32/20 近原友治の話⑪

「おそらく、被害者女性は笹貫さんを女性だとは思っていなかったんじゃないかな。いくら笹貫さんが中性的でも、意識的にそう振る舞わなければ女性だとわかるはず」

「んじゃあ元々心が男だったってワケか? そりゃねェわ、笹貫透は被害者の元カレと関係があったンだからよ。どっちにしろ変、……悪ィ、あー、何て言やぁいいんだ?」

「その彼は生きているんだから、そこは君の仕事でしょう。笹貫さんか、被害者か、どちらかが本命でどちらかが浮気相手だったんじゃないかと思うけど。笹貫さんの心がどうだったかは、笹貫さんにしかわからない。もう一度言わせてもらうと、誰かが誰かを愛することに性差は関係ないから」

「わかったよ」

「ただ笹貫さんは彼女を恋人だと言っていた。それが事実であれ妄想であれ、そう認識できるほどには親密だった」

「ああ」

「で、恋人同士と言ったら、どんなことをするか、という話なんだけど」

「どんな……って、あぁなるほど。いわゆる男女関係な」

「そう。そうだね。でもそういった場面になったら、いやでもわかってしまうだろう、体の性別がどちらなのか」

「だろうなあ」

「たぶんね、これは僕の推測だよ、推測なんだけど、被害者女性は笹貫さんを男だと信じていたはずなんだ」

「なんで断言できる」

「笹貫さんが見た悪夢」

「ソレがどうしたってンだ」

「『気持ち悪い何か』が追いかけてくる。必死に逃げる。状況的にこれは事件当時の情景がベースになっている。暗い夜道。水辺を駆ける。じゃあ追いかけてくる何かってなんだろう? という、意思をもってあらわれるモノ」


 相槌はなかった。


「まだ世間には偏見や先入観がはびこっていて、自分と異なる何かを許容できない人間はたくさんいる。恋人だと思っていた男性と一夜をともにしようとして、いざ現れたのが恋人の顔をした女性だったら。口に出してしまう人もいるんじゃないかな……悲しいことだけど」

「口に、出す?」

「――気持ち悪い、と」


 なぜそのようないびつな交際をしていたかまではわからない。だが、笹貫透は恋人を真に愛していたように感じられた。なればこそ。そんな台詞を吐かれた精神的ショックはいかばかりか。


「最愛の彼女が、自分を『気持ち悪い』と評した。つまり、追いかけてくるのは、であり、その言葉を発した彼女そのものだ」


(――気持ち悪いもの、って、姿を見たことはある? ない。それはおばけとか幽霊のたぐいなのかな?)


「気持ち悪い、と言った彼女はその場から去ろうとする。笹貫さんは追いかける。気持ち悪いから来ないで、なんて言われたかもしれない。笹貫さんは必死で追いかけて――」


(――追いかけているのに追われている気分だった)


「ついに殺してしまった。から逃げるために。……笹貫さんが本当にしまいこみたかった恐怖は、恋人を殺したことでもなく」


(――あなたは……とても大事にしていた恋人がいたんだね)


「恋人が浮気していたかもしれないことでもなく」


(――その恋人が、ほかの誰かにとられそうになった)


「最愛の人に、『気持ち悪い』と否定されたことなんだよ」


(――だからあなたは殺した)


「殺人の罪さえ受け入れてもいい、それでも隠しておきたいと思えるほどの、恐怖。これが笹貫透さんの動機であり、なくした記憶の核だ」


 近原は資料が挟まれたバインダーを閉じて男のほうへ滑らせる。


「まだまだ僕らの理解が遠く及ばないところにあるね。……特に、人の心は」


(――面白くはなかったよ。でも興味深くはあった、かな。どうやって紐解いていこうか、ってとても考えた。ミステリー? そうとも言えるかな)


 それは笹貫透との二十日間そのものであり……。


「僕にとって笹貫さんは笹貫さんでしかないけれど、笹貫透という名を持った人物にとってその名前は、女性性を呼び覚ますのか、男性性を呼び覚ますのかはわからなかった。だからあまり名前を呼ばないようにしていた。僕が知りたかったのは、『』でもなく『』でもない、『』の話だったから」


(――誰かの名を呼ぶ行為は大事だよ、僕にとっても、君にとっても)


 男は黙って資料を手にすると、身軽な動作で立ち上がった。


「笹貫透はこれからどうすんだ」

「メンタルケアは必要だ」

「そりゃお前に任せてもいいのか」

「次は普通の仕事として依頼してきてほしいな」

「わかったよ。助かった。今度何か奢る」


 手短なねぎらいの言葉だけ述べて、男は足早に扉へ向かう。待っている仕事がたんまりあるのだろう。今回のようなケースは特に。戦場へ赴くかのようなその背中へ、近原は声をかけた。


万里ばんりくん」

「あァ?」


 人相のあまりよろしくない男はさらに凶悪な顔つきで振り返った。


「笹貫さんを、よろしく」


 返事はない。けれども、当たり前だとでも言うかのごとく男は軽く手を振る。

 やがてその足音も聞こえなくなったころようやく、近原は椅子の背もたれに体重を預けて大きく四肢を伸ばした。見上げた電灯の眩しさに目を腕でかばうと、電灯とは異なる白が視界を埋める。同時に、「先生」と自分を呼ぶ声がする。しかしこれは哀愁が聞かせる幻聴だ。応えても届くことはない。わかってはいたが、近原はぽつりとこぼした。遠ざかる後ろ姿へかける見送りの言葉のように。


「どうか、良い人生を」

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