28/20 近原友治の話⑦
「笹貫さんは自分が何者なのか知りたかった。それはなくした記憶のなかにあるはずだった。ただそれは、笹貫さんには相当なショックを与えうる記憶で、自分を知ろうとするたび悪夢となって立ちはだかる。それでも知りたかった。見つけたかった。同時に、封じたままでいたい、もう見たくない、と思う笹貫さんも存在する。わかりやすい例を出すなら、天使と悪魔の囁き、とか、よく言うよね」
「ああー……」
心当たる何かがあるのか、やけに実感のこもった相槌を男は打った。
「で、天使と悪魔、どっちが勝った?」
「二極化できるほど人の心は簡単じゃない、けれど。笹貫さんのなくした記憶を知りたいという願いは叶った」
笹貫透は己の罪を告白した。それは記憶を取り戻したとほぼ同義である。だが、
「でも、なぜ記憶を失ったのか、に対する答えにはなり得ない」
近原の台詞に、男は目線で先を促す。
「これが君の仕事ならここで終わりだ。ひとりの命が奪われて、その犯人は罪を認めた。あとは証拠を揃えて、法の
(――どうやって紐解いていこうか、ってとても考えた)
「悪夢は警告、と言ったよね。怖いものがあるから見るな。そういう警告だ。では内容はどうだろう? 暗い夜道を追いかけられる夢。犯行に及んだとされる時間も夜」
(――君は水気のある場所を死にものぐるいで走っている、と。気持ち悪いものに追いかけられている?)
「夢のなかで走っているのは水辺のような場所で、遺体が流されたのは川」
「待てよ。お前さっき記憶じゃねェって言っただろが」
「記憶じゃないよ。本当の記憶じゃあない。記憶をもとにつくられた悪夢なんだからね。逆を言えば、悪夢に登場するすべては必ず元となった体験がある」
「俺は門外漢だけどよ、そんな整合性があるモンか? その、心のなんやかやってのは」
男はいまいち納得がいかない様子でしきりに頭を掻く。
「ある。あるんだよ。これは心じゃなくて、脳の話だからね」
「お前ェいまさっき『心を解き明かす』って言ったろうが」
「夢を生み出すのは脳で、その夢を恐ろしい、嫌な夢だと感じるのは、心だ」
とんとん、と近原は自分の胸を指してみせた。
「ここまで合致していて、なぜ夢のなかの笹貫さんは追いかける側ではなく追われる側なのか。追いかけてくる、気持ち悪い何か、とは何なのか」
「普通に考えりゃ、罪の意識ってヤツなんだろうなと考えるんだが。そうだとしたらお前がさっきの例え話するワケねェよな。あの例え話、ありゃ問題点のすり替えだ」
「うん。そう。じゃあ、君は、笹貫さんは一体何をすり替えたのだと思う?」
近原が質問すると、男は長い脚を組み替えて沈思黙考した。そのまましばらく無音の時間が流れる。
おもむろに男が口にした解答。それは。
「忘れた記憶のすり替え」
「そう。その通りだ。正解してもたぶん、うん、面白い話ではないと思うけど」
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