29/20 近原友治の話⑧

「この仕事してて面白い話なんぞお目にかかれるワケねェって充分わかってら。余計な気遣いは要らねえからさっさと話せ」

「わかったよ」


 正しく理解してほしかったがためにだいぶ迂遠な説明をしてしまったことを軽く反省して、近原は改めて口を開いた。笹貫透という、ただひとりの物語を語るために。


「笹貫さんがなくした記憶は大きくわけてふたつ。ひとつは事件に関する記憶。もうひとつは、自分に関する記憶。笹貫さんはそれらを思い出そうとして、悪夢に阻まれる。その悪夢は、いま言った通り実体験をもとにして生成されている。時間帯、場所、状況……そのうち齟齬があるのは追う側と追われる側が逆転しているという、状況。どうして笹貫さんは追われる側なのか。それはこれが警告だからだ。笹貫さんの恐怖を呼び起こして翻意させるための、防衛システムだから。けれど笹貫さんは諦めずに過去を求めた。そこで防衛システムである脳は策を講じた。あんまり恐怖を与え続けても精神を摩耗される恐れがある。笹貫さんの脳にとって何より優先すべきは、精神の安定だ。だから――笹貫さんが欲しがっている記憶を開示した。笹貫透は恋人を殺した殺人犯だと。これは事件の記憶、自分に関する記憶、両方に当てはまる。そしてこれは一般的に見てもショッキングな内容で、笹貫さんが記憶をなくすにふさわしい、物語として幕を下ろせるものである。――ただ一点を無視するならば」

「矛盾、だよな」


 そのをはじめから理解していたかのように、男は相槌をうつ。


「矛盾、と言ってしまうのは僕としては歓迎できない。けれど、でも、……うん。そうなんだろうね、多くの人にとっては」

「悪ィな。言葉を知らねんだよ。お前と違ってな」

「知らないことは悪くないし、理解を強いたりもしないよ。という事実だけ知ってくれれば、それで。肝要なのは、許容だから」

「そんで『決めつけは何事もよくないね』っつぅんだろ」


 男の声真似があまりに似ていなくて、近原は声をあげて笑った。


「そう、うん。決めつけは何事もよくない、そう。、そういうことだよ」


(――笹貫さん、あなたは……とても大事にしていた恋人がいたんだね)


「そこは間違っちゃいねェだろが」

「うん。確かに。『男は女と付き合っていて、女は別の男と浮気してたらしい』、これも


(――その恋人が、ほかの誰かにとられそうになった)

(――だからあなたは殺した)


「笹貫透は死亡した被害者の元カレと付き合っていた。恋敵の女が憎くて殺した。これがウチらの解釈だ」

「その男性は生きているんだっけ。彼がそう証言したの?」


 尋ねると男は苦虫を噛み潰したような顔になり、


「まぁな。ただどうにもクソ野郎でよ、交際してたとは認めたンだが」


 と苛立たしい様子でがりがりと頭を掻く。


「君達のその見解だと、『男は女と付き合っていて、女は別の男と浮気してた』という周囲の証言と食い違うんじゃないかな?」

「被害者の女が何股もしてた、と俺らはみてる」


 男の目に揶揄の色はない。彼らは常識を信じる。それこそ、彼らの実績からなる経験則という常識を。

 だが近原が信じるものは個人の言葉だ。どれほど世間一般とかけ離れていようと、本人が認知した事象を信じる。両者は決して交わらないように見えるが、ようは見方の問題だ。男が所属する組織は常識を重んじるが何よりも事実を重要視する。当然だ。起きたことは変えられないし変わらない。いまここで確然たる出来事として陳述できる事実は、、それだけである。そしてそれはすでに周囲の証言や証拠、自供によって証明されている。

 罪を犯したのは間違いなく笹貫透。であるのに、ではなぜ彼らは――男は、近原へ笹貫透を託したのか。

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