25/20 近原友治の話④

 ぬるくなった甘いコーヒーをすすって、近原は話を再開した。


「笹貫さん自身の話だと、悪夢を見始めたのはその頃」


(――夜はよく眠れてる? いや顔色があまりよくないからさ)


「自分が誰だか気になった頃ってか?」

「うん。名前を知ったり、触診を試してみたりした後で、僕が事件の話を聞かせた後でもあるね」


(――隣の区で起きた殺人事件の記事なんだけれど……。君をあまり不安がらせるのもよくないし、こういった話題はね)


「案外それが理由なンじゃねェの? 悪夢を見るってのは。てめェが起こした事件の話に触発されたって線もあんだろ」

「そう、かな。その可能性もある。でも僕の考えは少し違うんだ」


 目線を落とせば、マグカップのなかでコーヒーが渦を描いている。二十日間顔を合わせた相手もまた、甘いコーヒーが好きな人物だった。いつもミルクとシュガーを多めに入れていた姿を思い出すとひどく遣る瀬ない想いが胸中にせり上がる。笹貫透を待ち受ける困難はこれからが本番だ。

 そして、その困難に名称をつけることが、ほかでもない近原の仕事で、それこそが男から頼まれた案件でもある。

 ともすれば口に出してしまいそうな笹貫透への詰責をコーヒーとともに飲み下し、近原は改めて男と真正面から視線を交わらせた。


「これまでの話を踏まえて順序だてて話そう。……笹貫さんは自分に関しての記憶を忘れた。それがどのような要因であれ、僕が診た笹貫透さんはいたって健全な心身の持ち主だった。この二十日間、少なくとも前半は」


(――いいね。返事や相槌は大事なコミュニケーションだ)

(――だいぶ表情が生き生きしてきたね)


「忘れた記憶を思い出そう、取り戻そうとして笹貫さんは心身不調に陥る。つまり笹貫さんが記憶をなくすほどショックを受けたのは、自分自身にまつわることなんだ」

「……事件が原因じゃねェのか」

「人を殺めたショックで記憶をなくしたのなら、自分の身元まで忘れない。そのあたり、脳はわりと合理的なんだよ。ほら、芋づる式に思い出す、なんてよく言うだろう? それはその通りで、記憶は必ず何かと紐付いている。だから人は心的外傷を……わかりやすく言えばトラウマを負う。これは否定的な例だけど、肯定的な例としては験担ぎなんかも同じ理屈だと僕は考えている。成功した記憶をほかの何かに結び付けて己を鼓舞するわけだから。身近な例で言えば、好きなアーティストの曲を聴いたら元気がわいてくる、これもそう。楽しかったり、嬉しかったりした思い出があればあるほど紐付きは強くなってプラスの影響を心身に与える」

「御託はわかったよ」

「話が逸れてごめんね。要するに笹貫さんはトラウマとなった記憶のブラックボックスに自ら飛び込んでしまったんだ」

「そうさせたのはお前だろ」

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