23/20 近原友治の話②

「そんなドラマティックな聞き方しなくても、笹貫透さんはずっと笹貫透さんだ。解離性同一症――いわゆる多重人格でも、まったくの別人でもない。犯行当時の記憶がないのも、ただの心因性健忘で、君達が頭を抱えるような現象は何も起きていやしないんだ」

「これが通常のヤマならおまえを引っ張りだしてねえわ。異常だよ、少なくとも俺からすれば」

「それって決めつけ? それとも経験則?」


 男は近原の問いに渋い顔をした。決まり悪そうに居ずまいを正す。


「経験はねェ……から、決めつけだな」

「うんうん。決めつけは何事もよくないね」

「悪かったよ」


 ぶっきらぼうな物言いではあるが素直に己の至らなさを詫びる点を近原は好ましく思う。尻尾をさげた犬のように口を閉じた彼の前へ資料を滑らせる。


「笹貫さんは被害者女性を殺害した」

「ああ。遺留品や物的証拠から見てもそりゃ明白だ」

「しっかり自白もしている」

「問題は」


 と男はそのきつい眼差しで近原を睨んだ。


「どうして殺人に至ったか、動機だよ」


 しばしの沈黙が降りた。近原は二十日間ぶんの記録へ目を落としながら、


「笹貫さん、悪夢を見るって言っていたんだ」


 日を重ねるにつれ、次第に悪くなっていった顔色を思い出す。ここ数日などは調子を尋ねるまでもなく、蒼白を通り越して土気色だった。夢見の悪さゆえの睡眠不足もあったのだろう。


「殺人なんてすりゃ悪夢を見てもおかしくない」


 納得したようにひとりごちる男へは返事をせず、話題の方向を変える。


「人っていう生き物は、直視したくないものに対して無意識に目を逸らしてしまうんだ。嫌悪だったり、恐怖だったり、羞恥だったり、それが何であれ」

「見ないフリをしたモンが、夢に現れるとか言うんだろ。小難しい話はわかんねェが」

「うん、そういう事例も少なくはない。でも笹貫さんは始めこそぼんやりとしていたけれど、六日目には自分のことについて興味を抱き始めてる」


(――君は、そうだね、器用そうに見えるかな)


 近原は向かいに座る雄々しい男を見上げた。


「人ってさ、わりと、相性とか、タイプ分け診断とか、好きだよね。心理テストみたいな」

「今度は何の話だよ? 二転三転してンぞ」

「つまり、姿ではなくて、姿をもって人は己の姿とする……まるで、他人を鏡にするように」


(――たぶん、鏡は用意できないだろうから、代替案として)


「俺にゃおまえが何を言いたいのかさっぱりわかんねェよ」


 荒々しく吐き捨てるそのさまは良くも悪くも男らしい。おそらく彼と少しなりとも付き合いがある人間ならば多くの者がそんな印象を抱くに違いない。そしてそれは鏡に映る彼自身の姿ともそう大差はないのだ。


 だがこれほどますらおぶりの見事な彼が箱を開ければ同僚や先輩に可愛らしいニックネームで呼ばれている内実は、姿からは到底わからない事実でもある。


「笹貫さんは犯行当時の記憶だけでなく、自分の名前も、自分の容姿も忘れていた。生活する上での記憶はあったから、本当にまるっと自分のことだけ抜け落ちたんだね」

「知ってたはずなのに知らなかったら知りたくなるのが道理ってモンだろ」

「うん、そう。自分のことがわからないから知りたくなる。まずは名前と見た目。てっとり早く知れる鏡は手元にない。そして尋ねられる他者は、僕しかいない」


(――僕から見た君の印象か……。見た目でもいいって?)

(――んだね)

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