいい。でもこの衝動に名をつけるなら、それは、やはり。
恋、だった。
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